19 日常に混ざる天使
あれから三日後。農場を出た二人は目的の港町へとやって来ていた。
シュティレの魔法で創った馬のおかげでもっとかかる筈だったが、それよりもずっと早く到着した二人はこの町で名所となっている場所へと向かっていた。
「シュティレって、占いとか興味あったんだね」
エスティアはそう言って、隣で彼女が食べているココア味のチュロスを一口齧る。すると、シュティレは彼女が齧ったチュロスを暫く見つめながら彼女の方へと顔を向けた。
「うーん。占いはあんまり信じてないよ? だって、運命とかは自分で切り開くものだし」
「シュティレって、たまーに男らしいよね……じゃあ、なんで占い師とこ行きたいの? 知り合い?」
「もうっ、そう思っても可愛い以外はあんまり言ってほしくないんだけど……ルトとラーラのお母さん――ジスさんがね、そこの占い師は“神族”っていう噂があるって教えてくれたの。それが気になるから行きたいだけ」
そう言ってシュティレはチュロスを、パク、パク、と食べた。
「神族……ね……」
エスティアはそう呟き、人混みを眺めながら自分の瞳に手を当てる。
神族――その名の通り神の一族。黄金色の髪と瞳を持ち、膨大な魔力とそれを扱うだけの高い知識に加え、獣人族には劣るが人族よりも高い身体能力を有している。そしてその黄金の瞳は、毒を視ることができるとも言われている。
無論、エスティアは黄金の瞳を持っているが、黄金の髪ではなく黒髪だ。身体能力は普通より高いが、神族並みの魔力があるかと聞かれれば、彼女は首を横に振るだろう。
「本当にいるのかな……」
「きっといるよ」
「え……?」
隣を見れば、シュティレは彼女の黄金の瞳をジッと見つめながら笑顔を浮かべる。
「だって、エストの瞳がこんなに綺麗なんだもん。きっといるよ」
「……なんじゃそりゃ。でも……そうだね、シュティレが信じてるなら――信じてみようかな」
エスティアはそう言って、彼女のチュロスをもう一口齧った。
占い師が居るといわれる家にはすぐに辿り着いた。小さな民家の前には看板のような物が掲げられ、その前には数人ほどの列ができている。
「あそこみたいだね。並ぼっか」
「うんっ!」
シュティレと共に並んだエスティアは、並んでいる人たちに視線を移す。親子だろう、少年を肩車した男性は楽しそうに女性と会話をしている。
そして圧倒的に多い、カップルと思われる組み合わせの人たちは何とも言えない空気を醸し出している。
エスティアがその空気に、胸やけを起こしていると、目の前の男女のカップルの会話が聞こえてくる。
「なぁ、俺は帰っても良くないか?」
髪色の明るい青年は気だるそうに首筋を掻きながら、隣の眼鏡をかけた女性へと顔を向けた。光加減によっては赤色にも見えなくはない暗い茶髪の、大人しそうな女性は、フワリ、と笑みを浮かべた。
「いいじゃない。たまには……貴方と、沢山のことを体験したいのよ」
恥ずかしそうに顔を赤く染めながら、そう呟く女性がチラリ、と青年を見上げる。すると彼は、恥ずかしそうにそっぽを向きながら口を開いた。
「そ、そんな言われ方されたら……断れないの知ってるだろう……?」
「ふふふ、だってそういう言い方をしたんだもの」
「君には敵わないよ……」
そんな、メープルシロップのように甘く微笑ましい光景を見ていると、カップルたちが呼ばれ、家の中へと消えていく。二人は少し移動しドアの横に立ち、シュティレはエスティアの腕に抱き着いた。
エスティアが首を傾げる、と彼女は不服そうに口を尖らせる。
「シュティレ?」
「……エストのバカ」
「え、いきなりどうしたの!?」
「べつにー」
シュティレの行動に、彼女は困ったように眉尻を下げると、民家の扉が開かれる。すると――逃げるように青年が飛び出しきた。真っ青な表情で、彼が吐き捨てるように叫ぶ。
「だ、だから俺は嫌だったんだっ!」
それを追うように女性が民家から姿を現す。眼鏡を外し、寒気がするほどの怒りを体現したかのような魔力を女性はまき散らしながら、一歩、一歩、とゆっくりと彼に歩み寄る。
その女性は表情はエスティアですら、背筋が凍りひきつるほどに、恐ろしい微笑を浮かべていた。
「やっぱり、浮気してたのね……」
「ち、違うんだっ! ご、誤解だっ! あ、あいつは……」
一つ一つの言葉が刃のように、彼に刺さり、彼は今にも泣きそうな表情で媚びるような笑みを浮かべると、彼女の肩に手を置いた。
その瞬間、女性の眉がピクリと動く。辺りに濃密な魔力が立ち込め、エスティアはシュティレを庇うように背中へと隠す。
「――汚い手で触らないで」
氷のように冷たく激情を秘めた言葉が、響いたその瞬間――青年は地面へと叩きつけられていた。
華奢な見た目からは想像できないほどの、鮮やかで力強い“片手投げ”に彼女は、女性に拍手を送りそうになった。まぁ、流石に彼女でもそこまで空気の読めないことはしないが。
だがエスティアは、女性の姿を見て納得した。そして青年が苦し気に呻く。
「な、お、お前……天竜ぞ――」
「違うから、私は“地龍族”よ。覚えておきなさい」
「あ、あぁ……ま、待ってくれ……っ!」
女性は額から突き出た一本角を溜息と共に仕舞う、とチラリ、とエスティアに視線を向け、申し訳なさそうに頭を下げると、そのまま去って行った。
青年は情けない声を上げながら、女性を追ってその場を後にしていった。眺めていた人たちもゾロゾロとその場を後にし、いつもの日常が戻って来る。
若干の出来事はあったが、無事民家の中へと招かれた二人は、机と椅子しかない質素な部屋へと通され腰を下ろした。
そんな彼女たちの前には、一人のローブを目深に纏った、老婆が水晶に皺くちゃの手を置きながら、口を開いた。その様子にエスティアは言いようのない“違和感”を感じ取る。
だが考えても、その正体が全く分からず、眉を顰めるだけに終わった。
「では、本日はどのようなものを――視ましょうか」
老婆とは思えないほどに凛とした澄んだ声に、エスティアは瞳を見開いた。
彼女は“似ている”。エスティアに沢山のことを教え、ある日どこかへ消え去ったあの人に……と。彼女の瞳が小さく揺れる。
だがすぐに、振り払うように机の下で拳を握った。
「貴女は……」
女性がエスティアを見つめる。その口元は困惑を浮かべていたが、すぐに微笑みを浮かべ、水晶に手を翳した。水晶が淡く光る。
「エストさん、シュティレさん――今から貴女たちのほんの少し先の未来を視ましょうか」
「え、なんで名前を知って……」
シュティレが驚愕に瞳を見開き、そっとエスティアの服の裾を掴み、訝し気な表情を浮かべた。女性と会うのはこれが初めての二人。名前は教えていないはずなのに彼女はまるで前から知っていたかのように名前を呼び、微笑んだ。
だがそんなシュティレの言葉に答えることなく、女性は魔力を込め水晶を覗き込むような仕草を見せる。
「……ふむ、視えましたよ。貴女たちはこれから聖都に行くのですね」
シュティレの表情が凍る。その様子に女性は満足そうに頷き言葉を続けた。
「では、聖都行きの船に乗る前に、この先にある“ラグーン”という食堂で昼食を取ると良いでしょう。そうすれば、運命は動き、様々な出会いが貴女たちを待っていることでしょう」
そう言った女性は目深に被っていた布を取り去った。老婆とは思えないほどに美しい絹のような金髪がライトの光を反射し、煌めく。
そして、黄金色の瞳はエスティアの瞳よりも“神々しく”輝く。二人は限界まで瞳を見開き、その美しき姿に暫し見とれてしまう。
だが、二人は気付かない――お互いが別の景色を見ていることに。
一方は美しい金髪に、黄金の瞳を輝かせた老婆。もう一方は美しい金髪に、黄金の瞳を輝かせた美しい女性をその瞳に映していた。
「……やはり、貴女は視えるのですね」
そう言って彼女は微笑む。その姿にエスティアは、囚われたように動けなくなってしまう。シュティレはそんな二人を交互に見つめる。
「貴女のその瞳で、沢山のものを視るでしょう。そしてそれは“幸福と災い”を呼ぶことでしょう……ですが、それは貴女にとって必要な試練――その子と一緒に居たければ、全て乗り越えなさい」
その力強い言葉に、エスティアの心臓はまるで鷲掴みされたかの様に苦しさを感じる。だがすぐに、彼女はグッと拳を握り、力強く頷いた。
民家を後にした二人は、女性に言われた通りに“ラグーン”という食堂の前までやってきていた。
船着き場近くということもあり、様々な人たちが行きかい、食道に入っていく人たちもチラホラと居る。中には屈強な勇者のような見た目の人もいれば、如何にも船乗りという見た目の男たちも多い。
「とりあえず、お腹すいたし……入る?」
「うんっ!」
楽しそうに海を眺めるシュティレに声をかけると、彼女は嬉しそうに防波堤からピョン、と飛び降りエスティアに抱き着いた。
「おっと……転んだらどーするの……」
「エストなら絶対受け止めてくれるから心配したことないや」
呆れ顔でエスティアが抱き留めると、シュティレは満面の笑みを浮かべ顔を近づけた。フワリ、と鼻腔を掠めた香りにエスティアの頬がほんのりと赤く染まる。
「……はいはい。シュティレが何やっても受け止めますよー、だから行こう」
シュティレの向きを食堂へと向けさせ、その背中を両手で押しながら向かう。押された彼女はモジモジと顔を赤く染めながら「そ、それって……」と呟くが、空腹に意識を持っていかれたエスティアの耳に届くことは無かった。
店内へと入ると、中は意外と広い。二人は壁際の席に通され、渡されたメニュー表片手に唸っていた。
「ぐぬぬ……いろいろあるね。迷っちゃうよ」
「ほんとね……あ、私これ食べてみたい!」
「ん? どれどれ……」
シュティレが指さすメニューを見ると、そこには“イエローシャークのフライセット”の文字。
イエローシャークと言えば、パープルランクの魔物で、温厚な性格で人を襲うことは滅多になく煮つけやフライにすると大変美味だと言われる魔物だ。
だが、パープルランクというだけあって市場に出回ることは少なく、シュティレも聞いたことはあっても食べたことは無かった。エスティアも食べたことがないらしく「お、それいいね!」と頷き、再びメニューに視線を戻した。
「うーん……お、じゃあ私はこれにしようかな」
そうと決まれば早い。エスティアは近くに居た店員を呼ぶと、メニュー表を見せながら注文をする。
若干表情を硬くしながら店員が厨房の奥へと戻ると、シュティレは不思議そうに首を傾げ、口を開いた。
「エストはなに頼んだの?」
「ん? 私はね“タイガーフィッシュそのまんまセット”だよ」
「え、なにそれ……」
「私もわかんない……でも、聞いたこともないから……つい……」
彼女の言葉にシュティレは呆れるように額に手を当てた。彼女が迷った時は、とりあえず適当に決めてしまう。だがそう言う場合は大抵――失敗する。
以前も、エスティアが買い物に出た時によくわからない食材を買ってきたせいで、シュティレは調理法もわからず大変な思いをした記憶があった。あの時は結局……鍋にしてみんなで食べたな、とシュティレは頬杖をつき、微笑を浮かべた。
暫く待っていると二人の前に注文した料理が運ばれる。その美味しそうな香りに二人は歓喜の声を上げたが……エスティアの表情が笑顔のまま凍る。
イエローシャークのフライは、大きな切り身がキツネ色の衣に包まれ香ばしい香りを振りまき、付け合わせの野菜も新鮮でみずみずしく思わずシュティレの口から涎が垂れそうになるのを寸でのところで抑える。
「わぁ、美味しそ……って……うわぁ、エスト……」
対してエスティアの目の前にある皿には――ピチピチと跳ねる黄色に黒い模様の入った大きな魚。その皿の横には串と調理用の小型の炉が置かれている。
つまりは自分で生きているコレを調理しろということだろう。さすが、“そのまんま”というだけはある。
シュティレの表情が引きつるのも無理は無い。他の客もエスティアの目の前で跳ねる魚を見て、苦笑を浮かべている始末だ。
「エスト、貸して? 私が焼いてあげるから」
「え、いや、私が……」
「エストがやったら魚が逃げちゃうよ。火を起こして待ってて」
「あ。ちょ……」
ため息をつき、ひったくるようにエスティアから調理用の串を奪い取ったシュティレは、慣れた手つきで魚が暴れないように押さえると――魚に串を突き刺した。周りで見ていた客があまりにも躊躇ない行動に息を呑む。
ビクビク、と魚は暫く痙攣していたが、彼女は気にすることなくエスティアが火を起こした炉の中の中央に突き刺した。
すると、魔法炉は一瞬だけ、炎の出力を上げたかと思うと――次の瞬間にはこんがりと、香ばしい匂いを振りまき“タイガーフィッシュの丸焼き”が完成していた。
エスティアが「おぉ!」と感服の声を漏らすと、周りの客たちは釣られるように彼女と同じものを頼んでいた。




