33 悲しみの刃は鋭かった
バケモノへと駆け出した二人。
一人は全てを憎悪するかのような、血の臭いが染み込んだ魔力の軌跡を残しながら、漆黒の刃を振り上げた。
一人は全てを包み込むかのような優しき光を纏い、純白の鎧も太陽のような輝きを放ち白い軌跡を描き、純白の刃を振り上げた。
「斬り裂けぇぇぇえええッ!」
「斬り裂けぇぇぇえええッ!」
同時に振り下ろされた、剣。バケモノは銀の剣で受け止めようと構えた。が、意味合いは違えど、人類の至宝であり、至高の剣。刃はまるで障害物などないかのように、銀の刃を容易く斬り裂き。
漆黒は左を。純白は右を。同時に肩から先を斬り落とした。
バケモノは、どす黒い血で左側を真っ黒に染め、痛みに苦しむような咆哮を上げた。ビリビリと、空気を震わせるほどの凄まじいほどの声量。常人であれば、意識を失うほど。だが、加護を受け、すでに一度、体験している二人には、意味もなさない。
まるで、合わせ鏡のように二人は回転。そして、目にも止まらぬ速さで白き刃と黒き刃が交差した。
エスティアは、魔剣にこびり付いた血液を軽く振り払い。アリスは、聖剣に付着した血液を、神聖な光で蒸発させた。
二人が、バケモノへと視線を移した次の瞬間、バケモノの体がそれに続くように、ずるりと、横へとずれていく。魔剣が斬り裂いた腹部からは大量の黒い血が流れ、足元に真っ黒な池を作り上げ、腐臭が立ち込めた。
『ヒヒ、ダメ、ダナ……しンゾウヲ、ツラヌカナキャナァ』
首から上。腹部から鎖骨。腰から足。三等分となったバケモノは楽しそうに、笑い声を上げている。それを見ていたエスティアは、そのおぞましさに口元を歪めた。が、アリスは無表情で聖剣についた血を蒸発させ、バケモノを睨む。
三等分になった傷口が蠢き、再生を開始しようとする。まるで、スライムみたいなやつだな、とエスティアが思っていると。
「そうですか。なら、貫きます」
詰めた声でそう呟くと同時に――聖剣をバケモノの左胸へと突き刺したアリス。
その迷いのない動きにエスティアは、軽く瞳を見開くが、その琥珀色の瞳が悲し気に揺れているのに気付き、表情を曇らせた。
『カハッ……ヒ、ヒヒ……ア、リ、ス……』
口からどす黒い血を吐き出しながら、バケモノは苦し気に顔を歪め、アリスを見つめた瞬間、その表情が和らぐ。その表情は、バケモノとは思えない程であった。
アリスの表情が僅かに影が差す。その様子を見たバケモノは小さく笑みを漏らす。そして、口を開き――
「ありがとな」
サラリ、と、砂のようにバケモノの体が溶けていくと、そこに残ったのは、両手と頭部のない一人の青年騎士の死体と、殺された貴族や弾けた肉塊だけだった。
聖剣を鞘へと戻したアリスは、無表情で青年の死体を見つめたまま微動だにしない。エスティアも魔剣を鞘へとしまうと、そっとアリスを見つめる。
すると、気付いたアリスは、エスティアへと向き直った。
「……魔剣の担い手、協力感謝します。ですが、早く行ってください。ここにあまり長く居ては、貴女が疑われてしまうかもしれません」
アリスの冷たい声にエスティアは、瞳を伏せた。
エスティアは考える。このまま、この子を放っておいて良いのだろうか、と。人形のような無表情は一見、感情を感じさせないが、その琥珀色の瞳が、アリスの感情を伝えるように、今にも泣きだしそうにしている。
暫く黙っていたエスティアは、小さく息を吐き出すと――アリスの手を取っていた。
アリスの無表情が僅かに驚いたような色を浮かべる。だが、エスティアは気にすることなく微笑を見せ、口を開く。
「帰るよ。任務は終わったからね。でも、私は君に用がある」
「は? なにを言って……」
「一緒に来てもらうよ。アリス」
「え、いや、ちょっ……」
狼狽えるアリスを抱え上げたエスティアは、地獄絵図となったしまった会場を、一瞥することなく、後にするのだった。
――暗闇が支配する。
だが流石に、あんな事件があった後だ。聖都に住む人間たちは、未だせわしなく、現状の確認に追われていることだろう。
そしてそれは、エリザの家へと帰って来た者たちも例外ではない。
冷たい眼差しに射抜かれながら、エスティアは床に座らされていた。そんな彼女の隣には、無表情で座るアリス。整った顔立ちも相まって、その姿はまるで人形のようだ。
「それで? どうしてアリスを連れてきちゃったのかしら?」
椅子に座り、足を組んだエリザはどこまでも冷え切った声で呟く。
「えっと……その……聞きたいことがあったので……つい……」
「ふーん、とんだ誘拐犯ね……どうするのよ。きっと今頃、聖都は大騒ぎよ? 今回の惨劇に加えて、英雄が魔剣の担い手に誘拐されたなんて……はぁ……どうすんのよ、ほんと」
返す言葉もないエスティアは押し黙ったまま、体を縮こまらせた。だが、彼女自身、自分の行動については全く後悔を感じてはいない。
そしてそれは態度に出ていたのだろう。エリザは小さく鼻を鳴らし、不動の体勢のままでいる、シュティレをちらりと見やった後、アリスへと視線を移した。
人形のように動かないアリス。だが、それは一緒に旅をしていた時からなので、慣れているエリザは、冷静に顎に手を添えて思考する。恐らく今から、聖都にアリスを返しに行ってもあまり意味は無いだろう。そもそも、聖都に入れるかすら怪しいのだ。
エリザが静かに唸っていると、今までだんまりだったアリスが静かに口を開いた。
「私に聞きたいことって何ですか?」
凛とした声が響き渡る。一瞬呆気に取られていたエスティアだが、すぐに表情を真剣な物へと変えると、一枚の紋章が描かれた紙を見せた。
そう言えば、と、見せてもらったことがなかったエリザも見えるように動く。
「この紋章の持ち主を探している」
「あら、これ……“スライ”のじゃない」
「確かに、スライさんの物です。ですが、どうしてです?」
理由を知っているエリザは微妙な表情を浮かべているが、事情なんてこれっぽちも知らないアリスは無表情でエスティアを見つめている。そして、その琥珀色の瞳には怪訝を浮かべていた。
エスティアは、その紋章を懐へとしまうと、アリスを真っ直ぐに見つめ返す。
「私は、コイツを殺すために探している。もし、居場所を知っているのなら教えて欲しい」
「……居場所は知りません」
「あ、因みに私も知らないわよ」
二人の言葉にエスティアは、これでもかと落胆の色を浮かべながら、ガックリと肩を落とした。そんな彼女をアリスはジッと見つめる。
その瞳になんとなく申し訳なささを感じたエリザは、首を傾げた。
「意外だわ。アリスが、元とはいえ……仲間の情報を呆気なく渡すなんて。なにかあったの? それに大人しくついてくるなんて……貴女なら、この子くらい、簡単に逃げ出せたでしょうに」
咎めるような言い方ではなく、ごく自然に、疑問を口にしたエリザを一瞥したアリス。表情に変化はない。
「そうですね……気になったからです」
「……え、そ、そんな理由? てっきり、エストを斬るためについてきたんだと思ったわ」
エリザの言葉に、エスティアはギクリと、表情を大きく歪める。
「はい。最初は魔剣の担い手ということで、出会ったら斬らなければ、と思っていたのですが……」
アリスは聖剣の鞘を一撫でする。
「どういうわけか、聖剣が、この人の殺意を“正義”だと認めています。それはすなわち、スライさんが“悪”ということになります。だから、私は聞かなければなりません。どうしてスライさんが悪に染まったのかを」
アリスはそう言うと、口を開いたまま固まっているエスティアの両手を握り、見つめる。琥珀色の瞳が、黄金という色を奪いそうなほどの強さで、煌めき、射抜く。
エスティアの心臓がドキリ、と大きく跳ねる。そして、動けなくなる。
それはまるで、蛇に睨まれた蛙のような気分だった。恐らく、魔剣の怯えや、戦いたいという闘志が、魔力を通じて、エスティアの全体へと伝わったせいだろう。
ずっと無言のまま、エリザの隣の椅子に腰を掛けていたシュティレの眉がぴくりと動く。
「スライさんの居場所には、全く見当もつきませんが、足手まといにはならないつもりです。ですので、私も連れて行ってください」
「え、いや……あの……」
狼狽えたえていたエスティアだが、考える間もなく首は自然と、縦に頷いていた。
――話も終わり、それぞれの寝室へと戻っていき。エスティアとシュティレも部屋へと戻っていた。
だが、部屋の空気はまるで、真冬のような冷気が漂っていることにエスティアの表情もまた、凍り付きそうな程である。
「あ、あの……シュティレ……?」
シュティレはエスティアが声をかけようと、無言のまま外を眺めている。その横顔にどことなく怒りのような色が見えたエスティアは、余計に表情を歪めた。
帰ってきてから、シュティレは一言も喋らず、不機嫌そうに眉を顰めているのだ。エスティアは、どうしたもんかと首をひねる。が、答えは一向に見つからない。
暫く考えた後、エスティアはとりあえず、シュティレを抱き寄せる。
すると、すんなりとシュティレは、エスティアの腕の中へと納まる。それで調子を良くしたエスティアは、彼女の金髪へと頬をすり寄せた。
甘い香りが鼻腔に充満する。シャンプーの香りが心地よい。そう言えば、最近は、エリザの視線が何だか怖くて、シュティレを抱きしめるのは久々だなと、エスティアは呑気に考え、スンスン、と鼻を鳴らす。
「……っ」
「シュティレ」
よくシュティレに聞こえるように、エスティアは耳元の金髪を軽く救い上げ、耳元に顔を寄せて名前を呼ぶ。その熱の篭った声はシュティレの脳内へと一気に入り込み、撫でまわす様に染み込み、思わずシュティレの顔が赤らむ。
返事を返してくれないことに、エスティアは子犬のような目線でシュティレを見つめる。が、当然シュティレ本人は気付かない。もし、見ていたら、その可愛らしさに、言葉を失っていただろう。
「シュティレ、なんか怒ってる?」
シュティレは答えない。だが、実際そうであった。
エスティアが自分より年下の相手に対して無条件に甘いのは、今に始まったことではない。テピトスの時は、幼いということと、一人という状況ゆえに、仕方ないとシュティレは思っていた。
だが、今回ばかしは見逃せない。なんせ、聖剣の担い手であり、皆の仇である勇者一行のリーダーでもあるのだ。前回とはわけが違う。
下手をしたらエスティアが、あの光り輝く聖剣で殺されてしまうのではという不安が、ドロドロ、と湧き出す。そして、なによりも、アリスがエスティアの手を握った時の、エスティアの反応に対して一番怒りを感じていたのだ。
そう、つまりは……そういうことだろう。
シュティレがそんなことを思っているとは考えていないエスティアは、今にも“クゥーン”とでも鳴き声を漏らしそうなほどの表情へとなっていた。
構って、といいたげに抱きしめる腕に力を込める。が、シュティレはツンとした顔つきのまま、視線すら動かさない。エスティアはムッと、口を尖らせると。
「シュティレ」
吐息混じりにエスティアはシュティレの名前を呼び、金髪から覗かせる白い耳へと口づけを落とした。
ピクリ、とシュティレが驚いたように、肩を僅かに跳ねさせた。でも、振り向いてはくれない。エスティアはシュティレの耳たぶをその唇で挟む。
エスティアは反応の薄いシュティレに、内心で“これは我慢比べってやつか”と呟くと、唇を離し、今度は舌で軽く耳たぶを撫ぜた。
だが本当は、余りの驚きと、恥ずかしさと、嬉しさで、気絶しそうなために、反応できないだけのシュティレである。
「……んっ」
シュティレの口から甘い吐息が漏れ出る。恥ずかしいのか、咄嗟に口元を抑えようとするが、エスティアがそれを許さない。そっと、シュティレの両手を包み込むように握ると、耳の縁をなぞるように舌を動かした。それだけで、シュティレの体には、言いようのない刺激が走り抜け、力が抜けそうになる。
静かな部屋に響く音。エスティアの舌から分泌された唾液は潤滑油のように動きを滑らかにし、水音はシュティレの鼓膜を震わせた。同時にシュティレの表情を羞恥に染め上げ、快感に打ち震えさせる。
「……エス、ト……ッ」
エスティアが、暫く続けていると、シュティレが吐息を漏らし、体を震わせながらそっと振り向く。その青色の瞳には、熱が篭っている。
エスティアは、その瞳に囚われてしまったように動けなくなるそして、自分の行為が、彼女をこうしてしまったのだと理解し、口を開こうとした瞬間――
言葉を紡ぐ間もなく、シュティレは、エスティアの頬に手を添え、吐息を奪っていた。
今までの優勢は一瞬で逆転。
エスティアは限界まで瞳を見開くと、顔を真っ赤にしながら後退しようとする。が、今度はシュティレが許さないといわんばかりに、体の向きを変え、エスティアの腹部に跨り、口づけを再開。
エスティアは、シュティレの唇はやっぱり柔らかいなと考えつつ、楽しむ。最初の方こそ、年上としてリードしなければなんてことを考えていた。
だが、何度もシュティレから求められているうちに、エスティアは“まぁ、いっか”と思っていた。それはきっと、少女とは思えないほど、扇情的な仕草を見せる、彼女の虜になっている自分がいる、ということが、大きいだろう。
だからといって、やられっぱなしというのは、どうも性に合わない。エスティアは、夢中になって唇を貪り続けるシュティレの、腰に手を回し、ツーっと指を滑らせた。
「ひ……っ」
いつものローブ姿と違い、薄い生地のネグリジェは、エスティアが滑らせた指の感覚をダイレクトに伝え、シュティレの体が電流に打たれたように反応する。
スーッと、滑らせた指は首筋まで上昇し、ゆっくりと、臀部の付け根まで滑らせる。それだけで、シュティレの顔から火が出そうな勢いで、羞恥と快楽に染まっていく。
「っあ、エ、ス……ト……やっ、だ、め、ま……って」
フルフル、と体を震わせながら、シュティレは、臀部の付け根で指が動くたびに、その瞳を涙で潤ませた。そして、先ほどまでとは打って変わって、表情をとろんとさせながら、エスティアへともたれかかる。
エスティアは普通に動かしているつもりでも、シュティレにとっては、想像できないほどの快楽の刃となって伝わっていた。が、それを知るよしもない彼女は、いたずらっ子のような笑みを浮かべながら動かし続けている。
最初は遊戯だとしても、それは次第に二人の気持ちを変化させていくようで――
エスティアの首筋に顔を埋めながら、真っ赤に染まった表情で、荒い呼吸をして耐えるようにしがみつくシュティレ。その様子は、明らかな興奮を浮かべている。
それに釣られるように、エスティアの呼吸も、次第に早まっていき、黄金の瞳にも高温の熱が篭り始めている。
そして、エスティアは“もっと、もっと”と、願ってしまった。そうなれば、止める術はない。
「シュティレ……ッ」
「ふぁ、エ、ストぉ……ゆ、ゆび……ダメッ……っは」
熱が籠った黄金の瞳と青い瞳が見つめ合う。お互いのことしか見えず、お互いのことだけを考える。その熱が二人をこの世界から弾き出したかのように、二人の時間が、ゆっくりと動く。
導かれる二人は、そっと唇を合わせた。言いようのない感覚が同時に二人の体を駆け抜け、それは熱となって、二人の瞳から“涙”という形で溢れ出した瞬間――ピリッとした香りが、二人の鼻腔を貫いた。
「あ、れ……?」
その香りはまるで、それ以上はダメだと言うように、エスティアとシュティレは、同時に、眠りの精霊に誘われ、意識を暗闇へと落としてしまうのだった。




