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宇宙の騎士の物語:個人の前歴;停止中  作者: 荻原早稀
レイ・ヴァン・ネイエヴェール
7/28

7. バイダルとの戦い

 プトリは鞘を回収し、厚刃刀も回収し、屋上の端まで行って下を確認した。

 地上では、カスパロフが一帯の制圧行動を起こしている。ギャングたち「暴力のプロ」を相手に、戦場のプロが手痛い教訓を与えている。

「銃を下ろせ、手を頭の上に組んで伏せろ」

 と大声で怒鳴っているが、手では直刀の背で次々とギャングたちの腕や足をたたき折り、銃器をどんどん破壊している。投降を促しているようでいて、投降する動作に移る前に倒していっている光景は、弱い者いじめにしか見えない。もちろん、銃器を持ってうろうろしている人間を弱い者とは普通いわないから、見ていて良心が痛む行動ではない。

 ガイセリック・ファミリーはこうして、ものの十数分で壊滅的打撃を受けることとなった。

 プトリはガイセリックの手下どもを根こそぎにしていくカスパロフを手伝う気はないらしいが、屋上から飛び降りてくると、苦も無く着地して涼しい顔で近付いた。

「状況終了です、大尉」

「こちらもすぐ終わる」

 カスパロフは動きを止め、直刀を伸ばしてその先で捉えた小石を宙に舞わせる。石はさらに直刀の腹で叩かれ、銃弾のような速度で飛んでいく。その先にはまだ銃を構える勇気があったギャングの若い構成員がいて、石は彼の右手を破壊した。

「大した手際だね」

 という幼い声が至近でしたから、二人とも驚いてそちらに視線を走らせた。

 さっきまで銃弾が飛び交い、人間の体まで飛び交っていた市街戦の最前線に、ようやく6歳になったといううすぼんやりした児童がいた。

「ネイエヴェール、あなたがここまで来ることはない」

 思わずカスパロフが大声を出していた。雇い主がしゃしゃり出てくる場所じゃない、といいたげだったが、そこまでいわなかったのは彼の良心だろうか。

 プトリも同意見だったようで、「お下がりなさい、決して安全な場所ではありません」といいながら駆け寄っている。

「この街じゃどこにいたって一緒だよ」

 レイは、さしていた傘を軽く上げ、事もなげにいった。確かに、そうだろう。

 この時も、レイは養護院で着せられているお下がりのお下がりのお下がりのような服を着ている。上がグレー、下が濃いグレーというコーディネートは、単に色が抜けてしまっているのか、グレー好きなのか、微妙なところだ。

 護身用の武器もない。養護院で支給されていないのはもちろんだが、どのような手段によってかは不明だが莫大な資産を持ちつつあるレイにとり、護身用の武器を調達することくらい簡単なはずなのだが、持っていない。

「どこにいても一緒かもしれませんが、せめて防具くらいつけるべきです」

 といったプトラも、防具の持ち合わせがあるわけではない。もちろんカスパロフも持っていない。

 光学兵器や軽質量の実体弾をはじいてしまう力場を放出するデバイスは、要人警護の現場では必須のアイテムだ。子供にそれを装備させ誘拐などから守ろうとする親もいるくらいで、小型軽量でかさばらないから富裕層の子女には比較的普及している。が、旗士はそんな防具を使わないし、使うとしても遥かに大出力のものだから気楽に持ち歩けるサイズにはならない。

「ここを生き残れたら装備することにするよ」

 レイは二人に鈍そうな目を向けながら淡々といった。雨に濡れた傘に、どこかから落ちてきた大きな水滴が当たって跳ねる。

 雨に濡れるままになっている大人二人が、レイの言葉にはっとした。

 違和感がある。

 思わず周囲を見渡す。

 まだ、騒ぎを聞きつけた市警察が来ているということもない。もちろん、軍の姿もない。野次馬の姿もまだ少ない。この後秒単位で増えていくのだろうが。

 二人はしばらくあたりを見ていたが、やがて一点に視線が集中する。

 やまない小雨の中で、ひときわ地味な傘をさしている長身の男がいた。

 ひどくラフな姿をしている。裸足にサンダル、ダメージがひどいだぶついたボトムスは、九分丈を適当に折ってひざ下丈にしていて、トップスは汚れたよれよれのボタンダウンシャツ。髪もレイに負けないぼさぼさぶりで、傘をさしている二人で薄汚さを競っている感すらある。

 無精ひげだらけの顔は彫りが深く、削げ落ちた頬がいかにも貧相に見える。肌は元は白いはずだが、日に灼けた上に色々な汚れがついてわかりにくくなっている。カスパロフやプトリよりは若い、という程度はわかるが。

 レイたちが立つガイセリック・ファミリーのビルの周辺は、道幅が広い。この地区のメイン通りである上に、ファミリーが自分たちのビル周辺で道端の商売や物の放置を許さなかったからだ。

 長身の青年は、さして交通量も多くない街路の反対側、少し離れた交差点の近くに立っている。距離にして五〇メートルもない。

 カスパロフとプトリ、歴戦の兵士である二人が、どう見ても警戒する必要があるとは思えないその男の姿に、ほとんど反射的に身構えた。何かを、二人とも感じていた。

 左手で傘を差し、右手をボトムスのポケットに突っ込んでぼんやり立っていた男は、よく見れば顔かたちだけを取り上げると美形といえなくもないのだが、その無精ひげに覆われた口元をややゆがめながら言葉を発した。

 聞こえない。

 距離が多少あるのと、目の前を地上車が駆け抜けて行ったからだ。

 が、カスパロフも、プトリも、口の動きや雰囲気から、その言葉が何となくわかった気がした。

『おもしろいじゃないか』

 カスパロフが直刀を抜いた。プトリも厚刃刀を抜き、同時にいった。

「バイダルです、気を抜かないでください」

 ウェンシャン・ファミリーが抱えるエース級旗士、バイダル。とてもそうは見えなかったが、やる気が著しく欠けているという事前の情報には確かに間違いがなさそうだ。

 そのバイダルが、ゆっくりと傘を下ろした。

 開いたままで下ろしていく傘の先が地面につきそうになった瞬間、バイダルの姿がその場から消えた。

 カスパロフの体が、宙を舞っていた。

 今までそのカスパロフにいいようにやられていたギャングたちは、何が起きたのかもわからず、バイダルの姿もカスパロフの姿も見失い、茫然としている。

 カスパロフは、彼自身が凄まじい速度の持ち主であるにもかかわらず、バイダルが瞬時に間合いを詰めてきたことに対応できなかった。素手のバイダルが鋭く振り抜こうとした右腕を、直刀で防ぐのが精いっぱいだった。

 バイダルの腕は間違いなく基力で強化されている。肌の表面に密度を極限まで高めた磁力線をめぐらし、あらゆる物質を遮断する層を作る技術。どんな刃物であろうと、この層は貫けない。

 高等技術である。直刀の刃に腕を叩きつけて、相手を吹き飛ばせるようなことができる旗士など、そういないはずだった。

 何とか正面からの攻撃を直刀を盾に受け止めたカスパロフは、吹き飛ばされはしたものの、態勢は崩していない。彼を吹き飛ばしたバイダルがその場に止まったのを見て、近くの壁に足をかけて体を止め、しびれる腕の痛みをこらえながら地に立った。

 カスパロフの足が地面についた時には、プトリがバイダルの攻撃を受けている。

 カスパロフを飛ばした反動で勢いが止まり、その場に棒立ちになったバイダルに、プトリは両手で握った厚刃刀を左脇から地をこするようにして斜めに斬り上げた。切っ先の速度は音速を遥かに超える。

 踏み込みも完璧な、必殺の剣であるはずだった。

 バイダルは、それを無造作に左手で受け止めた。湾曲した厚刃刀は、さほど力がこもっているとも思えないバイダルの左手で完全に止められ、微塵も傷付けもできず、握られた。

 プトリは厚刃刀にこだわる愚は冒さなかった。この青年を相手に武器を封じられたら致命的である。すぐさま手を放し、跳びすさっている。

 信じられないほどの手練れだった。

 二人とも決定的な打撃を受けたわけではないが、その実力に甚だしい差があることを感じざるを得ない。

 愕然とした。

 こんな宇宙のド田舎に、田舎ギャングに交じって、とてつもない怪物が紛れ込んでいた。多くの戦場で様々な旗士を見てきた彼らが、これほどまでの力を持つ旗士と戦った経験がない。

 青年は、声も出ない二人を前に、笑った。

「はは」

 哄笑、といっていい。

「こんなところでまともな旗士に会うとは思わなかったぜ」

 二人は笑うどころではない。何が起きているのかわからなかったが、少なくとも自分たちが今死地に立っていることはわかる。

「もう少し遊ぼうぜ、しばらくクソみたいな奴しか相手にしてなくて、なまりまくってんだ」

 青年が笑う顔の、眼だけが異様な光を放っている。それは比喩ではなく、本当に光っていた。網膜にも基力をめぐらし、目に入ってくる光を操作しているのだろう。一時的に視力を劇的に上げる技術で、これも高等技術だ。

 危険以外の何物でもない敵だった。カスパロフもプトリも、どう相手をしたらいいのか、一気にせりあがってきた恐怖を抑えるのに必死だった。

 バイダルが動く。

 刃を握っていた厚刃刀を放り投げ、ギャングの発砲でめくれ上がった街路の路面を鋭く蹴る。飛んだ破片はプトリに向け突き進む。音速を超えた破片は衝撃波と共にプトリに衝突する。

 プトリも基力を両腕に込め、破片を弾き飛ばしながら横に跳んだ。直線的な動きでは読まれるから、細かく足を運んで複雑な曲線を描いた動きで鋭く走る。 

 が、バイダルの前には無力だった。

「なかなかいいぞ」

 当然のようにバイダルはプトリの目の前に現れ、複雑な足さばきに完全に追随してきた。

「ふざけるなっ」

 プトリが叫びながら、腰に着けていたショックガンの替えパックを至近距離から投げつける。

 バイダルは余裕をもってそれを避けたが、その避けた方向に、瞬時に距離を詰めてきたカスパロフの渾身の直刀が叩き込まれた。

 二人の動きに即応し、プトリと目配せだけで呼吸を合わせての攻撃だった。

 このカスパロフの斬撃を受けきれる旗士が、宇宙にどれほどいるだろうか。少なくともカスパロフもプトリも、そんな相手と剣を交わしたことはなかったし、だから生き残ってこられた。

 バイダルは、その剣を受けきろうとはしなかった。

 いなかった。

 直刀を振り下ろしたその軌道上に、バイダルの姿がなかった。

 バイダルは、プトリの後ろにいた。

 プトリの背筋を右の手刀で叩き、彼女の意識を断ちつつ、器用に彼女の腰から厚刃刀の鞘をはぎとると、必殺の剣が空振りに終わったカスパロフの眉間に向けて弾き飛ばす。

 瞬間的に意識を奪われたプトリが体の加速度のままに横に跳び、倒れこみ、路面にすさまじい勢いで叩きつけられる。

 鞘を避けきれなかったカスパロフが頭部に直撃を受け、脳を揺らされながら仰向けに倒れていく。

 瞬殺、だった。

 ガイセリック・ファミリーの旗士たちを子供扱いにした二人の旗士が、バイダルに赤子扱いされてしまっていた。

「なんだよ、まだ寝るには早いぜ」

 基力で異様なきらめきを見せる双眸に、本当に残念そうな表情がある。

 二人とも、肉体的な衝撃で意識を奪われかけていたから、反応もできない。

「意外につまんねえな」

 両手をボトムスのポケットにぶち込み、バイダルは大げさにため息をついた。

 そのバイダルに、別の声が反応した。

「上帝団から逃げている旗士がこの星に紛れ込んだと聞いているけど、君か」

 感情の無い声。どう聞いても幼児の声。

 すぐ近くに、いつの間にかレイがいた。

 さすがに度肝を抜かれたらしく、バイダルの眉が上がる。

「驚いたな、この星じゃ赤ん坊がそんなことまで知ってんのか」

「僕は赤ん坊じゃないよ。六歳だ」

 レイはつまらなさそうに、つまらない答えを返す。

「まあ、何から逃げようが僕には関係ないけど、僕らの邪魔するのはやめてもらうよ」

 傘を差したままのレイは、バイダルにまっすぐ体を向けたまま、視線をバイダルに合わせ、淡々といった。

「俺が邪魔だって? そいつは悪いことしたな、坊や」

 にやにやしながらバイダルが答えた。いかにも馬鹿にした様子だが、当然の反応といえばいえた。

「こいつらの雇い主、まさか坊やなのか?」

「そうだよ。面白半分に痛めつけられると困るんだ」

「参ったな、話が見えないぞ。やっちまうか?」

 その姿が視界には入っているカスパロフが、逃げろ、と口にしようとしたが、脳震盪を起こしている彼の体はまだ思うように動かない。まともにしゃべることができなかった。

 その呻きが聞こえたのかどうか。

 レイが、軽くため息をつくとくるりと後ろを向いた。

 てくてくと歩いて距離を取ると、再び振り向いて傘を閉じた。

「君じゃ僕はやれないよ。とにかく邪魔さえしなきゃいいんだから、帰ってくれないかな」

 うすぼんやりした表情はこゆるぎもしない。ここまでくれば立派なものだろう。

「いうねえ、坊や」

 バイダルも顔色を変えない。どこまでもバカにした声音だった。

 次の瞬間、バイダルが吹き飛んでいた。

 何が起きたのか、わかっているのはバイダルだけだったに違いない。カスパロフもプトリも、見えてすらいない。まして周囲のギャングの残党や野次馬などに見えているはずがない。

 バイダルは、突然現れた幼児の中に、あまりにも高度に整流され高密度を保たれているがために、おそらく百人旗士がいれば九九人まで見逃すであろう基力を見た。

 見た目の幼児性を信じてはいけない。こいつは宇宙レベルの高位旗士だ。

 バイダルは若いながら経験から知っている。幼児の体をしながら、人の寿命を超える時間を過ごした凄腕の旗士がこれまでにもいたこと、旗士という超人の世界で見た目など何の基準にもならないこと。

 さっきまで相手にしていた二人の旗士、あれは多少腕は立つが、しょせん兵士だ。俺の相手になるような奴じゃない。だがこの坊やはどうだ。

 そう思った瞬間、試したくなった。

 幼児の姿をしながら、得体のしれない力を内に秘めた相手の強さを。

 一度敗北したばかりに宇宙を逃げ回る羽目に陥っている自分の強さを。

 だから、極限まで無駄のない動きで、限界まで基力で高めた動きで、レイに襲い掛かった。

 そして、飛ばされた。

 もはや人間の目ではとらえられない速度域で、バイダルは幼児の足元に踏み込み、渾身の両手刀をその両鎖骨めがけて振り下ろした。両手で閉じたばかりの傘を持っている幼児が、避けも防ぎもできないはずの攻撃だ。カスパロフもペトリも、回避するどころか知覚すらできなかった異次元の攻撃である。

 レイは、視線をバイダルに向けたまま、わずかに肩をすくめただけだ。

 それだけで、その左右両方の肩と首の間に手刀を叩き込んだはずのバイダルが、逆のベクトルの力で両手刀をはじかれ、同時に腹部の数か所にすさまじい衝撃を受けて体を弾かれた。

 カスパロフたちが驚愕したバイダルの基力の集中が、レイのそれには負けていた。レイが鎖骨にまとわせた基力の防御力場は、バイダルの手刀がまとった基力を、密度と量とで明らかに凌駕した。

 それだけではなく、バイダルが知覚できないほど早く鋭く、基力で強化した傘の石突でバイダルの腹部を突いていた。

 バイダルはついさっきまでのカスパロフやプトリ同様、絶望的なまでに力の差がある相手に、圧倒された。

 街路に飛ばされ、たまたま走ってきた地上車に衝突する。大人一人が、ほとんど直線的に飛んで行ったのだから、当たられた地上車はひとたまりもない。不幸な地上車はそのまま近くのビルまで弾き飛ばされ、壁に衝突して止まった。

 基力で全身を守っているバイダルに、地上車との衝突でダメージはない。だが、身じろぎしただけで自分が弾かれた衝撃は深い。車に当たって勢いが止まったところで姿勢を変えてそのまま立ち、もといた方向に体を向けたが、痛みやしびれがなくとも、受けた衝撃は大きかった。

 こいつ、やっぱりおかしな奴だ、とバイダルは歯ぎしりする思いだった。自分がどれほど強いか自覚もしているし自信もある。その力が通用する気がまるでしない。

 と、バイダルは目を疑った。

 バイダルを肩のひとゆすりで吹き飛ばしたはずの幼児が、目の前で彼の懐に飛び込もうとしていた。

 基力を爆発的に放出することで強引に体の態勢を変えようとしたバイダルだが、6歳としても小柄なレイの踏み込みはさらに早い。

 充分に左足を踏み込んだレイの、一直線の軌跡を描く右掌底突きがバイダルの体を捉えた。

 バイダルは、集中させた腹部の基力の膜を破られ、内臓を揺さぶる衝撃波を体内に食らい、もんどりうって倒れた。

 濡れた街路の上を転がり、泥や油にまみれたバイダルの回転が止まった時、何もなかったように傘を開いたレイが、何もなかったような口調でいった。

「もう一度いうけどさ、とにかく邪魔さえしなきゃいいんだから、帰ってくれないかな」

 レイの圧勝である。

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