59 アイツの首を斬り落とすのは誰?
巨人がドラゴンに近づいたおかげで、ドラゴンの大きさがよくわかる。見た目のせいで、もっと小さいと思っていたその体は、巨人よりも大きかった。コウモリのような羽を広げたそれはコカトリスぐらいはあるだろう。
だが、怖気づくわけにはいかない。エスティアは二振りの剣を握り締め、足を動かす。
『オォォォオオオッ!』
巨人がまず戦斧を振り下ろす。と、同時に肩に乗っている少女が手に持っていた炎のナイフを投擲。ドラゴンは即座に翼をはためかせ、バックステップで戦斧を躱すと、飛んできたナイフをカギ爪で叩き落とす。
巨人が後退する。すると、入れ違うように巨人の影から姿を現すは――宝剣を突き刺す様に振るうエスティアだった。
「はぁぁああああッ!」
槍のように突き出される水色の魔力を纏った宝剣は槍のようにドラゴンの体を貫く。黒く、濃い腐臭を纏った鮮血が吹きだし、彼女へと降りかかる。だが、顔を顰めている暇はない。
右手に握り締めた漆黒の刀身に赤い葉脈のようなものが包み込むように浮き出し、濃い死の臭いに包まれた魔力が“早く斬らせろ、その首をよこせ”と歓喜の声を上げる。
「その首――よこせぇぇぇぇえええええっ!」
全てを憎悪する悪意の獣が牙を剥く。その牙は全てをかみ砕き、斬り裂く。ドラゴンは咄嗟に両爪で防ぎ、体が真っ二つになることは免れたドラゴン。だが、魔力でブーストされた打撃を防ぎきることはできず、体勢を大きく崩す。
「放て」
「貫け」
エスティアの背後で声が響き、一本の風を纏った風の矢と、拳大の銀色の弾丸がエスティアの横を通り抜け、怪物へと着弾。爆発音が響く。だが、手ごたえを感じなかった二人は険しい表情のまま巻き起こった砂埃の奥を睨む。
巨人が飛び出す。そのまま戦斧を盾のように構えた瞬間、金属音と煌めく炎が火花のように散った。怪物のカギ爪を受け止めた巨人は威嚇するように吠え、怪物を弾いた。
『アァァァァアアアアアッ!』
弾かれた怪物は巨人の肩に乗る少女へと向かって何かを吐き出す。僅かに見えたそれを黄金の瞳が捉える。その吐き出された物体が虹色に見えたエスティアは考えるよりも早く、宝剣を放って走り出し、その左腕で物体を掴んだ。
掴んだ物体は卵のような大きさで、薄い殻のような物に包まれていたのか。エスティアが思いっきりつかんだ瞬間、それの中身がはじけ飛ぶ。
「――っ!」
「エスト!?」
少女が驚きの声を上げる。無理もない、エスティアの左腕が――焼け爛れていたのだから。まるで、炎の中に手でも突っ込んだかのように焼けた皮膚からは湧き水のようにゆっくりと赤い滴が滴り籠手の隙間から流れ落ち、籠手の無い腕の肉が剥き出しになったそこはジュクジュクと音を立てながら腐り落ちていく。
思わず顔を顰めてしまうほどのニオイ。だが、少女は気にすることなくその両目を限界まで見開き、唇を震わせながらエスティアへと手を伸ばすが。
「ダメ! 触らないで!」
エスティアの激が飛ぶ。思わずビクリと、肩を跳ねさせた少女は今にも泣きそうな表情で手を引っ込める。それを見たエスティアは“やってしまった”と胸の内で呟くが、不用意に彼女が触れて同じ目に遭って欲しくないという盾を構えることによりなんとか冷静を保ち、冷静に言葉を続けた。
「きっとこれ、“毒”なんだよ。だから、触っちゃダメ」
「エスト……ッ」
「そんな顔しないで、私なら平気だから」
今にも泣きそうな少女へと笑いかけた。そして、以前に戦ったコカトリスのことを思い出す。あの後、コカトリスは毒の吐息を吐き出すと知って彼女は確信していた。この瞳は“毒を視る”ことができるらしい、と。
エスティアはそっと自分の左腕に視線を落とす。どうやらあの液体が神経まで溶かしてくれたらしく、動かせない代わりに痛みは全くない。といっても、見た目は最悪だ。まるで、血の滴る半生の骨付きステーキのような見た目に苦笑を浮かべざるを得ない。
「エスト、本当に大丈夫?」
少女が問う。エスティアは軽く肩を竦めると、安心させるように右手を掲げる。
「だいじょーぶっ。もう片方があるからっ」
「でも……」
少女の表情は暗い。エスティアは魔剣を軽く振るう。黒い魔力が流れ出た彼女の鮮血を啜り、それは獣のような形へと変貌し、エスティアへとひれ伏すような姿勢を取った。そして、得意げな表情で少女へと笑みを向けた。
「私の魔剣は“血”がないとあんまり働いてくれないんだ。だから、ケガしないと本気を出せないの……嫌な剣だよね。だから、心配しないで。これは本気を出すための――ウォーミングアップなんだから」
「エスト……」
少女はなにかを言おうと口を開きかけるが、何を言ってもきっと躱されてしまうのがオチだと理解し、正面へと顔を向けた。
「なら、早くあんな奴倒して、シュティレおねーちゃんに治して貰わないとね」
「そうだね。あんな奴とっとと倒して、さっきの勝負の続きもしなきゃ」
少女は一瞬だけ瞳を伏せると、そのまま巨人の肩を叩く。進撃の合図だ。
巨人が怪物へと駆け出した。炎の体は床を溶かす程の高熱を帯び、口から吐き出された息は水蒸気のように白く周りの空気をその熱によって歪ませ、握り締める戦斧は見たことの無いほどの熱量によりそれはマグマのように溶けだしていた。だが、即座に魔力で修復され溶けきることは無い。
『オォォォオオオオオンッ!』
狼のような遠吠えのようなものを上げた巨人は右手を勢いよく振り下ろす。片手で振るったとは思えないほどの豪快な一撃。だが、怪物は羽を広げ空へと逃げる。巨人は真っ赤な瞳で見上げると、肩の少女へと軽く手を添え、跳びあがった。
炎の矢のようにまっすぐ怪物へと跳躍した巨人はそのまま戦斧を横薙ぎに振るう。怪物は咄嗟に翼をはためかせ、後ろへと逃げるが、空気を叩く衝撃波と飛んできた炎の斬撃によってその体は吹き飛ばされ、流れ星のように凄まじいスピードで地面へとその巨体が叩きつけられた。
「フレイムバインドッ!」
少女がその手に炎を纏い、地面へと墜落した怪物へと投げる。すると、それは鎖となって怪物の体を地面へと縛りつける。怪物は痛みに苦しむように吠える。それはいつの日にか見た“ファイアバインド”とは一線を画すものであった。
焼くのではなく溶かす程の熱量はまさに火炎族の本領発揮とでもいうようだ。その熱気がここまで伝わって来たエスティアはゴクリと喉を鳴らした。まだまだ、子どもだと思っていた彼女はもう立派な炎使いだ。魔剣を握る手が震える。
『スゥアアアアアアアアアアアッ!』
心臓を叩くような重低音が響く。それはもうボロボロだった石敷きの床を砕き、その破片が台風のように怪物を包み込む。その突風によって内部は酸素を吐き出し、可燃物のなくなった炎は徐々にその勢いを落としていく。
「うっわ。やっぱ、相性って大事なんだね。アステリオンの攻撃も通りずらいし」
ズドン、と。エスティアの隣へと着地した巨人は怪物を睨み、少女は口を尖らせた。
「やっぱ、魔剣じゃないとダメだね。エスト、行けるよね」
「とーぜんっ!」
右手に握る魔剣の切っ先を怪物へと向けたエスティアがにかりと笑う。少女は満足げに頷くと、背後の二人へと振り向いた。
「二人はまだいける? もしいけるなら、アイツの障壁を破るのを手伝ってほしいんだけど」
試しに投げた炎の剣が軽々と弾かれてしまった少女は不満げにそう言う。
怪物はあの中で回復でもしているのだろうか。なにかを起こす気配はない。だが、その取り囲む障壁は濃密な魔力を孕んでいるので、並みの攻撃では弾かれてしまうだろう。エリザとシュティレは顔を見合わせると、静かに頷く。
「いけるよ」
「えぇ、私もあと一回くらいなら何とかなるわ」
「わかった。じゃあ、エスト」
真剣な表情で少女が黄金の瞳を見つめる。
「チャンスは一回。失敗したら、ここに居る全員が死ぬ。貴女は――全員の命を守り通せる?」
紫と緑のオッドアイが彼女の心臓を貫く。エスティアは自分の息が一瞬止まる。脳裏に浮かぶあの夜。魔剣を握り締める手が震える。それは強い憎悪の為だった。
今はもう、守る力がある。あの時のような弱い自分ではない。エスティアはそう自分を奮い立たせた。黄金の瞳が憎悪の炎をチラつかせる。
「絶対に守ってみせるよ。もう……大切な家族は失いたくないから」
決意の篭った声。少女はその言葉に安心したように笑みを浮かべる。だが、その表情はエスティアの見たことの無い――別人の笑顔だった。
「よし、さぁこれが最後の舞踏会! 踊りは終わりだよ!」
『オォォオオオオオオオオオオォォオオオオッ!』
少女の赤髪が炎様に煌めく。それはまるで、彼女の力強い生命力を現す様に爛々と燃え上がり、全体を包み、相棒である巨人の体を焼き尽くすのではと思ってしまうほどの炎が巨人を包む。だが、巨人は燃やされることなく、それを外套のように纏うと、今までとは段違いの雄叫びを上げた。
巨人が駆け出す。そして、怪物を包み込む台風へと戦斧を振り抜いた。大岩ですら軽々と真っ二つに斬り裂くほどの斬撃力と全てを灰へと返す程の熱量をもってしても、台風はビクともしない。まるで、強固な要塞のように鈍い音が響くだけだった。
だが、少女はすかさず、巨人へと魔力を流す。すると、巨大な炎が巨人を後押しするように押し始めた。でも足りない。巨人の戦斧が不穏な音を立て、少女が表情を歪ませたその時――
「行きなさいッ!」
「行ってッ!」
巨人ほどの大きさの鋼鉄の騎士が巨人の体を支える。崩れかけていた均衡が再び戻ると、その後ろから巨大な二本角の風の魔物が巨人を押す。
魔物の風が強く渦巻き、それは巨人の炎の威力を高める。ピシリと、台風に亀裂が入る。丁度、一人分の隙間が出来上がる。それが閉じないように鋼鉄の巨人が手をかける。が、濃密な魔力の渦は鋼鉄すら砕く。ひび割れていく鋼鉄の腕。
破片により顔に無数の切り傷を負った少女が叫ぶ。そしてその背後から跳びあがるように現れた黒い流星。
「エスト! いっけぇぇえええええっ!」
「はぁぁあああああぁぁぁああああッ!」
魔剣を握ったエスティアは吸い込まれるようにその隙間へと身を滑らせた。その際に台風を作り上げていた成分である無数の破片に体を貫かれ、意識が飛びそうになる。が、魔剣が無理やり意識を繋ぎ止めてくれているおかげで倒れることは絶対にない。
「っは……はぁ……はぁ……」
ボタボタと体から流れた血が獣の形となり、彼女に追従する。どうやら、彼女が侵入すると同時に開いていた扉は閉まってしまったようだ。風の唸る鳥かごは、まるで曇りの日の部屋のように薄明りに包まれていた。
『スアイ……スゥゥゥ……ッ』
伏せていた怪物が起き上がる。鎖が巻き付いていた部分は溶けてしまったかのように形が崩れ、そこから黒い砂のような物がサラ、サラ、と零れ落ちている。どうやら、回復は阻止できたらしい。
「お前は絶対に殺す」
魔剣を構える。どんなに意識を繋ぎ止めていようと、流した血が多すぎる。気を抜けば体は力を失い、もれなく怪物の養分となるだろう。怪物も、ここで決着付ける気のようだ。真っ赤な瞳で彼女を睨み、その半開きの口から虹色の吐息を吐き出す。
『スゥゥゥゥラァァァァイィィィィィィッ!』
怪物が跳びあがり、両手のカギ爪を構えた。
「来いよ、バケモノ。その首――斬り落としてやるッ!」
黒い魔力を体と魔剣に纏わせたエスティアが迎え撃つように構えた。黄金の瞳が煌めく。
落下速度を利用したカギ爪が振り下ろされる。当たれば即死。だが、エスティアは怖気た様子を見せることなくそれを冷静に躱すが、逃げ遅れた左腕が斬り落とされ、床を跳ねた。
その際に、獣が怪物のもう片方の腕へと噛みつき、動きを封じる。これで、もう奴の攻撃手段は潰した。ニヤリと笑みを浮かべる。
「はっ、残念。そっちは平気だよ」
滑らせるように距離を詰めたエスティアが魔剣を振りかざしたその時――怪物の鋭い牙が彼女の右腕を噛みちぎった。
「――なっ」
エスティアはそれを追うように視線を動かす。その表情には困惑すら浮かばず、ただ呆気に取られていた。
赤い水をまき散らしながら放物線を描き、宙を舞う魔剣。ガッチリ握り締めているおかげで呼び戻すことすらできない。いや、呼び戻すための魔力は尽きている。追従していた獣が溶けるようにただの液体へと戻り、仮の部位を作り上げようと右腕で蠢いていたそれも、ただの血液となって地面を濡らす。
「……あ」
ダメだった。守るといった。力があるといった。だが、現実は彼女の力不足に笑った。エスティアの口から乾いた笑い声が漏れた。がっくりと、力が抜け、怪物の前で両膝をつく。その姿はまるで処刑を待つ罪人のようだ。
「はは……は、は……最悪」
怪物の牙がエスティアの目前まで迫る。真っ赤な液体を滴らせた牙からは、むせ返るほどの血の臭いが漂う。エスティアはそれが自分の血の臭いだと理解できなかった。右手を動かした。だが、無いものは動かない。
「どう……すれば……っ!」
乾いた声でエスティアが叫ぶ。だが、答えてくれる者はいない。体を動かすだけの力もない、魔力はそこを尽き、視界がかすむ。文字通り全てをこの一撃に込めていた。でもそれは防がれた。
普通であれば諦める場面だろう。自分の力不足を呪いながら死を受け入れる。だが、諦める気はない。もちろん、最愛の人を残すなんて選択肢もあるわけがない。最後の力を振り絞り、黄金の瞳は嬉々とした表情の怪物を睨む。
怪物の牙がエスティアの頭へと届こうとしたその瞬間、背後でガラスが割れるような音と共に眩いほどの光に視界が白む。その光はまるで太陽のような温かさでエスティアへと降り注ぐ。
「斬り裂けぇぇぇえええええええええっ!」
もう聞きなれたセリフと声が背後から聞こえる。どこまでも澄んでいてまっすぐなソレは、バカ真面目な彼女の性格と生き様を乗せている。エスティアは思わず笑みを浮かべる。
白い閃光と黒い閃光が視界の端を横切ったかと思ったその次の瞬間――目の前まで迫っていた薄汚い顔がストン、と地面へと転がった。たちまちに腐臭が彼女を包み込み、脳みそが揺さぶられるような衝撃を受ける。が、すぐに、その怪物はサラ、サラ、と黒い砂となってニオイと共に消えていく。
あんぐりと口を開けたままのエスティア。だが、その表情は安心しきったようだった。そんな彼女の前へと跪く白い鎧。その隣には魔剣を握った右手が置かれている。顔を見なくたって誰だかわかる。
エスティアはそっと顔を上げた。そこには、優し気な笑みを浮かべるアリスの姿があった。魔力が無いとは思えないほどの生き生きとした表情と笑みに瞳を奪われる。そして、改めて理解する――彼女は勇者なのだと。
「よく頑張りましたね」
優しい声が脳へと染み込んだその瞬間、黄金の瞳から一筋の涙が零れた。




