25 二人は再び永遠の時を望む
次の日の朝。小鳥さえずり、穏やかな風が吹く村の出入り口。
エリーゼとレオナードは二人の手を握りながら、その瞳に涙を浮かべていた。それに釣られるように、シュティレとエスティアの瞳にも悲しみの色が浮かぶ。
「エスト、シュティレ。短い時間だったけれど……本当にありがとう。君たちのおかげで、僕はエリーゼと再び巡り合えた。感謝してもしきれない」
「私の方からも、お礼を言わせてほしいわ。本当にありがとう」
「いいんだよ。私もこんな素敵な場所を知れたわけだし」
「そうだよ。人魚伝説の続きも知れたし、むしろ私たちこそありがとう」
そう言ったシュティレは、そっとエスティアの手を握る。握られた彼女は、照れたように微笑を浮かべた。
その様子にエリーゼとレオナードは察したようで、その表情を生暖かく柔らかくすると、彼が「そうか」と微笑を浮かべた。
だが彼は、すぐに表情を引き締めると、エスティアの瞳をまっすぐに見つめながら口を開いた。
「エスト、僕は君を信頼している。たとえ短い間しか一緒に居なかったとはいえ、君はとても優しい人だ――だから、僕は君にこれを贈りたい」
そう言って彼は、パチン、と指を鳴らす。すると、どこからともなく現れた“一振りの剣”が握られていた。
だが、その剣は酷くみすぼらしい外見だった。まるで泥水にでも沈んでいたかのように、カチカチに固まり岩のようになった泥がこびり付いた鞘。同じく岩のように固くなった泥にまみれた柄。
エスティアが不思議そうに、微妙な表情を浮かべながら首を傾げると、彼とエリーゼは複雑な表情を浮かべる。
「今はこんな見た目だが、この剣の名前は“宝剣セイレース”。その魔剣カルネジアの片割れさ」
「……え!? か、片割れ?」
驚いたように目を点にしながら、エスティアとシュティレは、その宝剣と、腰に収まる魔剣を交互に見やり、レオナードへと視線を向けた。
冗談と言われても、二人は苦笑を浮かべるだろう。
一振りは宝剣とは思えないほどにみすぼらしい外見に加え、魔剣のように魔力も感じない。もう一振りは、邪悪な外見に、禍々しい魔力を垂れ流し、血を啜る魔剣。似ても似つかない二振りの剣。
そんな二人の思いを感じ取ったレオナードは、苦笑を浮かべた。
「まぁ、その気持ちはわかるよ。でも、その剣は魔剣の大切な片割れ、一緒に持っていれば、いつか……君の気持ちに応えてくれるはずだ」
「気持ちに……ね……まぁ、くれるなら、ありがたく貰うよ。ありがとう」
エスティアは、受け取った宝剣を魔剣とは逆の腰に身に着けた。
どす黒いいぶし銀色の籠手、その籠手よりも黒く邪悪な魔力をまき散らす魔剣、泥にまみれみすぼらしい外見の宝剣、装備品の外見はともかく、より勇者らしい見た目となり、複雑な表情を浮かべる彼女に、レオナードは満足げに頷く。
「……じゃあ、エリーゼ、レオナード……またね」
エスティアの言葉に、レオナードは一瞬瞳を見開き、すぐにその顔に微笑を浮かべた。
「あぁ、またね」
二人が見えなくなると、レオナードは隣に立つエリーゼを気遣うように、そっと視線を向けた。
その水色の瞳には、深い憂いの色を浮かべ、それに比例するように表情も暗くなっている。そんな彼を見ていたエリーゼの表情にも悲しみが浮かんでいる。
「エスト……僕たちでは、世界の歯車を止めることも、狂わすこともできない。だけど……君の運命の歯車にほんの少しだけ――悪戯はできるよ」
「レオナード……」
エリーゼが微笑む。レオナードは幸せそうに破顔すると、頷いた。だがその瞬間――二人の背後にそびえていた村が、陽炎のように揺らめき消滅していく。
エリーゼが、グラリと、よろつく。そんな彼女の右手は――ポロ、ポロ、と砂の塔のように崩れ始めていた。それに合わせるようにレオナードの水色の右目が色を失いはじめる。
「……私たちの魔力も、もう限界ね」
「あぁ、そうだね……エリーゼ」
色を失い始める左目で彼女を見つめながら、彼は彼女へと右手を差し出した。
「――もう一度、僕と踊っていただけますか?」
優しく微笑む彼に、あの時の姿が重なって見えたエリーゼは光を失いかける両目をめいっぱい開く。
背が高く細身で、一見弱々しいと思われがちな彼。だが、清潔感溢れる茶髪にどこまでもまっすぐで澄んだ茶色の瞳が彼の快活さを現す。たとえ、姿を気にしないと言っても、大好きな彼を目の前にした彼女は少女のように表情を咲かせた。
「――喜んでっ」
そう答えた彼女に重なるように見えるは人魚の姿。今の姿よりも少し幼い見た目に、どこまでも澄み渡るほどに美しいアクアブルーの長い髪と、同じように煌めく瞳は、彼女のどこまでも純粋な心を体現しているかのよう。
「さようなら、僕たちの唯一無二の友人たちよ」
「貴女たち――優しき人の子に人魚の加護があらんことを」
今の二人の体が煌めく泡のように消え始める。すると、陽炎のように揺らめく過去の姿の二人が――そっと口づけを交わした。
こうして人魚伝説は、ここに終わりを告げた。
「……エスト、どうしたの?」
「え? なにが?」
聖都への道中、偶然通りかかった馬車の御者の好意で、荷台へと乗せてもらい、のんびりと揺られていると、隣でエスティアの肩に頭を乗せていたシュティレが心配した声色で呟く。
突然そんなことを聞いてくる彼女に、エスティアは不思議そうな表情を見せる。
「だって……エスト……」
シュティレが、眉尻を下げながら、エスティアの濡れた頬へと手を伸ばした。そして、白くしなやかな彼女の指が黄金の瞳から流れ出た涙を掬う。
全く気付いてなかったエスティアは、彼女が涙を掬ったことにより、自分が泣いていることに気付き、瞳を見開くが――すぐに、納得したように笑みを浮かべ、シュティレの頭を撫でた。
恐らく、あの二人が無事に結ばれたのだろう。エスティアは、二人の門出を祝うように鎖を震わせる魔剣の鞘を一撫ですると、雲一つない――いや、遥か遠くに煌めく、どこまでも広がる海を見つめ。
「さようなら」
二人がいつまでも、いつまでも、一緒にいられるますようにとエスティアが願う。隣に座っていたシュティレは、両手を広げ魔力を込め「さようなら素敵な夢を」と、唱える――すると、無数の白い“鳩”が彼女の両手から飛び立ち、はるか遠くの海へと羽ばたいていく。
鳥たちが全て見えなくなると、フゥ、とシュティレは息を吐き出し、エスティアの肩へともたれかかる。そして、彼女の右手に手を握り、スル、スル、と蛇のような滑らかな動きで指を絡めた。
気づいたエスティアの、頬がサッと赤く染まる。だがすぐに嬉しそうに破顔すると、絡められた指にキュッと力を入れる。
「ねぇ、エスト。私もずっと一緒に居られるよね」
「居られるよ。どんなことがあろうと、君を守る。そんでもって、必ず復讐を果たす……そしたら……」
エスティアは、決意の篭った眼差しで優しく目元を細め、シュティレの額に口付けを落とした。
「また、あの家で暮らそう。二人でもいいけど……君が望むのなら子どもで――んぐっ」
楽しそうに未来を語るエスティアの口を、人差し指で押さえたシュティレ。そんな彼女の表情は紅潮していた。
恋愛事には疎い割には、気の早い彼女にシュティレの心臓が高鳴る。どこまでも純粋に、まっすぐに見つめられた黄金の瞳までもが未来への期待に高鳴っているのだから、年の離れた姉のせいで、色々と言葉や意味だけを知っているシュティレが、そうなってしまうのも仕方ない。
「あの、そ、そういうのは、ま、まだ早いというか……」
「え、あ、そうだよね……私、シュティレの気持ちも考えないで……」
エスティアは、シュティレが望めば“養子”でも貰うつもりで言ったのだが、顔を真っ赤にしてもじもじする彼女に“急ぎすぎたか”と思いながら、眉尻を下げた。
暫く馬車に揺られていると、突然――その揺れが停止する。
突然の急停止に、シュティレが落ちそうになるのを、エスティアが抱きしめるように支えると、険しい表情で御者の方へと顔を向けた。
「どうかしたんですか?」
エスティアが声を張り上げる。が、御者からの返答は無かった。
小さな馬車だ、それに彼女たち以外に人がいないに関わらず、木々がそよぐだけの街道で聞こえなかったというのは、些か不可解だろう。黄金の瞳を鋭くさせた彼女は、そっと魔剣の柄に手を置く。
シュティレは無言で、小さな鳥を魔力で創りだすと、そっと偵察に向かわせる。
「……魔物がいる。三体か……私がやっちゃうね」
「……任せた」
魔剣から手を離したエスティアは、フンス、と張り切りるシュティレを横目で見つめながら、リラックスするように伸びをした。
「よーし、やっっちゃうからねー!」
魔力を込めたシュティレは、そのまま不可視の矢を構え――矢を放った。
放たれた三本の矢は、偵察をしている小鳥を飛び越え、放物線を描きながら一気に急降下。次の瞬間には、魔物を貫いたのだろう、肉が裂ける音と『キャインッ』という鳴き声が響く。
「エスト、終わったよっ!」
そう言ったシュティレに、エスティアが「え……?」と呆気に取られたような表情になる。だが仕方ないといえるだろう、なぜなら、彼女が意気込んでから、一分も経っていないだから。
気の抜けた息を漏らすエスティアに、シュティレは抱き着くと、グリ、グリ、と彼女の首筋に顔を埋め「褒めて褒めて」とはしゃぐ。
「あ、うん。えっと……いい子、いい子」
「えへへ……でも……」
「ちょ、シュティレッ!?」
首筋に埋めていた顔を上げた彼女が、口元を薄っすらと伸ばし艶やかに微笑を浮かべる。エスティアは呼吸を忘れてしまいそうなほど、十六歳の少女とは思えないほど妖艶な仕草で、シュティレは彼女へと顔を近づけ――
「私は、こっちの方がいい」
二人の距離がゼロになる。エスティアの呼吸が止まり、急上昇した熱によって自分の顔が溶けてしまいそうな勢いで頬を紅潮させ、黄金の瞳が見開かれる。
時が切り取られた様に、吹いていた風が彼女たちを見守るように立ち止まり、草木もそよめきを止める。シュティレは彼女からふんわりと鼻腔をくすぐる香りにウットリ、とその表情を蕩けさせると、そのまま彼女を押し倒そ――
何かを感じ取ったのか、エスティアがシュティレを守るように抱きかかえると、その場から即座に離脱した。その瞬間、二人が乗っていた馬車が跡形もなく木っ端微塵となり、破片が辺りに飛び散った。
そしてその衝撃波により、御者の死体と魔物の死体も木っ端微塵となり存在していたことを証明するように、血飛沫ともう見る影もないほどに細かくなった肉塊が転がる。
シュティレを抱えたまま、ズザザ、と着地したエスティアは彼女を下ろし魔剣を構えた。そんな彼女たちの視線の先には――重低音の唸り声を轟かせる魔物が立っていた。
巨大な二本のハサミをガチ、ガチ、と鳴らし、グネ、グネ、とうねる長い尻尾の先にある、かぎ爪からは粘着質の液体が滴り落ち、それを受け止めた馬車の一部だろう、銀色に輝くそれを黒く変色させる。
――ドロップスコーピオ。レッドランクの魔物だ。その鋭いハサミに掴まれたら最後……解放されるのは、体が真っ二つになった時だろう。
表情を険しくさせたエスティアが、抱きかかえていたシュティレへと視線を向けて……その表情を一瞬にして凍り付かせた。
いつもの優し気な瞳は影を潜め、体全体から不機嫌なオーラを放つシュティレは、抱きかかえられたまま魔物へと手を翳し。
「――消えて」
『シュ、ゥッ!?』
魔物の重厚な鎧がメキリ、パキリ、と不穏な音を立て、まるで何かに握りつぶされたように歪む。魔物はどうにか動こうとするが、いつの間にか足元に巻き付いた“風の鎖”が動くことを許さない。
そして、魔物の鎧が不可視の圧力に耐えきれず、鉄よりも硬い鎧に圧縮されていた内部が弾けた。シュティレは、相変わらずの表情で翳した手を握りつぶす様に閉じた。
『――ッ!』
パァンッ、と魔物の体が弾けたかと思った瞬間、まるで、虚無へと誘われるようにその弾け飛んだ魔物の肉塊が、空間を裂いて現れた“黒い手”によって跡形も残らず吸い込まれていった。
あまりの出来事にエスティアが言葉を失う。顎が外れそうなほど口をあんぐりと開けたままの彼女を一瞥したシュティレは、地面へと降り立ち、ちょい、ちょい、と魔力を香水のように振りまく。
「おいで」
シュティレの声に応えるように一頭の巨大な、風で創られたコィンクダが彼女の前で首を垂れる。
ウン、ウン、とそのコィンクダの首元を撫でた彼女は、未だに呆気に取られたような表情で立ち尽くすエスティアの手を握り、笑みを浮かべた。
「さっ、早く行こ?」
「え、あ、うん……」
コィンクダへと乗り込んだ二人。気を取り直したエスティアが風で出来た手綱を握り、その後ろで、幸せそうな表情となったシュティレが彼女の腰へと抱き着く。
肩越しに一瞥したエスティアは、微妙な表情を浮かべた。だがすぐに、“シュティレが幸せそうならいっか”と納得すると、コィンクダを走らせた。
「さぁ、行こう!」
「うん! そんでもって、早くみんなに会いに行こう!」
コィンクダは草原を駆ける。彼女たちが目指すは遠くにそびえる聖都イアンデルト。復讐に囚われた二人の瞳は煌めき、笑みを浮かべたそれはさながら、この世界に舞い降りた悪魔のようだった。




