17 村の光は心を照らす
彼の待つ農場へと、青年の死体を抱え戻って来た二人を見かけた男性は、零れんばかりに瞳を見開き、彼女たちの元へとフラつきながら駆け寄る。
そんな彼によく見えるように、エスティアはそっと青年の死体を地面へと横たわらせた。そして、一歩下がったところで彼を見つめた。
「あ、あ……そんな……レード……ッ……レードッ!」
死体の横に膝を付いた彼は、死体の胸元に顔を埋めながら嗚咽を漏らす。
「レード……レード、レード……よく、よく戻って来た……レード……あぁぁっ……俺の大切な息子よ……」
彼は青年を抱き上げ、涙と鼻水でグチャグチャになった表情で強く抱きしめ大声を上げ、大雨のように涙を流した。その様子にシュティレの瞳にも涙が浮かぶ。
そんな彼の泣き声に気付いた人々が不思議そうな表情で集まって来る。
エスティアは彼を黙ったまま見つめる。その表情は酷く暗く。瞳には怒りの炎がチラついていた。彼女は考える。
どうして、彼らが苦しまねばならないのだろう、と。彼女は疑問に思う。“勇者”とは何なのだろう、と。人々の為に戦う者たちのことを指すのではないのか、と。そして何故そんなことを考えているのだろう、と。
彼女はそっと魔剣の鞘を一撫でした。いつもはコロセと呟く魔剣が珍しく黙っている。魔剣も悲しんでいるのだろうか。そう考えた彼女は小さく鼻で笑った。
「そんなわけないか……」
そんなトリップから戻った彼女は小さく息を呑んだ。
なぜなら――二人の前には、深々と頭を下げる農場の人間たちが居たからだ。彼女は隣に立つシュティレにぎこちない動きで首を向ける。その表情は“なにこれ?”と訴えている。
だが彼女もいまいち状況を理解できていないのか、ぎこちない笑みを浮かべるだけだった。
「勇者様っ! 先ほどのご無礼、お許しください」
青年の父親である彼は頭を地面に擦りつけたまま、そう叫ぶように言った。
「あ、いや……別に気にしてませんから。というよりも、頭を上げてください。私たちが勝手にやったことですから」
エスティアは悲し気に笑みを浮かべ「勇者として当然のことをしただけですから」と付け加える。それだけで、彼を含めた人たちは歓喜の声を上げる。
中には「勇者様バンザイ」と叫ぶ人間もいる。シュティレは若干驚いたように瞳を見開くが、エスティアは苦笑いを浮かべるだけだった。
「では……エスト様、シュティレ様。この度はグリーガの討伐をしてくださり本当にありがとうございます」
この農場で一番大きな家へと招かれた二人を迎えた――この農場の村長的存在である白髪の老爺はそう言って深々と頭を下げた。
黒く日に焼け、老爺とは思えないほどの逞しい体つきの彼は目元を皺くちゃにしながら笑みを浮かべると、ソファに腰を下ろした。すると、隣に立っていた女性が小さな布袋を彼へと手渡した。
嫌な予感がしたエスティアは、出された紅茶を一口口に含む。
「少ないですが、報酬でございます。どうぞ、お受け取りください」
差し出された布袋を見つめたエスティアは小さくため息を漏らし、それを手に取り中身を確認する。
中に入っていたのは、数十枚の銅貨、数枚の銀貨、一枚の金貨。それに混じるように――高価そうな髪留めや小さな宝石が入っていた。彼女は片手で顔を覆う。
「私たちの農場は貧しく……今はそれしか出せないのです……本当に申し訳ありません。ですが、まだ足りないとおっしゃるのなら……」
彼がそう言い終えた瞬間――彼の隣に立つ女性がキュッと口元を引き締めながら一歩前に出る。
「……はぁ」
エスティアの太息に女性がビクリと肩を跳ねさせ、彼の顔つきも険しくなる。だが彼女は気にせず口を開いた。
「報酬は要りません。先ほども言った通り、これは私たちが勝手にやったことです。依頼を受けていないのに報酬はもらえません……それに――」
彼女は女性に視線を向ける。
「家族は大事にしてください。貴方みたいな善人が家族を“商品”にしてはいけない」
彼女の金塊よりも重たいその言葉にシュティレを含めた全員が小さく息を呑んだ。そして、シュティレは悲し気に微笑む彼女の手をそっと握り締めた。
「なら……私たちは……っ」
布袋を収めた彼は悲憤混じりの声で呟く。
「私たちは……っ! 一体、どうやってあなた方にお礼をすればよいのですか……っ! たとえ依頼ではなくとも……私たちはあなた方に救われた。なら恩を返すのが道理というものです」
「おじいちゃん……そうです! 私たちは勇者様に救われた、だからお礼をさせて欲しいんです!」
女性はそう言って、決意の篭った表情でエスティアの右手を両手で握り、顔を近づけた。その行動にシュティレが眉を顰める。
エスティアはそんな状態でも、顔色一つ変えずに、やんわりと彼女から手を離し、顔を遠ざけると困ったような笑みを浮かべる。
「そこまで言われたら仕方ないですね。では――」
彼女は小さく息を吸い込み。
「次来たときに“最高のジャム”をくれませんか?」
彼女の言葉にシュティレは笑みを浮かべる。
対して二人は鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべ、必死に頭を回転させているのだろう。言葉にならない声を上げながら彼女たちを交互に見やった。
「あ、え、で、ですが……」
「私がここに来た理由はジャムを買いたかったからです。だから、過去最高のジャムを作ってください。それが私たちが提示する報酬です」
そう言い終えると同時に、彼女は懐から何かを取り出すと、それを机の上に置いた。それは十枚ほどの金貨だった。彼らは驚きの表情を浮かべる。
「これは、あなた達が最高のジャムを作れますようにという“願い”が篭った金貨です。これを有効活用して、これの倍以上の価値があるジャムを楽しみにしています」
「――あ、あぁぁああ……勇者様……ッ! ありがとうっ……ありがとうございますっ!」
彼はエスティアの右手を両手で握りながら、ツーっと涙を零し、何度も、何度も「ありがとう」と呟いた。
あれだけ派手に破壊されてしまったのだ、加えて農場の資金は少ない。一応気持ち程度のつもりで渡した彼女は、ここまで感謝されるとは思ってはいなかったらしくポカンとした表情で固まった彼女。
そんな彼女を女性は尊敬の眼差しで見つめる。だが、シュティレは女性の眼差しの中にとある感情が含まれていることに気付き、半ば睨むように女性を見つめた。
暫く涙を流していた彼が落ち着き、冷めた紅茶を飲み干し小さく息を吐く。その表情には気恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
「エスト様、シュティレ様。本日は我が家に泊っていきませんか? ささやかですが、宴も開きたいと思うので、ぜひお二人には参加してほしいのです」
「え、う、宴……ですか……?」
「はい……お嫌いでしょうか?」
「……いえ、喜んで参加させていただきます」
そう言って微笑んだエスティアの表情はどこか嬉しそうだった。
部屋に通されたエスティアは、張り詰めていた糸が切れるかのようにベッドへと顔面から倒れ込んだ。シュティレはそんな彼女の隣に腰を下ろし、猫のような触り心地の黒髪を撫でた。
「エスト、お疲れ様」
「……ん」
基本的にエスティアは人と話すのが苦手だ。シュティレは貴族の家から帰って来ると、いつもこうして彼女の頭を撫でてあげるのだが、内心では“奴隷商人として大丈夫なのか”と疑問に思ってたりもする。
沢山の人と話す機会が多い割にはちゃんと休めなかった故に、彼女の疲労も大きいだろう。小さく唸り声を上げながらシュティレの手にすり寄るような仕草を見せていることに、シュティレの顔に喜色の色が浮かぶ。
「シュ……ティ……レ……」
「寝ても平気だよ、時間になったら起こしてあげる」
「ん……おや……す……」
よっぽど疲れていたのだろう。言い終える間に彼女はシュティレの膝の上に頭を乗せるとそのまま眠りの精霊へと誘われていった。
規則正しい寝息を上げる彼女の髪を梳きながらシュティレは表情をこれでもかと緩ませる。
「エスティア……」
小さく彼女の名前を呼ぶと、彼女は寝息を立てながら嬉しそうに表情を柔らかくする。それだけでシュティレの心はこれ以上ないほどの温かさでいっぱいになり、そっと彼女の頬に口づけを落としていた。
そしてそっと、眠る彼女の唇を人差し指でなぞり、その指を自分の元へと持っていく。
「いつか……ちゃんとした意味で……」
そう呟いた彼女はそっと瞳を閉じた。
――時刻は夜。
どんどん賑やかになる外を眺めていたシュティレは、気持ちよさそうに眠る彼女の耳元に口を寄せた。そして優しく甘い声で彼女の名前を呼んだ。
「エスト、起きて。そろそろ始まるみたいだよ」
「……んぅ……ユー、ティナ……」
「ユーティナ……?」
誰かの名前なのだろうか。半分寝ぼけながら呟いた彼女の声色はあの夜の時のように悲し気に揺れていた。シュティレは彼女の肩を揺さぶる。
「エスト、エスト! 起きてっ」
「んぁ……シュ、シュティレ?」
「よく眠れた?」
フワリと微笑むシュティレ。それを暫く見つめていた彼女は笑みを浮かべた。
「うん。シュティレのおかげだよ。ありがとう」
「……う、うん」
若干顔を赤らめるシュティレに首を傾げつつ、エスティアは立ち上がり彼女の手を取った。
家から出ると、まだ宴は始まったばかりらしく、多くの女性たちが沢山の料理を中央に置かれたテーブルに並べ、農夫たちは大量の酒瓶を持って来ている。それを手伝うように子どもたちがジュースの入った瓶やお菓子を運んでいる。
初めに来た時とは正反対の雰囲気にエスティアは呆気に取られてしまう。そんな彼女の横に立つシュティレは笑顔を浮かべる。
「エストが頑張ったおかげだね」
「シュティレだって頑張ったでしょ……でもやっぱり、こんな風に賑やかだと楽しいよね」
「うんっ!」
二人が宴を眺めていると、数人の子どもたちが彼女たちの元へと駆け寄って来る。
「勇者様っ!」
「遊んで遊んで!」
「勇者様きれい……」
「え? え? ちょ、エ、エスト……」
三人の子どもたちに囲まれ、手を引かれたシュティレは慌てたようにエスティアへと視線を向ける。
彼女は館に住んでいた時から自分より下の子どもたちに慕われやすい。やはり滲み出た優しさが子どもたちには強く感じ取れるのだろう。
対してエスティアはシュティレぐらいの年頃なら問題ないが、この子たちのように十歳前後の子どもたちにはどうやら怖がられてしまうらしく、チラチラと気にするような素振りは見せるが、近寄ることはない。
「シュティレ、行ってきな。私も目に届くとこに居るから……ね? ほら、みんな待ってるよ」
「あ……じゃ、じゃあ行ってくるね」
「いこいこっ!」
シュティレと子どもたちを見送ったエスティアは寂しげにため息をつき――
「勇者様、どうしたの?」
「具合悪いの?」
「――え!? あ、いや……え?」
彼女の目の前には二人の女の子が立っていた。ボブヘアーの十歳ほどの二人の女の子は、まるで鏡合わせのように瓜二つだった。同じように首を傾げる二人に、視線を合わせるように彼女は屈み、笑みを浮かべた。
「君たちは、あのお姉ちゃんに付いて行かなくていいの?」
彼女がそう言うと、二人の子どもは同時に首を横に振り、彼女の手を取る。
「勇者様と……遊びたい……ダメ?」
「ダメ……?」
コテン、と同時に首を傾げる二人。エスティアは目を細めてフッと、息を吐き出し、少女たちの頭にポンっと手を置いた。
「そんなことないよ。私はエスト、君たちの名前は?」
草食動物のように温厚な表情で、優しい声色でエスティアがそう言うと、少女たちはパッと花が咲くように顔を明るくさせる。そして、姉だろうか……少し勝気な眼差しの少女が先に口を開いた。
「私はルト! こっちは妹の……ほらっ」
ポンっと背中を押された、もう一人の少女は恥ずかしそうにスカートの裾を握り締めながら、エスティアを見つめる。
「わ、私……ラ、ラーラ……」
真っ赤な顔でうつ向くラーラの頭を撫でながら、エスティアは笑顔を浮かべた。
「ルトにラーラね。よしっ! じゃあ二人とも、何して遊ぼっか?」
「私たち――勇者様とお話ししたい!」
「わ、私もっ……お話し……したい」
「……わかった! じゃあ、なにを話そうか」
彼女の言葉に少女たちはこれでもかと表情を輝かせた。それは夜に輝く一番星よりも明るく、太陽のようだった。
近くの椅子に腰を下ろし、近くで遊んでいるシュティレに軽く視線を向け、目元を細めたエスティアは両手でジュースを持っている少女たちに顔を向けた。
遊びたいと言われて、まさか“お話し”したいとは言われると思わなかった彼女はどんな質問が飛んでくるのかと内心ではドキドキしていた。
「じゃあじゃあ! 勇者様は――どうして勇者になったの?」
ルトが手を上げて期待の篭った眼差しで彼女を見つめる。その隣に座るラーラも瞳をキラキラと輝かせながら見つめる。エスティアの表情が笑顔のまま固まる。
予想通りの質問が来てしまい、彼女は必死に脳みそを回転させた。変なことを言えば、この子たちを悲しませてしまうかもしれない。
少し考えた結果、エスティアは首筋に手を当てながら、口を開いた。
「そうだね。私は……この世界を変えたいんだ」
「世界を……」
「変える……?」
同時に首を傾げる二人にエスティアは苦笑する。
「この農場みたいに、魔物の襲撃に苦しんでいるところはいっぱいある。だけど……たかが小さな村なんかを救おうと考える人は少ない」
そこまで言った彼女は悔し気に瞳を伏せた。
「勇者様……」
「勇者様……」
少女が同時に彼女を寂しげな瞳で見上げる。その表情に彼女は悲し気に微笑む、と言葉を続けた。
「私はそんな人たちを救いたい……魔王を倒せば、そんなことはしなくてもいいんだろうけどさ……それでも、意味なんてないのかもしれないけど……それでも……」
エスティアの瞳から一筋の涙が零れる。
「勇者様……」
ルトが涙を流す彼女の頭を優しく撫でる。ラーラもぎこちない動きで頭を撫でる。その手はどこまでも優しく慈愛に満ちていることに気付いたエスティアは小さく嗚咽を漏らした。
彼女は“ダメだ、こんな小さな子に頼ってはダメだ”と考えるが、少女の優しさはまるで太陽の光のように降り注ぎ続けるせいで、言葉を止めることが出来なかった。
「私……間違ってるのかな……っ」
沢山の依頼を通じて、沢山の人たちと出会った。
まだ二ヶ月ほどの旅だが、王都の周りにある村々が魔物の襲撃に日々怯えているのは一目瞭然。そして、その依頼を受けようなどと考える勇者が少ないのも事実。シュティレには言っていないが、できることならその場に立ち止まり、全ての依頼を受けたい気持ちもあった。
だが、彼女の奥底に座り込む黒い怒りと血まみれの憎悪に染まった自分と魔剣が“立ち止まっている暇はない。仇を恨みを晴らせ”と囁き立ち止まることを許さない。最初の方こそは力をつける為に、と見逃されていたが、今ではこうやって話しているだけで、立ち止まっている意図はないにも関わらず、囁く声が叫び声に変わっている。
「勇者様」
そんな考えなどわかる筈もない少女たちは、不思議そうに首を傾げたが、すぐに聖母のような優しい瞳で微笑を浮かべ、二人で彼女を抱きしめた。
「間違ってないと思うよ」
「そうだよ、ラーラたちは――貴女のことを正しいと肯定しましょう」
「な……っ」
ラーラの少女とは思えないほどに大人びた声色にエスティアは、ゴクリと喉を鳴らす。
「お母さんがいつも言ってたよ。どんな行動が正しいかなんて誰にも分らない」
「過ちだって、それはその人が決めたこと。なら、少しでも自分が正しいと思うことをやればいいって」
そう微笑む少女たち。
「……そっか……ふふ、はぁ……二人にはなんか慰められちゃったな……」
ゴシゴシと雑に涙を拭ったエスティアは、二人を強く抱きしめた。
「ルト、ラーラ……ありがとう。君たちのおかげで私――もっと頑張るよ」
そう紡がれた言葉は、もうすっかり出来上がった農夫たちの笑い声に吸い込まれ消えていった。




