11 貴女のために
「シュティレ! こっちだよっ!」
「わわっ、ちょっと待ってよー」
シュティレの手を引きながら明るい笑みを浮かべる彼女。まだ、同い年とはいえ、お姫様なのだから、と。シュティレは苦笑を浮かべながら彼女へと付いてゆく。
二人が向かっているのは――訓練場。なぜ、そんな場所へと向かっているのかというと……シュティレ自身が彼女へと頼んだからだ。
シュティレは勇者になってから、力不足を常に感じていた。強化と回復魔法しか使えず、攻撃魔法が一切使えないせいで、いつもエスティアに無理をさせている。
彼女はそんな自分を許せなかった「一緒に頑張ろう」と言ったクセに……自分は後ろで戦う彼女を見つめているだけ。
――彼女の魔法は少し特殊だ。普通の魔法の様に呪文などはあまり必要なく、特定の属性しか使えないということもない、魔力の燃費も悪くない。だが、それは教えてくれる人が居てこそ真価を発揮できるというものだ。
小さな頃にシュティレにも魔法を教えてくれる人はいた。だがそれも、ほんの数日で回復と強化などの補助魔法しか教わることが出来なかった。しかも、その人には“人には絶対に使うな”とも言われていた。まぁ、使ってしまったが。
「シュティレ、着いたよー!」
そんなことを考えていたら、訓練場に到着したようだ。シュティレは恐る恐るドアの縁に手をかけながら中を覗けば――多くの騎士が思い思いの武器を振るい、己を高める光景が広がっていた。
野太い声を上げながら、身の丈ほどもありそうなハンマーを素振りする男性騎士や、細剣を美しく振るう女性騎士。そして、広間の的に向かって矢を射る女性と杖を振るう女性にシュティレの視線が奪われる。
バシュンッ! と放たれた矢が、鮮やかに的の真ん中を射る。続けて、女性が杖を振るう。どこからともなく生み出された水の球が、的を粉々にする。
「すごい……」
「ふふーん。シャールの騎士さんはすっごく優秀な人ばっかりなんだからっ! きっと、シュティレの魔法のヒントになるものがあるよ!」
ティアルマは笑みを浮かべると、シュティレも釣られるように笑顔を浮かべた。そしてすぐに、表情を真剣なものへと変え、食い入るように訓練場の騎士たちを眺めた。
部屋のベッドの縁に腰を下ろしたエスティアは、顔を両手で覆い、盛大なため息をついた。
「はぁ……魔王……討伐……か」
まさか、復讐の為に勇者になったつもりが……本当の勇者と同じような目標を目指すことになるとは。予想だにもしない出来事にエスティアはもう一度ため息をつかざるを得なかった。
だが、魔王を討伐すれば――シュティレや、みんなが人に戻れる。社会からもう一度、人として認知されるんだ……それだけで、彼女にとっては戦う理由となる。
「だけど……そんなことにシュティレを……」
巻き込んでも良いのだろうか。両手から覗かせる彼女の顔は、悲しみに揺れる。きっと彼女に相談すれば、ついて来てくれるだろう。だが、そんな彼女に甘えたままでいいのだろうか、いや、ダメだ。
彼女に辛い思いばかりをさせられない。だけど――
「シュティレと離れたくない……」
それは、紛れもなく彼女の本心だ。最後の家族だから、買い手がいないから、とかじゃない。ただ、彼女と一緒に居たいと願う本心。
でも、“ダメだ”という自分がいる。『お前では、シュティレを幸せにできるわけないだろう。苦しめるだけだ』ともう一人の自分が囁く。
「わかってる……そんなこと……っ」
勇者の外套を身に纏たって、それを脱いでしまえば――ただの奴隷商人。どんなに理想を掲げようと、彼女を家族として扱ったことは変わらない事実として残っている。
そんな“クズ”が彼女を幸せにできるはずがない。ポスン、とベッドに横たわったエスティアは瞳を閉じ、噛みしめるように小さな声で「シュティレ……」と呟いた。
「君を好きだと伝えたら……シュティレ……君はなんて言ってくれるかな……」
「――そんなの聞いてみればいいじゃない」
突然声が聞こえ、瞳を開ければ――エスティアが横たわるベッドの縁に腰を掛け、ニヤニヤと笑みを浮かべるアリアナの姿がそこにあった。
エスティアの時間が止まる。そして、時がゆっくりと動き出すと同時に彼女の顔が真っ赤に染まっていく。そして、静かに顔を隠す様に両手で覆い、呟くように口を開いた。
「アリアナ姫……なんで、いるんですか……」
エスティアの蚊の鳴くような声にアリアナは笑いを零す。先ほどまでの威勢は完璧に影を潜め、年相応の少女らしい彼女の頭を優しく撫でる。
「いやね、これだけ渡しておこうと思ってたんだけど……ドアをノックしても返事がないから、つい」
そう言って、彼女がパチン、と指を鳴らすと――一双の籠手がエスティアの前に降り立つように現れる。
よく磨かれたそれは銀色に輝き、いかにも新品だと言いたげのそれとアリアナを、交互に見つめながらエスティアは怪訝な表情を浮かべる。
アリアナはそんな彼女に、呆れ顔でため息をついた。
「はぁ、そんな怪しまなくても、私からのプレゼントよ。だって貴女、魔剣以外の装備を持ってないじゃない。そんなんだとすぐに怪我しちゃうわよ。それぐらいなら貴女の邪魔にはならないと思うし、ありがたく受け取りなさい」
「……ありがとう、ございます」
「あと、その煩わしい敬語もいらないわ。私と貴女は――仲間なんだから」
ニヒッ、と笑うアリアナ。エスティアは驚いたように一瞬目を見開き、笑みを零す。まさか、奴隷商人嫌いの彼女と手を組むことにはなるとは、人生何があるかわからない。
「そうだね。ありがとうアリアナ」
「ふふっ――で、あの子……えっと、シュティレと言ったわね。気持ちは伝えるの?」
「話を戻さなくていいからっ!」
収まりかけていた熱が再びエスティアの中で再熱し、真っ赤に染まった顔でカラカラと笑うアリアナを睨みつけた。聞かなかったことにしておいてくれると思ったのに、と内心で悪態を垂れる。
だが、そんな考えを魔眼を使わずとも感じ取ったアリアナはクスクス、と笑いを零しながら口を開く。
「だって、面白いじゃない。あの有名な奴隷商人さんが、まさか奴隷に恋をしているなんて。それに、城内じゃ中々、浮ついた話も聞けないし、たまには女の子らしいことしたいのよ」
「なーにが、女の子だよ……面白がってるだけじゃん……」
不貞腐れたように枕に顔を埋めるエスティア。
「でも、ちょっと安心したわ」
「え?」
「だって、貴女の奴隷商人としての噂は聞いていたけど、突然行方が分からないと思ったら、勇者になって魔剣の担い手にもなって……正直、貴女に会うのが少し怖かった」
暗い表情で天井を見つめるアリアナの言葉に、エスティアは恐る恐る顔を上げる。
「そういえば、アリアナは奴隷商人嫌いだったね……殺されるとでも思った?」
彼女は何人もの奴隷商人を処刑台へと導いた張本人。不用意に外を歩けば、暗殺されかねないほど、商人と客たちに恨まれていることは確実だろう。だから、妹が奴隷商人に助けられたと知ってさぞかし驚いたはずだ。
エスティアは口角を上げ、挑発するように言うと、彼女は悲し気に瞳を伏せた。
「そう、かもね。もし、ティアを人質に取られたら、私はこの命を躊躇なく差し出せるわ。それほどあの子を愛しているもの……でも……まだ死ぬわけにはいかないの」
そう呟く彼女は妹を思い浮かべているのだろう。見たこともないほど優し気に細められた瞳が深い愛情を物語っている。だが、すぐに表情を落とす。
「だって、私が死んだら……誰があの子を守るの? きっと誰もあの子を守れない」
「でも、城のみんなからは好かれてるんじゃないの?」
花のように明るい笑みを携え、同じように明るい性格の彼女。とても好かれやすい性格だ、とほんの数回の会話でもエスティアは十分に感じ取っていた。
だが、アリアナの表情が晴れることは無い。むしろ余計に落ち込んでいるようにも見える。
「そうよ、あの子はいい子。明るくて、優しくて……でも、アイツらは……っ」
怒りを孕んだ彼女の声に、エスティアは思わず、起き上がり彼女の手を優しく握っていた。おそらく、彼女は視たんだ。彼らに潜む暗闇を。
事情なんて分からない。おそらく、王城にもそれなりの闇があるのだろう。それはどこだって一緒だ、光が強ければ、暗闇だって深くなるのだから。
今だって、私の思考なんて彼女には全て視えているだろう。どう思っているか、分かりもしないのに同情して、手を握っている愚かな感情だって。
「――えぇ、全部視えているわ。でも、その愚かさを塗りつぶす程の深い悲しみが貴女から伝わってくる。だから、私も貴女の手を振り払えないのかもね……」
「アリアナ……」
エスティアは今にも泣きそうな顔で笑う彼女を見ていられなくなり、そっと抱きしめた。
「私、そこまで頼んでいないのだけれど……年下の子どもにここまでされる趣味はないわ」
怒気の混ざった冷たい声が響く。だが、エスティアは涼しい顔で、彼女の背中を優しく撫でながら口を開く。
「なら、振り払えばいい。まぁ――そんなことさせないけどね」
勝ち誇ったようにエスティアの黄金の瞳が一瞬だけ煌めく。
アリアナは、諦めたように彼女へと体を預ける。内心では「こんな子どもに慰められたなんて……」と愚痴を零すが、まるで囚われた蝶のように、彼女のぬくもりから抜け出せなくなる。
「今だけは、嫌な物から目を背けていい。視なくていい、大丈夫だよ。アリアナ」
安心させるような優しい声色でそう呟き、エスティアの瞳が藍色の瞳を捉えた瞬間――アリアナに視えていたものが溶けるように視えなくなる。
空中を舞っていた様々な“言葉”や“感情”が一切見えなくなる。理解できない、どうして、と言いたげにエスティアを見つめれば、彼女は不思議そうに首を傾げる。
だが、それだけだ。彼女が今考えていることが一切わからない。なにも視えないのだ。
「貴女は、いったい……」
アリアナはそこまで言いかけて止まる。
ずっと焦がれ続けた風景。他の人達と“同じ世界”をもっと見ていたい。もう少しだけ、この夢を見ていたい。そう思ってしまってはもう戻れない、アリアナは誘われるように笑みを浮かべ――
「ありがとう」
小さく呟くのだった。
あれからどのくらいの時が経ったのだろう。アリアナの夢のような時間は、部屋に響き渡ったノック音によって終わりを告げた。
「エスト様、お食事のご用意が出来ましたので、お迎えに上がりました」
ドアの向こうから男性の声が聞こえる。
アリアナは、フゥ、と小さく息を吐き出すと、エスティアから離れた。その瞬間――いつも通りの風景が“おかえり”と言いたげに様々の物が視える。だが、その光景にどこか安心している自分がいることに、彼女は自嘲する。
「エスト、夢のような時間をありがとう。貴女のおかげで、元気が出たわ。さっ、行きましょうか」
立ち上がり、エスティアの手を引いた彼女は微笑みを浮かべた。
「そっか、よかった」
照れくさそうに頬を掻きながら、彼女に手を引かれ、二人は部屋を後にした。
食堂へとやって来ると、もう既に、シュティレとティアルマは席についており、談笑をしていた。
その光景を見ていたエスティアの胸に一瞬だけ走る痛み。チクリ、と何かで刺されたような痛みに首を傾げる。今のは、なんだろう。
彼女の隣に立っているアリアナは複雑そうな表情で、彼女を見ていたが、すぐに笑みを浮かべた。
「エスト様。人の気持ちを知る方法は、“視る”か“聞く”のどちらかだと私は思っております」
突然、この人は何を言い出すんだ。エスティアは怪訝そうに彼女を見つめるが、彼女は気にせず独り言の様に話し続ける。
「ちなみに、私のおすすめは“聞く”です。まぁ、正直に答えてくれるかはわかりませんが。それでも、おすすめです」
「貴女が言うなら、その方がいいんでしょうね」
見つめ合った二人は小さく笑みを零す。すると、そんな二人に気付いたティアルマがブンブン、と手を振る。
「あっ! エスト様にお姉さま!」
「エスト、遅いよっ!」
早く座れと言わんばかりに、手招きをする彼女たちに、二人は笑みを浮かべながら席へと着き。賑やかな食事が幕を開けた。
食事も無事終わり、部屋へと戻ったシュティレとエスティアの二人はベッドの縁に腰を掛け、肩を寄せながら会話の無い空間を過ごしていた。
シュティレは嬉しそうに彼女の肩にもたれかかりながら、そっと手を握る。エスティアはそんな彼女の行動に心臓が張り裂けてしまいそうだった。
本格的に彼女のことを好きだと自覚してしまった。以前までは、少しドキドキするときもあり、心惹かれている自覚もあったが、大切な家族という思いが強かった。
だが、今は違う――シュティレが欲しいと体中が疼く。まるで薬物中毒者の禁断症状の様に、彼女のことしか考えられない。触れたい、触れたい、まるで自分ではないようだ。
「エスト? 大丈夫?」
彼女の異変を感じ取ったのか、シュティレは眉尻を下げ、心配した様子でエスティアの顔を覗き込む。彼女の甘い香りがエスティアの鼻腔を突き抜け、バクバク、と心臓が異常な速さで脈打つ。
もう正常な思考でいることは不可能。ずっと戦っていた理性が倒れる音がする。だが、最後の力を振り絞るように理性が欲望の足を掴み叫ぶ“シュティレが悲しむ”と。そうだ、彼女を悲しませてはいけない。
エスティアは必死に耐えるように唇を噛みしめ――
「だ、だい、じょうぶ……」
顔を紅潮させ、我慢するような硬い表情で言われても、彼女が納得するはずがない。いつもとは全く違う表情に、彼女はもしかて体調を崩したのでは、と不安げに聞き返す。
「本当に?」
そっと、シュティレがエスティアの頬へと手を触れる。
だが、それがいけなかった。エスティアの理性は今ので完全に――振り払われた。
エスティアは彼女の手を掴み、顔を引き寄せる。
彼女が驚く間もなく。
エスティアは、彼女の唇を奪っていた。
シュティレは瞳を見開き、戸惑いながらも顔を離そうとするが、エスティアがそれを許さない。後頭部に手を回し、体を密着させる。
ゆっくりと、シュティレを味わうように唇を押し付け、そのまま彼女を抱きしめるようにベッドへと押し倒す。トサリ、と押し倒された彼女の青い瞳が戸惑いに大きく揺れ動く。
小さな吐息と共に二人の顔が離れ、潤んだ黄金の瞳がシュティレを映し出し、エスティアは余韻を楽しむかのような吐息を漏らす。その表情に、シュティレの心臓がかつてないほどの高鳴りが訪れる。
彼女はこんな表情もするのか、と。
「エスト……」
囁くような困惑の浮かぶ声色に、エスティアの肩が大げさに跳ねる。
「シュ、ティレ……」
上気した表情で、エスティアはシュティレの頬を愛おし気に撫でる。その触り方にゾクゾクと彼女の背中が震える。それは嫌悪感ではなく、快楽に似たもの。それを自覚してしまったシュティレは首元まで顔を真っ赤に染め、視線を逸らす。
すると、エスティアはクスリ、と小さく笑みを零す。その扇情的な表情にシュティレは声にならない声を漏らした。
「シュティレ、もう一度してもいい?」
エスティアが耳元で甘く囁く。
きっと、今の彼女は正常じゃない。どうしてこうなったかは分からないが、このまま流されるのは良くない。断ろうとエスティアを見つめれば、彼女はまるで捨てられた子犬の様に縋る視線を向けている。
シュティレは諦める。だって、求めてくれる彼女を堪らなく愛おしいと思ってしまったのだから。
「……いいよ。でも、今度は――私からね」
薄く微笑んだ彼女はそう言って、エスティアの唇を優しく奪う。
数秒にも満たない。一瞬にも感じるそれは、先ほどよりも優しく、暖かい。離れては再び吐息を合わせ、二人は時間も忘れ、夢中になって求め合った。




