22 戦士ノーヴェン
海賊たちも逃げ帰り、ほっと一息ついた乗客たち。シュティレは、展開していたシールドを解除すると、疲労からか、その場に尻餅をつき空を見上げている。
シュティレに抱き着いていたテピトスは、そんな彼女を心配そうに見つめていた。
そんな船尾へと向かう途中――目の前を歩く、赤き剣士の背中に魔剣を付きつけたエスティアは、黄金の瞳を座らせながら、口を開いた。
「お前、“光の勇者一行”の一人か?」
暗く冷たい、声に彼は彼女の中に潜む“強い怨讐”を感じ取っていた。だが、そんなことをおくびにも出さずにゆっくりと振り向いた。
エスティアの表情は変わらない。先ほどまでは海賊が居たから、彼女は感情を抑え込むことはできた。だが今は違う。
邪魔をするものがいない今の状況で、彼女が自分の感情を抑えることなど、できるはずがないのだ。
「……如何にも、俺は光の勇者一行の一人――ノーヴェン・クレフトだ。君とは初対面のはずだが……名前を聞いても?」
「……エスト。エスト・リバーモル。ノーヴェン、お前に聞きたいことがある」
そう言って、エスティアは魔剣を付きつけたまま、開いた手で懐から一枚の紙を取り出し、ノーヴェンへと見えるように突き出した。
ノーヴェンは、それをよく見るように体を屈める。エスティアは問いかける。
「これは、お前のか?」
「……いや、違う。俺のはこれだ」
そう言ってノーヴェンは、左手の甲を彼女に見えるようにする。そこには――炎を握り締める拳を囲むように、描かれた幾何学模様の紋章が刻まれていた。
それを見たエスティアは、明らかに落胆の色を浮かべると、力なく魔剣を下ろす。彼女からはもう戦意は感じない。
そんな反応に彼は内心でホッと安堵のため息を漏らす。
「……じゃあ、これが誰のかってわかる? 知っているのなら教えて欲しいんだけど」
「その持ち主は知っている。だが、教えることはできない」
「……仲間、だから?」
エスティアを包む黒い魔力。光が戻りかけていた黄金の瞳が、再び暗く淀む。
「そうだ。たとえ、今は散らばろうと、仲間だからな。すまないが他を当たってくれ」
有無を言わさない彼の言葉。
だが、エスティアはここで引き下がれない。彼女は表情を硬くしたまま、再び魔剣を彼へと向ける――彼女の思いに応えるように、黒い魔力が霧となってノーヴェンの周りを包み込む。
「言え、でないと殺す。私は持ち主に用がある」
「断る。だが、殺される気はない……今、こんな場所で死ぬわけにはいかないから」
ノーヴェンはそう言って、黒き刃を真っ赤な籠手で掴む。エスティアの黄金の瞳が大きく揺れる。そして、彼女は太息を吐き出すと、彼を睨みつけた。
「私も、ここで引くわけにはいかない。家族の為にも」
力の篭った彼女の言葉に、彼の不動だった赤き瞳が揺れ動く。
「……いや、断る――だが、聖都の一番大きな勇者会ならば……」
彼はそう呟くと、ばつが悪そうに黒き刃を掴んでいた腕を下ろした。
深い憎悪の中に潜む“大きな愛”が、黄金の瞳を通して、彼の赤い瞳に送り込まれた。それ故に、彼は小さくとも呟いていた。彼とて、家族を思う者として、彼女の気持ちを何となくとはいえ、感じ取ってしまったのだから。
「……わかった。もういいよ……」
「そう言ってくれるとありがたい――そう言えば……エスト、と言ったな」
魔剣を鞘へと戻した彼女に体を向けた彼は――籠手を外した、右手を差し出す。
エスティアは、怪訝な表情を浮かべ、彼を見つめる。その瞳には若干の困惑の色が浮き沈みしている。
「海賊が乗り込んだ際は、協力、感謝する。君にお礼をしたいのだが」
「……別に、勇者として当然のことをしただけだから。お礼は要らな――いや、一つだけ、お願いがある」
先ほどまでの話は終わりだと言わんばかりに、表情を緩める彼に、エスティアは諦めたように、険しかった表情を崩すと、彼の手を握った。
そして、何かを企むような微笑を浮かべ――
「私に、剣を教えて欲しい」
彼の瞳が驚きに見開かれたのは、その数秒後、だった。
困惑の色を浮かべるシュティレと、楽しそうな表情で飲み物を両手で持ったテピトス、それに加え、数人の乗客に見守られながら、二人の剣士は対峙していた。
一方は、赤き鎧に身を包み、同じく赤く、だがマグマのように、燃え上がる熱量を秘めた両手剣を構える巨人。
もう一方は、身に着けた防具は黒き鈍色に艶めく籠手のみで、だがその両手に握られる漆黒の片手剣が全てを喰らい尽くさんと、魔力を纏う。黄金の瞳の少女。
「握り方は覚えたな。次は、その魔力を抑え込めろ」
「……わかった」
魔剣を握り締めたエスティアは静かに瞳を閉じ、“大人しくしろ”と魔剣に語りかける。
「語り掛けてはダメだ――従わせろっ! どちらが、“主”かを教え込むんだ!」
エスティアは今まで、魔剣と“共闘関係”に似たものを組んでいた。だがそれは、共闘ではない。彼女は知らず内に魔剣に服従していたのだ。
だから、魔剣は常に全力の魔力を放出し、彼女に操られることを拒んでいる。海賊との戦闘時に、ノーヴェンはすぐに感じ取っていた――彼女は剣に走らされている、と。
魔力を抑え込もうとしているエスティアの表情が、苦しそうに歪む。だが、彼はその場から動かず彼女に語り掛ける。
「エスト! 従わせろっ! その憎しみも、悲しみも、全て自分の物としろっ! それが魔剣の主となる“条件”だッ!」
「――ッオオオオォォォオオオ!」
魔剣を高く掲げたエスティアが、獣のような咆哮を高らかに叫ぶ。
そして、彼女は魔剣に命令する“お前の力を全て委ねろ”と。そして、魔剣は――応えた。
魔剣から放出されていた魔力が、彼女の周りを取り囲むように渦巻く。その動きは以前までとは違い、まるで、魔力が彼女に服従するようにうねる。
エスティアが静かに瞳を開く。
「さぁ、やろうか」
挑発的な笑みを浮かべ、魔剣を構えた。黄金の瞳が水面を反射する光を吸収し、その輝きをより一層強めた。
魔剣は彼女を、本当の意味で、担い手として認めた。ノーヴェンはゾクリ、と自分の魂が冷たい何かに撫ぜられたような感覚に打ち震える。
そして、彼は思う。若者が成長する場面はいつ見ても、魂を熱くさせてくれる。両手剣を構えた彼は一気に駆け出した。
「行くぞォォッ!」
叩きつけられるように振り下ろされた、炎の刃を彼女は紙一重で躱し、踏み込んだ右足を軸に体を回転。彼のわき腹を斬り裂くように、魔剣を横薙ぎに払う。
だが、彼は襲い掛かる刃を肘当てともも当てで挟むように防ぐ。全てを斬り裂く魔剣といえど、彼の鎧もまた、貴重な素材を一流の鍛冶屋が魂を込めて作り上げた一級品。傷一つ付けることすら叶わず、制圧される。
「もう、終わりか?」
「はっ。まだまだァァァァッ!」
魔剣の柄を踏み台に、彼女は高く飛びあがる。ノーヴェンは呆れたような表情で、両手剣を構える。武器を手放すというのは、自殺行為に等しい。ましてや、跳びあがるなど、と。斬ってくれと誰が見ても思うだろう。
だが彼女は、笑み浮かべたまま、剣を振り上げるように腕を上げ――
「来いッ!」
「なにっ!?」
彼女の声に反応し、魔剣が霧となって彼女の両手に収まる、と魔剣の形となる。彼は驚愕の表情を浮かべる。どんなに魔力を流した剣と言えど、その形を変化させることは人間には不可能だ。
光の勇者とも呼ばれるアリスのように――魔法剣士と呼ばれる者ならば、造作はないだろう。だが目の前の彼女は、魔剣の担い手になれど、魔力の使い方すら満足に習得できていない。
「……フッ、面白い奴だ」
「――ぶっ壊れろォォォオッ!」
燃え滾る巨大な両手剣と全てを飲み込む漆黒の刃が交差した。
――月明かりが甲板を照らし、静かに煌めく漆黒の大海。
ザァ、ザァ、と揺られる月を眺めているエスティア。彼女は少し冷たい潮風に頬を撫ぜられながら、“あの日の夜”を思い出し、感傷と言う名の暗闇に身を沈めていると。背後から足音が聞こえてくる。
シュティレだろう、と思い、彼女が振り向くと――そこには、鎧を脱ぎ、普段着のような装いのノーヴェンが立っていた。
「寝ないのか?」
彼の言葉に彼女は答えることなく、海に映る月を眺めている。彼は軽く肩を竦めると、彼女の隣の柵に軽く寄り掛かり、同じように海を眺めた。
「……ノーヴェンこそ、寝ないの?」
海に視線を向けたまま、彼女が口を開く。
「眠れなくてな……」
「王国勇者でも、そんなことあるんだね」
「俺たちも、ただの他の奴らと変わらん。眠れぬ日もあれば、ベッドの魔力に囚われ、寝過ごす日だってある」
「この世で一番恐ろしいものは、もしかしたらベッドかもね。魔王もきっと抗えないよ」
エスティアがそう言うと、彼は驚いたように目を見開き、小さく笑い声を零した。
「確かにそうだろうな。では、次戦うときはベッドでも投げつけてみようか」
「ふふ、それで倒せたら伝説になれるよ」
「クク、だがそんな方法で倒した日には息子……エイデンに嫌われてしまうかもしれんな」
彼の一言に、彼女は瞳を見開いた。そして、隣の彼へと顔を向けた。
「子どもいるんだ……」
「あぁ、もうすぐ十歳になる」
「ふーん」
目元を細める彼の表情は、王国勇者ではなく、一人の父親だった。その表情に、エスティアは心の奥底深くで安堵の息を吐いた。
危うく、勘違いでエイデンから彼という、父親を奪ってしまうところだった。そう思っていても、彼女はおくびにも出さず、再び海に映る月へと視線を戻す。
「エイデンのこと、愛してるんだね」
「あぁ、だから俺は――常に理想の勇者とならなければいけない。強く、仲間思いの気高き勇者……」
「……そっか」
エスティアは頬杖をつきながら、フェルターたちのことを考える。そして、小さく「もう少しだけ……待っててね」と呟いた。
彼は聞こえていたのか、聞こえていないのか、そっと、預けていた体を柵から離すと、彼は船の方へと歩いてゆく。エスティアは肩越しに振り向き、声をかける。
「もう行っちゃうんだ」
「お前と話すのも、なかなか楽しかったが……俺は寝るとしよう」
「そう……おやすみ。せいぜい寝首を刈られないようにね」
「善処しよう」
彼が甲板を後にしても、エスティアはただジッと、水面に映り、揺れ動く月を眺める。冷たい風が吹き抜け、彼女の横を通り抜けていく。
フワリ、と彼女の目の前にどこからやって来たのか――ホワイトブロンドの鷲が一羽。彼女の前の柵に、ゆっくりと降り立つ。月夜に照らされ、黄金にも見えるその鳥は、“黄金の瞳”で、ジッとエスティアを見つめる。
エスティアは、その瞳に囚われてしまったように、指を動かすことはおろか、視線を動かすことすらできない。だが彼女は、その鳥にどこか懐かしさを感じていた。
エスティアはそっと、その鳥へと指を伸ばした。
「君は……」
鳥は、伸ばされた指に近づこうとして、躊躇するような仕草を見せた。その表情は、心なしか寂しそうに見えたエスティアは小さく息を呑む。
その瞬間――鳥は翼をはためかせ、空へと飛びあがった。エスティアは「あ……」と声を漏らし、手を伸ばすが、鳥は翼をはためかせ、彼女の上をクル、クル、と旋回。
そのまま星空降り注ぐ、漆黒の中へと消えていった。
鳥が消え去った星空を眺める、彼女は伸ばしていた手を祈るように、胸元へと持っていく。まるで彼女のことを知っているかのような、仕草を見せていた鳥。
まるで星空から星が落ちてきたかのような、優雅さと儚さを持った――エスティアは、不意に彼女のことを思い出し、瞳を伏せた。
「ユーティナ……貴女なの……?」
泣きそうな声で呟いた彼女の声は、波に連れていかれ、沈んでいった。
窓から、エスティアを見つめていたシュティレは、そっと息を吐き出した。
「エスト……」
シュティレは思う。何故だかはわからないが、“彼女との距離が離れている気がする”と。確証はない、エスティアはいつだってシュティレのことを考えていることは、痛いほど理解している。
だが、シュティレの心に潜むもう一人が“もっと、もっと、私のことだけを見て”と、喚き、暴れ、理性と言う名の殻を破ろうとしていた。
シュティレは、そんなことを考えている自分自身に、怒りを感じる。今――エスティアに必要なのは浮ついた感情ではない。地を這いつくばり、復讐を果たすという強き思いだ。
シュティレは、ため息を吐き出す。
「私、何考えてるんだろう……バカみたい……」
気を取り直した彼女は、気持ちよさそうに寝息を立てる、テピトスの頭を優しく撫で「いい夢を」と囁くと、ベッドへと潜り込む。そして、彼女は夢へと手招きしてくる精霊に手を引かれ、意識を落とした。
「……」
水色の少女が、シュティレを見つめる。
その瞳は――ひどく悲し気だった。




