97 この身が砕けようと守ってみせましょう。
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冷たい風が体を包むように通り抜けていく。エスティアは目前まで迫っていた黒い砂が音を立てて凍り付いていくのを呆気に取られた様子で眺めていた。誰がやったかなんて考えるまでもない。ゆっくりと落下していきながら笑みを浮かべた彼女を――
「もうっ、離れないでって言ったのに」
そう言ってフワリと笑うシュティレが視界に現れる。怒っているような安心しているような、そんな複雑な笑みにエスティアはぎこちなく笑い返す。
「ゴメン。でも、流石だね。私のお姫様は」
冗談めかして返す。すると、シュティレは怒る気も失せてしまったようだ。大きくため息を吐き出すと、そっとエスティアの体へと魔力を流し込む。彼女だって、もう魔力が少ないはずなのに、と思って口を開きかけるとシュティレが彼女の口を人差し指で押さえる。
エスティアを両手で抱きかかえたままシュティレは地面へと着地する。が、その直前で彼女は床に敷き詰められた黒い砂に触れないように一瞬で凍り付かせ、その上に降り立つ。
「まったく、こんなにボロボロになって……貴女は私に守らせることもさせてくれないの?」
「うぐ……っ。それを言われたら返す言葉もないや……ゴメン。でも、追いかけて来てくれて、ありがとう」
「はぁ……今度はちゃんと守らせてもらうから、私のこと、守ってよね」
「もちろん」
そっと氷の上に降ろして貰うころにはエスティアの傷は全てとはいかないが、ある程度塞がっている。失っていた左足も無事治して貰い、トン、トン、と地面をつま先で叩いて具合を確かめる。
状態は最高。体から無くなっていたシュティレの魔力も補充してもらった。エスティアはシュティレから受け取った宝剣を引き抜き構える。
シュティレは上を見上げ、凍り付いていた黒い砂へと手を翳し、グッと拳を握る。その瞬間、パリン、パリン、と砕けていく砂たちはキラキラと氷の破片と共に降り注ぎ、床へと散る直前で消滅していく。
エスティアは「綺麗だ」と呟くと、真ん中でコチラを睨みつけたっているベルトランの肉体へと宝剣の切っ先を向けた。ユラユラと揺れながら動く彼の顔から黒い砂が吐き出され続けている。
『ォォォオ……ッォオオオオオ』
そんなベルトランだったものを見つめながら、シュティレはギュッとエスティアの左手を握る。力強く握られた手から彼女の怒りがヒシヒシと伝わって来たエスティアはギュッと握り返す。
「あれが、エストから瞳を奪った……」
「そうだね……いや、ちょっと違うかも」
エスティアは少し寂し気に微笑むと、言葉を続ける。
「あれはもう、ベルトランじゃない。アイツは自分で死んだ。そんで、今目の前にいるのはただのバケモノだよ……世界を喰らい尽くそうとするね」
「エスト……」
「だからさ、これはもう復讐とかじゃないんだ。これは……」
シュティレへと顔を向けたエスティア。その笑顔はとてもぎこちない。
「勇者としての戦いになるんだと思う。ねぇ、シュティレ……私が世界を救うために戦うなんて言ったら……みんな笑うかな?」
「エスト……ううん、笑わないよ」
シュティレの指がエスティアの指と絡む。その温かさにどうしようもないほど泣きそうになる。エスティアはキュッと口を引き結ぶと、微笑む彼女を見つめる。
「きっと、みんな応援してくれるよ」
自信に満ちた声がエスティアの体へと溶け込んでいく。エスティアは軽く瞳を閉じると、ゆっくりと開く。黄金色にも見える輝きを放つ左目と黄金色に輝く右目がバケモノを見据える。
ユラ、ユラ、と揺れるバケモノから吐き出された砂が再び巨人を作ろうと周りの壁へと張り付き、城の魔力を吸収している。早めに決着を付けなければいけないようだ。
握り締めた宝剣を見やる。大切な相方を粉々に砕いてしまった。怒っているだろうか。エスティアは心の中で小さく“ごめんね”と謝ると、するりとシュティレから手を離す。
「さて、今度こそ終わらせよう」
「うん、終わらせよう」
シュティレがバケモノへと手を翳し、エスティアは宝剣を構え同時に――
「幸せのために!」
「幸せのために!」
シュティレが作り上げた氷の一本道をエスティアが駆け出す。気づいたバケモノが揺れながら壁に張り付いていた黒い砂を剣や槍といった武器へと変化させ発射する。だが、エスティアはソレを一瞥することなく走り続ける。
「凍りつけ!」
エスティアへと当たる直前で全ての砂が凍る。バケモノが苛立たし気に視線を動かせば、得意げな表情で手を翳すシュティレの姿があった。そのまま凍り付いた砂は砕かれ、破片の後ろから飛び出す様にエスティアがバケモノへと宝剣を振り下ろす。
流水を纏ったそれはバケモノが防御のために張った砂へと阻まれてしまう。砂が聖なる水を吸収していく。このままでは魔力を奪われると悟ったエスティアは即座にバックステップで距離を取るが――
「やばっ」
バケモノの顔から吐き出された黒い砂が手となってエスティアを追いかける。咄嗟に宝剣でガードしようと構えたその時。ガラスの砕けるような音と共に彼女へと迫っていた手が凍り付き砕ける。パラ、パラ、と舞い散る破片を目で追いながら、エスティアは不敵に微笑む。
着地と同時に踏み込み、もう一度バケモノのへと突っ込む。その時、足場となっている氷が盛り上がり彼女を撃ちだす。弾丸のようなスピードでバケモノへと宝剣を横薙ぎに払う。
「ハァァァァアアアッ!」
ガードに使っていた砂の壁が凍り付き砕ける。エスティアは新たな壁が作られるよりも早くバケモノの胴体を真っ二つにせんと斬り裂く。だが、入りが甘い。
滑るようにバケモノの背後へと着地したエスティアは氷の足場を土台に飛びあがり、天井から降り注ぐ、黒い槍を躱す。そして、空中に現れた氷の足場へと着地し、バケモノを見下ろし、いつの間にか隣へとやってきているシュティレを一瞥する。
バケモノは斬り裂かれた体を再生させるために、エスティアを睨みつけたまま動かない。
「エスト、大丈夫?」
「うん。シュティレこそ大丈夫だった?」
エスティアはそう言って眉尻を下げる。戦っている間、エスティアをサポートしつつシュティレは降り注ぐ槍や迫りくる手の相手をしていたのだから。疲労だってある筈なのに、と瞳を伏せるエスティアにシュティレはニコリと笑いかける。
「へーきっ。それよりも、あれ……」
シュティレが真剣な表情でバケモノを見下ろす。壁に張り付いていた砂と床に積もっていた砂をすべて回収したことにより、傷はすっかり回復してしまったようだ。そして、バケモノを中心に黒い蛇のような物が現れうねる。
まるで、バケモノを守るように現れたそれらは空中にいる二人を鋭く睨みつけ、威嚇した。エスティアはそのヘビの口から虹色の液体が垂れていることに気付くと、舌を鳴らす。
「……シュティレ、絶対にあのヘビに近づいちゃダメだよ」
「あ、うん……わかった」
シュティレ、一瞬心配げにエスティアは見つめたが、すぐに息を吐き出す。そして、そっと彼女の背中に手を当てた。
「貴女のことは絶対に守る。だから、安心して戦って」
「まかせてよ」
ニコっとエスティアがそう言って微笑んだその時――エスティアが持っている宝剣がキラリと煌めく。
エスティアが氷の土台から飛び降りる。そのまま落下していきながら宝剣を高く掲げる。刀身からあふれ出した聖なる水が眩い輝きを放つ。同時に、シュティレは土台の上から不可視の矢を構える。
空気をも凍り付かせるほどの濃密な魔力がシュティレの周りで渦巻く。それは、自分の額から流れ出た汗をも凍り付かせるほどだ。そのまま限界まで引き絞り――放つ。
空気を切り裂きながら氷の矢がいくつも放たれ、落下しているエスティアを追う。エスティアはそれをチラリと確認すると、宝剣を振り下ろす。
刀身から流れ出た水が飛沫となって飛び散る。それは、氷の矢の冷気によって一瞬にして凍り付き、氷の雨となってバケモノへと降り注ぐ。
バケモノの周りをうねるヘビたちが氷の雨に貫かれていく。が、それらはすぐに再生し氷の雨が本体へと届くことは無い。
続くように氷の矢が降り注ぐ。まるで自我を持つかのようにヘビを躱して直接本体へと氷の矢が突き刺さる。が、バケモノの体に薄く纏われた砂がソレを弾く。
バケモノが苛立たし気に手をシュティレへと翳す。その次の瞬間、バケモノの手から無数の黒い矢が放たれる。
「させるかァァァァァアアアアアアアッ!」
撃ちだされた黒い矢をエスティアが落下しつつそれらを全て宝剣で斬り裂く。呆気なく叩き折られた矢は砂へと戻り、宙を舞う。エスティアは体を捻ると、そのままバケモノを守るヘビの一体を切り裂く。
ヘビがボロボロと崩れていくのを流し見。そして、着地と同時に襲い掛かろうと牙を剥くヘビの頭を左手の籠手で掴み――握りつぶす。
砂が顔にかかるが、エスティアは気にせず宝剣をコンパクトに振り払い三匹目の頭を跳ね飛ばす。四匹目が口から毒液を飛ばす。常人であれば、その透明な液体に気付かずやられていただろう。だが、彼女の右目は視えている。
サッと、半身になって飛んでくる虹色の液体を躱すと、回し蹴りで飛ばしてきた四匹目の頭を潰す。これで、全てのヘビは排除できただろうか。
ユラ、ユラ、と砂を吐き出し続けるバケモノが目の前までやってきたエスティアを睨む。真っ黒な顔から表情は読み取れない。だが、バケモノの感情など興味は無い。
「さて、これでお前を守るものは無い」
『……』
宝剣の切っ先を向ける。この剣も、あと一回ほど振り下ろせば砕けてしまうだろう。傷は無いが、エスティアは何となくわかっていた。はやく、相方の元へ返してくれと言われているような気がする。
『……どうしてなんだ』
「え……?」
バケモノが言葉を発する。それは、喉から出しているというよりは、頭に直接語り掛けてきているようだ。所詮、体に残った記憶を模倣しているだけだ。そうわかっていても、エスティアはその酷く悲し気な声に戸惑う。
『どうしてだ……僕はどこで間違えたんだ? 僕は、ただ、ただ……彼女との家族が欲しかっただけなのに……』
声色とも相まってユラユラと揺れる体はどこか寂し気だ。
『そのために、一から人を創ろうとしたんだ……でも、肉体は作れても“瞳”だけはどうにもならない……初めから盲目と決まっている子どもなんて悲しすぎるだろう。だから僕は……研究を始めた……瞳の……そこで、僕は』
自分の顔を両手で覆っていたソレはゆっくりと手を下ろし、エスティアを見つめる。
『君に出会った。全てを覆す可能性を秘めた幻の“虹色の瞳”を持つ君を……君のおかげだ、君の瞳があったおかげで僕は――世界を壊す方法を編み出せたんだから』
「――っ!」
『もう正常なものは君の片目だけしか残っていないのは残念だが、それでも大丈夫だ』
バケモノがそう言った瞬間、辺りの雰囲気が一変する。ドロドロと空気が重い。まるで、重力が何倍にでもなったかのようにエスティアはその場に片膝をついてしまう。すると、背後で何かが落ちる音がし、咄嗟に振り向けば、氷の床の上でシュティレが倒れていた。
「――シュティレ!」
おそらく、部屋を包み込む濃密な魔力が重力となって襲い掛かってきているのだ。うまく動かない体でエスティアは必死にシュティレへと声をかける。すると、ツラそうな表情でいながらも、彼女は「大丈夫」と答える。
エスティアはグッと唇を噛みしめると、自分の甘さを呪った。アイツはただ時間が欲しかった。その為にあんな悲し気な声で話していたのだ。最悪だ、最悪だ。
宝剣を杖に立ちあがろうと試みる。だが、まるでその体に大きな城でも乗っかっているのでは思ってしまうほどに強烈な圧力がそれを許さなず、エスティアは跪くような体勢でバケモノを鋭く睨んだ。
『君の魔力と僕の魔力が混ざり合えば……世界を壊せるはずなんだ』
「な、にを……いって……っ」
バケモノがゆっくりと揺れ動きながら跪くエスティアへと近づく。それが一歩近づくたびに濃密な魔力が圧力となってエスティアの体を重たくさせ、両足が床へとめり込み沈んでいく。
「エスト!」
シュティレが鬼気迫った表情でそう叫び、氷の矢を飛ばそうとするが――発動しない。魔力は込めている筈なのに、それは形とならない。その間にも、一歩、また一歩とバケモノはエスティアへと接近する。
シュティレは魔術が使えないなら、と立ち上がろうとする。が、気付いたバケモノが彼女へと顔を向け小さく何かを呟く。その次の瞬間、シュティレの体にエスティアとは比べ物にならないほどの圧力がかかった。
「――ッァァァアアアアアアア!」
「シュティレェェェェェェッ!」
バリバリという音を立ててシュティレの体が床へとめり込んでいく。その圧力はすさまじく、シュティレの体から嫌な音が響き鋭い痛みが駆け抜ける。シュティレの叫びが聞こえるとエスティアは弾かれるように彼女の方へと顔を向け叫ぶ。
無理やり身体を動かしたせいで、体が圧力に耐えられず悲鳴をあげるが気にしているだけ無駄だ。このままでは、シュティレの体が潰れてしまう。どうすればいい。必死に考えながらエスティアはグッとは宝剣を握り締める。
バケモノはシュティレを見つめたまま動かない。だが、シュティレの体はミシミシと沈んでいく。
「宝剣セイレース……お願い」
滴る水がエスティアの手を伝い、顔を濡らす。ひんやりと冷たいソレはどこか温かい。エスティアはコツンと宝剣に額を当てて魔力を込める。
「シュティレを守りたいの。その為なら、この体が壊れてもいい。だから……力を貸して」
宝剣がその声に答えるように光り輝く。その光は見たことないほどに眩しく、優しい。力強い輝きかたをする魔剣とは正反対だなと思いながらエスティアは徐々に軽くなっていく体に笑みを浮かべた。
腕が動く、次は足だ。エスティアはゆっくりと立ち上がる。もう、体の重さは感じない。運がいいことにバケモノはこちらに気付いていない。
エスティアは宝剣をゆっくりと居合のように構える。このまま斬り殺せば全部終わる。だが、願いというものはそう簡単に実現してはくれない。
バケモノは片手を上げる。すると、バケモノの頭上に現れるは巨大な黒い斧。その鋭い刃はシュティレへと向いている。あのバケモノがこれから何をするかなど考えるまでもない。エスティアはその両目を限界まで見開く。
「テメェ……ッ!」
居合のように構えていた宝剣を下げると同時にエスティアは駆け出す。その視界の端でバケモノがゆっくりと手を振り下ろすのが見える。
間に合え、間に合え、間に合え。黒い斧がシュティレへと落下していく。このままじゃ間に合わない。エスティアはグッと両足を踏み込むと腹の底から咆哮を上げた。
「間に合わせるんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああッ!」
その時、宝剣が眩いほどの光を放ち、エスティアの体が軽くなる。それは、まるで誰かが後ろから押しているかのようだ。エスティアは自分の両足の筋肉が張り裂けてしまいそうなほど踏み込み、シュティレの前へとたどり着く。
黒い斧はもうすぐそこまで迫っている。彼女を抱えて躱すことはもう不可能。なら、やることは一つ。受け止めればいいだけの話だ。
「絶対に守ってみせる」
宝剣で身の丈ほどもある黒い斧を真正面から受け止める。衝撃によりエスティアの足元にクレーターができ、体全体がきしむ。だが、間に合った。エスティアは苦し気な笑みを浮かべ両足に力を込める。
その時だった――どこからかパキっという音が響く。それ宝剣から聞こえていた。バキン、と宝剣が悲鳴をあげる。このままでは黒い斧は宝剣ごとエスティアたちを真っ二つに斬り裂くだろう。
「守るんだ……絶対に守るんだァァァアアアッ!」
グググと、エスティア渾身の力を込めて――黒い斧を跳ね返すのだった。




