54 全てを石に変えて、私の物にしてしまいましょう
「……ッ」
もう、何体目だろうか。シュティレは自分の目の前で石像へとなり果てるオオカミを一瞥した後、絶え間なく吹きつける拳大の石を横っ飛びで躱す。が、避けきれず、転がり込むように距離を取ったシュティレの顔には一筋の切り傷ができ、タラリと赤い滴が流れ落ちる。
「フフフ、もう諦めたら? まぁ、諦めても、見逃してはあげられないけど」
傷一つないリーザベルはそう言って、微笑む。
彼女は強い。あの左目で見た物全てを石化してしまう。現に、シュティレは有効な一撃を与えることができなかった。せめて、石化される前に一撃入れられたら。
「何言ってんの。そっちこそ諦めたら? 貴女ごときじゃ、私を殺すなんて無理よ」
軽口を叩くシュティレの表情は苦し気だ。
おそらく右腕が折れているかもしれない。ジンジンと痛みを訴える腕に“もう少し、その痛みのままで”と呟く。体内の魔力も残り少なくなってきているのだろう。視界がかすみ始める。が、シュティレは視界の端にエスティアを捉えながら、呼吸を整えた。
「私は怒ってるんだからね。貴女みたいな人が気安くエストにちょっかい出して……しかも、悲しませた」
ローズウッドの杖に風を纏わせ、槍のような形状へと変わったソレを左手で握り締め、鋭くとがった先端を構えたシュティレは、余裕そうな表情でいる彼女を睨む。普段は魔力だけで創っているが、今回は“芯”がある。いつもよりははるかに鋭く丈夫な筈だ。
意気込む彼女の脳裏にエスティアの笑顔が浮かび上がる。
石像とはいえ、はだけた胸元に視線を奪われそうになる。早く隠してあげなきゃと、シュティレは思う。それに応えるように風の槍はすさまじい音を立てながら風を渦巻かせた。まるで、一個の台風でも握っているような見た目だ。
「私の家族に手を出した代償は大きいよ」
トン、と一歩踏み込んだシュティレ。風によって後押しされた彼女の体は一瞬でリーザベルの目の前へと迫ると、そのまま風の槍を彼女へと突き刺した。
突き刺さればその瞬間に、彼女の肉体を消し去れるほどの風量を持った槍が迫る。が、リーザベルはその槍を――視る。
すると、凄まじい回転で突風を巻き起こしていた槍が、パキ、パキ。音を立てながら風が石化してしまう。このままでは握っている左手も石化してしまうだろう。
「……ッ。ゴメンッ」
名残惜しむ自分自身を押し殺し、彼女は――ローズウッドの杖を手放した。そのまま地面へと落下したそれは、パリン、と音を立てて砕け、破片が飛び散る。シュティレは口元をきつく結んだままバックステップで距離を取ると同時に彼女へと“三つの石”を投げつけた。なにかを閉じ込めているのだろうか。白く濁ったその石は避けようともしない、リーザベルの前で弾ける。
「煙……!?」
一瞬にして視界が遮られるほどの濃霧が部屋を覆う。毒だと警戒したリーザベルは口元を抑えながら後方へと退避する。が、許さないと言わんばかりに風切り音と共に無数の風の矢が彼女に襲い掛かる。
咄嗟に左目でその矢を視たが――
「間に合わない……っ」
濃霧のせいで反応が遅れ、石化が間に合わないのだ。なんとか身体を捻り躱そうとするが、風の矢はそのままリーザベルの右肩へと着弾。弾けた矢はそのまま彼女の右肩から先を木っ端みじんに吹き飛ばし、辺りに真っ赤な鮮血が飛び散り濃霧の奥へと消えていく。
「フフフ、この短時間で私の魔眼の弱点を突いてくるなんて……その、才能。羨ましいわ」
顔にべっとりと付着した自分の血液を、左手の甲で拭った彼女は薄く笑みを浮かべた。濃霧のせいで、シュティレの姿は見えない。だが、彼女から発せられる強烈な――殺気のおかげで、場所はわかっている。
背後から迫りくる炎の矢をくるりと躱したリーザベルはそこに居るであろう彼女目掛けて、いくつもの岩を飛ばす。が、床へと着弾した音が響いただけで手ごたえは無かった。
「ねぇ、面白いことを教えてあげましょうか」
四方八方から襲い来る。風の矢、炎の矢、氷の矢、水の矢、様々な形となって襲い来るそれを躱し、左手に作り上げた石のレイピアで叩き落とした彼女は挑発的な笑みを声色で話し始める。
濃霧へと姿をくらませたシュティレは、彼女のその声色から、自分をおびき出すための罠だと即座に理解した。だが、よっぽどのことを言われない限り、彼女がリーザベルの前へと姿を現すことは無いだろう。
シュティレは静かに彼女の周りを走りながら次の矢を構える。走り射ちは得意ではないが、現状、彼女に一矢でも当てるにはこれしかない。呼吸を整え、放とうとした瞬間――
「エストの唇ってとっても甘いのね。貴女が虜になるのも無理ないわ」
ピキリと、シュティレの体が凍る。今、彼女はなんて言っただろうか。
「柔らかくて、温かくて。まるであの子の心がそのまま出てきたみたい」
その言葉が脳へと響く。その言葉の意味は考えずともわかる。痛み止めの魔術で無理やり動かしていた右腕が震える。それは痛みではなく、違う感情によるものだ。
シュティレは静かに弓を構える。この濃霧の中であれば、絶対にコチラの居場所はわからないはずだ。石化させるにも数秒の時間が必要なこともわかっている。本当であれば、直接、アイツの顔を見ながら殺してやりたいところだが、エスティアを助けるためにも確実に殺さなければ。
「……ふーん。怒り任せに出てくると思ったけど、見た目通り聡明なのね」
フッと鼻で笑った彼女は暗い赤紫色の瞳でシュティレが居るであろう場所を見つめる。ビリビリと強烈な殺気がまるで春風のように押し寄せる。これでは目くらましの意味がない。だが、この濃霧はただの濃霧ではなかった。
「しかも、魔術師だったなんてね」
ジリジリと魔力が削られていくのを感じ取ったリーザベルは小さく舌を鳴らす。ここまで高度な物は魔術でなければできないだろう。目の前の少女を完全に侮っていた。ただの魔法使いだと思っていたのに……と。彼女は拳を握り締める。
「貴女のこと、侮っていたわ」
そう言った彼女はその手に鋭くとがった石の槍を構える。濃霧の奥でキリリ、と糸を引く音が聞こえたような気がする。それと同時に冷たい風が正面から吹きつけてきた。
リーザベルは身体を限界まで捻り握り締めた槍に、自分の残りの命を全て込める。その時に、パキリと自分の心臓が音を立てるのを聞いた彼女。
「諦めないわ。私は絶対に――」
パキン、と心臓の砕ける音が聞こえる。リーザベルは自分の魔力によって皮膚がはじけ飛び、右腕からは多量の鮮血が流れる。だが、それでも、彼女は限界を超える勢いで魔力を一か所へと注ぎ込み。
「負けられないのよおぉぉぉぉおおおおっ!」
その手に握り締めた石の槍を渾身の力で投擲。魔力で創り上げられた濃霧を石化させるほどの高密度の魔力の槍は濃霧の奥へと消え――入れ違うように空間を斬り裂くほどの速さで迫る風の矢。
甲高い音を響かせながら迫るそれはまるで、リーザベルを食い千切らんと大口を開ける竜のようだった。
すべての魔力を込める勢いの、渾身の一撃を放った矢が濃霧の奥へと消える。と、同時に入れ違うようにシュティレへと迫りくるは空間を歪ませるほどの魔力を帯びた――一本の石の槍だった。
濃霧を触れたそばから石化させ砕くほどの魔力と回転力を纏ったそれは、シュティレの心臓を目掛け。その姿はまるで、一角獣のようだった。
「あっ」
視認したときにはもう遅い。
シュティレの心臓へとまっすぐ向かう一角獣。彼女は次に来る痛みに構える暇もなく。その時を迎える。
肉が斬り裂かれる音共に、真っ赤な鮮血が宙を舞った。
鎧の重さのせいか。同時に落ちたにもかかわらず、先に地面へと降り立ったアリスは上を見上げ、続くように落下してきたエリザを両手で優しく受け止めた。
「ありがとう」
「いえ、気にしないでください」
いつまでも年下の少女に抱えられてられるわけにもいかないエリザは、ひょいっと降りようとする。が、体をがっちり掴まれているのか、彼女の体が地面へと降り立つことは無い。
いったいどうしたのか。エリザは怪訝な表情で彼女の顔を見つめる。相変わらずの無表情は何を考えているのかはさっぱりわからない。だが、彼女が意味もなくこんなことするはずがない。エリザが疑問を口にする前に、エリザの肩に乗っているピーナッツが口を開いた。
『うわぁ……これは……』
そう言って覗き込んだピーナッツの視線。つまりは――アリスの足元には、無数の“ナニカ”が蠢いていた。彼女の腰に収まる聖剣の薄明りから逃げるようにせわしなく動くそれは、彼女の真っ白な鎧に包まれた足の上を這いずり、光の届かない暗闇へと消えてを繰り返す。
「――いっ」
喉まで出かかった悲鳴を寸でのところで飲み込んだエリザは、ギュッとアリスの首筋に腕を回した。みっともないと思われても構わない。年上としてどうなのかと言われても彼女は絶対にこの体勢を変えることは無いだろう。
「エリザさん。ただの昆虫のようなのでそのまま掴まっていてください」
そう言いながら歩き始めるアリス。彼女が一歩踏みしめるごとに、彼女の足元からは殻の潰れるような音と小さな悲鳴のようなものが響き、その度にエリザは耐えるようにアリスの首筋にしがみつく。
エリザの心には惨めだ、最悪だ。という思いが大雨のように降り注いでいた。
「アリス……ごめん……」
歩み続ける彼女の顔を見るのが怖くて、瞳を伏せたままのエリザがそう言うと。
「別に気にしないでください。誰にだって苦手なものはありますから。それに、私なら平気です」
「それでも……」
納得のいかない表情でいるエリザに、アリスは小さく微笑みを浮かべた。その表情にエリザは瞳を見開く。
表情筋が死んでいるのではと思ってしまうほど、いつも彼女は無表情だった。戦っている時に若干の変化はあるが、普段の生活で変化している所なんて見たことの無かったエリザは呆気に取られた様に彼女を見つめる。
「心配してくれるだけで十分です。あ、エリザさん。しっかり掴まっててくださいね。ピーナッツもしっかり掴んでないと落ちますよ」
「え?」
そう言うが早いか、アリスは――ダンッ、と勢いよく地面を蹴る。その直後、アリスが立っていた足元から巨大なハサミのようなものが突き出していた。あのまま、気付かずにいたら二人と一匹は真っ二つに斬り裂かれていただろう。ハサミが直撃した昆虫たちのバラバラ死体が降り注ぐ。
昆虫の足がエリザの顔をかすめると、上がりそうになる悲鳴を思いっきり飲み込み両手で顔を擦る。その表情には苛立ちが浮かんでいる。
「もぉ、なんなのよ! 次から次へと!」
だが、アリスから降りる気はサラサラないようで、彼女に抱かれながらハサミの突き出ている地面を睨む。アリスは彼女を落とさないようにしっかりと抱きかかえると、バチン、バチン、と威嚇するハサミの次の動きに警戒する。
すると、アリスの腕の中にいるエリザが右手をハサミへと翳す。右手からは無数の鉄製の武器が撃ちだされる。それはハサミへと着弾するが――彼女の武器たちは容易く弾かれてしまう。
「うそ、傷一つついてないの……?」
『エリザ親分の攻撃が通らないとは……なかなかの強度をお持ちのようですな』
バチン、バチン、とハサミを鳴らしていたそれが再び地面の中へと消える。アリスは持ち前の嗅覚で地面へと姿を消したそれを探そうとするが、床中に散らばった虫の死体から吐き出された液体のせいか、その匂いを辿ることができない。
足元が大きく揺れる。アリスは弾かれるようにその場から飛び退く。同時にエリザは立っていた場所にピンの抜かれた銀色のボールを放り投げる。
「これで死ななかったら逃げましょう。魔力の無駄だわ」
「……わかりました」
ムッとしたように瞳を細めたアリスにエリザは小さく笑みを零す。が、すぐに真剣な表情でハサミが転がったボールに食らいつくのを待つ。すると、それはすぐに食らいた。
爆発音が響き、爆風によって這いずる虫たちが舞い上がる。だが、それだけだった。地面から突き出したハサミの先端がほんの少し損傷しているだけで、他は全くの無傷であった。エリザは舌打ちする。
「はぁ、英雄って言われても、結局はただの人間なのね」
何となくわかり切っていたが。それでも、エリザは悪態をつく。
体に残った魔力はもう残り少ない。魔術を使え、魔力が多いと言っても所詮は人族。獣人族には身体能力で劣るし、魔力は火炎族に劣る。他の種族に勝てるものなどない人族。
自嘲気味に笑みを零すエリザとは対照的に――アリスとピーナッツの雰囲気は見たことないほど硬かった。
「エリザさん。それは違います」
アリスがそう言うと、エリザと彼女の肩に掴まるピーナッツを――思い切り天井へと放り投げた。
「えっ、ちょ、アリス!?」
人間離れした怪力から投げられたとは思えないほどの柔らかさでエリザの体が宙に浮く。まるで、そよ風に攫われた羽毛のようにフワリと浮かんだ体は遥か上に見えていた天井スレスレまで届く。と、ゆっくりと落下を始める。
だが、彼女の体が天井に着く前に、アリスは腰の聖剣を引き抜き、駆け出す。そして、そのまま地面から突き出しているハサミの中心部へと突き立てた。
『キシャァァアッァアアアアアッ!』
どうやら、ハサミだと思っていたこれは、“ムカデの顔”だったらしく。聖剣はその口の奥で牙を剥いていた口内を斬り裂き、その聖なる光によって肉体を蒸発させながら、その刀身を沈める。
落下しながら、エリザは呆気に取られた表情で聖剣へと魔力を込めるアリスを見つめた。光に包まれた彼女はまるで、神の一族と呼ばれている神族のような神々しさを持っている。
「私たちは他の種族には能力で劣るかもしれません。ですがっ」
聖剣の光がより一層強くなり、この部屋一帯が照らされる。と、同時に部屋の四隅へと逃げ込んでいた無数の小さなムカデたちが、その光によって消滅していく。そして、親玉である巨大ムカデは怒り任せに叫び声を上げながらその全貌を二人と一匹の前へと現す。
黒光りした体、血のように真っ赤な瞳が光る顔、巨大なハサミのような牙、数えきれないほどの足を蠢かせた――ラーデンピード。オレンジランクといえど、その強靭な外骨格はゴールド並み。生半可な攻撃では傷一つつかないだろう。だが、彼女の聖剣は、それを溶かす。
「私たちを英雄と呼んでくれる人がいる! なら、その人たちがいる限り――戦い続けるのです!」
「アリス……」
パキリ、と黒い外骨格が音をたて、砕ける。その時、眩いほどの光を聖剣が放つ。と、同時に、エリザの懐から水色の光が流水のように流れ落ちた。




