02 君の幸せはおしまい
次の日。小さな鞄を馬に積み、跨ったエスティアは見送りに来た子どもたちへと笑いかけた。
早朝にもかかわらず、律義に全員が見送りに来ていることに嬉しく思いながらも、エスティアは眠そうに瞳を擦る、猫耳少女――グレースに声をかける。
「グレース、眠いなら無理して来なくてもよかったんだよ?」
「う、ん……でも、エストに会いたかったから」
そう言ってはにかんだ彼女に便乗するように、隣に立っていた長い赤髪の少女――レイもエスティアに頭を撫でてと言わんばかりに近寄る。
エスティアが撫でてやれば、レイは心底嬉しそうに表情を緩め、グレースは羨ましそうに彼女を見つめる。この子たちは比較的最近入った子たちだ。一応、フェルターとオリバーを売り込みに行くつもりだが、彼女たちの書類も鞄に入っている。
「じゃあ、シュティレ、二人をよろしく。フェルターとオリバーはちゃんと皆を守るんだよ?」
まぁ、ここは王都から少し離れたところにある。人はあまり住んでおらず、付近に生息しているモンスターも比較的温厚なものが多い。危険があるとは思えないが万が一がある。ライバル……というわけでもないが、彼女を嫌う奴隷商人が何かをしてくるという場合もある。
前にやられた嫌がらせを思い出したエスティアは、最近、奴隷商人たちがバタバタと忙しそうなのを思い出した。
「多分大丈夫だとは思うけど、見回りは怠らず、戸締りもちゃんとするんだよ」
「おうっ! 俺とフェルターが居ればそこら辺の奴らなんかへっちゃらだからよ! だから、安心して行って来いよ」
「そうだな。屋敷は俺たちに任せてくれ。でも……早く帰ってきてくれたら嬉しいな」
照れくさそうに呟く、フェルターの言葉に子どもたち全員が頷く。その光景にエスティアの胸は張り裂けそうなほどの幸福感に包まれ、不意に“行きたくないな”と考えてしまう。
何を考えているんだ、彼らの為にも頑張らなきゃいけないのに。エスティアは自分を奮い立たせるように、みんなからは見えない左手で強く拳を作る。
「エスト……」
不安げな表情で彼女の名前を呼ぶシュティレは、そっと彼女の右手を両手で握る。そして、彼女が名前を呼ぶ前にシュティレは言葉を続けた。
「絶対に帰ってきてね?」
「うん、わかってる。絶対に帰って来るし、早く帰れるように頑張るよ」
「絶対だからね?」
「うん。絶対」
なんだか今日は随分と大げさな反応に、エスティアは心の中で苦笑を浮かべた。今のうちに出れば、夕方くらいには帰ってこられるはずだ。それは、彼女もわかっている筈なのだが……
まぁ、最近は平和だと言っても、奴隷にとって守る人間が居ないというのは、それだけで心細いというものだ。それに、エスティア自身も、彼女たちと離れるのは案外心細かったりする。
そんなことを言えば、もうあまり残っているとは思えない、年上の威厳が皆無になってしまうので絶対に言わないが。少しぐらい年上ぶりたいお年頃というやつだ。
「じゃあ、行ってくるね」
エスティアがそう言えば、子どもたちは元気よく“行ってらっしゃい”と送り出してくれることに思わず笑みがこぼれる。
馬の手綱を操り、駆け出した馬はあっという間に王都へと続く草原へと、そよ風が吹くように消えていった。
「……さて、みんなでトランプでもしようか!」
フェルターの一言で、シュティレ以外の三人が嬉しそうに屋敷の中へと消えてゆき、フェルターも三人に続くように屋敷へと入る。
一人残ったシュティレは、エスティアが向かった方向の草原を不安そうな表情で見つめる。
「なんだか、嫌な感じ……」
その小さな呟きは風の乗って消えてゆく。
エスティアが王都へと到着したのは昼前頃だった。
やはり、王都というだけあって人の量が尋常ではない。まるで、祭りでもあるのかと勘違いしてしまうほどの人混みに、エスティアは歩きながらため息をつく。
ここから、貴族――メイコスの家は近い。だが、エスティアは早くも帰りたい気分だった。
どうやら、この人混みの原因は、かの有名な英雄たちが来ているらしい。普段でも、十分にぎわっているのに勘弁してほしいものだ。
魔王を討伐するために王から選ばれし勇者。まぁ、エスティアには全く関係のない関わり合いになることもない人種たちだろう。日陰で暮らす私たちとは真逆の存在。
奴隷商人とは、言ってしまえば無法者だ。下手したら斬られてしまう可能性だってある。エスティアは途中の小道へと入ってゆく。
「触らぬ神に祟りなしってね。王国勇者様なんかに見つかって殺された商人もいるし、早く終わらせて帰ろう」
だが、人混みをかき分けて進むのも面倒くさいな。どうしようか、と考え、彼女は空を見上げた。
そこには、真っ青な空と、民家の屋根がある。彼女は閃いたように笑みを浮かべ、カバンを両手で守るように抱え――
「よいしょっ」
たった一蹴りで屋根の上へと登る。
爽やかな風が彼女の体に吹き付け、彼女は気持ちよさそうに伸びをし、地上を眺める。まぁ、そこからの王都は絶景とは言えないが。
まるで、軍隊アリのように歩き、広場へと向かってゆく人たちを見ながら、彼女はやっぱり屋根伝いに言った方が楽そうだなと納得する。
普通の人間であれば、こんなことができる者は少ない。だが、彼女は少しだけ普通より運動神経がいい。その能力を生かし、こうやって危なっかしい行動をとることがる。普段は、それを止める子どもたちがいるのだが。
「今日ぐらい、いいよね」
どうせ、群衆は英雄を一目見るために空なんて、見る暇はないだろう。なら、心おきなく、走ってやろうじゃないか。
タンッ、と。それでも、変に音を立てて注目を集めても面倒だ。エスティアは猫の様にしなやかな動きで、時折吹き付ける突風のように、二戸飛ばしでメイコスの家へと急いだ。
「……?」
子たちに囲まれていた一人の少女が空へと視線を向ける。だが、そこには何もなく普通の民家が立ち並び、真っ青な空が広がり、時折強めに風が吹いているだけ。
なんの変哲もない風景。
「どうしたんだ?」
彼女の隣に立っていた大柄な男性が声をかける。
「いえ、なんでもありません。では、そろそろ行きましょうか」
彼女の言葉に彼は静かに頷いた。
メイコスの家へとたどり着いたエスティアは、流れた汗をタオルで拭い、少し乱れてしまった服装を手際よく直し、門の前へと立つ。
歩きだったら、もう少しかかっていた。話が長引かなければ早く帰れるだろう。本当はもう一軒行きたかったが、わざわざ勇者が居る時に長居するのはよくない。彼女はグッと顔を引き締め、長く息を吐いた。
そして、僅かに震える指で、チャイムを押した。ドキドキと高鳴る心臓を押さえながら、彼女は待つ。
「ようこそ、エスト様。お待ちしておりました」
門が開き、ドアの前に立つ一人のメイドは深々とお辞儀をする。彼女はメイコスさんと知り合った当時からいるメイド長だ。わざわざ忙しい彼女に出迎えられ、エスティアは申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「忙しいのに、すいません」
「いえ、メイコス様の大事なご友人様ですから。それに、エスト様にお会いしたくもありましたから」
「それは、うれしいですね。こんな小娘を元騎士団長様の友人だなんて」
和やかな笑みを浮かべる彼女は本当にいい人だ。最初こそ、奴隷商人だったということもあって毛嫌いされている節があったが。今では、彼女が個人的にお茶に誘ってくれるなど関係は良好だ。
「あ、今度、新しくできたカフェに行きませんか? なんでも、有名なパティシエのケーキが食べられるらしいんですよね」
「あそこのお店ですね? 私も気になっていたんです」
「やった。では、予定はそちらに合わせますよ」
「はい」
そんな久々の会話を楽しんでいると、いつの間にかメイコスの部屋の前へとたどり着く。手を振って去ってゆく彼女ともう少し話していたかったなと思ったところで、彼女は首を横に大きく振った。
そして、小さく深呼吸をし、ドアをノックする。初老の落ち着いた男性の声で返事が聞こえた彼女はゆっくりと扉を開いた。
「やぁ、エスト。久しぶりだね」
「お久しぶりです。メイコスさん」
シックな雰囲気の部屋。大きなテーブルといかにも高そうなソファ。そして、奥のソファに腰を掛ける一人の男性――メイコスは穏やかな笑みを浮かべている。
紺色のスーツに綺麗に整えられた白髪の髪は、主というよりも執事という言葉が似あっているとは口が裂けても言えない。怒らせたら、その隣に鎮座する剣で斬られてしまうかも。まぁ、それはないが。
向かいのソファへと腰かけた彼女は、そのあまりにもフカフカな座り心地に声が出てしまい。恥ずかしさから頬を染める。
「……また、ソファ変えましたね? それも、前より柔らかいなんて」
「いやいや、君が驚くさまはいつ見ても楽しいからね。つい悪戯してしまいたくなるんだ」
「もうっ、そういうのは、彼女にしてあげればいいではないですか。主が構ってくれるなら喜びますよ」
「あの子は、怒らせると怖いんだ。前には、危うく水をかけられそうになったよ」
「やったんですね……」
彼の悪戯好きは筋金入りだ。前に来たときには、しょっぱいケーキを出されてむせたり、紅茶じゃなくてお湯を出されたり。嫌われているのかと数日へこんだものだ。
まぁ、彼が気に入った相手にしかそういうことはしないと知って、ある意味ホッとしたのは彼に秘密だ。
「それで、今回はどんな子を売り込みに来たんだい?」
「あぁ、はい。この子たちなんですが――」
彼女は鞄から四人の情報が載った用紙をテーブルへと広げた。
「ふむ、この二人の少女はあまり、興味がわかないが。このフェルターという子。この子はどういう子だい?」
一枚一枚、丁寧に眺めていた彼が、フェルターの用紙を彼女の前へと置く。やっぱり食いついた。元騎士の彼ならフェルターに興味を抱くのはわかっていた。エスティアは嬉しさに笑みを零しながら口を開いた。
「はい。この子は、誠実で勇敢で、まさに騎士の子とも言えます。堕ちる前は本当に騎士家系だったそうで。それも、没落してはいますが、実力は本物です。屋敷の護衛を任せられるぐらいには、私は彼の実力を信じています」
「ほう……貴女が認めているのなら、実力は相当なものなのでしょうね」
「あまり、私を褒めないでください。照れてしまいますよ」
軽口を飛ばしながらも、彼は考え込むように顎に手を添える。ここで、買ってもらえなければ、本当に彼を家の護衛にすることを考えなければいけない、それは避けるべきだ。エスティアは意を決するように笑みを浮かべ。
「この子は、十八ということもありますから――金貨五枚でどうでしょうか」
「なんと、そんな破格の値段でよいのですか?」
彼女の言葉に、彼は大きく目を見開く。
それもそうだ、普段の彼女からしたら絶対に提示しないであろう格安の値段。だが、それは彼女の奴隷であればの話だ。
通常の奴隷商人であれば、フェルターみたいな子は銅貨五枚、良くて銀貨一枚と下手したら、殺処分レベルだ。
だが、彼女の場合は能力や容姿に優れている者が多いためにまかり通っている。それでも彼女からしたら、過去最低金額を提示している。
本心では、あんな優秀な彼を安くするなんてしたくはないことだが、ここまで売れなかったのは想定外だ、仕方ないと心を鬼にする。そんな、彼女の気迫が通じたのか、彼は微笑を浮かべた。
「では、金貨二十枚で彼を買いましょう」
「――え?」
彼が提示した値段は、彼女が最初に設定していた値段だ。呆気に取られたような表情を見せる彼女を彼は楽しそうに見つめており。まるで、悪戯を成功させた子どものようだ。
「おやおや、そんな驚いた顔をしてどうしたのですか?」
「……最初から、正規の値段で買うつもりだったんですね」
「えぇ、こんなにも将来有望な騎士を安く買ったなど、私の汚点となりかねないですからなぁ」
「嫌なお人だ――私の友人は」
諦めたような笑いを零す彼女に対し、彼はニコニコと子どものような笑みを浮かべ、紅茶を一口を飲んだ。
「そういえば、前回見せていただいた。金髪の少女の紙がありませんが――売れてしまったのですか?」
「え? あぁ、シュティレのことですね。あの子には貰い手が見つかりそうですから。申し訳ないですが、今買われると困るんですよ」
「そうでしたか、残念ですなぁ。あんなに美しい子は見たことありませんから、メイドにでもしようかと思っていたのですが」
「それは、申し訳ありません」
深々と頭を下げた彼女の表情はぎこちない笑みを浮かべている。せめて、私の気持ちに整理がつくまでは彼女を売るつもりはない。
彼女が聞いたらなんていうだろうか。
メイコスの屋敷を後にし、草原を駆けるころには、外はもうすっかり暗くなっていた。突き刺すような冬の寒さに彼女は比較的軽装で来たことを後悔していた。
あの後、思った以上に話し込んでしまったエスティアは馬に積んだ、メイコスから渡されたお土産に視線を移し、笑みを浮かべた。
「ちょっと、時間がかかっちゃったけど、これがあれば大丈夫でしょ」
彼女ですら見たことのないお菓子が入っているんだ。みんなが喜ばないはずがない。にんまりと緩み切った表情で、彼女は手綱を操り、馬の速度を高めた。
ホホーッ、ホッーホッー。
暫く走っていると、どこからかフクロウの鳴き声が響き渡る。その声は聞いているだけで、心の不安を掻き立てられるような不快感に襲われる。
どこにいるんだ、と。馬で駆けながら辺りを見回した途端に、フクロウの鳴き声がピタリと聞こえなくなってしまう。飛び立つ音が聞こえないということは、鳴くのをやめてしまったということか。
「なんだか、嫌な感じ……」
だが、そんな漠然とした感情は彼女の心を焦らせるには十分。こういう時の嫌な予感というものは大抵そうなると、どの物語でも言っている。
背中に冷たい汗が流れ落ち、彼女は体を震わせる。
「帰らなきゃ……一秒でも早く、帰らなきゃ」
これが杞憂で終われば、笑い話として、みんなに話そう。きっと、オリバー辺りが、怖がりだなと私を馬鹿にして、フェルターが笑いながらも怒って、みんなが笑いあう。
そんな想像をしながら、彼女は自分の震える手を押さえつけ、取り越し苦労で終わりますようにと――今にも泣きそうな顔で笑顔を作るのだった。
いつもの何倍もの速さで草原を駆け抜け、屋敷が見えると、彼女はホッとしたように表情を緩めるが、すぐに引き締める。
みんなの笑顔を見るまでは安心してはならない。明かりがついていないことに首を傾げながらも、彼女は到着すると同時に馬から飛び降り、ドアを叩く。
この屋敷の住人でしかわからないリズムで、ドアを叩き、みんなが迎えてくれるのを今か今かと待つ。
「……あれ?」
だが、待てども待てども、扉が開くことは愚か――屋敷からは一切の物音がしない。
これがいつもの悪戯だったなら、小さな笑い声や、息遣いが分かりやすく聞こえてくるものだが、それに、人の気配が一切感じないというのはおかしい。
「みんなー! ただいまー! 寒いから開けてよー!」
もう一度、ノックをして、少し大きめに声を張り上げる。
だが、誰かが出てくる気配もなければ、物音一つしないのはおかしすぎる。彼女は一瞬ナニカの視線を感じ振り向く。
――一羽の真っ白な鳥がこちらを見ている。それは、まるで、屋敷に入れと言われているようで。
「……っ」
意を決して、エスティアはドアノブへと手をかけ、回す。カギはかかっておらず、あっさりと開いた扉は、ギィィッ、と音を立てる。
ゆっくりと開かれた扉の奥の中を恐る恐る確認しようとした瞬間――
「な、なにこの……臭い」
まるで、強風が彼女を襲うように、強烈な“血の臭い”が彼女の鼻腔を突き抜けた。




