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宇宙の騎士の物語:個人の前歴;停止中  作者: 荻原早稀
カノン・ドゥ・メルシエ
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6. アントワーヌ

 帝立学院中等部三年の両翼、といえば、もはや泣く子も黙る実力者だ。

 ジャンとロベールである。

 初戦から二年が過ぎ、二人はライバルとして、あるいは親友として、互いに切磋琢磨し、ついに上級生たちを差し置いて実力で抜きん出るに至った。

 分権派と集権派、国内を三分する勢力の二つを代表して帝位を争う立場にある二人だが、不思議と馬が合った。当然のように中等部一二傑に名を連ね、体の成長と共にお互い以外には他を寄せ付けない強さを誇るようになっていた。

 二人の存在を面白く思わない連中も多いが、まともに敵に回して無事に済む相手ではない。本人たちの強さももちろんだが、二人とも大貴族の子弟として著名である。うっかり汚い手を使いでもすれば、後難必至だ。

 当然、ジャンの身内には集権派貴族の代表であるロベールを快く思わなかったり、ロベールの身内には分権派の領袖であるジャンを快く思わなかったりする者もいたが、「帝位を目指す者が派閥争いに興じるなど言語道断だ」という態度をとる二人に表立って逆らえる者も、もはやいない。

「おかげで快適なことよ」

 というジュスティーヌは、二人のおかげで無用な分権派と集権派の対立に巻き込まれずに済んでいたからありがたい限りだったが、そもそも分権派貴族で帝立学院に子弟がいる最大の諸侯は彼女の実家である。分権派と呼ばれる派閥の領袖は本来彼女の役割のはずだ。

 ほほほ、などとのんきに笑っていられる身の上ではない。

「人の苦労も知らないで……」

 ロベールと二人でお互いの身内を抑え、校内の平和を作り出しているジャンは、本当に何もしていないジュスティーヌののほほんとした態度にため息をつく。

「私には学院に身内がおらぬゆえな」

 そう、サント侯爵家はジュスティーヌ以外の一族郎党を一切帝立学院に入れていない。たまたまこの年代に旗士が少なかったこともあるし、自領に立派な旗士学校を持っているから、帝位を目指さないのであればわざわざ帝立学院に入れるメリットがないこともある。 

 お嬢様に付き従うための従士役を入れる、という発想はジュスティーヌにはない。祖父侯爵にはあったようだが、本人が頑として断っている。そんなうすみっともない真似ができるか、と祖父の好意を突っぱねたというが、自分の意思とは関係なく身内を入れられてしまっているジャンに遠慮して、表立っては何もいっていない。

「いいんだよ、苦労は苦労が似合う奴にまかせときゃ」

 無責任なことをいっているのは、もちろんロベールだ。苦労は買うものではなく、できるだけ高く他人に売りつけるものだ、と高言しているくらいだから、さすがは大商人の血筋だ。

「お前がいうな、もう一方のトップだろうが」

「俺にその気は無えよ、金にもならんことに気を使えるかよ」

「使え、ぼくのために使え」

「いくら積むよ」

「すぐ金か、この守銭奴め」

「当たり前だろ、俺を誰だと思ってる」

「開き直りもそこまで行くと立派だな……とでもいうと思ったか、恩知らずめ。もうノートは一切貸さんからな」

「まあ待て心の友よ、結論を急ぐ奴は稼ぎも少ないぜ」

「表現がすべて金がらみなのをどうにかしろといってるんだよ」

 口論ともいえない口論を、ジュスティーヌが笑って見ている。中等部の休憩時間にはよく見られる光景だった。

 すっかり二人に旗士としての実力で水をあけられてしまった、と自称するジュスティーヌだが、別に弱くはない。相変わらずジャンには「技術では僕より上」といわれるし、ロベールには「剣の小賢しさでは学院一」と嫌みをいわれているくらいで、この頃には堂々の一二傑入りを果たしている。

 ロベールとの初戦で素晴らしい技の冴えを見せたジャンにそういわれるくらいだから、ジュスティーヌの剣技はもはや懸絶しているといっていい。旗士としては小柄な体がうらめしいが、だからこそ「小賢しい」とロベールがいう俊敏極まりない剣技が成り立つ。

 学業では、秀才型の典型ともいえる日々の積み重ねで全教科に秀でるジャン、勉強しているようにも見えないのにテストではしっかり得点を重ねる天才型のロベール、高慢な貴族令嬢という印象とは裏腹にまじめに自習をしているらしく二人に引けを取らないジュスティーヌ、と三者三様ではあったが、いずれもトップグループに属する。

 頭の出来も良くて旗士としても学院を代表し、お互いを信頼しあって悪口もたたき合うこの三人が、注目を浴びないはずがない。さらに三人とも見た目のレベルが非常に高いと来ている。

 いまや、帝立学院の押しも押されもしないトップアイドルだった。

 そして、外野の興味は当然のごとく三人の恋模様に集中する。

 なにしろ思春期真っただ中、一六歳の三人だ。何をしても色恋がついて回る、はずだった。

「普通に見たら学院の薔薇をめぐる二人のライバル、のはずなんだけどね」

「でも薔薇の方が二人を男として見ているのかどうか」

「二人の方も薔薇を女として見ている気配が無いけど」

 と、こちらの方は散々ないわれようだ。

 三人とも異性同性問わず絶大な人気を誇る。

 だが、学院の薔薇ジュスティーヌはあらゆる男の好意を片っ端からへし折ってきたし、金髪の貴公子ジャンは告白してきた女子をふる技術が芸術的といわれるほど見事で、リムーザンの鷹ロベールは相手の好意を煙に巻いてとっとと逃げ出してしまうので有名だった。

 三人とも口には出さないが、心の底には帝位争いの重圧と緊張感がある。自分たちの政治的な立場を考えれば、恋愛に励んでいる余裕などかけらもないのだ。

 三人でいるとそのような余計な雑音が遮断できるメリットもある。この三人が一緒にいるところで、三人の誰かに近付こうとするバカはいない。



 ふつう、中等部に幼等部の旗士が修行に出てくるということはあまりない。幼等部の中でよほど実力が突出してしまい、相手がいなくなったという場合に限って、そういうことが行われる。

 年に十数名、そのような子供が出てくるが、たいがいレベルが違いすぎて長続きしない。ジャンやジュスティーヌなどはその中で生き残り、中等部でいきなりトップグループ入りを果たした。

 それでも、二人が中等部への修行に出たのは幼等部の六年生になってからの話だった。

 この年、異例中の異例が起きた。

 四年生というから、やっと十代に達したという子供が修行組に加わってきたのだ。

 修行組の相手をわざわざ一二傑が行うはずもなく、三人にとって直接関係のある話ではなかったが、興味は湧く。

 名前を聞いて、三人ともそれぞれに複雑な思いを込めたため息をついてしまった。

 カノン・ドゥ・メディア。

「……来たか」

 ジュスティーヌがつぶやく。

 意外、とは思わなかった。想像より早いとは思ったが、入学当初の彼女に感じた天才は、順当に育ってきたらしい。帝室始まって以来の高血統、などといわれるあの美少女が、いよいよ本格的な帝位取りの段階に入ってきたようだった。

「皇女殿下か、ついに来たな」

 ジャンも感慨深げだった。帝位争い最大の障害であることは論を俟たない存在だが、ジュスティーヌ同様その才能を見てしまっているジャンにとっては、競争相手というより、密かに敗北を覚悟している相手だった。血統がどうというより、彼女自身の才質に。

 ロベールは直接カノンの事を知らないが、帝国の貴族ともあろうものが皇女について何も知らないはずがない。

「いよいよ会えるか」

 と、柄にもなくまじめな顔をしていた。

「そろそろ元老会議がごそごそし出したともいう。帝位争いも佳境というわけだ、皇女殿下のご成長ぶりを確認しておくのも必要なことだ」

 ジャンがいうと、二人はうなずいた。要は、野次馬に行こうということだ。

 修行とはいえ、なにも試合を行うということではなく、単に練習に交じるということだから、場所は校内の旗士練習場。大型の体育館設備だ。

 三人が行くと、既に十重二十重の野次馬が群がっていて、その異常な注目度が知れる。

 人垣が割れたのは、この三人の影響力が並大抵のものではないということを証明していただろう。どけともいっていないのに、三人の存在に気付いた生徒たちが、自分たちから間を開けて通してくれる。

 学内の分権派と集権派のリーダーと、その二人をも従えるような美貌の大諸侯令嬢。存在感の次元が違う。

「すまぬな」

 高雅にジュスティーヌが詫びた相手は五年生。最上級生相手に三年生が取る態度ではないが、それがごく自然に許されるのは、もはや高慢とはいわない。威を以て制する、というレベルだ。

 久々に見るカノンは、まだまだ小柄だが、確かに成長していた。

 黒髪は、彼女が一年生の時の印象よりもずっとしっとりと艶めいている。目鼻立ちの美しさはいうまでもないが、あごの線も幾分大人めいてきた感じがする。

 そして瞳の勁烈さが、ジュスティーヌの心にまで響いてくる。

 事実上帝位争いのぶっちぎりのトップランナーである彼女は、皇女という立場からも、どこに行っても孤立する。周囲の子供たちにとってあまりにも別格の存在すぎて、友情など育みようがない。

 何一つ彼女の責任ではない。だが、厳然とした事実である。いったいどうやってそれを受け入れているのか、どうしたら未だにあのような強い瞳をもっていられるのか。根っからの大貴族令嬢であるジュスティーヌでさえ、カノンの立場には耐えられそうもないという自覚があるというのに。

 嫌わなければいけない相手だった。

 憎むべき相手のはずだった。

 カノンを排除し、自らが帝位に就くことがジュスティーヌのなすべきことであるはずだった。

 だがどうしても嫌えず、憎めもしないのは、カノンの姿に彼女自身何か感じるものがあるからだろう。いい知れない自分にかかるプレッシャーは、そのままカノンにもかかっているはずのプレッシャーである。

 自分のことを理解できる相手が、あるいはそこにいるのではないか。

 自分だけが理解できる相手が、そこにいるのではないか。

 その家に生まれてしまったから、旗士に生まれついてしまったから、選択権の無い理不尽とも思える理由でジュスティーヌを縛り付けている、あるいは行くべき道を定めてしまっている宿命のようなものは、カノンとだけは分かち合えるのではないか。

 カノンが、ふと、ジュスティーヌたちの姿に気付いた。

 あ、という顔をした。

 一瞬のあどけなさにジュスティーヌが思わず息を詰める。同時に、カノンがわずかに笑みを見せ、あろうことか小さく手を振って見せた。

 ギャラリーたちの目が一斉にジュスティーヌに集中する。

「……たわけ、修練中に手など振るでないわ、小娘め」

 視線が集まるころには鉄壁のお嬢様顔に戻していたジュスティーヌは、いつもの調子でつぶやいた。周囲は静かにどよめいた。

「皇女殿下がお手を振られるとは」

「さすが『学院の薔薇』、皇女殿下が慕っておいでのご様子じゃないか」

「皇女殿下まで手懐けるとはおそるべし」

 そういうことじゃないんだろうけど、好かれてはいるんだろうなあ、とジャンが苦笑しているが、ジュスティーヌはそれどころではない。平静を装うので精いっぱいだ。



 学内では三人が政治性を無視するかのように振る舞い、かえって政治的な安定を構築していたが、一歩学院の外に出れば、大人たちが全く別の様相を現出させつつあった。

 ジャンがいうように、元老会議が水面下で動き始めていた。

 元老会議。次期帝位を定める、国家の重鎮たちの集まり。 

 それだけが仕事ではもちろん無いが、カノンが幼等部では収まりきらない旗士としての力を示し始めたことで、いよいよ行動を開始したらしい。

 嵐の季節が到来しつつあった。

 皇帝が誰になろうと、君臨すれども統治せずの原則がある以上、政治的には大きな動きにはならないはずだ。だが、次期皇帝の外戚ともなれば必然的に権威が加わるし、その権威は他の派閥を圧する力を持つこともあり得ないわけではない。

 皇帝フィリップ八世はそのあたり巧妙で、分権派、集権派、帝権派、いずれにも肩入れすることなく、特定の誰かに接近することもなく、外戚の影響も排除して政治的安定を図ってはいる。だが、それは未来永劫ではないし、いつどの勢力に肩入れを始めるとも限らない。

 皇女がこのまま皇太子に冊立されたとして、あるいはその先、帝位に就いたとして、誰が最も影響力を行使できるか。

 有力候補として最近名が挙がるのは、皇妃でありカノンの母であるアニェスの兄、アントワーヌ・ブロワ・ドゥ・エティションである。

 メディア帝国成立に関わり、現帝室フォカス家登極でも中心的役割を演じた大貴族エティション公爵家。いずれも大昔の事ではあるが、恒星系一つを支配下に置く大諸侯でありながら、議会制民主主義の制度を布いて自ら領内憲法の許の統治を行うなど、政治的にも他の貴族とは一線を画す存在として存続してきた。

 帝国のみならず、宇宙にその名を知られる貴族として大きな影響力を持つこの家で、アントワーヌは公爵嗣子として公爵領首相の座に就いている。

 その統治は水準以上とされる。そもそもエティション公爵領で嗣子が首相の座に就くのは珍しいことで、自ら立ってその職に就いただけでも珍しいのに、議会で公選議員たちと丁々発止のやり取りをしたり、非常事態に与野党の議員や官僚たちをまとめ上げて問題解決に挑んだりと、お飾りではなく常に第一線にあることなど、珍しいを越えて異例だった。

 年齢も若い。

 皇帝フィリップ八世が七〇代に入ったところ、皇妃アニェスが四〇代に入ったところだが、アントワーヌは四五歳。政治家としては少壮で、何度もいうようだが一二〇歳まで現役を続けるのが当たり前の世の中では、まだ若僧といっていい。

 皇帝があと六〇年生きたとして、帝位をそのまま占め続けることはない。百を越えたら帝位は皇太子に譲るのが通例だからだ。となれば、カノンが皇位継承するとして二〇数年後、アントワーヌは七〇代、政治家として最も脂がのってくる年代だ。

 旗士ではない彼が皇帝になることはなくとも、皇帝の伯父として政治の腕を振るう余地は十分にあるし、その手腕はすでに証明されつつある。

 本人がその野望を口にしたことは一度もない。あくまで公領の行政担当者として働き、国政や宮廷政治に関わろうとしたことも一度もない。一地方の首長として、宰相府などに陳情に訪れることはあっても、帝国議会入りや大諸侯としての宮廷政治に色気を示したことはない。

 だが、彼の存在そのものが、既に政治だった。

 妹である皇妃アニェスは美貌でつとに知られていたが、兄であるアントワーヌも美形で知られる。最近少々太り始めたというが、もとが精悍すぎるほどだったから、むしろ少しは恰幅が良くなって見栄えが増したといわれる。

 領民の人気も絶大で、多少はこのルックスも寄与しているだろう。

 中央政界にとって、これほど恐ろしい男がいるだろうか。地方で埋もれてくれている分には良いが、何がどう転んで外戚として中央政界に乗り込んでくるかわからない。乗り込んでこられたら、ケチな宮廷政治家たちなど鼻息で吹き飛ばされかねない。

 そして、彼は集権派であることを公言している。

 エティション公爵家は代々の集権派ではなく、先々代などは典型的な分権派大諸侯だったのだが、アントワーヌは「一公爵家の力でできることなどたかが知れている。地方の枠を取り払い、帝国全土を集権的に豊かにする方策を取らなければ、いずれこの大帝国を統治し続けることが困難な時代がやってくるだろう。国土は分断されるべきではない」と述べ、ある程度の地方自治は必要であるにしても、もっと国が全体で政策に取り組むようにしなければならないと訴えている。

 ロベールの出身都市であるリムーザンなどは、同じ集権派とはいえ「帝国全土を自由交易圏とし、領地ごとに規制が異なるなどというバカな体制はとっとと変革することだ」と完全に経済重視の政策を訴えているから、政治的立場が完全に一致するわけではない。ただ、より地方分権を強化すべきとする分権派とはどちらも相容れない。

 ジャンの実家である分権派内の急進派フォントブロー辺境伯家も、ジュスティーヌの実家である穏健派のサント侯爵家も、現エティション公爵家を敵とみなすことでは一致している。

 このまま皇女カノンが皇太子に冊立されては、エティションの小僧に国政を牛耳られるのではないか。

 分権派の、特に急進的な勢力が危機感を募らせ始めた。

 宮廷が、ざわつき始めた。

 分権派は、帝位はともかく、集権派のこれ以上の勢力伸長を許せば危険だとして集権派の影響力排除に本腰を入れ始めた。

 それまでは、以前にも一度触れた共通歴八九七年の分権派によるクーデーター未遂事件のこともあって、露骨な活動は避けられてきたのだが、それどころではなくなったということだ。

 中下級の貴族や官僚たちが形成する帝権派も、心穏やかではいられない。

 彼らにとって分権派の大諸侯たちは間違いなく敵だったが、集権派も決して味方ではない。帝政の名の下、中央政府が有司専制で国家運営していくことを理想としている帝権派に取り、外戚が威を振るうなど悪夢である。

 アントワーヌは、帝権派にとっても脅威だった。

 帝権派の領袖は、帝国宰相として中央政府の行政権を一手に握るサンセール宮廷伯アンドレ。老獪な政治家であり、優秀な宮廷政治家でもある。

「鼠賊どもが騒ぎおるわ」

 苦々しく分権派と集権派の蠢動を見つめる彼には、フィリップ八世の治世を支え続けてきた強固なプライドと、大諸侯や自治都市などの勢力争いから国家の基軸を守り続けてきた自負とがある。

 老大国の国家行政の何たるかを知らない連中の勝手な政治闘争などに、国家が揺るがされてはたまらない。

 皇女カノンの騎士としての才能が、にわかにアントワーヌの存在を浮かび上がらせ、そのことがメディア帝国の政治情勢を緊迫化させていく。

 三派は、それぞれがそれぞれの思惑で熾烈な政治闘争を繰り広げつつあった。

 カノンの存在を軸として、急速に歴史が動き始めた。

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