26 踊れ、黒きは黄金を貫いたのだから
聖都の手前。小さな泉で小休憩を取っていた二人。
清らかに揺らめく、泉の水を飲んだエスティアがフゥ、と息を吐き出し、喉を流れる水の冷たさに気持ちよさそうな表情を見せた。シュティレは、そんな彼女に見とれているのか、水を飲む手が止まっている。
「あれ? シュティレ、どうしたの?」
眉尻を下げながら、エスティアがシュティレの前にしゃがむと、彼女の顔にかかっていた絹のような金髪を指で掬い退かす。
「ううん。なんでもないよ。まぁ、あえて言うなら……エストに見とれてた、かな」
「――なっ……はぁ、前だったら、全然平気だったのに……」
ほんのりと頬を染めたエスティアが、恥ずかしそうに頬を掻きながら、小さく呟くと、シュティレの頭に手を置き、言葉を続けた。
「心臓持たなくなるから、もう少しペースダウンしてくれると嬉しいんだけどな……なんて……」
「……うーん。無理!」
笑顔で答えるシュティレ。その青色の瞳もそう言っているようにキラキラ、と輝いている。エスティアは「だよね……」とため息と共に、ガックリ、と項垂れた。
以前であれば、軽く受け流せたものが――今では、それが心臓を貫かんとする槍となるとは思っていなかったエスティア。シュティレの行動や言動一つ、一つに心臓は異常なほど脈打ち、体温を上昇させていく。
「でもね、エスト……」
ズイ、とエスティアへと顔を近づけたシュティレは、天使のごとき微笑みを見せ、言葉を続ける。
「私の方が、いつも、もっとドキドキしてたんだから、覚悟してないと――」
小鳥が果実をついばむようにエスティアの吐息を奪ったシュティレは、もう一度微笑む。
こうなる前から、シュティレの心臓はいつも動悸の連続。まるで、いつ爆発するかわからない爆弾を抱えて過ごしていたのだ。
だが、それは解き放たれた。もはや彼女に“気づかい”なんて言葉はもう必要ない。彼女はニヤリと笑みを携え。
「私の愛で壊れちゃうよ?」
そう言って、小悪魔のように笑みを浮かべたシュティレは、もう一度ついばむように、呆気に取られている彼女の唇を奪った。
小休憩も終わり。水筒の水を補充したエスティアが立ちあがり、近くで雑草がそよめくのを眺めている、シュティレが創り上げたコィンクダの首筋を軽く撫でる。
コィンクダは嬉しそうに体を震わせると、エスティアへとすり寄るような仕草を見せた。
「これって、生きてるの?」
「いや、生きてないと思うけど……」
ガジガジ、と頭に噛みついてくるコィンクダをあしらったエスティアがそう言うと、シュティレは首を横に振った。だがそう答えた彼女自身も、不思議に思っていた――あまりにも精巧にできていることに。
シュティレの魔法は想像を具現化するもの。そして、想像とは見たものをそのまま形にするものでもある。故に彼女が作り出したコィンクダは模倣しているに過ぎない。
「わ、ちょっ!?」
そして、あれはシュティレの魔力によって創りあげられたもの。その魔力に混じった、彼女の感情が滲み出てしまうのもまた然り。
コィンクダは、エスティアを押しつぶさん勢いでのしかかる。だがやられた方はたまったものではない。逃げるように、エスティアはコィンクダから離れると、そのまま追いかけっこが始まる。
楽しそうに追いかけているコィンクダと、必死な表情で逃げ回るエスティアを見つめたシュティレは、笑みを零す。だがその次の瞬間――シュティレは何かの気配を感じ取った。
「エストッ!」
シュティレがそう叫ぶが早いか、エスティアを追いかけていたコィンクダの――頭部が宙を舞い、霧散した。それに続くように魔力の霧となって、司令塔を失った肉体も消え去る。
その場から距離を取り、魔剣を引き抜いたエスティアが眉を顰め、先程までコィンクダが立っていた場所を睨みつけた。
「――え!?」
どうせどこかの魔物だろうと思っていたエスティアが、その顔に驚愕を浮かべた。無理もない、彼女の目の前に立っていたのは――深紅のローブを身に纏った子どもだったのだから。
フードを目深に被っているために表情をこそわからないものの、その体の大きさからいって、年端もいかない子どもだろうとエスティアは推測する。
「貴女が、エストね?」
鈴を転がしたような可愛らしい声でそう呟く少女。だが、その声には言いようのない敵意、嫌悪、殺意、あらゆる“悪感情”を秘めていた。ブルリ、とエスティアの背筋が震えた。
エスティアの魔剣が震え、警鐘を鳴らす。あれは人間ではない、“ころせ”、と。
「お、お前は……何者だ……ッ」
フルフル、と震える手で魔剣を構えたエスティア。子どもに武器を向けるなんて、彼女はやりたくはないが、敵意を剥き出しにされてはそうもいかない。
だが、少女はつまらなそうに息を吐き出すと、駆け寄ろうとしているシュティレへと左手を翳す。
「貴女に用はないわ」
「シュティレッ!」
エスティアが振り向くと――そこには、炎の鎖で縛られ、地面へと横たわるシュティレの姿。
エスティアは、奥歯をかみ砕く勢いで歯ぎしりをする。ケガはしていないようだが、彼女にとって“シュティレに害をなす存在”というだけで、憎悪の対象となる。
だが、エスティアの心を縛る“子どもたちの笑顔”が、完全な殺戮者へと成り下がるのを引き留めているおかげか、彼女は魔剣の魔力を纏いながらも、その瞳には理性が残っていた。
少女はもう一度ため息を吐き出す。その口元にはガッカリ、と言いたげに歪んでいることに気付いたエスティアの表情が曇る。だが、すぐに、黄金の瞳で少女を睨みつける。
「もう一度聞く、お前は誰だ」
「……はぁ、聞いてた通りね。生温い」
「なに……ッ?」
エスティアの眉がピクリ、と動く。
「だって、貴女の大事な人にちょっかい出したのに、ぜーぜん殺意を向けて来ないんだもん」
「そ、それは……」
「ほら、今だって私にバカにされたのに……怒りすらしないなんて、本当に子どもに弱いのね」
クスクス、と笑う少女にエスティアは「うぐぐ……」と何も言い返せない。鎖に縛られたシュティレはそんな二人を眺めながら、小さくため息をつきながら、そっとエスティアへと強化の魔法をかけておく。
どうにか抜け出そうとは動いてみるが、炎の鎖はまるで、普通の鉄の鎖のようにビクともしない。シュティレは、とりあえず、再び二人に視線を戻した。
「ふーん。一応魔法封じの意味もあったのに……以外と魔力高いのね、あの女……あ、いいこと思いついた!」
嬉しそうに少女がそう言い、シュティレへと向け、軽く指を振った。
「――殺しちゃえばいいよねっ!」
「え……?」
シュティレの真上に現れた――無数の炎の槍。一つ一つが、凄まじい熱気を放ち、シュティレの周りに生えていた草花の水分を奪いその生命を奪う。
その熱に当てられたシュティレの表情も歪む。だが、薄く張られたシールドがなんとか熱量を弱体化しているようだ。
少女がクスクス、と楽しそうに笑う。少女が指示を出せば、すぐにシュティレの張ったシールドごと串刺しにできるだろう。魔剣を構えたエスティア黄金の瞳が怒りの炎をチラつかせる。
「貴様……ッ」
「うふふ、やっとやる気になった? 早く私を殺さないと――あの女殺すから」
少女がそう言い切ると同時に、エスティアが駆け出した。ほぼ完全に、シュティレの魔力に順応した彼女の体は素手で鋼鉄をも砕くほどの怪力にも関わらず、その体は羽のように軽い。
一瞬で少女との距離を詰めたエスティアは、魔剣を振るった。
「シュティレを解放しろッ!」
「あはっ、やる気になった! でも、嫌よ、少し遊びましょっ!」
雷のごとき速さで振るわれた黒き剣を、軽々と躱した少女は、トン、と地面へと着地。だが、その瞬間を狙ってエスティアは、魔力を放出、死へと誘う黒き衝撃波が刃となって少女へと迫る。
少女は口元に笑みを浮かべたまま、着地した足で軽く地面を蹴り、迫る刃を後方宙返りで躱す。だが、彼女の怒涛の攻撃は止まない、少女の目の前に迫ったエスティアは連撃を繰り出す。
「あーあ、もっと本気にならないと、私のこと倒せないよ?」
「……チッ。ちょこまかと……ッ!」
「エスト、貴女が遅いだけだよ?」
目にも止まらぬ速度で襲い来る刃を紙一重で避ける少女は、余裕な笑みを口元に浮かべている。対してエスティアの表情は依然として苦し気に歪んでいる。
そんな彼女の表情を見ていた少女は、心底つまらなそうに、口をへの字にした。
「ほんとっ、期待外れ……これがベースなんて……」
軽く跳びあがった少女が、振るわれた魔剣の上に降り立つ。即座にエスティアが空いた左手で殴りかかろうとするが――いつの間にか、エスティアの体は、シュティレ同様に炎の鎖で縛られていた。
エスティアの表情が苦痛に歪む。シュティレのとは異なり、炎の鎖は彼女の体を焼き尽くす勢いで食い込む。肉の焼けるニオイ、音、痛みに彼女は獣のように吠える。
「グアァァァァアアアアッ!」
「あはっ、その声は貴女にピッタリだよっ」
「グゥゥゥゥウウ……ッ!」
「エスト!」
叫ぶシュティレ。その瞬間、彼女の薄く張られたシールドが、熱量に耐えられずにピキッ、と小さなヒビが入る。魔力を込め、どうにか修復して耐えているが、鎖に魔力を奪われているのか、彼女の表情が弱々しくなっていく。
少女は、そんなシュティレを一瞥すると、苦しそうに呼吸をしながら魔力を過剰に放出し、鎖を引きちぎろうとするエスティアに顔を近づけた。
「エストの魔力じゃ、無理に決まってるでしょ? 無駄に魔力を消費するだけだよ?」
「それ……でも……ッ! 負けたまま、は……嫌いだ――ッ!?」
エスティアが言葉を失い、固まる。少女が近づいたことにより、フードに隠れていた少女の顔が露わになる。
炎の様に燃え滾る赤髪。それだけ見れば、エスティアが言葉を失うほどの衝撃ではない。その少女の瞳は――まるで、眼球なんてないかのように、漆黒に染まっていた。白目、虹彩、瞳孔に至るまでが全て黒く染まり、驚愕の表情を浮かべるエスティアを鏡のように映し出していた。
「ま、さか……魔眼ッ!?」
エスティアが目を逸らす。だが、もう遅い。
「ふふっ、エスト程度の魔力じゃ、一秒も要らないよ――肉体を、下さいな」
真っ黒な瞳が黄金の瞳を射抜く。その瞬間、エスティアの体から力が抜ける。だが、その体が地面へと倒れ込むことなく、まるで糸で吊られたかのように立ち続ける。
魔剣から飛び降りた少女は、軽い足取りで、シュティレへと近づき、鎖と展開していた槍を解除した。そして、目が点になっている彼女の顔を覗き込んだ少女はにこり、と口元を大きく歪めた。
「さぁ、愉快な劇を始めましょう? 貴女はどのくらい踊ってられるかな?」
「なにを、言って……」
「フフフフフフ、だいじょーぶっ! 貴女ならきっと長く踊れるよ」
少女が指揮棒のように指を振るう。その時、シュティレの瞳は見えていた。うっすらと赤みを帯びた蜘蛛の糸よりも細い糸が――エスティアへと絡みついていることに。
そして、糸に絡められたエスティアが、ギ、ギ、ギ、と古びた歯車のように、ゆっくりとシュティレの方へと顔を向けた。そんなエスティアの表情は、困惑の色を濃く浮かべていた。
「エスト……?」
「シュティレ……逃げて……ッ」
「うふふ、さぁ、幕は上がったよ? どっちが、先に死ぬかなー?」
もう一度少女が指を振るえば、エスティアの体がゆっくりと地面を踏みしめ、シュティレへと近づく。
「シュティレ、逃げてッ!」
エスティアはそう叫ぶ。このまま、シュティレへと近づけば、良くないことが起こる。そう直感していた彼女自身も、その歩みを止めようとするが、体は全くいうことを聞かない。
その間にも、一歩、一歩、とエスティアの足はシュティレへと向かう。少女が楽しそうに笑みを浮かべる。
「エスト……ッ!」
シュティレは、少女を睨みつけ、魔力を込めた右手を翳し――
「あぁ、私に攻撃したら、エスト殺しちゃうよ?」
カラカラと笑う少女は、エスティアの首元に“炎の鎖”を巻き付ける。首輪のように変形したそれは、ジリ、ジリ、とエスティアの首の皮膚を焼く。
エスティアは、痛みに苦しむように苦痛の声を上げるが、熱により声帯が傷ついた彼女の口からは嗄声混じりの息が漏れただけだった。
「あ、が……シュティ、レ……かは……っ」
「エスト……私が助けるからね……ッ」
シュティレは立ち上がる。ふらつきながらも、エスティアが、一歩近づけば、一歩後退し、どうにか足を止めようと魔力を込める。すると、エスティアの足元の地面から突き出す様に現れた“土の手”が彼女の足を掴む。
だが、少女が指を動かせば、エスティアは魔剣でその手を斬り裂いた。歩みは止まらない。
「……エスト――ごめんっ」
苦しそうに瞳を伏せたシュティレは、エスティアへと掌を翳し――風の矢を放った。無数の矢はハヤブサのような速度で彼女へと迫る。
本当であれば、攻撃するなんてやりたくもないが仕方ない。確実に動きの止められる関節を狙う。が、それが彼女の肉体を貫くことは無かった。
少女に操り人形となったエスティアは、先ほどよりもスムーズな動きで魔剣を振るい、風の矢を全て斬り捨てる。そして、彼女は魔剣が届く位置までシュティレへと接近。
「エスト……」
悲しみに満ちた表情でエスティアは、黄金の瞳を泣きそうに揺らしながら、シュティレを見つめる。だが、どんなに強く思っていても、エスティアの“止まれ、止まれ”という思いに反し、魔剣を握り締める右手がフル、フル、と震えながらもゆっくりと、上がってゆく。
少女は楽しそうに指の先を天へと向ける。それに従うように魔剣の切っ先が天を斬り裂くように空へと向いた。
「さぁ、さぁ、エスト、早く殺しちゃって? 一思いに、真っ二つにしましょ?」
「い、や、だ……ハッ、にげ、て……」
エスティアは、魔剣を――
「嫌だァァァァアアアアッ!」
振り下ろした。




