7. ギョーム
星間航行船用の巨大なターミナルは、無重量空間に浮かぶ球体から無数の針のような薄い細板が突き出した、トゲが短いウニのような形をしている。ほぼ全面が船の噴射などの光や電磁波を出来るだけ吸収するような塗装が施されているため、黒々と虚空に浮かぶその姿はよりウニらしい。
もちろんウニに似せたくてそうしているわけではなく、無駄に可視光や電磁波の乱反射が発生したら、船舶の運航に支障が生じるからだ。
要塞ではないので、極端な防御設備はない。宇宙ゴミや彗星の衝突に備えた防御力場のシステムや破砕用の火器はあるが、戦闘用の艦艇の攻撃に耐えられるような仕組みは持っていなかった。
それが許される位置に、この半径一〇〇キロメートルの巨大ターミナルはある。
メディア帝国の自然地理的中心から若干銀河中心を遠ざかる方にずれたところに、その発祥の地であり帝都でもある恒星系メディアがある。
恒星系メディアは一つの恒星の周囲を岩石型の惑星五つと気体型の惑星六つが周回し、その内側から四つ目の惑星が帝都と呼ばれる。
帝都惑星の軌道上にはいくつもの航行用施設があり、その外側の複数の重力均衡点に帝都防御用の要塞や軍工廠が並ぶ。
軌道上の施設に向け、帝都の地上からは六本の軌道エレベータが伸びている。軌道用エレベータはそれぞれ特徴があり、最も大きなものはその最も細い部分で半径一〇キロという途方もない太さで、物流を支える大動脈として機能している。もっとも古い軌道エレベータが一番小さく、今は産業遺跡として保存され、観光資源として使われている。
星間航行用の船舶は質量が巨大だから、惑星や小惑星が様々に重力を及ぼし合う空域に適応できるほど細やかな操作には向かない場合が多い。取り回しが悪いから、あまり惑星の近くまで来られると迷惑極まりない。といって、遠すぎると中継輸送コストが膨大になる。
そこで、星間航行船ターミナルは第七惑星の軌道に近い重力均衡点に置かれている。肉眼で惑星メディアがかろうじて視認できるという距離だが、帝都の人口六億人を支える巨大商業港であるこのターミナルと惑星とは、高速交通網が極めて発達している。本気で急げば半日で皇宮に到着できる時間的距離は、宇宙時代においては「遠い」とはいわない。
長距離星間航行船のうち、大型船舶が係留される区画には長さにして五キロメートルを超える桟橋が設置されている。たいていの船舶はこの長さで足りる。
星間条約共通暦九一四年、皇太子冊立問題が次第に国内の諸勢力のキナ臭い抗争劇へと変化しつつある中で、七月になってこの宇宙ターミナルに巨船を乗り付けた貴族がいた。
戦艦で帝都に乗りつけるのは不敬に当たるため、貴族は通常船舶で訪れるのが一般的だ。この貴族も、巨大な自家用客船で現れている。
球状の巨船は緑色の濃淡で複雑な幾何学文様が描かれ、それ自体が芸術作品のように彩られている。そして船体各所には自家の紋章を誇らしげに輝かせている。
黄金の火トカゲ紋。
分権派貴族穏健派の領袖、大諸侯であるサント侯爵家の紋様だ。
ジュスティーヌの祖父、ギョーム・ダクール・ドゥ・サントが、数年ぶりに帝都を訪れていた。
巨躯である。身長は二三〇センチメートル、体重も一二〇キログラムを超えるが、太った印象は少しもない。年は一〇〇歳になろうというのに、まさに筋骨隆々という印象の大男だ。華麗な金髪を長く伸ばし、後ろで一つにまとめているその姿は、身にまとう絹服の豪奢さと合わせ、まさに絢爛豪華を地で行く男だった。
大諸侯の当主だが、あまり帝都に姿を現さない男だった。領地内ではこまごまと動き回り、領主として勤勉と評されるが、家の外のことは基本的に子供に任せている。長女であり、ジュスティーヌの母でもあるベリゴーヌ子爵ジャンヌが渉外担当のトップを務めており、サント侯爵を受け継ぐダクール家に与えられた帝国議会の議席も彼女が占めている。
ターミナルの桟橋に接岸し、気密シャフトが接続されると、その中を人や貨物が行き来を始める。やがて、数人の側近と一〇数名の護衛を連れたギョームが、低い重力がある中をつま先だけで流れるように歩きながら通過していった。
久々の帝都は、彼を楽しませない。
渉外を娘に一任していることからもわかるが、彼は自領にしか興味が無い。自らが守り育てる侯爵家領サント星系の維持発展こそが彼にとっての幸せなのであって、宮廷政治などには微塵も興味がない。
だからこの時、彼は極めて不機嫌な顔をしていたし、周囲も腫物を扱うような態度だった。あまりごちゃごちゃと話しかけられるのも嫌だから、あえてそういう表情を作っている部分もあったのだが。
「空気が淀んでいるのではないのか。所詮は中央の野蛮な連中の野蛮な制御だな」
言い掛かりでしかない、文句にもならない文句をぶちぶちとつぶやいている。それが途切れ途切れに聞こえるから、周囲はなおさら気を遣うのだ。
分権派貴族の領袖などといわれてはいるが、彼自身がそうなろうと願ったことは一度もなかった。単に、分権派に属している大諸侯の中で最も領地が大きく人口も多いということだけが理由だった。
宮廷序列でいえば彼を上回る大貴族は他にいくらでもいるのだが、二〇〇年かけて彼ら一族が育ててきたサント星系は、他の侯爵家を遥かに超え、公爵や大公爵といった上位の位階を持つ貴族たちにも比肩するものがほとんどいないという、強大な力を持つに至っている。人口規模は飛び地なども含めた数字で六〇〇〇万人近く、多くの公爵領でもここまでの規模を持つ家は少ない。
これは、歴代侯爵のたゆまぬ努力により人口が増えた結果であり、うっかり公爵に陞爵(しょうしゃく、貴族の階級が上げられること)されることで中央政界に関わりを持たなければなくなることを避けた結果ともいえる。
中央政界に一切関心を持たない貴族の存在は、奇異にすら見える。
彼が穏健派といわれているのは、彼自身の政治姿勢が穏健だからではなく、国政にほとんど意識を振り向けないから、他の貴族と違って性急な行動を取らないからというだけのことだ。
彼らサント家ほど地方分権を実際に実行している諸侯は他にいないといっていいのだから、穏健派どころかどこの諸侯と比べても急進的な姿勢ではあるのだが、この場合の「穏健派」「急進派」は中央政界における立ち位置の問題だから、実際がどうかということは関係がない。
彼は旗士ではないが、見ての通りの体格と貴族には珍しい克己精神とで体を鍛え上げ、たいていの職業軍人との模擬格闘戦で実力での勝利を勝ち取る力がある。さすがにこのところ体の衰えを自覚するようになったが、周囲を圧する迫力は只者ではない。穏健派、という言葉面通りにはとても見えない人物だ。
この彼がむっつりと押し黙ったまま歩いていると、何とも恐ろしげな雰囲気になる。
なんでもかんでも機械まかせに移動する惰弱さが嫌いな彼は、自船からターミナルの帝都惑星への乗り継ぎ口まで自分の足で歩いていくのだが、周囲にとっては迷惑な話だった。
中途半端な微重力の中で、慣れていない人間が歩くのにはなかなかの集中力がいるし、すぐ近くを不機嫌の塊になっている侯爵が異様な重圧感をのしかからせてくるし、時間はかかるしで、護衛たちは顔には一切出さないが常に変化を見逃すまいと神経をとがらせている。
彼がこの時点でわざわざ帝都に赴いたのは、まず第一の理由が皇帝よりの招聘だ。帝国貴族として、皇帝より直々の招聘があれば、その膝下に参じるのは神聖なる義務だ。中央を嫌っているギョームとはいえ、まるきり無視するというわけにはいかない。それがある貴族の謀略によるものだとまでは、この時点での彼は気付いていない。
第二の理由は、ほかの分権派貴族たちからの突き上げである。いつまでも引きこもっていられては迷惑だ、たまには集権派の貴族どもに存在感を示してほしい、と泣訴にも似た他の貴族からの要請を受けている。これも、まるきり無視するというわけにはいかなかった。
孫娘に会うため、という目的はない。ジュスティーヌはわざわざ寄宿学校に通っているのだから、規定の休み期間以外に家族と会うなど言語道断である、という正論を、彼は大真面目に守ろうとする性格の持ち主でもあった。
このあたり、娘にも徹底させている。帝国議会出席のため年の半分は帝都にいる彼の長女のベリゴーヌ子爵ジャンヌだが、その娘のジュスティーヌとは年末年始の休みや夏休み以外に会うことはない。
妙にお堅い一家である。
ターミナルの桟橋で、ギョームはその長女と関係者の出迎えを受けた。
「父上、早速ですが諸侯連絡会の皆様が遠隔会議へのご臨席をお待ちです」
ジャンヌは父や娘と同様豪奢な金髪の持ち主で、大量の情報を人に見せずに表示できる眼鏡端末を愛用している。操作は右手の人差し指に付けた指輪を使い、指のわずかな動きで行う。
「せわしいことだな」
「皆様父上のご到来を心よりお待ちでしたわ」
「ふん、直接会う度胸は無いと見えるがな」
明日には帝都入りして直接会えるだろうに、わざわざターミナル到着を見越して今日会議を行う意図を見透かしたようにいう。
「明後日には帝国議会が再開されます。明日では何かと動きが取りづらいということもございましょう」
「そういう事にしておいてやろう、連中の精神的安寧のためにな」
片頬にだけ笑みを浮かべた父の顔を見て、ジャンヌはひっそりとため息をついている。
日頃多数の貴族や議員と接している彼女にとっては、頑迷といってもいいような父の思想より、むしろ他の貴族たちの姿勢の方が理解しやすいのだが、そんなことを口に出せばたちまち自分が議員の席を失い、次期当主たるベリゴーヌ子爵の爵位も奪われるだろうことは目に見えている。
球形のターミナル外郭部最深部にある貴賓用区画の会議室に、サント侯爵家の一団は入っていく。
会議室は帝国政府直営のターミナルにあるだけあって内装は豪華である。なにしろ、天井と床には地球原産種の遺伝子改良がなされていない天然木、壁には同様の木を使った本物の紙が貼られ、テーブルも巨大な天然木の一枚板。「大破壊時代」以降の宇宙で、これは特別な贅沢といっていい。
だがギョームにとってその贅沢は目に留めるほどの価値は無いもので、室内の雰囲気など一切無視してさっさと席に着く。ジャンヌたちもぐずぐずしていれば彼の怒りを買うことになるから、席の譲り合いだの無駄な談笑などその素振りすら見せず、淡々と着席していく。
「さて、始めてもらおうか」
ギョームがいうと、ジャンヌの指示で部下たちが会議のメンバーたちと連絡を取り合い、すぐに大きな円卓の反対側の席に人影が映し出された。さも現実にそこに座っているかのような映像が流れるのは、この手の遠隔会議のお約束だろう。
『久しいな、ギョーム』
真っ先に現れたその人物に、ギョームは少々驚いた顔をした。意表を突かれたらしい。
「これはこれは……大公爵閣下、よもや貴方がお出ましとは」
『わしはもはや大公爵ではない。隠居していかほどになると思うておる』
「さればお師匠様、まずはご健勝で何より」
『互いにな』
その昔、若き大諸侯の御曹司ギョームの修行先として彼を受け入れ、貴族による所領経営とはいかなるものかを叩き込んだかつての大貴族、もとナルボンヌ大公爵シャルル・ドゥ・プティ、御年一四二歳。総白髪の小柄な男に老いの影は濃いが、炯々と光る目の鋭さに一向に衰えは感じられない。
ギョームにして師匠と呼ばわしめるほどだから、シャルルも骨の髄からの分権主義者だ。
『貴公は老けぬな、重畳の限りじゃ』
「なに、近く一〇〇の坂を越えまするゆえ、いずれどっと老け込みましょう」
人間の体がそう簡単には老化しなくなって幾久しいが、神経系の老化は地球時代より遅くなっているとはいえ限界がある。一二〇くらいまでは現役が続けられるとされる現代でも、体より先に神経系が老いに侵される。そうなれば途端に老け込んでいく。その限界点が一二〇歳程度ということだ。
『まだしばらくは若うおれ。隠居するには少々世情が悪い。貴公の気骨が必要よ』
老シャルルのすっかり老けて皺ばんだ顔を見て、ギョームは不意に気付いた。皇帝の招聘など、シャルルが仕組んだ茶番なのではないか、と。
「何かございましたか、お師匠様が左様な懸念を持たれるような」
気付いたことはおくびにも出さず、ギョームはことさら上機嫌に問う。
『存じておろう、エティションの若僧のこと』
シャルルの声が笑いを含んでいる。嘲笑、というには苦みが多い。
「むろん存じておりますが、何か動きでも」
『近頃帝都に入り、何やら画策しておるような。あの家は当主がもはやまともに動けぬ、エティション公家は今や集権派の牙城と化しておるわ』
若き英才アントワーヌ・ドゥ・エティションは、公爵家の世子という立場ではあるが、当主である父が大病を患った末に神経系に障害を負い、半ば寝たきりであることから、偉大な血統と称されるエティション公爵家の実質的な当主代理として八面六臂の活躍をしている。
『どうやら集権派は元老会議の本格的な票固めを始めたようじゃが、我々の影響力排除のために様々に策をめぐらしておる』
「若僧が何をしようと、我らが力で押し切れましょう。外戚などと、許しは致しませぬ」
『そうもいうてはおれぬ。このところ、帝国軍の総騎士長の様子がおかしい』
「総騎士長が」
総騎士長とは帝国全軍の騎士、つまり士官級の棋士たちの総代表であり、帝国騎士の象徴である。帝国軍に十数ある騎士団のすべての代表者でもあるし、有事の際にはそれら騎士団を統括して皇帝大騎士団を再編、それをトップとして率いる存在だ。
いわば旗士界の超重要人物。軍での階級は元帥で、絶対的な権威の持ち主だ。
「彼も分権派に強い同情を寄せておると聞いておりますが」
『何があったかは知らぬが、ここ数か月で変心しおったようぞ。初めは宰相にそそのかされ帝権派に心を寄せておるのかと思うておったし、それは間違いではなかった。されどこのところはあの若僧に何を感化されおったか、すっかり集権派になびいたと聞く』
確かに大ごとだった。軍でも政界でも強い影響力を持つ老軍人である。もともと人気がある騎士たちのリーダーということで目立つ人物ではあったが、彼が集権派になびけば動揺する貴族たちが多く出てくる可能性がある。
「余計なことを……」
『またぞろ我らの統制を外れた馬鹿どもが軍事的な冒険をせぬとも限らぬ、と思うておるのじゃろう」
シャルルがいっているのは、分権派の中でも特に過激な連中が、以前の分権派内過激派が引き起こしたクーデター騒ぎを彷彿とさせるような事件を起こしそうな気配がある、ということだ。
軍はあくまで中立を保たなければならない立場だし、だいたい軍人が政治色を帯びるようになるとろくなことにはならないものだ。総騎士長の集権派びいきは、少なからず軍部に影響を及ぼすだろう。
『よもや若僧のごときが謀反など起こすまいが……その度胸も無かろうしな。されどあれほどの軍部高官を篭絡したとなれば、むしろ分権派陣営のクーデターを警戒して実効火力を持とうとしておると考えてよかろう』
「そこまで過激化しておりますか、双方の陣営は」
『にわかにな。貴公を待っておったはそれよ、我が方のバカ者どもには叱責と軌道修正を、我が方にあらざるバカ者どもには正義の鉄槌を』
「さて、それがしがごときの小言など聞きは致しますまい」
会議室にはぽろぽろと「諸侯連絡会」の参加者が集まってきたが、誰も口を開こうとせず、二人の会話の行方をじっと聞くつもりらしい。
というより、重鎮二人からにじみ出る凶暴なオーラに飲まれ、口を出すきっかけがつかめないのではないか、とジャンヌは見ている。実の父であればこそ恐ろしさより可愛げを感じられなくもないが、並みの人間が見れば二人の会談には得体のしれない重量感がある。
『聞かせねばならぬ。他にそれができる者も見当たらぬことだしな』
「無論微力はつくしますが、そもそも若僧の権力の淵源たるべき皇女カノン殿下の太子冊立は、もはや不可避であるとの認識で間違いはありませぬか」
『ほぼ、な。元老会議の連中は中立を気取っておるが、皇女殿下の才質に抗うことはできぬだろう。それは良い、確かに殿下のご英才は衆を圧しておる』
それはギョームも知っている。何しろ直接カノンに会った孫娘からも評判を聞いているのだから。
『されど殿下の周囲を集権派で固めるような真似をされてはたまらぬ。陛下は幸い左様なことにならぬよう周囲にも申されておいでだが、陛下の中立とていつまで続くかわからぬ』
「何かご懸念でも」
『皇妃陛下よ』
老人のしわが深くなった。
『若僧の御妹君は、このところ兄アントワーヌの側近とよう語らっておるそうな』
これまでなかったことだった。極力政治的な波風を立てないように、皇帝も皇妃も、皇妃の実家と直接的なつながりを持たないようにしてきたはずだった。そうでなければ皇帝周辺の政争で国内の政情不安を引き起こさないとも限らないからだ。
皇帝家はその中立性を堅持することで国内政治を安定化させる。君臨すれども統治はしないフィリップ八世が行う唯一の政治活動と、いえばいえる。
それが最近崩れ始めているのではないか。
それがシャルル老人の懸念だった。
『おとなしそうに見えて、実権を握った途端に本性を現すおなごなど、歴史上溢れに溢れておろう。皇妃陛下がさにあらぬことを願うておるが、願うてばかりおっても詮が無い。貴公に期待する所以よ』
「はて、それがしに何をご期待なされておられますか」
『貴公の存在だけで集権派への牽制になろう。貴公が皇妃に近付かぬよう正論を以て論陣を張れば、集権派もうかつなことは出来ぬようになろう。それだけの重みと破壊力が、貴公の存在にはある』
「買いかぶられましたな、お師匠様。それがしはただの田舎諸侯にて……」
『あるいは貴公の孫娘が皇太子に冊立されれば、すべての懸念は一掃されようしな』
シャルルの眼光が鋭さを増す。冗談などではない、と視線がありありと物語っている。ギョームは絶句した、ように見える。あるいはそのふりをして相手の反応を待ったのかもしれない。
シャルルは構わず続ける。
『わしはそれが早道と思うておるが、別の道もあろう』
「……とおっしゃいますと」
『皇帝陛下の御子は一人ではないし、旗士も一人ではないということ』
「……マリオン皇女殿下、ですか」
マリオン。カノンの母違いの妹に当たる。
『母は寄る辺亡き外国人、最大の庇護者は宰相じゃが、血がつながっておるわけでは無し、問題にならぬ』
「されど、マリオン殿下には畏れ多くもご障害がおありだ」
ギョームの声が低い。盛り上がった肩の筋肉から異様な力感が漏れ出る。二人の会話をじっと聞き入っている諸侯たちの間に、さらなる緊張が走る。
皇女マリオンに遺伝的な障害があることは公然の秘密である。過度の遺伝子治療が禁じられているこの国では治せない。
そのうえ、皇女の母は貴族どころか平民階級ですらない。他国の話とはいえ農奴階級の出であり、国外に脱出し亡命した先でモデル兼女優として生活していた。とても、臣民の母たるべき存在とはみなされないだろう。
皇帝がそんな彼女とどこでどう出会ったのか、詳細は一切明かされていないが、マリオンの誕生は一種のスキャンダルだった。今でも国内ではマリオンを「皇女」として認めたこと自体に異論がある。
マリオンは出自でも身体的資質でも、到底皇帝の目は無いと誰もが思っていた。特に、姉のカノンが完全無欠といえるほどに皇帝となるべき条件をそろえていただけに。
『なに、左様なものはどうとでもなる。史上、偉大なる君臨者に身体的出自的な障害のある者などいくらでもおったよ』
それがこの会議の目的か、とギョームはようやく理解した。この老人、皇女カノンを引きずり下ろす方向で分権派の意見をまとめるよう、かつての弟子に強制するつもりなのだ。
手段として孫娘を使おうがマリオンを使おうがかまわない。とにかくカノンを皇太子に冊立させてはならない。
集権派貴族を潰すのは現時点では難しい。ならば、せめて権力に介入できる機会を奪うこと。その上で改めて陣容を立て直し、集権派や帝権派とじっくり戦えばいい。
シャルル老人の枯れた肌が、この時はいやに脂ぎって見える。
『元老会議はわしが最大限にかき回してやろう。貴公は分権派をまずは一枚岩にし、いずれの候補を推すにせよ、全力で支援できる体制を早急に作れ。急がねばエティションの若僧がなし崩しに姪を皇位に就けてしまうぞ』
巨躯を椅子の上で身じろぎさせ、ギョームは軽く首を鳴らした。
「……果たして御意に添えますかどうか。まあ、微力は尽くしましょう」
『何か不満か』
「不満などと。ただ、愚鈍なる身にはなかなか要領が呑み込めておりませぬ。今少し考える時間をいただきたい」
『よかろう、聡い貴公のこと、明日にもなれば十二分に呑み込めておろうからな』
「お師匠様はやはり買いかぶっておいでだ」
ギョームは苦笑した。あるいはそのふりをした。
シャルルはそれを見過ごすことにしたようだが、色々と懸念が頭を去来しているようで、独り言のようにいった。
『急がねばならぬのは、むしろ別の身内やも知れぬて。分権派も貴族ならばわしや貴公が抑え得るが、理屈を与えられて正当化されたと勘違いしおった狂人どもも、埒外にはおる』
「それは分権派の尻馬に乗るテロリストがいると」
『どの世界にもおろう。自らの狂気を正当化された途端、凶事に走る愚人が。奴らは分権派だろうが集権派だろうが見境がない。自らの破壊衝動を満たすことさえできれば、理想などはきっかけにすぎん』
「目星はついておいででしょう。理由などどうとでもこじつけて、さっさと検挙してしまうに限りますな」
『それをするには政治状況をまずは整える必要があろう。司法警察も、証拠も無しに動くには相応の理由と背景が必要じゃ。貴公の剛腕を欲する理由がわかろうて』
宮廷の政治の名を借りた暗闘劇につくづく嫌気がさして領地に引きこもっていたギョームだが、確かに娘の手に負えるような事態ではなくなっているらしいこと、ここに来た時点ですでに自分が元大公爵の掌の上にあるらしいこと、帝位争いはここから一気に加速するだろうことを悟り、分権派の領袖として本格的に活動するしか道はないと覚悟せざるを得ないと思い定めていた。
まして、シャルル老人の言を信じるとすれば、テロリストが絡む可能性すらある。状況は加速度を増していて、のんびりしている暇などどこにもなさそうだった。
覚悟を決めるか、と巨躯の大諸侯は丸太のような腕を組みながらため息未満の呼気を漏らした。




