15 君と来たかった
「ん……」
シュティレの瞼が震え、その青い瞳が僅かに開く。
「あ、やっと起きた」
覚醒しきってない頭で、シュティレは声のした方へと顔を向ければ、そこには優し気な笑みを浮かべるエスティアの姿。そのまま、そっと周りに視線を向ければ、解体された後だろうと思われるサイトールの死体。それの少し離れた場所ではコーニエルたちが寄り添うように眠っている。
もしかして、あれからずっと眠っていたのか……体に流れる魔力も少ないことに気付いた、シュティレは一つの結論に至る――魔力切れだ。彼女は彼女の膝の上で寝返りをうち、腹部に顔を押しつけた。
すると、エスティアが小さく声を漏らした。その声により、シュティレの脳が一気に覚醒する。
「エスト……あ、もしかして……背中の傷……」
あまりにも普通にしているから、すっかり忘れていた。シュティレは慌てたように上体を起こし、彼女の背中に手を回し回復魔法をかける。彼女の怪我を治すくらいなら大した魔力も必要ない。ずっと痛かったのだろうと思ったシュティレは申し訳なさそうに瞳を伏せる。
エスティアは折れていた骨がくっつく痛みに顔を歪めるが、すぐに彼女の頭に顎を乗せて微笑んだ。
「その……ごめん……でも、なんで他の人に治して貰わなかったの?」
自分でそう言っておいて、彼女は若干表情を歪める。たとえ、エスティアの為だと思っても、他の人に触れて欲しくない、ましてや魔力を体内に流すなんてもってのほかだ。でも、彼女が苦しむのは嫌だ。二つのジレンマに囚われたシュティレ。
頭の上に顎を乗せたまま、エスティアはそっと瞳を閉じた。
「シュティレ以外の人に治して貰うのってさ……なんか嫌で……断っちゃった」
「え……?」
若干、喜色の混じったシュティレの声に彼女は口角を上げた。シュティレが倒れた後、無理やり身体を動かし彼女をここまで運んだは良かったが、その後すぐに激痛に襲われたエスティア。心配したトルディアが治療を申し出てくれたが……彼女は断った。さっきも言った通り、何となく嫌だという、なんとも間抜けな理由だが。
それに、確かに痛かったが、シュティレが近くに居てくれればどうってことない。エスティアが顎を退かし、彼女の顔をまっすぐに見つめた。
「シュティレ。これからもよろしくね」
月明かりに照らされた黄金の瞳が彼女の青い瞳に映り、一番星のような輝きを放った。
「う、うん……私こそ……」
シュティレは内心で“この人はいつもズルイ”と呟く。いつも一番欲しい言葉を落としては、どこまでも深く、深くまで溺れさせる。底なしの温かな水中を沈んでいく最中にも彼女は、“もっと沈んでいいんだよ”と言いたげに、甘美で鉛のように重たい果実を落とす。
ほんのり赤く染まった表情で頷く彼女に、エスティアは満足げに微笑んだ。
「じゃあ、僕たちは暫くこの村にいるから……またね」
「シュティレ! なんかあったら私たちに頼りなさい……要らないかもしれないけど……」
「お二人とも、お互い頑張りましょうね」
少し寂し気に笑顔を浮かべるコーニエル。勝気な笑みを浮かべ、すぐに寂しげな表情をするトルディア。寂しさが滲み出ているが、目を細めて笑うクシル。その三人の表情に、二人はキュッと口を結ぶ。
「あぁ、うん。またね」
「トルディア、クシル……またね……」
お互いに握手を交わし、踵を返し村の中へと消えていった三人を見つめながら、エスティアは“どうか、彼らが立派な勇者となりますように”と祈りを込めながら、手を振った。
三人が完全に見えなくなると、エスティアは小さく息を吐き出した。彼らはとてもいい人たちだった。だが、思った以上に心が疲弊しているのか、彼女は誤魔化す様にグーッと伸びをする。
そして、フッと息を吐き出し、改めて村を軽く見回した。蜂蜜色の石造りの家々はどれも美しいの一言に尽きる。村に漂う甘い香りも気分を高揚させる。
「うわぁ、流石ジャムの名産地――メツルギ。いい匂いだね」
「うんっ! エストも来るのは初めてなんだっけ?」
「そうだよ。すごく素敵な場所だって聞いてたけど、本当だった……」
スーッと大きく深呼吸をし、そう答えたエスティアは、うっとりとした表情でメツルギの風景を楽しむ。だが、その横顔がどこか悲し気に見えたシュティレはそっと、彼女の袖を握った。
まるで、どこか遠くを見つめる彼女を引き留めなければ。何故だかそう感じたシュティレが声をかけようとした時、彼女が視線を向けた。
「ねぇ、さっそく村を回ってみようよ。これから、長旅になるだろうし、ジャムも見に行こうよ!」
いくつかの農場に囲まれたここメツルギは、世界最高とも言われるほどのジャムや果物が集まる。保存も利くジャムはこれからの旅に大きく貢献するだろう。それに、ずっと来たかった場所だ。
エスティアは胸を躍らせながら、ポカン、としている彼女の手を握り、軽い足取りで歩み始めた。
「あ、ちょ、エストっ!」
「ほらっ、はやく行こうよっ!」
子どものようにはしゃぐその様子は、彼女がまだ十八歳というのを再認識させる。シュティレはそんな彼女を見ていると、自然と笑顔が零れていた。
どんなに笑顔を見せてくれようと、どこか無理をしているような普段。だが今は、いつもより楽し気に振る舞う彼女にシュティレは嬉しさでいっぱいになる。
彼女に釣られるように、入った一軒のパン屋さん。
丁度お昼時にもなり、甘い匂いに釣られたのだろう。エスティアはキョロキョロと、宝石のように輝くジャムの塗られたパンを見回しては「どれにしようか」と呟きながら笑みを浮かべる。シュティレもそんな彼女にクスリ、と笑みを零しながら並べられた宝石箱へと視線を向けた。
オレンジ色、煌めく紫色、赤色、様々な色がライトの光を反射させ、本当に宝石のようにも見えるが、漂う甘い香りに反応したお腹が空腹を訴える。
「……よし、私はこれにしようかな」
そう言ってエスティアは、持っていたプレートに青色のジャムに金箔のような物が散りばめられたなんとも不思議なパン。夏の海に星が落ちたようなそれは、甘い香りをほんのりと漂わせている。
「わぁ、なんかすごい色だね……何味なの?」
「リンゴらしいよ? すっごく綺麗だし、面白いでしょ」
「うん、まぁ……あ、じゃあ、私はこれにしようかな」
プレートに乗せたのは、薄い蜂蜜色のジャムの上に金木犀のような小さな花が数個散りばめられた、見ているだけでもうっとりしてしまうほどの美しいパン。まるで芸術品にも思えるそれは、人の心を一瞬で安らげてしまうほどの甘い香りを漂わせ、それが食べ物だと主張する。
「はぁ……凄い綺麗だねそれ」
あまりの美しさにエスティアは気の抜けた声を漏らした。シュティレはそんな彼女の瞳を見ながら、含み笑いをした。
無意識とはいえ、彼女の瞳にそっくりな色を選んでしまうとは、と。
お会計を済ませた二人は手ごろなベンチに腰を下ろし、パンに入った包み紙を開いた。フワッと香る甘い香りと香ばしいパンの香り。
二人は同時に「いただきます」と、言うと、一口かじる。その瞬間――二人は言葉を失った。
色からは想像できないほどにそれは、スルリ、と口内を優しいリンゴの香りと甘みで満たす。今までのリンゴは何だったのだ、と思ってしまうほど。いや、これは他の物とは比べても意味のないことだろう。
「幸せ……」
「幸せ……」
二人は全く同じ言葉を呟く。
シュティレも彼女と同じような感想を抱いたのだろう。この上なく幸せそうにパンをかじっては、ほぅ、と息を漏らしている。
あっという間に食べ終わった二人は、ほぼ同時に革水筒に入った水を飲み、同時に息を漏らした。それが、なんだかおかしくって二人が顔を見合わせ笑っていると、先ほどまで顔を出していた太陽が、薄い灰色雲に隠される。
吹く風も、ほんのりと冷たさを帯びている。雨の前兆だろうか、エスティアは空を見上げると、立ち上がった。
「なんか、雨降りそうだし、この村の中央に一番大きなお店があったはずだから、そこに行こう」
「そうだね」
二人は軽く急ぎ足でその場を後にした。
中央にある、村一番の大きな建物へとやって来た二人。
どうやら、ここは勇者会とジャム販売を兼用しているらしく。買い物目当ての観光客や村人に混じるように、カウンターの傍に設置された依頼ボードを眺める人も、少数だが見える。
別にここには、港町までの中地点に過ぎないし、お金にもとくには困っていないので、依頼ボードを素通りしジャムが陳列された場所に向かう。
どうやら、農場ごとに分けられているのか、同じ果物のジャムでもラベルの違う物が色々な場所に点在している。
二人はそのまま、思い思いの物を探しに出る。エスティアはどういった物が良いのかはよくわからないので、とりあえず値段の高い物を。シュティレは、値段には囚われず、買い物に来た主婦に声をかけ話を聞きながら、一つ一つ吟味し、一番美味しいものを選ぶ。
暫く歩き回ったシュティレは、とある棚の前で首を傾げた。
「あれ、ここのは売り切れちゃったのかな」
流石はメツルギの主婦だ。今年一番と噂のジャム農場の名前を教えてもらい、意気揚々とやってきたはいいが、そこには何もなかった。不安になった彼女は上に掲げられたプレートに二回ほど確認し、再び首を傾げた。
そんな彼女の隣に、エスティアもやって来る。
「あれ、シュティレ。どうしたの?」
「あ、エスト。うーん……一番美味しいジャムの農場を教えてもらったんだけど……なにも無くて……売り切れちゃったのかな」
「でも、値札すら置いてないっておかしくない? 売り切れなら、そういうお知らせとか置きそうなもんだけど」
エスティアは若干訝し気な表情で棚の周りをグルグルと歩き回り、なにも無かったので、困ったように頬を掻きながら、シュティレの隣へと戻った。
無いのなら諦めればいいのだが……メツルギに来る機会は早々ないだろう。それに、今年一番と噂されているのならそれを食べてみたいと思うのは仕方のないことだ。シュティレは近くの店員に声をかけようとした瞬間――
「そこ、今年は販売できないそうだ」
驚いたように振り返るシュティレの背後にはいつの間にか、立っていた背の高い男性はそう言って、眉尻を下げた。そんな彼の瞳は“赤”と“青”のオッドアイだった。エスティアの眉が僅かに動く。
今の世の中、オッドアイは別に珍しくない。ましてや、赤と青のオッドアイというのは主に“火炎族”と“人魚族”などの種族のハーフにはよく見られることだ。
「え、何でですか?」
「ん? あぁ、なんでも……魔物に食い荒らされたらしくてな。今年は無理らしい」
「そうなん……ですか……」
シュティレと会話する彼を、エスティアは半ば睨むように見つめる。そっと魔剣の柄に触れながら。
どこか……違和感を感じる。その正体は全く分からないが――魔剣が彼女に囁く。コロセ、コロセ、恨みを晴らしてやれ、と囁き、鎖が小さく震える。
「……見たところ、君たちは勇者か。そんな気になるなら行ってみるいい」
「あ、はい。ありがとうございました」
シュティレが丁寧にお辞儀すると、彼は鋭い視線をぶつけてくるエスティアを一瞥する、と特に興味を持つことなく踵を返し、店を後にする。
彼が店を出た後も、暫く睨み続けていた彼女。そんな彼女の様子に気付いたシュティレはそっと肩に手を置いた。
「エスト?」
「……え? あ、ごめん。ボーっとしてたみたい」
ハッと、したような表情でエスティアは視線を彼女へと戻した。
「もー、じゃあ、さっきの話聞いてなかったよね?」
「話……って……ごめん全然聞いてなかった」
口を尖らせるシュティレの頭を撫でた彼女は、申し訳なさそうな微笑を見せる。
「はぁ……じゃあ、簡単に説明しとくとね。この農場……魔物に襲われたんだって」
「……そうなんだ」
エスティアは若干声を暗くする。彼女が暮らしていた故郷も度々、魔物の襲撃にあっていたのでその苦しみは十分わかる。少し都市から離れているから、という理由で碌な勇者や騎士は派遣されず、町の皆が必死に自衛するしかない。依頼ボードの前に立っている勇者を見るかぎり、ここも同じような状況なのだろう。
彼女は空っぽの棚をチラリと見やり、言葉を続けた。
「じゃあ、見に行ってみようか」
「え、いいの……?」
シュティレは内心で驚きつつも、彼女の顔色をうかがう。エスティアはそんな彼女に気付くと、心外だと言わんばかりに口を尖らせた。
「勇者のフリをするのも大事だからね。それに、一番いい物が欲しいって思うのは普通でしょ?」
「ふふ、そうだね」
シュティレは「やっぱりエストは優しいね」という言葉をそっと飲み込んだ。彼女を怒らせると何日かは引きずってしまいそうだから。
そんな考えはわからかなくとも、感じ取ったのかエスティアは口元を歪めながら彼女の手を引いて店を後にした。
彼女たちが店を後にし、被害に遭った農場へと続く道を行くのを背後から見つめる人影。
「……」
木に寄りかかりながら腕を組む男性はスっと、赤と青色の瞳を細める。その視線はまるで品定めをするようにゆっくりと上下に動く。
風が吹き、彼のオレンジ色の髪が草原のように揺れる。そんな彼の隣にはいつの間にかフードを目深に被った小さな少女のような子どもが立っていた。
「どうだった?」
鈴を転がしたような可愛らしい声で、少女は隣を見上げる。
「なにも感じねぇな。本当にアイツなのか?」
吐き捨てるように彼が答えると、少女はカラカラと笑う。
「間違いないわ」
「生きてたってのは本当だったんだな」
「えぇ、そうね」
二人は口元に笑みを浮かべ、そのまま霧のように姿を消した。
出来るだけ毎日投稿を目指してはおりますが、やはり難しいので、これからは三日以内更新を頑張りたいと思いますので、どうかのんびりと待っていただけると幸いです。
いつも読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。




