幕間1 散らばった英雄たち
暗闇が支配するように薄暗い玉座の前には――ボロボロの姿で武器を構える“四人の英雄”たちが、そこに座る“魔王”を睨みつけていた。
対して、最初と変わらない見た目で目深にフードを被った、女性のような体つきのそれは、玉座に座り、退屈そうに頬杖をつく。
それだけ見れば、とても魔王には見えないが、彼女から放たれる強大な魔力が、彼女を魔王だと示す様に空間を支配する。
「行きますっ!」
真っ白に輝く聖剣を握り締め、傷だらけだが同じように、白い鎧に包まれた少女が駆け出す。彼女が通った道はまるで、暗闇が怯むように明るくなり、それは光の道。全てを照らさんとするそれに、他の英雄たちはボロボロの希望を握り締め、武器を構える。
両手剣を構えた男性が、グググ、と足に力を込め蹴り上げる。まるで弾丸のように打ち出された彼は一瞬で少女を追い抜き、真っ赤に燃え滾る刃を振り上げた。四メートルを超える巨体に、身の丈ほどある両手剣が真っ赤に燃え上がる。
「ハァァァァァッ! フレイム――バーストォォォォッ!」
皮膚を突き刺す程の熱量。だが、目の前の彼女は心底つまらなそうに指を振るう。すると、彼を覆っていた炎が消える。まるで、ロウソクの火を吹き消すかのように、あっさりと。
そのついでと言わんばかりに、彼女に迫っていた無数の鉄の矢も砂のように消されてしまう。彼と、魔法を発動したであろう女性の表情が凍る。
だが、振り下ろされた刃は止まらない。彼女を真っ二つにせんと迫りくる刃が――
「ダメね」
澄んだ声で女性がそう一言呟く。その瞬間、彼の体が枯葉のように吹き飛ばされた。四メートルを超える巨体が宙を舞う。
だが、それだけで終わらない。宙を舞う彼の上を覆うように現れる“気配”。それは透明な岩のように巨大な威圧感を放ち、彼を押しつぶさんと迫る。
「――ぐっ!」
両手剣を盾のように構え、不可視の岩を受けとめる、が空中にいる彼がソレを止められるはずもなく、押しつぶされ、彼の巨体が大理石の床に叩きつけられ、巨大なクレーターを作り上げた。
だが、その程度で潰される彼ではない。両手両足、全てを使って、ギリギリのところで耐える彼が叫ぶ。
「フレイムタワァァァァッ!」
彼の背中から噴き出す様に現れた無数の炎の柱が、ソレを押し返す様に燃え上がる。マグマのように高温となった炎が床を溶かしながら押し返そうとするが、ピクリとも動かない。
まるで、巨大な手が彼を押さえつけるように、ジリジリ、と炎を押し返す。ミシリ、と体の骨が嫌な音を立て、走り抜ける痛みに顔が歪む。
彼は、恐怖する。すべての魔力を使い切るいほどの大魔法を使ったにもかかわらず、押し返すことはおろか、止めることすらできない。圧倒的すぎる。
だが、幸いなことに、他のメンバーは無事だ。彼はあらん限りの力を使って吠える。
「に、げろ……ッ!」
彼の叫びに、杖を両手で握りしめた青年が叫ぶ。その視線は彼ではなく――白い剣を握る彼女へと向いている。
「アリスちゃんッ! ダメだっ! 戻ってくるんだ!」
今にも押しつぶされそうとする彼に駆け寄る少女が、光り輝く聖剣を握り締め――高らかに叫ぶ。
「斬り裂けぇぇぇッ!」
聖剣が振り抜かれる。目標は彼を押しつぶそうとしている“魔力”白い聖なる剣閃が一直線に向かい。ぶつかった。
パリィィィィン、とガラスが砕け散るような音が響いた瞬間――彼は突如、圧迫感から解放される。
そして、少女は何事もなかったかのように聖剣を構えると、魔王に向かって駆け出す。白い閃光のように一気に間合いを詰めた彼女の背中にはいつの間にか、無数の魔力で創られた剣たちが剣先を向けていた。
「魔法切断に、魔法での武器創造……素晴らしい力ね。だけど……足りないわ」
パチン、と彼女が指を鳴らす。
「なっ!?――あぐっ!」
彼女の背後に展開していた“魔法の剣”が一瞬にして全て砕け散る。光の破片となって砕け散るそれらに混じって、“金色の槍”が少女の左腕の鎧と鎧の隙間から顔を覗かせる――肘窩を貫いた。
槍は骨に当たり、突き抜けることはなく、すぐさま聖剣で叩き折ったことによりダメージは少なかったが、ツーっと真っ赤な血が腕から垂れる。
ズキズキ、と痛む腕に表情を歪むながらも、聖剣を構えなおした彼女の琥珀色の瞳には、まだ闘志の炎が燃えている。
「貴女では私に勝てない」
「倒して見せます!」
女性は小さくため息をつくと――パチン、パチン、と指を二回鳴らす。
もう一度小さくため息ついた女性は、少女の背後を指さし、口を開いた。
「貴女一人でどうするのかしら?」
「何を言って……え?」
少女が振り向くとそこには――
誰もいなかった。そう、誰も。地面で倒れていた赤き剣士も、後ろで後衛担当の魔法使いの二人も。初めから誰もいなかったかのように、床は最初と同じように鈍い光を放っている。
少女は戸惑いに瞳を揺らしながら、ぎこちない動きで、玉座の方へと振り向いた。
――パチン。
彼女の耳にその音が聞こえた瞬間。目の前が真っ暗になった。
「出直してきなさいな」
彼女以外の生き物がいなくなった、玉座の間。退屈そうに玉座に座りなおした彼女は、真っ暗な天井を見上げながら呟く。
「やっぱり運命は変わらないのね」
どこから取り出したのか、ワイングラスに入った、紫色の液体をユラユラ、と回しながら、彼女は口を付ける。
「せっかく見逃してあげたんだから、ちゃんとシナリオ通りに動いてね」
そう呟いた彼女は、ワイングラスを投げ捨てた。
――シャール王国の海沿い。港の桟橋で目を覚ました赤き剣士は、小さく息を吐き出した。
「転移魔法か……傷が治っている……いや、無かったことにされたのか?」
傷一つない体に、同じく傷一つない真っ赤な鎧。まるで、先ほどまでの戦闘が夢だったかのように、魔王城に入る前と全く同じ状態の体に、彼はそっと月を見上げた。
全く歯が立たなかった。自慢の剣技も、魔王の目の前では、簡単に砕け散った。彼は、月に手を伸ばすと、口を開いた。
「強くならなければ……だから、エイデン……もう少しだけ待っていてくれ」
握りつぶす様に拳を握った彼は、真っ赤な瞳を輝かせた。
――聖都イアンデルト近郊の草原の目を覚ました女性は、苛立たし気に、地面を蹴った。
「やられたわ……」
魔術師である自分がまさか、転移魔法の発動に気付かなかったなんて……悔しそうに黒い杖を握った彼女は、空に浮かぶ月を睨みつけた。
金色に輝く月に、彼女はとある少女を思い出す。数日だが、一緒に遊んだ……あの子の“妹”。元気にしているだろうか。
「シュティレ……」
彼女には謝らないといけないこともある。月に手を伸ばした彼女は撫でるように手を動かし願う。
どうか、彼女に教えた技術を……他人に使っていませんように、と。
――帝国。地下室のような場所で目を覚ました青年は、笑みを浮かべた。
「はっ、俺が、魔王ごときの魔法に後れを取るかって―の」
ククク、と口元を歪めた青年は、目の前に並ぶ二つの大きなカプセルを見つめながら、考え込むように呟く。
「天竜族の方は、いい感じだが……こっちの少年はあんまり出来が良くないな……やっぱり、左腕を素材にしたのがいけなかったか……」
彼は、そのカプセルに黒い布をかけ、部屋を後にする。そんな彼の表情は、無邪気にはしゃぐ子どものように晴れ晴れとしていた。
「次の素材は、君だよ……」
ドアに張られた白い鎧を身に纏った少女の写真を、一撫でした彼は今度こそ、地下室を後にするのだった。
――聖都イアンデルトの路地裏で目を覚ました少女は、壁に寄りかかる。
「もっと……もっと強くならなくては……」
魔王の魔法を斬るだけで精一杯だった。攻撃は愚か、間合いにすら入ることは許されなかった。少女は自分の手に握られる聖剣の柄に額を当てて祈るように瞳を閉じた。
小さな頃に聖剣に選ばれてから、ただひたすらに魔王を打ち倒すことばかり考えていた。勇者として育てられた彼女にとっては普通のこと、疑問に思ったことすらない。今だってそうだ。
辛い修行だって耐えた。魔王軍の侵略に怯える村の皆や、この世界に生きている人たちの為に、と。だが、彼女は心のどこかで、モヤモヤを感じていた。
応援してくれる人だっている。頼りになる仲間もいた。だが、心の奥底に潜む自分が「これが本当になすべきことなのか」と呟く。
少女はそんな考えを振り払うように首を振る。「これでいいんだ。魔王を倒せば、みんな幸せになるんだ」言い聞かせるように呟いた彼女は、顔を上げ、月を見つめる。
「疑問なんて私らしくない。強くならなきゃ、魔王を倒すために」
魔法で異空間へと鎧を収納した彼女は、月を包むように限界まで手を開き、琥珀色の瞳を煌めかせた。
――この日。光の勇者一行と言われた英雄たちは散らばった。
沢山の思いを聞いていた月は、いつも通りの輝きを放ち、世界を照らしている。
「準備は整った。後は待つだけ」
澄んだ女性の声が響いた気がした。




