24 君が居るから
レオナードに言われた岬へとやって来た二人。水平線へと沈もうとしている夕日に照らされ、オレンジ色に染まった海を眺めたエスティアの顔もまた、赤く染まっていた。
シュティレはそんな彼女の後姿を眺める。だが、その表情は硬く、夕日に照らされたその表情には濃い影が射し込んでいる。
「すごく綺麗な景色……ここさ、レオナードに教えてもらったんだ」
「私も……エリーゼさんに教えてもらったよ……」
シュティレの聞いたこともないような暗い声に、エスティアは振り向く。そして、困ったような笑みを浮かべながら、暗い表情でうつ向く彼女の手を優しく取った。
「シュティレ、君に大事な話がある……聞いてくれる……?」
はにかみながら、そう首を傾げるエスティア。シュティレは、暗い表情で顔を俯かせたままコクリ、と小さく頷く。
エスティアは、明らかに元気のない彼女に若干の戸惑いの表情を浮かべた。が、すぐに表情を引き締めると、彼女をまっすぐに、射抜くように見つめた。
だが……いざ決心しようとも――エスティアの口がうまく開かない。まるで言葉を紡ぐことを怖がっているように、何度も口を開きかけては閉じる。という行為を繰り返した。
いつまで経っても、無言のままでいる彼女を不思議に思ったシュティレが顔を上げる。
「エスト……?」
悲し気に揺れる青色の瞳が、黄金の瞳を見つめる。それだけで、エスティアの体温がカー、と急上昇。真っ赤になった顔で、瞳を伏せた。
夕日がエスティアの背中から射していることにより、シュティレには表情を見られなくてよかったと、彼女は内心でホッとする。
「シュティレ……い、今から言うことを……よく、聞いて欲しい……っ」
エスティアは、小さく深呼吸を繰り返し。
「シュティレ、貴女のことが好きです」
噛みしめるように紡がれた告白。バクバク、と激しく鼓動を打つ心臓の音が銅鑼のように体全体に響き渡る。もしかしたらこのまま爆発してしまうのでは、とエスティアは若干、不安にもなったが、すぐにその気持ちは雨のように流れ落ちた。
なぜなら、目の前の彼女が、その青色の瞳から――涙を流していたからだ。エスティアは、慌てた様子で、彼女の両肩に手を置こうとして、戸惑ってしまう。
「シュティレ……あの、その……急にこんなこと、言われたら……困るよね……」
例え、同性愛に寛容的なシャールの生まれだとしても、そこの人達全員が寛容的かと聞かれれば、違う。否定的な人は、他の国と比べて少数とはいえ、いるだろう。
エスティアは、苦虫を嚙み潰したような表情で、伸ばしかけていた手を下ろす。気持ちを伝えることばかり考え、シュティレの気持ちを考えなかった。彼女は自分自身を殴りたい気分になる。
だが、シュティレは彼女の言葉に首を横に振ると、下ろされていたエスティアの右手を、そっと両手で握る。そして、静かに顔を上げた。
シュティレの表情は、かつてないほど真っ赤に染まり――微笑を携えていた。エスティアの心臓がその美しさにドキリ、と大きく跳ねる。
「シュティ――ッ!?」
開きかけていたエスティアの言葉が、シュティレに奪われる。
驚きに瞳を見開くエスティアの顔はこれでもかと真っ赤に染まり、元々高めだった体温が沸騰しそうな勢いで上昇する。
シュティレはそんな彼女に、これでもかと幸せそうな表情を浮かべながら、名残惜しむように、ゆっくりと触れ合っていた唇を離した。
「私ね、ずっと不安だった……エストの負担になってるんじゃないかって……私が居るせいで――」
「シュティレ……ッ」
悲憤が混じったエスティアの声。シュティレが反応するよりも早く、彼女を力強く抱きしめたエスティアは声を震わせながら言葉を続けた。
「そんなことないッ! シュティレがっ! 君が居てくれたから……っ! 私は、私は……」
エスティアは、一度も彼女を負担と思ったことは無かった。むしろ、シュティレが居なれば、恐らく彼女はとっくに絶望し、その命を何の躊躇もなく投げ捨てていただろう。
だからある意味、彼女はエスティアにとって命の恩人でもある。故に彼女はその黄金の瞳から、大粒の涙を零した。
「――立ちあがれたんだッ! 剣を……取ろうって、思えたんだよ……っ」
「エスト……」
「私は君がいなきゃ……生きていけない……それでも、まだ負担になってるって思う……?」
涙を流しながら、縋るような視線で、シュティレの顔を見つめたエスティアの黄金の瞳が悲しみに揺れる。
「あ、わ、私……い、一緒に……いても、いいの……?」
瞳を伏せながら、呟くようにシュティレがそう言うと、エスティアの表情が破顔した。
「いいに決まってる。むしろ離れないって言ったの、シュティレでしょ?」
「エスト……ッ!」
飛び込むようにエスティアへと抱き着いたシュティレは、その瞳から涙を流し、嗚咽を漏らしながら彼女の胸元に顔を埋め「エスト、エスト」と何度も、何度も、名前を呼ぶ。
エスティアは、そんな彼女を抱きしめ、頭を撫でながら、シュティレが聞いたこともない優しい声色で「シュティレ」と囁いた。
暫く、エスティアの胸元で泣き続けていたシュティレが、不意に顔を上げる。その熱の篭った瞳に、エスティアがゴクリ、と喉を鳴らした。
エスティアが見たこともない表情。彼女は内心で“こんな顔もするんだ”と、思いつつ、彼女の青い瞳に囚われる。
「エスト……大好き」
今までとは全く違う、意味を握り締めた言葉。エスティアは一瞬呆気に取られたような表情を見せたが、すぐにこれまでにないほど嬉しそうに微笑む。
その表情にシュティレも、嬉しそうに破顔する。と彼女の首筋に腕を回し、彼女が反応するよりも早く、その吐息を奪い取る。
目を見開くエスティアの瞳を見据えながら、シュティレは全体重を押し付けるように彼女へと寄りかかる。と、エスティアは彼女を抱きしめ、応えるように彼女の頬へと手を添えた。
夕日に照らされ、キスを交わすその二人は、さながら人魚伝説の二人のようだった。
ベッドで横たわるエリーゼの手を握りながら、レオナードは寂しげな笑みを浮かべた。
彼女の命はもう、長くない。元々、体が弱かったのだろう。それが、レオナードと再会したことにより、その生命は秒読みで、消失を始めているのだ。
「エリーゼ……ごめん……」
悲愴に満ちた彼の言葉が、静かに響き溶けていく。彼は初めて自分の肉体を“こんな体じゃなければ”と内心で忌々し気に吐き捨てた。
肉体なんて、魂の入れ物に過ぎない、たとえどんな姿で転生しようと、エリーゼにさえ会えればどうでもいいと彼は思っていた。だが、その肉体のせいで、彼女を満足に抱きしめることもできない。
彼は膝の上で拳を握り締め、その怒りで震わせる。
「レオ、ナード……」
「――エリーゼ! まだ、起き上がっちゃダメだ!」
起き上がろうとする彼女の背中に手を添え、彼は今にも泣きだしそうな表情を見せた。
「レオナード、コホッ……そんなに、自分を責めないで」
「でも、僕が……僕が会いに来なければ……君は――」
「レオナード。私は貴方に会えてとても嬉しいわ。貴方は違うの?」
「ぼ、僕だって……っ」
病人とは思えないほどの力強い言葉にレオナードは、魂を鷲掴みされたような気分に陥る。エリーゼはそんな彼の小さな頬を優しく撫でながら、笑みを浮かべた。
「例え、これが儚い夢よりも短い時間だとしても、私は幸せよ? だって――」
「エリーゼ……」
「やっと、大好きな貴方に会えたんだもの。何百年も待って……やっと、やっとよ?」
エリーゼは宝石のように煌めく涙を流しながら、レオナードの頬へと口づけを落とした。
傍から見れば、娘に口付けを落とす母親にしか見えないが、二人にとってその程度、問題にすらない。姿が過去と違えど、愛し合う魂がお互いを惹きあうのだから。
「ねぇ、レオナード。これからはずっと一緒に居てくれる?」
「もちろんさ。僕はもう君とは絶対に離れない。また一緒に長き夢を過ごそう。今度は大丈夫――彼女がこれを受け取ってくれれば……」
そう言って彼は、エリーゼのベッドの横の壁に飾られた一振りの剣へと視線を移した。その瞳はまるで、エリーゼを見ているかのように、愛と優しさに満ちていた。
セイレッシアの村に星空降り注ぐ。
レオナードに勧められた宿屋の部屋。寄り添うようにベッドに腰かけた二人はどこかぎこちない。
エスティアは顔を真っ赤にしながら、明後日の方向を向いてはいる。彼女は“今までは平気だったのに”と、思いつつも……その右手はシュティレの左手に添えられている。
シュティレも、同じように顔を真っ赤に染めてはいるが、体は彼女の方へともたれかかり、添えられた右手の温度を享受する。
「シュ、シュティレ……」
「なーに?」
「え、あ、いや……よ、呼んだ、だけ……です」
「ふふ、そっか」
肩にもたれかかりながら、シュティレは小さく笑みを零した。
エスティアは、それだけで自分の心臓が破裂しそうな衝撃を受ける。今までは、平気だったものも、関係が変わった今では、全く平気ではなくなってしまった自分自身に、彼女は“幸せだけど、心臓が持つかな”と一抹の不安を感じていた。
だが、そんなことなど知る筈のないシュティレは、明後日の方向を向いているエスティアの頬へと手を添え向き合うように向かせる。
青い瞳に囚われた黄金の瞳は慌てるようにせわしなく揺れ動き、エスティアは、「あ、ああ、あの……っ」と言葉にならない声を漏らした。
エスティアは年の割には、そういったことに対しては驚くほど無知だった。だが、無知と言っても心はそうはいかない、背中には冷や汗とは全く違う物が流れ落ち、体温は沸騰しそうなほど上昇する。
「エスト、可愛い」
「あ、あ、あああ、な、な、ななぁッ! シュティレ……ッ!」
エスティアの狼狽する姿を楽しむように、シュティレの瞳がスっと、細められる。その熱の篭った瞳は妖美に輝く。添えられた白い指はエスティアの顎をなぞり、それだけで彼女はゾクゾク、と感じたこともない感覚が背筋を走り抜けた。
シュティレの顔がゆっくりとエスティアへと近づく。
エスティアは意を決するように瞼を強く閉じ、次に来るであろう出来事を待ち構えるが――
「……あ、あれ?」
いつまでも来ないことに、不思議に思ったエスティアが瞼を上げれば、そこには視界いっぱいに広がる青い瞳。お互いの唇は今にも触れ合いそうなほどに近い。
シュティレは、クスリ、と小さく笑うと――心なしか、しょんぼりしているエスティアと、吐息を合わせた。黄金の瞳が驚愕に見開かれる。
シュティレは、エスティアの唇を甘噛みするように挟む。それと同時に、シュティレは彼女の薄っすら開いた唇の間に少量の唾液と織り交ぜた大量の魔力を流し込んだ。
エスティアは、流れ込んできたそれに驚く。が、舌の上を転がり、熟れた果実のように甘美な魔力を、コクリ、と喉へと流し込んだ。
その瞬間、体中を焼き尽くさん勢いで広がる魔力は、まるで麻薬のようにエスティアの体を支配し、彼女は黄金の瞳に、うっすらと熱が浮かび上がる。
どちらからともなく唇を離せば、惜しむように光り輝く糸が二人の唇を繋ぐ。
「エスト……」
「シュティレ……」
余韻に浸りながら、二人は名前を呼び合い、見つめ合う。
「エスト……好き、大好き」
そう言って、シュティレは再びゆっくりと顔を近づけ――
「ちょ、ちょ、ま、待ってっ! ストーップ!」
「……どうしたの?」
我に返ったエスティアは接近してきていた、シュティレの顔を両手で押さえる。翳された手から顔を離した彼女は不満そうに唇を尖らせる。
だが、エスティアは自分の中に揺蕩う余韻を振り払うようにブン、ブン、と首を振ると、口を開いた。
「あ、あの……シュティレ、そ、その……なんでそんなに、よ、余裕なの……」
エスティアとしては、年上としてリードするべきだと思っていた。だが現実は、年下であるシュティレに翻弄されている。微かに残っていた彼女の威厳も、いまでは雪解け水のように流れ蒸発してしまった。
シュティレは暫く呆気に取られたような表情で、見つめ……ふにゃり、と笑みを浮かべ、口を開く。
「だって――ずっと、こうしたかったんだもん。もしかして、エストは……嫌だった?」
不安そうに首を傾げるシュティレ。彼女も不安なのだ。
ずっとこうしたかった、と言えど、やり方なんてほとんどわからない。小さな時に、年の離れた姉が想い人と愛し合っている光景を覗き見て、得た知識に過ぎないのだから。
エスティアは彼女の言葉を暫く噛みしめるように、考え込んでいるのか、瞳を瞑り、動かない。シュティレの瞳が不安げに揺れる。
「……エスト……?」
「……はぁ――」
エスティアのついた溜息に、シュティレの肩がビクリ、と跳ねる。
「シュティレ」
「エス――んっ!?」
エスティアはシュティレに軽く口づけを落とす。
「私の方がリードしないと、ダメだって思ったんだけど……悔しいかな知識不足だ……だから……」
へにゃり、と照れくさそうな笑顔を見せ、シュティレの頭を撫でた。
「私にいっぱい教えてくれると……嬉しい、かな……なんて……」
「え、あ、いや……その……」
突然の不意打ちに、シュティレの顔から霧散していた熱が号令をかけられた精鋭騎士のように、一斉に集合し、赤面。次の瞬間には――彼女にしなだれるように意識を暖かい闇の中へと落としていった。




