58 ヴォーパルの剣は血を啜る
光の流星が宝剣を構えていた彼女へと直撃した。
声を上げる間もなく、エスティアとその光の塊はゴロゴロと床を転がり。先ほど、エスティアがめり込んだ壁へと再び彼女たちはめり込むのだった。
「いっつ……いったい、なにが……」
「エスト! 大丈夫!?」
シュティレが警戒しつつそう言う。エスティアはぶつけた後頭部を抑えながら平気だというように軽く手を上げた。
もしかしたら、この隙に巨人が攻撃でも仕掛けてくると思っていたが、どうやらそれは心配しなくてもいいようだ。少女の、エスティアの安否を伺うような視線に思わず頬が緩む。が、いつまでもこうしてはいられない。
エスティアは自分の腹部に抱き着いたままでいるアリスの首根っこを掴み上げた。すんなりと顔を上げた彼女はハッとしたように瞳を見開くと、エリザの方へと振り向いた。
「エリザさん!」
「あ、ちょっ、アリス!」
弾かれるように立ちあがったアリス。だが、ガクンと倒れ込むように膝を付いてしまう。痛む後頭部のことなど吹き飛んでしまったエスティアは急いで立ち上がる。そして、膝を付いて項垂れるアリスの両肩に手を置いた。
「アリス。大丈夫?」
そう声をかけたはいいが、エスティアは彼女が無事ではないことは一目瞭然だった。血の気のない顔、肩を上下させながら短い呼吸を繰り返し、その琥珀色の瞳は虚ろだ。加えて、聖剣を握る右手が微かに震えていることに気付いたエスティアは無言で彼女を抱き上げた。
鎧を着ている割には随分と軽い体だ。エスティアは一瞬悲し気に瞳を伏せると、呆気に取られ、エリザの方へと意識が向いている少女をしり目にシュティレの元へと向かう。
「シュティレ、アリスのことお願い」
「あ、うん――って、マズイよエスト」
慎重に床へと床へと降ろされたアリスの額に触れたシュティレが眉尻を下げたまま、エスティアへと顔を上げた。
エスティアは少女を警戒しながら、アリスの隣へと腰を下ろす。その黄金の瞳は不安に大きく揺れていた。彼女の脳内にあるは“死んでしまうのでは”という不安。それは一度思ってしまえば止まらない。洪水のように押し寄せるそれに、エスティアはグッと拳を握り締める。
だが、その時、エスティアは異様な殺気を感じ取り振り向く。すると、そこには――鋭いかぎ爪を振り上げる男性の姿があった。
「なっ」
「エスト!」
咄嗟に宝剣を構える。だが、間に合わない。
シュティレも助けようと手に魔力を込めるが、彼女も間に合ない。エスティアは咄嗟にアリスとシュティレだけでも守れるように身構えるが――
「私を無視なんていい度胸じゃない」
冷たい声が全員の耳に届くよりも早く、甲高い金属音が轟く。
咄嗟に目を閉じていたエスティアがおそるおそる、瞳を開けば、まず視界を埋め尽くしたのは、彼女たちを守るように巨大な盾を構えた鋼鉄の騎士だった。
ギチギチ、と音が響く。考える間もなく、攻撃を防いだ鋼鉄の騎士へと目を奪われたエスティア。誰の仕業など考えるまでもない。
そして、鋼鉄の騎士が踏み込み、弾くように力強く一歩踏み出した。男性は短い驚きの声と共に体勢を崩す。そこへすかさず、盾を構えた騎士は男性へと飛び込むように突撃。
『ゥゥゥッ!』
まるで落石でも衝突したかのような衝撃に、細身の男性は子どもが小石を蹴り飛ばす様に吹き飛ばされ床を転がる。カギ爪が床へと触れるたびにそれはブレーキとなり火花が散る。
「放て」
右手を号令のように振り下ろすエリザ。すると、彼女の後ろで長い筒のような物を構えた五人の鋼鉄の騎士たちが一斉にその引き金を引いた。
一斉に筒の先から炎や氷などといった様々な光が吹きだし、空気を叩くような乾いた余韻を残しながら。それと同時に撃ちだされた炎や氷などを纏った弾丸は一斉に男性へと着弾し、再び空気を叩くような爆発音が響く。
風の弾丸が他の球の速度を高め、炎の弾丸は皮膚を焼き尽くし、水の弾丸がその皮膚を濡らし、氷の弾丸が湿った体を凍り付かせ、最後の鉄の弾丸が凍った部位を砕く。
男性の体から肉片のようなものと黒い液体がまき散らされる。
「まだよ」
振り下ろしていた手を自分の目線の高さまで上げた彼女はそのまま横に払う。すると、男性が起き上がろうとしている頭上に現れるは無数の鉄の槍。その一つ一つが炎のような熱を秘め――発射された。
『ォォォッ!?』
咄嗟にカギ爪でガードしたのだろう。雨のように降り注ぐ鉄の槍は時節、金属音を響かせると共に肉を裂くような、肉や骨を砕くような音を響かせ、辺りに腐臭交じりの焦げ臭い煙が漂う。
砂埃が舞い、聞こえていた呻き声が聞こえなくなると、エリザは岩に潰されていたピーナッツを回収し、こちらへと歩み寄る。その表情は疲労に満ちていた。
あまりにも圧倒的。その一言しか言えないほど、彼女の実力は圧倒的だった。
時間にして数秒の出来事だったかもしれない。だが、その場に居る少女を含め全員は、まるで一曲のバレエでも見ていたかのような感覚だった。
そう、まるで踊るようなそれに見とれていたのだ。
「すご……これが、英雄」
巨人に乗った少女は思わずそう呟いていた。小さな声だったが、普通の話し声のように耳に届いていたエスティアは同意しつつ、目を凝らした。
黄金の瞳が煌めく。砂埃の中で何かが動いたような気がした。
「――ッ!」
その瞬間、エスティアは弾かれるように走り出していた。気づいたエリザがギョッとた様子でエスティアを見つめる。だが、すぐにその表情から読み取ったのだろう。ピーナッツを乱暴に自分の服の中へと突っ込むと振り返る。
そして、魔力をその手に込めるが、それよりも早く、エスティアがエリザをシュティレたちの方へと突き飛ばした。
砂埃から傷だらけのソレがカギ爪を振り上げ飛び出す。エリザを土台のようにして、突き飛ばした勢いを利用したエスティアはソレとの距離を一気に詰めると、魔剣すれ違いざまに一閃。首を刎ね飛ばすつもりで放たれた黒い刃は銀色のカギ爪とぶつかり合い、衝撃波が起こる。
ギチギチと漆黒の刀身と銀色のカギ爪が競り合う。ただの人間であれば、そのまま力負けし、その三本爪の餌食となっているだろう。
『ゥッ……ッ!』
三日月型に裂けていた口が困惑に歪む。無理もない、押していた筈の腕が徐々に――押し返されているのだから。赤色の葉脈のような物が浮かび上がった刀身から黒い魔力が後押しをするように漏れ出す。
「はあぁぁぁぁぁぁああああっ!」
エスティアが思いっきり魔剣を振り抜いた。砕け散る右腕のカギ爪。銀色の破片が勢いよく飛び散り、それはエスティアと男性へと、刃となって平等に降り注ぐ。
「――ッ!」
破片の一つがエスティアの首を斬り裂く。皮膚を斬り裂き、血管を傷つけられたそこから大量に溢れ出す真っ赤な雨。一瞬、エスティアの視界が揺らむ。それがいけなかったのだろう。
突然、腹部に走る衝撃。体の内臓が全て口から飛び出てしまうのではというそれにエスティアの体が吹き飛ばされ、床をゴロゴロと転がる。
「カ……ハッ……」
痛みに耐えながら、なんとか立ちあがったエスティア。腹部からは意識が飛びそうなほどのズキズキとした痛みが駆け続けているせいもあり、エスティアは自分が蹴り飛ばされたということを理解するのに時間がかかった。
シュティレのおかげで、首筋の傷は塞がっている。腹部を軽く摩り、ペッと血混じった唾液を吐き出したエスティアは、静かに魔剣を構える。黒い魔力が従うように彼女の周りを動き回る。それはまるで、獲物を狙う猟師と猟犬のようだ。
「エスト」
踏み出そうと意気込んだその時、突如声をかけられる。訝し気に横へと顔を向ければ、そこには――巨人が立っていた。
「え……?」
そんな声しか出ない。そんな巨人の肩からひょっこり顔を出した少女はオッドアイを細め、ニマーっと笑った。その表情の意味がわからず、エスティアが首を傾げると、少女は信じられないと言いたげな表情へと変えた。
だが、すぐに気を取り直したように息を吐き出すと、コチラを伺う男性を横目に見ながら口を開いた。
「一時休戦してあげるっ。だから、一緒にあれを倒しちゃおうよ」
「へ……?」
素っ頓狂な声を上げるエスティア。頭の中には沢山の疑問が沸き上がる。だが、その考えを踏みつぶす程の嬉しさに支配された彼女は、パァッと表情を咲かせ、ブンブンと首を何度も縦に振った。その様子に少女が苦笑を浮かべる。
少女が背後へと目線を向ければ、エリザは若干、複雑な表情を浮かべつつも頷き。シュティレはニコリと笑顔を浮かべ、力こぶを作るようなポーズを見せた。
「ほんとっ、変な人……エスト、足引っ張らないでよ?」
巨人に乗った少女はその手にいくつもの炎で出来たナイフを持つと、勝気な表情でエスティアを見下ろす。その紫と少し深めの緑色のオッドアイが煌めくと、エスティアが一瞬、泣きそうな表情を見せた。が、すぐに安心したような微笑を浮かべる。
「任せてよ。今は私、こう見えて」
右手に魔剣を構え、左手に宝剣を構える。二本の剣が彼女から魔力を吸い上げ、歓喜の声を上げる。一気に魔力を取られた彼女は一瞬ふらつきそうになるが、あらん限りの魔力を放出しそれを纏う。そして、彼女は少女へと見上げ、ニカっと歯を見せた。
その表情は自信に満ち溢れ、心の底からレイと共闘ができることを喜んでいるようだ。
「勇者だからねっ」
巨人と黒髪の少女が駆け出す。
身体能力強化されているエスティアはグングンと速度のギアを上げると、巨人より一歩早く棒立ちのままでいる男性へと、宝剣を振りかざす。
「ぶっ壊れろぉぉぉおおおおっ」
流水のような水色の魔力を纏う宝剣。
男性はトン、とバックステップでその一振りを躱す。が、その飛んだところを狙うように右手の魔剣が横薙ぎに振るわれる。さすがに避けきれないと悟った男性はカギ爪でソレを受け流し、着地。
だがその次の瞬間、彼女の背後から炎を纏った両刃の鉄槌が落ちる。
「いっけー! アステリオンッ!」
『オォォォォォオオオオオオオオッ!』
雷鳴の如く振り下ろされた戦斧。空気を揺らす程の轟音が響く。
床を溶かす程の熱量。それが直撃した男性はそのまま床へと叩きつけられ、巨大なクレーターが出来上がる。そのまま巨人は何度も戦斧を振り下ろす。が、なんとか逃げ出した男性は怒りの篭った表情で巨人を睨んだ。
「やっぱり、倒せないか」
エスティアの方へと戻った巨人の肩に乗った少女が吐き捨てるようにそう言った。奥歯を噛みしめ、何かを思案しているような表情。エスティアは息を吐き出し自分の魔力がまだ残っていることを確認し、いつでも飛び出せるように警戒する。
男性は自分のカギ爪を見たまま動かない。どうやら、さっきの巨人の攻撃でカギ爪の一本が折れかけているようだ。床へと突き刺す様にして針金を切るように何度か折り曲げている。
「エスト、アイツは多分……魔剣じゃないと殺せないと思う」
男性を見据えたまま真剣な表情で言う少女。エスティアは自分の魔剣へと視線を落とす。
黒い魔力を滴らせ、いつでも殺せるぞというような気迫を感じ取ったエスティアは苦笑を浮かべる。いつの間にか、彼女の体から流れた血を啜っていたのだろう。その異様な雰囲気が物語っている。
「アイツは、迷宮の住人じゃないの?」
エスティアは疑問を問う。もし、あのバケモノも迷宮によって創り上げた魔物なら消してしまえばいいと思ったからだ。なのに、彼女は戦っている。
「違うよ。アイツはこっそり混ぜられたかわいそうなManxomeだよ」
「なにそれ?」
「アイツはこの住人じゃない。でも、ここの住人という扱いになっている可笑しな存在。前から、私の命令もあんまり聞いてくれないから変に思ってたけど、やっとわかったよ」
少女の表情に影が落ちる。
「アイツは無理やりここに混ぜられたんだ――私を都合よく操るために」
「あや……つる……?」
エスティアが眉尻を下げた瞬間、凄まじい音が響く。それは鼓膜を大きく震わせ、咄嗟に耳を塞いだエスティアは苦し気に表情を歪めた。
それが、叫び声だと気づいたのは、その声の主が喉笛を天へと向けていたおかげだろう。あれを見なかったら、火山でも噴火したのではと勘違いしていたところだ。
耳を塞いでいた少女が顔を顰める。そして、うんざりとした口調で呟く。
「あーあ。最悪……魔剣でも難しいかも、あれ」
「な、なに……あれ……」
そこに居たのは――巨大なドラゴンだった。だが、その様はおとぎ話で見るような強くたくましいそれではない。
筋肉などないかのように骨と皮で形成された肉体は酷く弱々しく、人間の顔のようでいて、どこかバッタのような魚のような顔つきのそれには鋭い牙が生え、その両手にはエスティアの体長ほどもある長い爪が剣のように輝いていた。
『スゥァイ』
吸い込むようにそう一声鳴いた。見た目こそ、まるで生まれたばかりのひな鳥が雨にでも打たれたかのようなみすぼらしい見た目だが、その真っ赤な宝石のような瞳は爛々と輝き、纏う魔力は吐き気を催す程の邪悪さを吐き出していた。
この場に居る全員が小さく息を呑む。考えることは同じ――アイツは殺さなければならない。
だが、少女の表情だけはどこまでも冷め切っていた。横目に見ていたエスティアはそんな彼女の表情に眉尻を下げる。その表情が、あの子とは“違う”と知らしめているように思えたからだ。
「かわいそう。本当のJabberwockになっちゃうなんて」
『スゥゥゥアァァァイィィィイイイイッ!』
二本足のドラゴンが咆哮を上げ、勢いよく地面を蹴る。
「エスト、貴女の魔剣でアイツの首――斬り落として」
そう言うと同時に巨人が床を砕き、ドラゴンへと駆け出す。エスティアは魔剣を構えると。
「いくぞぉおおおおっ!」
巨人の背中を追いかけた。




