10 その奥底にあるものを引き出して
「奴隷商人のエストさんでよろしかったでしょうか」
そう呟き、笑みを浮かべる女性――アリアナ・ホープスはこのシャール王国の王女であり、まだ若いが隠居した父である先代王に変わってこの国を治める、彼女の瞳は“藍色の瞳”と呼ばれる“魔眼”の一つの持ち主でもある。
その瞳は人の嘘を見破ると言われ、実際にその魔眼と順応性の高さでこの国を導いてきた理想の王女様とも呼ばれている。
煌めく長い銀髪はライトの明かりを反射しキラキラと輝くそれはまるで、朝日に照らされた雪のようだ。だが、それは彼女の美しすぎる容姿を引き立たせるスパイスでしかない。
ティアも十分美しかったが、目の前の彼女は別格だ。すべての景色が彼女の為にあるとでも言いたげに、彼女はただ扉の前に立っているだけなのに、絵画のような美しさに彼女を見た世の男性は、思わず求婚してしまうだろう。
だがそれは――一般人からしたらの場合だ。エスティアのような奴隷商人からしたら、この上なく、魔王並みに恐ろしいといえる存在の彼女。
ダラダラ、と背中に冷たい汗を流しながら、彼女はひきつった笑みを浮かべ、乾いた笑い声にアリアナは唇に指を当て、子首を傾げた。その仕草だけ見れば可愛らしいものだが……その藍色の瞳が全てを見透かす様にしているせいで、エスティアは今にでも逃げ出した気分だった。
「あら? もしかして、人違いかしら?」
「……いえ、今は休業していますが、私がエストです」
「ふふっ、そんなにかしこまらなくても良いのですよ? 私はずっと、貴女に会いたいと思っていましたから」
まるで、想い人にでも言うような雰囲気で言い放つ彼女だが、エスティアのぎこちない愛想笑いが直ることは無い。
「そうでしたか。アリアナ姫にそう言っていただけて嬉しい限りです」
彼女の“瞳”を見てはいけない。無礼を承知でエスティアは彼女と視線が交わらないように頭を下げ、ピカピカに磨かれた床を一心不乱に見つめた。見たら最後、彼女の前で嘘をつくことが出来なくなる。
それだけは避けねば、とエスティアは唇を噛みしめ、拳を握る。
「エストさん。ぜひ、頭を上げてください。私の大切な妹を救っていただいた、英雄のお顔を良く見せていただけますか?」
「……このような卑賤な身分にはもったいなきお言葉です」
こう言われては従うほかない。エスティアはゆっくりと顔を上げた。
「やはり噂通り、お若いのですね。それにとても可愛らしいお顔……奴隷商人でいるのが勿体無い」
「……ありがとうございます。そう言っていただけると故郷の両親も喜びます」
アリアナが笑みを浮かべ、エスティアの顔をジッと見つめる。そして、藍色の瞳が金色の瞳を捉えた。
その瞬間――言いようのない恐怖が全身を駆け巡った。魔剣と戦った時とは全く違うベクトルの恐怖に彼女の体が小さく震える。
命のやり取りをしているわけでもない。魔剣を抜けば彼女など容易く亡き者にすることぐらいできる。
だがまるで、心の奥底深くまで見透かされているような、感覚。そんなことをされて、不快な筈なのに……不快に感じていない。自分の奥底に燻る声を聞いてほしいと叫ぶ自分自身に彼女は恐怖する。
「こんな方に助けていただいたなんて、ティアも運がいいですね。本当にありがとうございます」
「い、いえ……なりたてだとしても……勇者として、当然のことをしたまでですから」
咄嗟に視線をずらしたが――もう遅い。
アリアナは瞳を一瞬だけ訝しむように細めたが、すぐに笑みを浮かべ「それでもありがとうございます」と礼を述べる。
「ちなみに、勇者になった理由を聞いてもよろしいでしょうか? 貴女のような若い子が珍しかったので、嫌でなければでよいのですが……」
彼女の向かいの椅子へと腰をかけたアリアナはそう言い、立ち尽くす彼女に座るよう促す。彼女は素直にそれに従い、口をつぐんだ。
聞かれると思っていた。だから、彼女はこういった場合の為にあらかじめ用意していたセリフと一緒に紋章の描かれた紙を差し出した。
「これは……勇者の紋章ですか」
「はい、実は……その持ち主を探すために勇者となったのです」
ニコリと他人用の笑みを浮かべるエスティア。その表情に、アリアナの藍色の瞳が妖しく煌めく。
「探している理由を聞いても?」
「あ、はい……実は……」
エスティアは表情を変えず、考えていた言葉を――
「その紋章の、勇者に……復讐、する……た、め、で……」
口から出た言葉は、彼女の意とは相反するものであった。彼女は頭の中で“違う、違う”と言い続けるが、まるで心の奥底に居る自分が話しているかのように彼女の口からは本心が言葉を紡ごうとしてくる。
そして、彼女は理解する。あの瞳は嘘を見破るとかそんな次元じゃない。その人の本当の心を無理やり――引きずり出すんだ、と。
彼女の心臓がドクドク、と音を立て、咄嗟に心臓を抑えるように手で押さえる。
アリアナはそんな彼女を黙って見つめたまま、彼女の次の言葉を待つように微笑みを浮かべていた。
あぁ、彼女が聞いてくれているのなら、話してしまおうか。本当であれば、勇者を――王国勇者に復讐すると言った時点で、王女であるアリアナはエスティアをその場で処刑することだってできる。だが彼女は、黙って聞いている。
覚悟を決めたエスティアは片手で顔を覆いながらポツリ、ポツリ、と言葉を零す。
「私は、王都から少し離れた場所で……ひっそりと奴隷商人をしていました。たとえ、褒められた職業ではないとわかっていても、それなりに……幸せな生活をしていました」
彼女の脳裏に浮かび上がる子どもたち。どの子も素敵な子で、どこに送り出しても大丈夫だと胸を張れる最高の子どもたち。エスティアはグッと、拳を握り、顔を上げた。
「だけど、そんな幸せを――奪われたっ!」
黄金の瞳がアリアナのドレスの色を奪い。赤みがかった蜂蜜のような色にも見えるその瞳は、さながら彼女の激情を現しているかのよう。アリアナは小さく息を呑んだ。
不本意にも彼女の瞳を美しいと思ってしまった。ずっと見ていたら吸い込まれてしまいそうな恐怖を生まれて初めて感じ、彼女はそっと魔眼に自分の魔力を流した。
別にエスティアが何かをしたとは思わないが、彼女の瞳はそれほど魅力的に映っていた。
「屋敷に住んでいた子どもたちは、ティアと一緒にいるシュティレを除き全員が殺されました」
突然饒舌に話し始めるエスティアの瞳は爛々と輝き、今にも喉笛に噛みつかんとする野生の獣を見ているようだ。握り締められた拳は骨が白く浮き出るほど強く、皮膚を突き破り骨が飛び出してしまいそう。だが、そんな彼女の表情は今にも泣きだしそうなほど弱々しく感じる。
アリアナはそんな彼女の虜になってしまったかのように視線を外すことが出来なくなる。
本当であれば、王国勇者に危害を加えようと言った時点で、彼女はエスティアの首を刎ねるべきだと考えていた。だが、それは“姫”という立場で聞いたからだ。
アリアナは迷っていた。目の前の無法者の話を姫として聞くか否かを。
そんな彼女の考えなど知るよしもないエスティアが言葉を続けようと口を開くのを見て、彼女はとりあえず聞くことにした。
なぜなら、エスティアが嘘をついていないことなど――魔眼を使わずとも分かっていたから。
「しかもただ殺されたんじゃない……天竜族の子は、象徴でもある角を折られ、瞳を抉られていました。他の子たちも思い出すだけで気が狂ってしまいそうなほど……惨たらしく殺されていたんです。それをやったのが――王国勇者だって言うじゃないですか……ッ」
体を震わせながら語る彼女の姿にアリアナは息をするのも忘れて聞き入ってしまう。内容の悲惨さもあるが、先ほどまで魔眼を恐れ目も合わせようとしなかった彼女が怒りの炎を滾らせ、憎悪の篭った瞳でアリアナを見つめていたからだ。
エスティアはその怒りをぶつけるかのように叫ぶ。
「復讐は悪ですか? 私は悪だとは思わない。大切な家族の為にソイツを惨たらしく、生まれたことを後悔するほど残酷に殺してやりたい。それは悪ですか!? 教えてくださいよ――姫様!」
そう叫んだエスティアはそのまま項垂れるように黙りこくってしまう。
「エスト様……お顔を上げてください」
机に乗り出す様にエスティアの頬へと手を伸ばした彼女は優しく微笑む、がすぐに真剣な物へと変えた。
顔を上げたエスティアは、そんな彼女の表情に生唾をゴクリ、と飲み込み若干怯えの混じった表情で彼女を見つめた。
「勇者の為に作られた“勇者法”により、王国勇者に危害を加えることは、どんな理由があろうと大罪とされます。そして、奴隷というのは人から堕ちた存在です。たとえ殺されようと咎められることはない者たち。奴隷商人である貴女ならわかっている筈です」
「それは……ッ」
確かに、奴隷は人から堕ちた存在。苗字を奪われ、人権も奪われ、奴隷の上に立つ者たちの為に生かされる彼ら。体に消えない証を刻まれ、永遠に奴隷という立場から逃げることのできない彼ら。
だけど――エスティアにとってはかけがえのない家族だ。それだけは変わらない。絶対に変わることの無い真実。
だが、目の前のアリアナはそんな真実すら意味のないものだと冷たく突き放す。
エスティアは悲愴な面持ちで机へと視線を落とす。そんな彼女を見つめながら、アリアナは優しく笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「ですがそれは、今の法律。理不尽で身勝手なくだらない法律」
「――え……?」
吐き捨てるように呟いた彼女に、エスティアは思わず顔を上げた。
そこには、先ほどまで浮かべていた優し気な表情は影を潜め、不敵な笑みを浮かべる彼女。同一人物とは思えないほどの表情の変わりように、エスティアは啞然とした表情で口をパクパクとさせる。
「私がこんなクソッタレな法律――変えてやるわよ」
「ア、アリアナ姫……?」
言葉遣いも丁寧とはかけ離れ、愕然とする。人は一瞬でここまで変われるのか……エスティアは口をポカンと開けたまま固まる。
そんなエスティアを見つめながら、アリアナは口元に手を当て、クククッ、と笑い零した。
「ティアにも見せたことないけど――これが、私の本当の姿よ、幻滅した?」
「あ、いや、その……」
「私って、こんな“目”を持っているせいでね、嫌でも人の本心が見えちゃうのよ。いい感情も、悪い感情も……そんなものを小さい頃から見てたら性格が綺麗に育つわけないでしょ? 本当なら、こんな城なんて出て行きたいぐらいだわ」
ガラガラ、とエスティアの中で作り上げられていたアリアナが音を立て崩れ去る。だが、彼女の中には親近感が生まれていた。一国のお姫様も、結局は同じ人間で、普段は隠しているだけで本当の姿はそこら辺の人達と全然変わらない。
そのおかげか、エスティアの中で沸騰していた怒りは一旦、矛を収め。只々、啞然としながら触れられている頬に視線を移した。触り方は優しいのに……と思いながら。
そんな彼女など気にすることなく、アリアナは言葉を続ける。
「でもね、そんな私でもやりたいことがあるの。わかる?」
「い、いえ……わかりません」
「でしょうね。私はね――この世界の頂点に立ちたいの」
「……は?」
アリアナは歯を出して二っと笑い、エスティアに顔を近づける。
「シャール、聖都、帝国の三つに分かれているのは知っているわね? 私はその全部をくっつけて新しい国を作るの!」
エスティアは彼女の言葉に顎が外れるんじゃないかと思うぐらい大口を開け、限界まで瞳を見開く。
この国を一つにする。きっと考えられたことはあっても、誰にも成し遂げることなどできない、と一蹴されてしまうほど無謀なことを彼女は言っている。
「……それを、どうして……私なんかに言うんですか?」
そんなことを言われても関係ない。もし、勇者だからという意味で言ったのなら無意味だ。彼女は復讐さえ果たしてしまえば後はどうでも良いのだから……勇者だってその為の隠れ蓑に過ぎない。
そんな考えをアリアナは“視た”のか、鼻で笑う。その態度に、エスティアは若干眉を顰めた。
「はっ、バカねぇ。もし私が、世界の頂点に立ったら、この国の法を変えてあげる。貴女の奴隷たちを――人に戻してあげる」
勝気に笑みを浮かべるアリアナの言葉に、エスティアは言葉を失った。
頭の中でリピートする、“人に戻してあげる”という言葉。それは、ずっと彼女が望んでいたこと。人の扱いすらされない彼らが……それだけで、彼女の瞳から涙が出そうになる。
「……本当に、貴女が、頂点に立ったら……彼らは……っ」
興奮のあまりエスティアは机から体を乗り出し、アリアナとの顔の距離がぶつかりそうなほど近くなる。お互いの吐息がかかるほど近く。お互いの瞳にお互いの姿が大きく映る。
彼女の藍色の瞳に映った自分を見つめながら、エスティアは自問する。彼女を信じていいのか、と。
「ふふっ、安心しなさい! 絶対に私を信じたことを後悔させない。沢山の“嘘”を視てきた私なら断言できる――信じなさい」
曇りない澄んだ藍色の瞳が輝く。絶対にやり遂げるとうい強い思い。エスティアは一瞬だけ目を見開くと、小さく息を吐き出した。
「――私はどうすればいい?」
「やった! 契約成立ねっ!」
子どものようにフワリ、と嬉しそうに無邪気に笑うアリアナ。その表情に一瞬だけエスティアの心臓がドキリと跳ねる。この人はいったいどれだけの“顔”を持っているんだろう。
「ふふっ――じゃあ、貴女には魔王を倒してほしいの」
「んんん!? 今なんて?」
聞き間違いだっただろうか。エスティアは目を点にしながら聞き返す。
「間違いじゃないわよ? 貴女には“魔王”を倒してほしいの。だって、国をくっつける為には邪魔なんだもの」
「あ、いや、その……っ!」
エスティアがまだ新人だと反論しようとすると、彼女が言葉を遮る。
「知ってるわ。つい最近なったばかりで、ブルーランクの勇者。でも――貴女は魔剣に認められたんでしょ?」
アリアナは彼女の腰に収まる魔剣に視線を移す。
「え、魔剣のことを知ってるの!?」
「えぇ、知ってるわよ。だって、その魔剣を封印したのは――先々代の王なんだから」
エスティアは言葉を失う。
「まさか、封印が解けてるなんて思わなかったけど、新しい担い手が見つかったのはある意味良かったわ。その前の担い手になった騎士は、あっさり乗っ取られてしまったからね。封印するしかなかったのよ」
先々代と言ったら、少なくとも数十年はあそこに居たというのか。エスティアは心の中でそっと彼に弔いの言葉を贈った。




