50 一年未満
コツン、という小さな音が響く。その音のおかげで、エスティアは不意に瞼を開いた。が、目隠しでもされているのか、視界には闇しか映らない。
エスティアはその瞬間、ブルブル、と無意識に体が震えた。頭を左右に上下に激しく振り、どうにかして目隠しを取ろうとするが、鎖で縛られているようで、ジャラジャラと重たい音が響き、体はピクリとも動かない。魔剣へと手を伸ばそうにも、両腕は後ろ手に縛られているために届くことは無かった。
「ッあ……だ、誰か……い、いないの……?」
エスティアのか細い声が響く。頭の中を支配するは強烈な恐怖。幼少期の記憶が波のように押し寄せ、彼女の心を急速に蝕む。腰に収まった魔剣の鞘がチャリ、チャリ、と音を立てた瞬間、女性の声が響いた。
「目が覚めたのね」
優しそうな温かい声。エスティアは藁にも縋る様な思いで、その声が聞こえた方へと顔を向けた。
「も、もしかして……リーザ……?」
脳裏に浮かぶは、聖都で話したネモフィラのように可憐な笑みを浮かべる彼女。たった一度だけの出会いだったが、しっかりと覚えていた彼女はおそるおそる声をかけた。
もしかして、彼女が助けてくれたのではという考えが過るが、あの時襲ってきた少年が、リーザと一緒に居たレインということを思い出し、その淡い期待を捨て去る。
「嬉しい、覚えていてくれたのねっ」
弾んだ声で返事が返って来る。エスティアは震える体をどうにか沈めながら、口元に笑みを浮かべる。体を縛る鎖が冷たい。
「お、覚えてるに決まってるよ……リーザこそ、覚えててくれてたんだね」
「覚えてるに決まってるわ! 一日たりとも忘れたことなんてないものっ」
花開くように笑顔を浮かべたリーザベルは優しくエスティアを抱きしめる。その温かさにエスティアは思わず、小さな頃を思い出してしまい、身を委ねてしまいそうになる。が、自分の掌に爪を喰い込ませ、その痛みで何とか耐え、口を開く。
「ね、ねぇ……リーザ。その……目隠しを取ってくれない……? できれば、この鎖も解いて欲しいんだけど……」
真っ暗な景色が怖い。怖い。怖い。エスティアはぎこちない笑みを浮かべそう言う。彼女には悪いが、鎖がほどけた瞬間に逃げよう。
エスティアの頭にあるのはシュティレの安否のみ。ここがどこかは不明だが、とにかくシュティレを探すことだけを考える。そしたら、ここを脱出する。
「そうね、今取ってあげる……でも、鎖はダメ。取ったら逃げるでしょ?」
「……っ」
どうやら、考えは読まれていたらしい。
リーザベルの冷たい声が響く。エスティアはその声にまるで、心臓に冷たい釘でも刺されたかのように鈍痛が走り、背筋に冷たい汗が流れる。
リーザベルは硬い表情でいるエスティアの後頭部へと手を伸ばし、彼女の顔に巻かれている布の結び目を解く。
シュルリと布が床へと落ちると、エスティアの黄金の瞳は目の前で微笑を浮かべ、片目が布で覆われているリーザベルの姿を映し出す。
良かった、ちゃんと見えている。そうホッと胸を撫で下ろしたエスティアはリーザベルの開いている右目を見つめた。
青緑色にほんのりオレンジ色が混ざったような不思議な瞳に、エスティアは“あれ?”と疑問を感じた。が、すぐにその考えを放り投げると――曇りなき笑顔を浮かべる。
「リーザ、世界を見た感想は?」
エスティアはそう言って目を優しく細める。リーザベルは一瞬、瞳を見開いたが、すぐに彼女の言葉の意味を理解したのだろう。フワリと表情を緩めると。
「楽しくて仕方ないわっ! 青い空、緑色の森、太陽は白くて、色ってこんなにあるんだってわかった! だからあの時、私の背中を押してくれて……」
リーザベルの青緑色にほんのりと混ざったオレンジ色がきらりと輝き、目の前で優しく輝く黄金の瞳を見つめ――
「本当にありがとう」
そう一言。
その一言にエスティアはこれでもかとホッと息を吐き出し、これでもかと表情を緩め「そっか、よかった」と言う。すると、リーザベルは幸せそうな表情を真剣な物へと変える。
突然、どうしたのだろうと、エスティアが首を傾げる。
「エスト……まずは謝らせて欲しいの。突然、貴女を連れ去ってごめんなさい。でも、安心して? 貴女のお友達には何もしてないからっ」
真っ直ぐな瞳で苦し気な笑みを浮かべるリーザベル。その言葉に嘘はないのだろう。彼女の笑みは不本意なのだと言いたげに苦し気に歪んでいるのだから。
その表情を見ていると、言いようのない息苦しさに支配されそうになる。が、“早くシュティレを探しに行かなきゃ”と言い聞かせながら、口を開く。
「とりあえず、どうして私なんかを攫ったの? やっぱりリーザも……私の命を狙ってるの? だって……君もメオンやナーテの仲間なんでしょ……?」
「……そうよ。私たちは貴女の命を狙っている。でも、よくわかったわね……あの時、メオンが迎えに来たのがいけなかったのかしら」
暗い表情から一変、無表情でリーザベルはそう言うと、顎に手を添える。考えているようにも見えるが、おそらく、フリをしているのだ。冷え切った青緑色の瞳が黄金の瞳の奥を見据えている。
あまりの変わりようにエスティアは“やっぱり”と内心で呟き、逃げるように瞳を伏せた。
「いや、違う」
そう言ったエスティアは、自分の体を縛りつける鎖を見せつけるように体を揺らす。魔法封じの施された鎖。以前、ナーテにやられた時とは違い、強化されているのだろう。魔力を放出することすら叶わない。
リーザベルは無言で鎖を見つめる。その無表情にエスティアはどこかうすら寒いものを感じた。
「前に、教えてもらったの。こういう魔法封じとかって、特殊なものだから、そう簡単には作れないって……だから、この技術を知っているリーザ。君は……いったい、何者なの?」
エスティアの言葉に、リーザベルは小さく吹きだす。だがそれは、彼女をバカにするものではなく、どこか自嘲じみたものだった。
「フフフ、そうね……エスト、貴女には私のこと沢山教えてあげる」
するりと、ヘビの様にしなやかな動きでエスティアの頬を優しく撫でる彼女は話し始める。
「私たちは完璧な存在として生み出された“フェーク”。この世界の人間に成り代わるために生まれたの」
「なに……それ……成り代わるって……」
エスティアは引きつった笑みを零す。
「この世の人間は醜いわ。嫌な人間が居れば、憎み、殺し、差別する。自分の権力を当然の如く自分の為に振るい、他人を陥れることに喜びを感じる。友達や恋人だとしても平気で自分の為に蹴落とす種族。愚かで、汚い……だけど、私たちは違う。無条件で他人を愛し、慈しむ種族。完璧な種族なのよ!」
「な……っ」
嬉々として語るリーザベル。
偏見に満ちている。この世の負の部分だけを見て育ってしまったかのような、それに思わず“そんなことない”と言いたくなる。が、エスティアはその言葉をグッと飲み込む。
きっと、それを言えば、リーザベルは躊躇なく彼女の左胸をへと添えられた手を刃のようにして、心臓を抉りだすだろう。それほど、自分の今の考えに自信や使命といったものを持っていると、エスティアはまるで、自分の考えのように、当然の如く理解出来てしまった。
「メオンはバカなことに失敗してしまったけど……仕方ないわ。だって、一号だもの。でも私は大丈夫! だって一番最新の六号だからっ。他の皆とは違うわっ」
「リーザ……」
エスティアの尾てい骨から頭の頂点へと悪寒が走り抜けた。リーザベルは無表情なのに、その声色はどこまでも明るく、まるで子どものように楽し気。人間にこんなことができるのだろうか。
恐怖とは違った感情が浮かぶ。それは悲しみだった。まるで裏切られたような感覚にエスティアは呼吸すら忘れたかのように彼女の瞳を凝視した。
「……アンドには敵わないけど……私、強いもの……だからエスト」
リーザベルはにこりと微笑を浮かべると、エスティアの黄金の瞳をまっすぐ見つめ――
「私と一緒に――逃げましょう? 私なら貴女を守ってあげられる」
「……は?」
とろけるような優し気な笑み。だが、その言葉はまっすぐに澄んでいる。さきほどの無表情とは全く違うそれに、エスティアは戸惑いが隠せない。
無理もない。先ほどまでは命を狙っているやらなんやら言っていたのに関わらず、“貴女を守る”などと言っているのだ。そして、その言葉に嘘は無いと確信が出来たからこそ、エスティアは戸惑う。
「いや、なにを言って……だって、リーザは私を殺しに来たんでしょ?」
「そうね……最初はそのつもりだったわ。初めて貴女と出会ったあの日、実はそのまま殺して持ち帰ろうと思ってたわ。そうすれば、あの人に褒めてもらえるって思ったから」
無表情となり、平然と答える彼女。まるで一度に、二人の人間と会話しているような気分になったエスティアは、痛むこめかみを抑えたくなる。
「エスト大丈夫? 顔色が悪いわ」
エスティアはの頬を撫でるリーザベルは、眉尻を下げた。が、そのまま続ける。
「でもね、私は貴女を殺すことはできなかった……なんでだと思う? あ、答えられたら、鎖を解いてあげるわ」
「え……本当に?」
「えぇ、だって、絶対にわからないもの」
リーザベルはエスティアの頬からなぞるように顎へと指を滑らせ、にぃっと笑みを浮かべ、青緑色の瞳を妖しく輝かせる。そのどこか妖美な雰囲気におののきを覚えた。
彼女はエスティアが絶対に応えられないと高をくくっているのだ。だが実際、エスティアには全く見当もつかなかった。まさか、“会いたかったから”なんていう理由でもないだろう。
「ほら、答えられない」
勝ち誇ったように目を細めるリーザベル。
「わかるわけないよ……だって、まさか……会いたいからなんて理由でもないでしょ?」
確かに話していて楽しかったのは事実だし、リーザベルも同じ気持ちだっただろう。だが、それだけだ。エスティアはこの旅を通して、一回限りの出会いというものに慣れてしまい。他の人もそんなもんだろうという考えが生まれてしまった。
だから、やけくそ気味に答えると、リーザベルは驚いたような表情を見せる。
「あら、惜しいわ。とっても惜しい……ハズレだとしてもまさか、貴女がその答えを出すとは思わなかった」
「え、惜しいって……うそでしょ」
虚をつかれたエスティアの瞳が点になる。それをリーザベルは面白そうに眺め、嬉しそうに瞳を細めた。
「ふふふ、良かった。貴女がその答えを言ってくれて、私は確信したわ!」
「え、ちょ、リーザ……?」
エスティアの両頬に手を添えたリーザベルは蕩けるような笑みを見せると、そのまま――
「やっぱり、貴女は私の運命の人。一緒に居ましょう」
驚くエスティアの吐息を強引に奪った。
エスティアがリーザベルからフェークについて聞いたころ。同じように、シュティレもレインから話を聞いていた。
一緒に穴に落ちた二人。シュティレは即座にレインを殺そうとした。が、レインが必死な形相で「実はエストを助けに来たんだ」という言葉を繰り返し言い続け、彼女に一切反撃しなかったことにより、シュティレは彼をとりあえず信じることにした。
そして二人は、一時休戦をすることにしたのだった。
そして、ここはレインの仲間が造った“最果ての迷宮”と呼ばれる場所らしい。閉じ込められてしまえば脱出は不可能。だが、レインは仲間ということもあり、何となく構造は知っているので、彼の言うままに道を進む。
「ねぇ、その話を聞いてると……そのリーザって人、エストを救うために来たんでしょ? なんで、止めようとするの? まぁ、私としてはどんな理由でもエストを取り返すつもりだけど」
トラップの一つだろう。突然崩れはじめる足場。即座に壊れた所から凍らせ、足場を作ると、何事もなかったかのように歩むシュティレは首を傾げる。
「僕たちじゃ、エストを助けることなんて不可能だって気づいたからさ」
悲し気な声色で答えるレイン。そんな彼を肩越しに眺めるシュティレは不審げに眉を寄せた。
「どういうこと?」
「僕たちは死ぬために生み出された存在だからさ」
その言葉にシュティレは立ち止まり、天井から降り注ぐ石槍を風で木っ端みじんに吹き飛ばす。それを眺めながらレインは言葉を続ける。
「僕たちに成り代わりなんて無理なのさ。君はエラーから話を聞いているだろう? 魔力核の魔力が無くなると死ぬって。僕たちも同じなのさ、心臓の代わりに魔力核が埋め込まれている」
「でも、レインぐらいの魔力ならそう簡単に無くならないでしょ? それに、魔力だって補充すれば……」
シュティレはエリザから魔力を貰っているピーナッツの姿を思い出す。だが、レインはばつが悪そうに頭を掻く。
「無理なんだ。僕たちの魔力核は放出するだけで補充することはできない仕組みになっている」
「そんな……」
「だから、シュティレお姉さん……」
立ち止まったレインは頭を下げた。肩越しにみていたシュティレは思わず立ち止まり、眉尻を下げた。
「ちょっと、急にどうしたの!?」
「シュティレお姉さん」
ゆっくりと顔を上げたレインのダイクロイックアイが、シュティレの驚きに見開かれた青色の瞳を射抜く。そのまっすぐさに、シュティレの脳裏にオリバーの表情が浮かび上がる。
彼も、なにかをお願いするとき、あんな表情を良く見せていた。シュティレはそんな彼の顔には弱く、いつもお願いを聞いていたなと思い浮かべる。
「――一年でいい。いや、一年も要らない。エストを貸して欲しい」
その一言を聞いた瞬間、シュティレはその手に風の槍を握り締めていた。




