38 考えるは君のことだけ
「エストさん。これはやりすぎでは……」
「……私も、ちょっと……思った……」
エスティアとアリスの目の前にあった森は、跡形もなく燃え尽きていた。あの時、目の前一直線を燃やすつもりで放った炎は瞬く間に燃え広がるまではよかった。が、乾燥していた木々は予想をはるかに上回る勢いで燃えた。そのおかげで、森に潜んでいたバケモノともども、灰に変えてしまったのだ。
燃え尽きた森が、灰色の粉となって宙を舞い、エスティアは小さく咳き込んだ。アリスは、払うような仕草をしながら、更地となった場所を睨みつける。
「……やりすぎだとは思いましたが……成果はあったようですね」
そう言ったアリスの視線の先には、焼け野原の真ん中に鎮座する一軒家があった。黒い炎は確かに全てを焼き尽くしたはずだった。にもかかわらず、どこにでもある普通の一軒家はたたずんでいる。
あまりにも場違いな建築物に、エスティアは思わず首を傾げた。が、すぐに瞳を訝し気に細めると家を、上から下へと見つめた。
「そうみたいだね。これで、もの家の空だったら、絶対にぶっ壊してやる」
ギリリ、と歯ぎしりしながら、勇み足で家へと向かうエスティア。そんな彼女を見つめるアリスは、そっと聖剣の握り締めた。
やはり、彼女は危険だ。もう既に、魔剣の魔力に囚われかけている。あの調子では、シュティレと再会したところで……まで、考えて、アリスは瞳を細める。
「鍵、かかってるね……忌々しい」
扉のドアノブをガチャガチャと、回したエスティアは、そう吐き捨てると――漆黒の籠手で、思いっきり扉を殴りつけた。強化されてなくても、この程度、障害にすらない。
パキン、と簡単に真っ二つになった扉を、奥へと蹴り飛ばしたエスティアは、そのまま家の中へと足を踏み入れる。アリスは、その躊躇ない動きに不安を覚えつつも、今の彼女に何を言っても無駄なような気がし、無言で後に続く。
中へと入ると、そこにはまた“扉”があった。生活に必要な物は一切無く。ただ、扉が一つあるだけ。
エスティアは、舌打ちすると、そのドアノブへと手をかける。が、また鍵がかかっているようだ。うんともすんとも言わない。
「どれも、これも……邪魔ばっかりしやがって……」
来いと言ったクセに、鍵は閉まっている。エスティアは、籠手で先ほどと同じように扉を殴りつけ、奥へと蹴り飛ばすとそこには――階段が下へと伸びている。
恐らく地下にでも続いているのだろう。物々しい雰囲気が下から煙のように漂っている。普通であれば、一度躊躇する場面。だが、エスティアはアリスへと振り向くことすらせず、階段を降りていく。
彼女の頭の中にあるは、シュティレの事のみ。その過程で何があろうと知ったことではない。扉があるなら壊す。道があるなら進む。そして――敵が来るならコロス。
そんな思いを燃やすエスティアと、不安を抱えたアリスの二人は、暗闇へと足を進めた。
「……来たか」
魔法のライトに照らされ、金属製の床が広がる広間。壁際には、いくつもの巨大なカプセルのような物が並んでいる。そんな広間に鎮座する台のような物に腰を掛けていたメオンは、目の前の扉からやって来た“気配”へと顔を上げた。
暗闇から姿を現した、真っ白なお面を付けた少女は、ゆっくりとメオンの隣までやって来る。そんな彼女の腕の中には――シュティレが抱えられていた。どうやら眠っているようだ。気持ちよさそうに寝息を立てている。
それを見たメオンは、鼻で笑う。お面の少女は気にすることなく、シュティレを床へと横たわらせると、その金髪を優しく撫でた。まるで壊れ物にでも触れるかのような撫で方を見ていたメオンは、眉を顰める。
そして、そんなメオンの隣へと腰を下ろした少女は、彼へと顔を向けた。
「俺を処分しに来たのか?」
そう言ったメオンは、眉尻を下げて笑みを浮かべると、小さく拳を握り締める。が、お面の少女はポリポリと、後頭部を掻きながら、懐から、数冊の冊子を取り出す。
「これを取りに来ただけだ。確かに、命令は出てるけど……メオン、どーせ、お前は死ぬ気なんだろ?」
わざと声を低くしているような、凛とした声が響く。だが、その声色には寂しさのような物が混じっている。
メオンは一瞬、笑みを浮かべると、金属の床へと視線を落とす。
「あぁ、俺に残された時間はもう殆どない……なら、最後に……望みを叶える。それで死ねるのなら、本望だ」
「……そうか。メオン、アンタはいい奴だ。できれば……死んでほしくない。だが、アンタが決めたことなら……オレから言うことは何もない。アンタが、最後までやり通せるように、手伝ってやるだけだ」
「……ありがとな、アンド。お前がいれば、安心だ」
アンド、と呼ばれた少女は、静かに腰を上げると、メオンの前へと歩む。そして、肩越しに振り向いた彼女はシュティレを一瞥すると、彼へと顔を向けた。
「そうかい……メオン、アンタのことは絶対に忘れない……オレたちは家族だからな。だから、アンタもそれだけは……死んでも忘れんなよ」
言葉尻を震わせた少女は、左手を出入口へと翳す。暗闇から、強烈な気配が近づいてくる。
仮面を付けているために、表情は全く読み取ることはできないが、その奥から見える、青緑色だった双眼は暗い青色となり、悲し気に揺れているように見えた。
下から光が差し込んでいる。階段残り数段。というところで、エスティアは確信めいた気配を感じ取った。体の中に残っている微かな魔力が疼く。
それに反応するように、体中の血液が灼熱にでも変わったかのように体内を巡り、体中から汗が吹き出し、興奮からか筋肉が震える。
居る。この先には必ず――シュティレがいる。取り戻さなければ。そうして、力いっぱい抱きしめなければ。使命感にも似た感情に支配されたエスティアの瞳は、虚ろに揺れていた。
エスティアは柄に自分の手を喰い込ませる勢いで、握り締めると同時に――駆け出した。その速さは、アリスが反応をするよりも速く。一瞬で光の中へと消えてしまう。
「エ、エストさん!」
アリスは聖剣を握り締めると、続くように階段を飛び降り、駆け出す。
あれはもう、魔剣に囚われている。だが、一つ不自然だ。村長の教えでは、魔剣は“持ち主の憎悪”を利用し、喰らう存在だ。そうして、持ち主の“復讐心”や“恨み”などと言った負の感情で縛りつけ、人形にしてしまう。
だから、シュティレを“守る”という感情に突き動かされているであろうエスティアが、あんな状態になっていることが不思議だった。まるで、薬物依存者が、薬物を探す様に、それしか考えず、他のことに興味を示さない。きっと、エリザのことなんて、頭の中から抜け落ちているだろう。
だが、考えている暇はない。とにかく、シュティレのことは彼女へと任せ、エリザを助けなければ。
グッと、息を呑んだアリスも光の中へと、飛び込んだ。
地上の民家とは似ても似つかない、機械的な景色。まるで、実験場のような広間の中央には仮面をつけた人間と、その背後に座り込むメオン。そして、座り込む彼の隣には――横たわっているシュティレの姿。
それさえ確認できれば十分。障害物は全て壊す。エスティアは魔剣に薄く魔力を流し、切れ味を高めると――
「シュティレを――返せぇぇぇぇえええええっ!」
まるで弾丸のように、トン、トン、トン、と足音を響かせたエスティアは、こちらに向かって左手を翳している、仮面の少女の頭部へと魔剣の切っ先を突き出す。が、その漆黒の剣先が届くことは無い。
カキン、と見えない壁に阻まれた様に、弾かれる剣先。仮面の少女は、翳していた左手を、体勢を崩したエスティアの喉へと伸ばし、掴み上げた。
「――ア、ガ……ッ」
頸動脈を抑えられたエスティアは、苦し気に呻く。が、すぐさま魔剣を振り上げ、その左手を斬り落とそうとするが、見えない壁へと再び阻まれる。
苦しそうに必死に呼吸をしようとしながら、意識が落ちそうになるのをなんとか耐えていると――仮面の少女はおもむろにエスティアを放り投げた。
「な……っ」
放り投げられたエスティアは、ゴロゴロと転がりながらもなんとか体勢を立て直し、呼吸を整えながら睨みつける。そんな彼女の隣にアリスもやって来ると、今まで座っていたメオンが立ちあがった。
そんなメオンを即座に斬りかかろうとするエスティアの足を払い、転ばせたアリスはメオンを見つめたまま、聖剣をエスティアの首筋へと突きつける。
エスティアは苛立たし気にアリスを睨みつける。が、すぐにシュティレへと視線を移した。目を離したら、また居なくなってしまうのではという不安が、彼女をの心臓を締め付けているのだろう。表情は険しい。
「よぉ、エスト。ちゃんとアリスを連れて来たんだな。俺はてっきり、一人で来ると思ってたよ」
「もし、エストさんが私を連れて来なかったらどうするんですか?」
アリスの問いに、メオンは意外そうな表情を見せる。
「ふっ、そんなもの決まっている。エスト一人で来た場合は、人質ともども殺しただけだ。そんなこと、歴戦の勇者であるアリス、君ならわかっていることだろ」
「……そうですね。では、どうして、私を? 貴方の狙いはエストさんのはず」
アリスの言葉にメオンは、自嘲気味に鼻で笑う。その表情には全てをあきらめたような絶望感が漂っていた。
「あぁ、確かに最初はエストを殺すつもりだった……だがな、俺は最後に――」
メオンは獣のような獰猛な笑みを浮かべると、青みがかった鉄製のガントレットを装着した左手の拳をアリスへと向け、吠えた。
「光の勇者アリス・エステレラ! 俺は、お前との一騎打ちを申し込む!」
「――なっ。い、一騎打ち……ですか……?」
「そうだ! 俺はお前と戦いたい。断れば、そこにいる奴隷と、この奥に居る魔術師は殺す」
「……そうですか」
そこまで言われたアリスは、静かに聖剣の切っ先をメオンへと向ける。その琥珀色の瞳は、闘志の色を燃やしている。メオンは、嬉しそうに笑みを浮かべる。
考える必要なんてない。仲間を守るためには戦うしかない。だが、アリスは自分の魔力を確認し、何故かゴッソリ減っていることに気付いた。
罠でも仕掛けてあったか……日光が射し込んでいないこの部屋では、全力は出せない。すぐに魔力切れを起こしてしまうからだ。だが、目の前に居るメオンは、何故か弱々しく感じる。
ふぅ、と小さく息を吐き出したアリスは、立ち上がったエスティアへと視線を向けた。どうやら、ほんの少しだけ正気を取り戻しているようだ。今なら、任せても平気だろう。
「彼は私がやります。エストさんには、エリザさんとシュティレさんをお願いします。奪還したらすぐに、逃げてください」
「……わかった。だけど、あの仮面はどうする」
エスティアの言葉に、メオンが答える。
「あぁ、安心しろ。コイツは俺とアリスの戦いを邪魔しない限り、なにもしない」
「あっそ……まぁ、そう言ってくれるなら、私はソイツの横を素通りするよ? いいの? シュティレも返して貰うから」
「いいぞ。俺たちの邪魔しなけりゃ、好きにしろ」
「そーかい。じゃあ、遠慮なく」
魔剣を鞘へと納めたエスティアは、アリスの背中を優しく叩くと、そのまま前へと出てきていたメオンの横を通り、仮面の少女の横を通り抜ける。
そして、滑り込むようにシュティレへと接近し、抱き上げたエスティアは、すぐさま彼女の呼吸を確認。やはり寝ているだけのようだ。規則正しい呼吸音が耳に届く。
その瞬間、エスティアの表情からは、泥が雨で洗い流されるように安堵しきった笑みを浮かぶ。生きている。生きている。
「あ、あぁ……よかった……よか……った……シュティレ……ッ」
エスティアは、眠るシュティレに頬ずりをし、力強く抱きしめる。その表情は心底嬉しそうに緩み、黄金の瞳は今にでも涙が零れそうなほど潤んでいる。
アリスは、そんなエスティアとシュティレを見つめながら「羨ましい」と小さく呟いていた。が、それが誰かの耳に届くことは無い。
だが、ずっと眺めているわけにはいかない。細息を吐き出し、メオンへと視線を向けたままアリスは口を開く。
「エストさん。この場に居ては危険です。早く行ってください」
そう言われたエスティアは、ハッとしたように頷くと、シュティレを抱え、部屋の奥へと消えていく。
仮面の少女も、邪魔にならない部屋の奥まで移動する。そのまま背を向け、エスティアが消えた部屋の奥を見つめ続ける。邪魔が入らないように配慮しているのか。
メオンは、楽しそうに、右手に装着した赤みがかった鉄製のガントレットと、左手に装着した青みがかったガントレットの拳を衝突させる。
アリスは、体全体に魔力を流す。刀身を薄く輝かせた聖剣を低く構え――
「行くぞォォッ! アリスゥゥゥゥウウウッ!」
二人は同時に地面を蹴った。
薄暗く、長い廊下を走るエスティア。シュティレを取り返したことにより、ある程度の正気を取り戻したが、その意識の大半は腕に収まる彼女へと向かっている。
「シュティレ……よかった……生きててくれた……」
嬉しさのあまり、軽い惑乱状態に陥っているエスティアは、うわごとのように「シュティレ」と呟き続ける――だからだろう。背後から迫る気配に全く気付くことが、彼女は出来なかった。
だが、いつの間にか養われていた動物的直感が、エスティアを無意識に動かし、神速のような速さでシュティレを地面へと置き、魔剣を引き抜いた。
キィン、と漆黒の刃が、“ナニカ”を弾いた。
音と伝わった感触的に金属のようだが、薄暗いこの場で、その正体を掴むことはできない。エスティアは、シュティレを庇うように魔剣を構える。
嫌な汗が流れる。だが、挑発的な笑みを浮かべたエスティアは、近づく足音へと声をかけた。
「約束を破る奴は、地獄に落ちるよ」
カツン、と。暗闇から姿を現した――仮面の少女は、静かに左手をエスティアへと翳した。




