65 夕焼けのワルツ
何か軽食でもないかと厨房へと向かった二人。だが、食糧不足を嘆く兵士の言葉を小耳にはさんでしまい。夜まで待った方がいいだろうと思い、ガックリと項垂れながら中庭へとやってきていた。
よく手入れされてはいるが、肥料などはあまり貰っていないのか。少し元気のない草花はまるでこの国の、民の心の疲労を現しているように見えたエスティアはそっと花を撫でると、ベンチへと腰を下ろす。
「随分と変わっちゃったんだね……」
一応わかる範囲でエスティアから説明を受けていたシュティレは、以前とはすっかり変わってしまった風景にため息をつく。前はもっと華やかな風景だったのに……と。
エスティアの隣にピッタリとくっつくように腰を下ろしたシュティレは、鳴り響くお腹を押さえながら頭を捻った。
「……あっ!」
思い出したようにシュティレが声を上げる。空腹で半分上の空だったエスティアはその声に現実へと引き戻されたのか、ビクリと肩を跳ねさせ、顔を向けた。
「あ、ごめん」
気づいたシュティレは小さく笑みを零しながら謝ると、言葉を続ける。
「エスト、あそこならあるよ! ほら、“箱”だよ!」
「箱……?」
エスティアが思い出す様に天を仰ぐ。だが、待っている時間も惜しいのか、シュティレは懐から一冊の手帳を取り出すと、呪文を唱えた。その光景で、エスティアは思い出す。
箱といえば、勇者に許された技術の一つだ。その箱にはなんでも入れることが可能で、依頼に必要な素材などを入れておくことができる。無論、食べ物も可能だ。だが、そこまで考えて、エスティアは引っかかりを感じた。
なにか、大事なことを忘れているような。だが――突然隣から漂う突き刺す様な異臭に全ての思考を連れていかれたせいで、それ以上考えることは叶わなかった。
「な、なんのニオイ!?」
思わず鼻を塞いでしまうほどの激臭。名状しがたいそれにエスティアの瞳に涙が浮かぶ。
犯人は誰だ……その正体はすぐに発見することができた。それは、シュティレの目の前に置いてある物体だった。おそらく、あれは箱に入っていた“生モノ”だ。箱は基本的に入れておくだけで長期保存には向いていない。故にあれは……
「そんなぁ……」
激臭に涙目のシュティレは名残惜しむように指を軽く振り、その食べ物だった物たちを燃やすと、ガックリ項垂れた。お腹の虫は依然として鳴り続けている。
どうしたもんかとエスティアがポケットに手を突っ込んだ時に、カサリと音が鳴った。身に覚えのない感触に怪訝な表情を浮かべながら包み紙を取り出すと、それは二枚のクッキーが入っていた。ほのかに香る甘い香り。
いったい、だれがいつの間に……わかっている。きっとアリアナだ。エスティアはクスリと表情を綻ばせると、シュティレへとクッキーを手渡した。
「シュティレ、はいっ」
「え……どこから出したの?」
クッキーを受け取ったシュティレ。だが、その表情は訝しむように瞳を細めている。エスティアはポケット軽く叩く。
「叩いたら出てきた」
「なにそれ」
軽く体をひくシュティレ。警戒しているのだろう。だが、エスティアから渡されたということと空腹ということが後押ししたのだろう。パクリと一口食べ始めると、その表情を一気に綻ばせ、あっという間に彼女の口の中へと消えていく。
エスティアは持っていたもう一枚のクッキーを手渡す。
「え、いいよ。エストが食べなよ」
「いいよいいよ」
押し付けるように渡したエスティアはそのままシュティレの口元へと手を伸ばし、彼女の口の端についていたクッキーの欠片をつまみ、自分の口へと持っていくと、優しい声で言った。
「これで十分だよ。シュティレの顔見てたらもうお腹いっぱいだからね」
ニヒッと笑みを浮かべるエスティア。シュティレは恥ずかしさを誤魔化す様に貰ったクッキーをパクパクと食べきると、そっとエスティアの肩に頭を乗せ、手を握った。
エスティアも握り返し、眠るように目を閉じる。ああこんな時間がずっとずっと続けばいいのに。そんなことを二人が考えた時だった。
誰かの気配を感じたエスティアは片目を開ける。
「やぁ、エスト。久しぶりだね」
茶髪に緑目の青年はそう言って笑みを浮かべた。
「……コーニエル?」
エスティアは自分でそう言ってあまり信じられなかった。記憶よりも大人ぽっくなっているのは仕方のないことだが、あの時のような快活さは影を潜めている彼。
艶やかな茶髪はくすみ、新緑のような緑色の瞳はまるで人のいなくなった森のような影が射し込んでいる。
いま見せている笑顔だって酷いものだ。爽やかな笑顔だったものは疲れ切った男性が見せるソレのようだったからだ。
玉座の間で見た時は同姓同名の人物だと思っていたが、エスティアの名を知っているということは違う。それでも、信じられなかった。だが、答え合わせはやって来る。
「よかった、覚えていてくれたか」
その言葉が本人だと告げる。エスティアはたった五年で人はここまで変わってしまうのかと、悲しくなったが、それをおくびにも出さず、口角を上げた。
「まぁ、そっちは五年かもしれないけど、私はつい最近のようなもんだからね。そっちこそ、覚えていてくれたんだ」
「当然さ。あの時、僕たちの命を助けてもらった恩を忘れるはずがない」
ニコリと微笑む彼の表情はやはり以前とは別人のようだ。
「先ほどはすまない。まさか、君が生きているとは思っていなくて……それに、あのエラーたちのこともあったから」
「いや、いいよ。コーニエルたちも大変だったんだね」
そう言って立ちあがったエスティアはコーニエルの肩に手を置いた。コートの上からでも分かるほど彼の体は逞しくなっているが、その雰囲気は今にでも自分から命を絶ってしまいそうなほど弱々しい。
コーニエルはフワリと表情を綻ばせると、エスティアの腰に収まる二本の剣へと視線を落とす。そして、顔を上げた。
「エスト、僕と少し手合わせをしてはくれないだろうか?」
「手合わせ……?」
突然の申し出にエスティアは瞳を見開く。手合わせというのは無論、模擬戦の事だろう。そんなことはわかりきっている。だが、どうして? という疑問が浮かぶ。
「別にやるのは構わないけど。私、そんなに強くないよ?」
自嘲する。双子の戦闘を見てしまってから、なんだか気分が落ち込んでいる。コーニエルは、複雑に笑うエスティアの肩に手を置く。
「そんなことはない。以前よりも、君ははるかに強くなっている筈だ」
力の篭った声は、あの時の彼だった。
エスティアはフーっと息を吐き出すと、シュティレへと振り向いた。ここまで言われてやりませんといえるほどの度胸はない。
「シュティレ、応援してて」
それに、彼女が見ているのだ。大切な人にカッコいいところを見せたいというのは人間の性でもあるだろう。呆れたような表情を見せたシュティレは「頑張ってね」と応援する。エスティアの表情が緩む。
その一言で、完全にスイッチが入る。
少し移動した広場でエスティアとコーニエルは向かいわせに立つ。彼の右手には銀色に輝く片手剣が握られている。
「さて、シュティレが見てくれてるからね――本気で行くよ」
漆黒となった籠手を装着。右手に魔剣。左手に宝剣を構えてエスティアは体勢を低くし、いつでもいけるというサインを出す。コーニエルは静かに頷くと剣を両手で握りしめる。
流れる空気が変わった。それは幾度ともなく感じた戦いの空気。突き刺すようで撫でるように流れるソレにエスティアの顎から一筋の汗が流れ落ちた。
ポタリ。そんな音が聞こえた。人間では聞こえないほどの音と形容してもいいのかわからないソレは、確かに二人の耳に届く。
二人が同時に駆け出す。
銀色の剣が一歩早く、振り下ろされる。エスティアはそれを魔剣で滑らせるように受け止めると、も片方の宝剣をコーニエルの心臓目掛けて突き刺す。
「はは、殺す気満々だね」
体を捻り軽々と躱したコーニエル。だが、彼女の攻撃はまだ終わっていない。
コーニエルの無防備となっている腹部に蹴りを放つ。横薙ぎに繰り出された蹴りを流石に避けることはできず、吹き飛ばされたコーニエルは空中で体を回転させながら勢いを殺し、地面へと着地する。
「まったく、強いじゃないか」
肩を竦めるコーニエル。手ごたえはあったが、ダメージになっていないようだ。だが、エスティアは強化なしでもここまで動ける自分に驚きが隠せない。
「ありがとう、私も一応成長はしてるのかなっ!」
ブンッ! 右手に握っていた魔剣をコーニエルの心臓目掛けて投擲。同時に駆け出すエスティア。コーニエルの瞳が大きく見開かれる。
無理もない、自分の武器をなんの未練も持たずに手放せるのだから。ナイフや飛び道具なら理解できるが、あれは剣だ。困惑に埋め尽くされそうになるが、冷静に剣を振るい魔剣を叩き落とす。
「斬り裂けぇぇッ!」
頭上から声が響く。コーニエルは咄嗟に天を見ると、そこには宝剣を振り下ろすエスティアの姿があった。魔力を纏っていないとはいえ、あの剣の切れ味は味わわなくともわかる。
だが、まだ甘い。コーニエルは迅雷の様な宝剣を半身になって躱すと、地面へと着地したエスティアへと剣を振り下ろした。
カキン。首を斬り落とすつもりで振るった剣は漆黒の右手でガードされていた。コーニエルの表情が変わる。鎧をも切り裂く剣は彼女の籠手に傷一つ付けられなかったのだから。
「はぁああああっ!」
地面へと突き刺さっていた宝剣をエスティアが突き上げるように振るう。カラカラに干からびていた地面を砕きながら繰り出されたそれをバックステップで躱す。が、それを追いかけるように飛び出したエスティアが何も持っていない右手を振るう。
「こいっ!」
なにも無かった右手に収まる魔剣。それはまるで、最初からそこに居たといわんばかりに、さも、当然のごとく振るわれる。
マズイ! コーニエルがそう思った瞬間、パンと乾いた音が響いた。手を叩いたような乾いた音にいち早く気が付いたエスティアはピタリと停止。魔剣がコーニエルの目前で引っ込められる。
「全く、何をしているのですか!」
その声にコーニエルが苦笑を浮かべる。エスティアとシュティレは声がした方へと顔を向けて、言葉を失った。
肩につかない程度に伸ばされた艶のある銀髪。煌びやかでいて透明感のある澄んだ青色のドレスに包まれた女性は両手を腰に当て、険しい表情で立っていた。その瞬間、弾かれるようにベンチから立ちあがるシュティレ。
すると、険しい表情でいた女性がパァっと花が咲くように笑顔を浮かべる。
「ティアッ!」
「シュティレッ!」
抱き合った二人が笑顔を浮かべる。エスティアが瞳を何度かパチクリさせたまま見守る。すると、女性がエスティアを見つめた。
「エスト様。お久しぶりです」
彼女は深くお辞儀をすると、呆気に取られたように立っているエスティアからコーニエルへと視線を移し、表情を険しくさせると口を開く。
「コーニエルさんっ! 今までどこにいたんですかっ。お二人が探していましたよ!」
その言葉にコーニエルの疲れ切った笑みが凍る。どうやら、あの二人には内緒で歩いてたのか。エスティアはあの二人を思い出し苦笑を浮かべた。今頃、トルディアは怒り狂っているだろう。
コーニエルもそれが容易に想像できたようだ。エスティアへと向き直った彼は「楽しかった、ありがとう!」と言い残すと、そのまま脱兎の如く走り去っていく。
後姿を見送ったエスティアは小さく吹きだす。まるで、怒られた子犬のようなそれに以前の彼が見えたからだ。
「もう……」
口を尖らせながら彼の走り去った方角を見ていたティアルマは、ため息をつくと、エスティアへと体を向け、笑顔を見せた。
あまり背は変わっていないが、纏う雰囲気がすっかり女性となっている。エスティアは向けられた笑顔にこれ以上ないほどの温かさを感じ、持っていた剣を腰へと納めた。
「ティア、久しぶり」
「はいっ! お久しぶりです」
もう一度深く頭を下げたティアルマ。エスティアは頬を掻きながら苦笑を浮かべる。
「で、どうしてここに?」
「あ、そうでした! もう、ご夕食の準備が整ったので探していたんですよ! そしたら、中庭から凄い音がして」
プクーっと頬を膨らませたティアルマは広場へと視線を動かし、太息を吐いた。エスティアは苦笑を浮かべたまま固まる。
元はもう少し綺麗だった広場には稲妻の様に深い亀裂がいくつか走っており、風圧でやられたのだろう近くにあった花壇の花が見るも無残な姿になっている。シュティレはうわーと言いたげな表情で固まっていた。
「エスト様はまだ目覚めたばかりなんですよ! それなのに、暴れて……」
小言を言い始めるティアルマ。エスティアはばつが悪そうに表情を歪めると、ティアルマの肩に手を置く。
「ゴメンって、後で直すの手伝うからさ」
エスティアはそう言ってお腹を押さえ、ティアルマの背中を押し歩き始める。すると、ハッとしたようにティアルマは急ぎ足で先導を始める。
シュティレとエスティアはそんな彼女に生暖かい視線を向けつつ後を追うのだった。




