14 土と水を混ぜて、最後は火にかけて
次の日。早々にケインに別れを告げた二人は、再び、何の変哲もない、つまらない草原を歩く。目指すは港の手前にある村。
そこは、有名なジャムの名産地であり、美しい街並みは観光地となっているらしい。シュティレの手を握ったエスティアは眩しそうに片手で日よけを作りながら口を開いた。
「なんか、今日は随分と暑いね……」
「そうだね。もうすぐ冬が終わるってことかな?」
草原を見渡せば、まだまだ冬の草花が元気に咲いているが、チラホラと春の草たちや蕾たちが顔を覗かせ始めている。
優しく吹き始めた風も、少しずつではあるが、春を運んでいるのだろう。シュティレは気持ちよさそうに風を受けながら、隣を歩く彼女の手を握った。
すると、彼女は黙ってシュティレの手を優しく握り返した。そのことに思わず破顔する。どんなに寒い冬が来ようと、私の隣はいつも温かい。
「……エスト。あれ……なんだろ?」
「ん? どれ?」
「あれだよ。ほら……ちょっとマズくない?」
青ざめた表情で、シュティレが指をさした先には――巨大な魔物に追いかけられる三人組の姿があった。
「……え」
シカのような頭に竪琴状の黒く太い角を二本生やし、五メートルほどの男性のような体つきで、青銅色の毛皮に覆われたソレは赤茶色の瞳を爛々と輝かせながら、身の丈ほどもある巨大な槍で突き刺さんと振り回している――エリエルファング。パープルランクの魔物だ。
エスティアは困ったように眉尻を下げると、魔剣を鞘から引き抜いた。シュティレは嬉しそうに表情を緩めると、魔力を込め、彼女を強化する。
「じゃあ、行ってくる。援護よろしく」
「まかせて!」
エスティアが駆け出す。風のようなスピードで向かうはいいが、おそらく間に合わないだろう。だが彼女は無理にスピードを上げようとはしない。
その背後で、シュテイレは不可視の弓を構える。魔力が風となり、一本の矢を創り上げる。
「……貫けっ!」
限界まで引き絞ったそれを放つ。突風が吹き抜けたような轟音と共に放たれた矢は、まっすぐに走り出している彼女の背中へと向かう。だが、シュティレは慌てることなく、人差し指を指揮棒のように振るう。
するとそれは、意思を持つかのように彼女の頭上を通り抜け、そのまま天高くへと向かい、限界高度まで達したそれは、放物線を描きながら魔物目掛け落下していく。
『グルルゥ……』
直感的に身の危険を感じた魔物が矢を打ち返さんと、立ち止まり、槍を構えた。
シュティレはもう一度、指を振るう。スルリ、と魔物が構えた槍を躱した矢は、右足へと突き刺さった。
その瞬間――魔物の右足が弾け飛んだ。
『グォォッ!?』
魔物は驚愕に瞳を見開きながら、バランスを失い、草原へと倒れ込んだ。ドスン、と大地を揺らしながら倒れた魔物の目の前には――魔剣を構える少女が笑顔で立っていた。
エスティアはそのまま、重力に従うように、魔剣を振り下ろした。
まるで、バターを熱したナイフで切り取るように黒き刃は、エリエルファングの筋肉で覆われた肉を斬り裂き、抵抗力など感じていないかのように骨を断つ。
ゴロン、とエリエルファングの首から上が地面を転がった。頭部は呻き声の一つも上げられぬまま、自分の周りに血だまりを作ると、その役目を終えるように活動を停止する。
それに倣うように、首から下の胴体も暫くの間痙攣を繰り返していたが、ゆっくりと活動を停止した。彼女が小さく息を吐き出すと、魔剣が待ってましたと言わんばかりに魔力を放出し、魔物から流れ出た鮮血を啜り、歓喜に震える。
「……そこの人たち、大丈夫?」
魔剣の食事風景などおぞましいものなど見たくない彼女は、血だまりに魔剣を突き刺すと、地面で呆気に取られたように座り込んでいる三人の方へと振り向いた。
警戒しているのだろう、三人の内の二人の赤髪の女性……おそらく火炎族だろう、赤い瞳を鋭くしている。もう一人の、少し濃いめの水色髪の少女も、背後の青年を守るように武器を構えている。
めんどくさそうに後頭部を掻きながら「どうしようか」と、彼女が考えていると――
「助けてくれてありがとうっ!」
「あ、ちょ、コーニエル!」
赤髪の女性にコーニエルと呼ばれた、茶髪の青年がおもむろに立ち上がったかと思うと、日の差す森林のような爽やかな笑顔を浮かべながら、エスティアの手を両手で握った。後ろの二人は警戒心は完全には解いていないが、諦めたような表情を浮かべている。
「最初の狙撃はあそこにいる子がやったのかい? それに、君の剣! 殆ど力を入れていないのに、凄まじい切れ味だね! まるで聖剣みたいだ!」
「は、いや、あの……」
「君たちも勇者なんだろう? すごいな、パープルランクのエリエルファングをあっさり倒すなんて! もしかして王国勇者だったりするのかい?」
「え、いや……違う……まだ、ブルーランクだけど……」
矢継ぎ早に飛んでくる言葉に、彼女はぎこちなく返す。そして、助けを求めるように、後ろで呆れ顔の二人に視線を向ける。
すると、赤髪の女性が彼の肩に手を置き、声をかけた。
「コーニエル、彼が困ってるわよ」
「え? あぁ、すまない!」
サッと、彼女から離れた彼は、不思議そうに隣に立つ女性に顔を向ける。
「だけど、トルディア……彼女は女性だよ?」
「え……!?」
トルディアと呼ばれた女性は、驚いたようにエスティアの足元から頭の頂点へと視線を動かす。まぁ、見た目が見た目なので仕方ないが、エスティアは申し訳なさそうに笑みを浮かべた。
その態度で確信を得た彼女は、勢いよく頭を下げた。
「ご、ごめんなさいっ! あんなに強いものだから、てっきり男の人かと思ってて……本当にごめんなさい」
「あ、いや……別に気にしてないから平気だよ」
必死に彼女が謝っているというところで、パタパタ、と小走りでシュティレが合流し、首を傾げた。
無理もない、助けた相手が必死に頭を下げ、謝っているのだから。
「え、どうしたの?」
そんな彼女の一言にエスティアは苦笑いを浮かべた。
あれから、お互いに自己紹介をし、行先も同じだというので二人は彼らと共に草原をのんびりと歩いていた。
「それにしても、ブルーランクとは思わなかったよ。ゴールドか、王国勇者かと思っていた」
コーニエルは笑みを浮かべながら、隣を歩くエスティアを見つめる。道中には何があるかわからないので、同じ近距離型の剣士である彼と彼女は先頭を歩く。
その後ろでは、赤髪の女性ことトルディアと、水色髪の少女ことクシルの二人とシュティレが後方で周囲警戒をしつつ談笑している。
だが対照的にエスティアの表情は硬い。なぜなら時節、エスティアの背中を冷たい視線が貫いていたからだ。主にトルディアから。
「僕たちはやっと、パープルランク上がったばかりなんだ。いやぁ、すごいな……正直悔しいよ」
「そ、そっか……まぁ、私はこの魔剣のおかげっていうか……」
「それでもさっ! 僕たちも頑張らなきゃな」
彼の言葉に相槌を打ちながら、彼女は内心で思う「頼むから、後ろのことを気にしてあげて」と。火炎族とは思えないほどの凍てつく眼差し。加えて、同じく凍てつく寒空のような視線に背中が痛みを訴えてきそうだ。
だが、彼は全く気付くことなく眩しい笑顔を振りまいてくる。エスティアは内心で大息を吐き出した。
暫く歩いていると、コーニエルがしきりに辺りを見回す。まるで、なにかを感じ取っているかのように。
「コーニエル、どうかしたの?」
「……え? あぁ、いや……」
まるで心ここにあらずといった風な対応に、彼女は眉を顰める。魔物だったら一大事だが、後方警戒をしている彼女たちは何も言わない。他の二人はわからないが、シュティレがそんなミスをするはずがない。
ムムム、と顎に手を当てながらそんなことを考えていると――
「……あれ? コーニエル?」
隣を歩いていた筈の――彼がいない。慌てて見回せば、彼をすぐに発見することはできた、が。見失ってから数秒も経っていないはずなのに……彼は少し先にある林へと向かっていた。
エスティアの表情が凍る。しっかりとした足取りで向かう彼は、さながら宝物を見つけた子どものようだったから。
その瞬間、エスティアは弾かれるように彼を追った。
追いつくのは容易だった。強化は解けているとはいえ、全速力。対して彼はしっかりとした足取りと言えど歩きなのだから。
「コーニエルッ!」
大きな洞窟の前。彼の肩を掴み、エスティアは真剣な表情で彼の名前を呼んだ。彼女の怒気を孕んだ声に彼は、ビクリ、と肩を跳ねさせ立ち止まり振り向く。その顔は酷く青ざめている。
「コーニエルッ! 勝手な行動しないで!」
「あ、す、すまない……僕はまた……」
「また……?」
エスティアがそう首を傾げた瞬間。彼女は彼を突き飛ばし、魔剣を構え、目の前で口を開けている洞窟を睨みつけた。
『シュゥゥゥゥ……』
口から白い蒸気のような物を吐き出しながら、ズシン、ズシン、と洞窟の奥からゆっくりとナニカが姿を現す。
夕焼けが洞窟から顔を覗かせるそれを照らし――その姿が鮮明となる。
大きな一本角に、触覚のように飛び出た二つの黒い目玉を動かし、黒く輝く鎧を身に纏い、かぎ爪のついた六本足のソレは角を高く掲げた。
――サイトール。オレンジランクのそれは、フシュー、フシュー、と鼻息を荒くしながら苛立たし気にコチラを睨んだ。
彼女は顔を引きつらせながら、目線だけ彼に移す。よくよく考えたら、強化もしてない状態で勝てる相手ではない。
「コーニエル、走れるよね……戦うにしてもここじゃ、戦いずらい。林を抜ければみんなが待ってるから」
「あ、あぁ……」
魔剣を構えたまま、戦う意思を見せながら――持ち前の瞬発力で踵を返した。
二人が林の中へと消えて数分。エスティアに待て、と言われた三人は待ち構えるように待っている。だが、シュティレ以外の二人の様子がどうもおかしい、ソワソワと落ち着きない。
「ねぇ、二人ともどうし――」
シュティレがそう声をかけた瞬間。林の奥から、必死な表情をしながら全速力で戻って来る二人の姿と……その後ろを追尾するようにフシュー、フシュー、と鼻息を荒くする黒き鎧昆虫の姿があった。
シュティレは全く状況が理解できず、固まりそうになるが、すぐに意識の首根っこを掴み上げると、エスティアに右手を翳し魔力を飛ばした。
「コーニエルッ! アンタまたやったわねっ!」
「まったく……」
「み、みんな、すまないっ!」
トルディアは深いため息をつきながら怒鳴ると、即座に杖を構える。隣のクシルもうんざりと言いたげな瞳で彼を一瞥すると、すぐに黒いボウガンを構えた。
『シュゥゥゥゥッ!』
体を薄く発光させながら立ち止まったエスティアに魔物の一本角が振り下ろされる。
「ハァァァァァッ!」
黒い魔力を帯びた魔剣が横薙ぎに払われる。金属同士がぶつかり合ったような甲高い音が響くと同時に魔物の体がほんの少し浮く。魔物が驚いたような鼻息を上げる。
対して、エスティアはビリビリと痺れる腕に顔を顰めながら、すぐさま転がるように横へと飛んだ。次の瞬間、彼の声が轟いた。
「アァァァスゼルクゥゥゥゥゥゥゥッ!」
地に両手をつき呪文を唱える、と地面から突き出た土の拳が、魔物の鎧との隙間から覗かせている下顎に突き刺さった。サイトールの浮きかけていた上半身と前足が地面を離れる。
それを見ていたエスティアは素直に凄いと内心で拍手を送りながら、ガラ空きになった首筋に黒い刃を突き立てた。ブジュ、と濃い緑色の鮮血が彼女へと大量に降りかかり、顔を顰める。
だが、そんなことを思っている暇はない。今はまだ、彼の魔法が魔物を押さえつけているが、そう長くは持たないだろう、とヒビ割れてきている拳を一瞥した彼女は――
「斬り裂けぇぇぇぇぇっ!」
突き刺した黒い刃を体ごと横へと振り抜いた。首筋を大きく損傷したサイトールは金切り声のような物を上げ、角を滅茶苦茶に振り回した。
「あ、やばっ」
完全に無防備だったエスティアの背中に、魔物の角の側面が勢いよく衝突した。まるで巨大な大木にでも殴られたような衝撃と共に彼女の体が吹っ飛ぶ。
背骨から全身へと走った鋭い痛みに声を上げる間もなく、地面を数回バウンドした後、シュティレの目の前へと転がり止まった。激しくせき込みながら、虚ろな瞳で彼女は立ち上がろうとするが、体は動かない。
その間も魔物は滅茶苦茶に角を振り回し、辺りの岩や木などを破壊の限りを尽くす。
「エスト、少し待っててね」
エスティアの体に優しく触れ、鎮痛の魔法をかけながら、直ちに命の危険に直結しそうな傷がないかを確認し、シュティレは安堵の息を吐きながら立ち上がる。
「シュティレ……?」
エスティアは弱々しく彼女の名前を呼ぶが、彼女が振り返ることは無かった。エスティアは一瞬、悲し気に瞳を伏せたが、とにかくどうにか立ちあがらなきゃ、と拳を強く握った。
物々しい雰囲気で、シュティレは杖を軽く振るった。
二羽の“白い鳥”がどこからともなく、現れる。それは、シュティレの周りを数回ほど旋回をすると、まるで弾丸のようなスピードでサイトールの触覚のように蠢く両目を根元から切り落とした。
『キィィィィィッ!?』
甲高い悲鳴をあげ、両目から緑色の鮮血をまき散らしながら、サイトールは痛みに苦しむようにその場でジタバタと地団駄を踏む。
その様子を冷めた瞳で眺めていたシュティレは、苦しそうに肩で息をする彼を一瞥すると、呆気に取られたような表情で立ち尽くす、トルディアとクシルに声をかけた。
「トルディアさん、クシルさん。一瞬でいいです――アレの動きを止めることはできますか?」
「え……?」
「一瞬でいいのならやれます。シュティレさんはどうするんですか?」
あまりにも冷め切った声色に、トルディアがどもってしまうのに対し、クシルは淡々とボウガンに不備がないかを確認すると、真剣な表情でシュティレを見つめた。
「――その瞬間に首を切り落とします。エストのおかげで魔物の首が脆くなっているので、そこを切り落とします」
「わかりました。任せてください。トルディア、やるよ」
「わ、わかってるわ!」
クシルは頷くと、隣のトルディアの背中を軽く小突く。小突かれた彼女は気を取り直したように表情を引き締めると、スッと杖を構えた。火炎族特有の真っ赤な魔力が彼女の周りを躍動し、取り巻く空気も熱を帯びる。それは彼女の魔力の高さを物語っているようだ。
クシルもそんなトルディアを満足げに見つめると、ボウガンを構える。水のように滑らかに動くそれは、装填された矢に吸収され、パキパキと凍りついた。
そして、二人は同時に呪文を唱えた。
「ファイヤバインド!」
「ディバインエイス!」
そう唱えた瞬間――放たれた氷の矢がまず、地団駄を踏む魔物の前足に突き刺さる。だが、パープルランク程度の魔法でサイトールの足を破壊することなど敵わない。
クシルは笑みを浮かべる。そんなことはわかっている。突き刺さった矢は地面と魔物の前足を一瞬で凍りつかせた。
続くように真っ赤な炎をが、蛇のようにうねりながら魔物の体へと巻き付いた。触れたら全てを燃やせるほどの熱量を持ったそれは、鎖のような形を作り、サイトールを地面へと縛りつけた。だが、それだけだ。鎧に傷一つつかないことに、トルディアは奥歯を噛みしめる。
サイトールは苛立たし気に、触覚から鮮血をまき散らし、抜け出そうとするが、凍り付いた前足が思うように動かない。
そして、いつの間にかサイトールの前へと立ったシュティレは冷えた眼差しで見つめ、振り上げた片手を下ろした。
「神はどうして私を嫌うの」
――ストン、と。サイトールの頭部が転がり落ちる。
まるで、断罪の刃が落ちたかのように、綺麗に切り取られた傷口からは体液が一滴たりとも零れ落ちない。
シュティレは暫く、動かなくなった魔物を暫く見つめていたが……小さく息を吐き出すと同時に――彼女は地面へと倒れ込んだ。
最近忙しいので、次回の更新は2018年10月29日(月)を予定しております。
出来るだけ、毎日投稿を目標としておりますが、中々できず申し訳ないです。これからも、よろしくお願いします。




