98 黄金の勇者
パリィィィィン! 黒い斧を跳ね返したと同時に甲高い音が跳ねる。それは、黒い斧と宝剣が砕け散る音だった。
斧の黒い破片と宝剣のエメラルドグリーンの破片が雪のように降り注ぐ。そして、降り注ぐエメラルドグリーンの破片は光の粒子となってエスティアの体へと吸い込まれていく。
『エェェェェスゥゥゥゥティアァァァァァァッ!』
バケモノが喉を上へと向け叫ぶ。その声は空気を震わせ、宙を舞っていた黒い破片が向きを変え――エスティア目掛けて落下していく。このままではエスティアとシュティレの体をその無数の刃が切り刻むだろう。
エスティアは急いで倒れているシュティレを抱きかかえる。宝剣が砕けた際にシュティレへとかけられていた圧力が解除されているため、エスティアはそのまま後ろへと飛んで回避する。落ちてきた黒い破片が床を砕き、いくつものクレーターを作り上げ、砂埃が舞う。
「シュティレ、大丈夫?」
砂埃からシュティレを守るようにしながらエスティアは声をかける。濃霧のように舞う砂埃のせいで、バケモノ姿は見えない。おそらく、あちらも二人の位置を特定することは不可能だろう。心配するような黄金の瞳と青緑色の瞳が彼女の青色の瞳を射抜く。
シュティレは自分を抱きかかえている彼女の手へとそっと自分の手を重ねると、「大丈夫だよ」と笑う。漆黒の籠手に守られているその手は力強くシュティレの体を支えている。だが、彼女は気付く、その漆黒の籠手にはいくつもの傷やヒビが刻まれ、もういつ壊れてもおかしくないことを。
「エスト……」
瞳を伏せて名前を呼ぶ。エスティアは困ったように微笑むと、もうなにもぶら下がっていない腰を一瞥し口を開く。
「魔剣も宝剣も壊れちゃった。だけどさ、これでよかったって思うんだ」
「……エスト」
「だって、あれはさ、ずっと一緒になりたいって願ってたから」
エスティアがそっとシュティレを地面へと降ろす。左目が深い青色へと変化していても、その表情が満足げなのに気付いたシュティレは釣られるように微笑を浮かべ、エスティアの両手を握る。ギュッと力を込めれば、エスティアは嬉しそうに破顔する。
たとえ籠手に包まれていようと彼女の体温がよくわかる。それは、もうこの籠手が体の一部のようなものとなっているせいだろう。魔剣の影響で色だけではなく、魔剣と同等の力を手に入れたそれは、付けていることを忘れるように馴染んでいた。
「……さて、武器が無くなっちゃたわけだけど。どうしよっか」
エスティアがそう言って笑う。すると、シュティレは鼻で笑うとパチンと指を鳴らす。すると、一振りの氷で出来た剣がエスティアの元へと舞い降りた。キラキラと透明に輝くそれは、エスティアの瞳の色や明かりを反射して虹色にも見える。
それを両手で受け取ったエスティアは、あまりに美しすぎるその剣に小さく声を漏らす。その反応にシュティレは得意げに表情を緩めた。
「すごい……まるで、宝剣みたい」
「ふふん。すごいでしょ? ずっと、宝剣を見てたからね。それにこれはエスト、貴女の――心をイメージして作ったんだよ?」
「へ……?」
予想外の言葉にエスティアは驚きで目が点になった。シュティレはそんなクスリと微笑み、そっと氷の剣を撫でる。
「この剣みたいにまっすぐで、透明な美しい心を持つエスティア・リバーモル。そんな貴女をずっと見てきた私しか創ることのできない特別な剣。貴女の心が折れない限り、これが砕けることは無い……ううん、私がいる限り、絶対に砕かせてなんてあげない」
「シュティレ……」
エスティアが小さく彼女の名前を呼んだその時、彼女の漆黒の籠手が輝きを帯びる。それはいつもの邪悪な色ではない。まるで、蜂蜜のように澄んだ――黄金色であった。
キラキラと星屑の息吹のようにエスティアの体から湧き出た黄金の魔力が籠手から次第に二人を包み込む。どこまでも温かく、穏やかなそれに包まれながら二人は見つめ合う。
二人の体に刻まれていた傷がゆっくりと、剥がれ落ちるように消えていく。さすがにそれには二人は驚いたが、あの人の魔力ならなにが起こってもおかしくないと納得する。
「エスティア、貴女には私以外にも沢山の人が付いてる。大丈夫だよ」
シュティレがフワリと微笑み、エスティアの頬を両手で挟む。それだけで、お互いの魔力がお互いの体を行き来しているのがわかる。
「うん」
そっと、二人は口づけを交わす。その次の瞬間――漆黒の籠手が砕けた。
パリン、と音を立てて崩れ落ちる籠手。だが、それはすぐに漂う黄金の魔力へと吸収され、エスティアの両手を纏い、輝く。エスティアは小さく頷くと、体の向きを変え、いまだ漂う砂埃の奥にいるであろうバケモノを見据える。
エスティアの両手へと纏うキラキラと煌めく黄金の魔力が徐々に形を作り始める、それは彼女の手を守るように変わっていき――黄金の籠手となった。まるで陽の光のような温かさを兼ね備えながらも、月夜に煌めく月のような神秘さをも持つそれが一層の輝きを放つ。
エスティアの体を纏う黄金の魔力。それは、彼女の邪魔にならない程度の鎧を作り上げた。籠手と同じような輝きを放つ鎧を身に纏った彼女はフワリと微笑む。
黄金の鎧を身に纏ったエスティアをシュティレは“まるで、天使みたい”と考え、思わず笑う。いや、違う、今の彼女は誰がどう見たって、立派な勇者だ。彼女の魔力にあてられ、僅かに黄金を帯びたローブをはためかせたシュティレは小さく「みんな、見ててね」と呟いた。
――さぁ、いきなさい。
そんな優しい声が聞こえた気がしたエスティアは、わずかに瞳を潤ませ「うん」と答え、持っている剣を軽く振るう。
すると、命をも凍り付かせるほどの冷たい空気が砂埃を切り裂く。パラ、パラ、とその空気によって凍り付いた砂が床へと落ち砕けた。煌めくそれを目で追うように立ち尽くしていたバケモノが吠える。
『ッルァァァァァアアアアアアアアアアアアアアッ!』
「はっ、その程度? それなら、ノーヴェンの方がもっと恐ろしかったよ」
空気を砕き、骨の髄まで響く声をエスティアは鼻で笑い飛ばす。バケモノの体が不自然に膨らむ。それはまるで、ボコボコと中で水が沸騰しているかのように蠢くと、バケモノが苦しむようにその場に膝を付き喉を天へと向け、吠える。
パキッ。
そんな音が聞こえた。それは、バケモノの皮膚が千切れた音だった。そこから早い。まるで爬虫類が卵から出てくるかのようにバケモノの内側からゆっくりとソレは姿を現す。
白濁した三本の鋭いカギ爪を器用にひっかけ、飛び出す様に現れるは――巨大なトカゲの顔だった。ギョロギョロと全てを飲み込むほどの黒い眼でエスティアとシュティレを睨みつけながらそれはぬるりと、出てきた。
『――ッイァァァァアアアアアアアアアアアアアアアォッ!』
卵からは想像をできないほどに巨大な――ドラゴンが翼を広げ、咆哮を上げる。形容しがたいそれは声と呼んでよいのだろうか。白く半透明な体はうっすらと内臓が見えており、心臓部には真っ黒で巨大な魔力核も確認できる。
エスティアはそんなドラゴンを見た瞬間、“あぁ、結局、奴も失敗作なのか”と考えた。白濁した体に、三本ヅメで……瞳はあるようだが、おそらく彼の完成品とは程遠い結果だろう。
ドラゴンの咆哮によって城がとうとう崩れ始めていく。おそらく、城の魔力を吸い尽くしたせいだ。ガラガラと崩れ始め、空が顔を覗かせる。
「ベルトラン……アンタにはお似合いの結末だよ」
エスティアが氷の剣を構える。黄金の魔力にあてられ、それはいつの間にか金色に輝いている。力が溢れ出して暴走してしまいそうだ。剣を握り締めた彼女は溢れ出す魔力に持っていかれないように強く意識を持つと――駆け出した。
まるで誰かが背中を押してくれているかのように体が軽い。閃光のようにまっすぐにエスティアが迫ると、ドラゴンは巨大な体からは想像できない素早い動きで体を捻り、その大木ほどもある尻尾で薙ぎ払う。
凄まじい速度で、太い尻尾が迫る。たったそれだけでもエスティア程度の人間を叩き潰すには十分だろう。だが、それは届かない。
『ゥルルルルルィィィィイィィアッ!?』
ドラゴンの尻尾が宙を舞う。大木ほどの大きさのそれはまるで蹴とばされた小枝のように落下し、ドスン! という大きな音を響かせた。その音で、ドラゴンは自分の尻尾が斬り落とされたと理解し、怒りに体を震わせた。
そして、視界から消えたエスティアを探そうと首を動かした時、ドラゴンはゾクリと嫌な気配を感じる。それは、明確な“死の予感”だ。眩いほどの黄金がドラゴンを照らす。
「――ハァァァァアァァッ!」
氷の足場から飛び降りてきた黄金の勇者が――黄金に輝く氷の剣を振り下ろす。
ドラゴンの尻尾を斬り落とし、そのまま跳躍しシュティレの作った氷の足場を起点に流星のような落下速度で繰り出される一撃。普段であれば、この動きをした時点で彼女の体には無数の傷ができるものだが、黄金の魔力がそれを許さない。出来るはずだった傷は無かったことにされているのだ。
ドラゴンの頭部へと重たい一撃が直撃する。轟音が鳴り響き、凄まじいほどの衝撃波がもう殆ど崩れかかっている城を破壊する。瓦礫は粉々に砕け飛んでいき、一気に視界が開ける。空と太陽がエスティアたちを照らし、草原のニオイが鼻をかすめる。
もう、ここが魔王城だったと思う者はいないほどに城はエスティアのたった一撃によって粉砕されたのだ。凄まじすぎるそれはまるで神が怒りの鉄槌を下したかのようだ。
ドラゴンはその一撃に耐えられず、頭が地面へとめり込む。その姿はまるで、エスティアへと頭を垂れているかのように見える。が、エスティアは小さく舌を鳴らしドラゴンの頭を蹴り跳躍して距離を取る。
「ふぅ……この一撃で全部砕くつもりだったのに、ヒビすら入らないなんて」
そう、今の一撃は全てを破壊する神の一撃にも等しいものだ。なのに、ドラゴンの体には傷一つ付いていない。その硬さは今までに経験がない。そうまるで……月でも相手にしているような気分だ。エスティアはそう考えて、案外間違ってないかもねと笑った。
それほどに強大な相手だ。もっと、力が必要だ。エスティアは苛立ったようにコチラを睨みつけながら顔を上げたドラゴンを睨み返す。漆黒のその眼差しは全てを飲み込んでしまいそうだ。
パシュンッ!
その時だった、そんな軽い音が響いたのは。エスティアの背後からすり抜けるように放たれた二羽のタカが羽ばたきドラゴンへと一直線に向かい――その漆黒の瞳へと突き刺さった。
『ゥルルルルルィィィィイィィアァァァアアアアアアアアアアアアアアッ!』
両目から黒い液体を吹き出しながらドラゴンは体を仰け反らせ、痛みに唸る。そのまま天へと向きその怒号によって空の雲が吹き飛ぶ。パラパラと瞳から黒い結晶の様なものを零しながらドラゴンは瞳を砕いた犯人であるシュティレを睨む。
砕け、もう瞳ではなく割れた水晶のような黒い瞳がぎろりとシュティレとその前で庇うように立つエスティアを映し出す。
「戦うのはエスティアだけじゃない」
スっと息を吸い込み、黄金に輝くローブをはためかせる。そんなシュティレの周りに渦巻くはエスティア同様に煌めく黄金の魔力である。
「――私だって、もう守られる存在じゃないっ!」
一歩踏み出し、エスティアの隣へと立ったシュティレはそう高らかに叫ぶ。夏の海のように澄んだ青色の瞳が煌めく。エスティアはそんな彼女を横目で見ながら“私も負けてられない”と剣を力強く握りしめる。
二人の魔力が絡み合い、渦巻く。それは風となって草原を撫で、ドラゴンの体へと吹き付ける。この時、ドラゴンは今、自分の目の前にいる二人は人間ではないと理解する。
あれは、殺さなければいけない。喰らって自分の力にするのは不可能。あれは、グチャグチャにかみ砕き、斬り裂き、塵すら残してはいけない。
あれは――神の子だ
ドラゴンは斬り落とされた尻尾を再生し、砕けた瞳をも再生する。神の片目を喰らった心臓がある限り、この体から魔力が尽きることは無い。大きく翼を広げ、ドラゴンはゆっくりと宙へと上がり、二人を見下ろす。
『ゥィィィィァァァアアアアアアアアアアアアアアアォッ!』
フルートで奏でたような声がドラゴンの口から吐き出される。その次の瞬間、二人へと虹色の雨が叩きつけるように降り注いだ。




