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宇宙の騎士の物語:個人の前歴;停止中  作者: 荻原早稀
カノン・ドゥ・メルシエ
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5. ロベール

 ジュスティーヌやジャンが中等部に進むと、それまで幼等部の最年長だった世界ががらりと変わった。自分が再び最下級生になる。

 学校の中での生活は基本的に学年ごとクラスごとだから、それほどの変化はない。変わるのは寮だ。

 帝立学院の学制は幼等部七年、中等部五年。

 メディアの一般的な学制は幼年学校と中学校で義務教育を終え、進学するのであればより高度な学びの場に向かうための高等学校か、より専門的な知識を得るための専科学校に進学する。高等学校で教養課程を終えると、専攻科目を学ぶ大学に進学する。

 近代的な学制は、どこの国でも大学の前に教養課程を踏むことが求められる。逆にいえば教養課程を出てさえいれば、どこの国の大学にでも入る資格を得られるということだ。メディアではその教養課程を高等学校が担っており、帝立学院にも高等部が存在する。

 ただ、そもそも幼等部や中等部とは敷地が異なる。また、旗士の能力を持ち、軍人や騎士を目指すとなれば、高等部ではなくそれ専門の専科学校に進むことになる。そちらも敷地は全く別の場所にあったから、幼等部や中等部は絡む事がない。

 帝立学院は、幼等部と中等部で一つの学部を形成しているといっていい。

 幼等部の寮から、学舎を挟んで反対側にある中等部の寮に移ると、幼等部のときとは生活がだいぶ変わってくる。

 まず、四人部屋だったものが一人部屋に代わる。希望者は二人部屋にもなるが、基本的には一人部屋が与えられる。集団生活での規律を学ぶ段階を終え、個を律する段階に進んだとされるからだ。

 プライベートの重視、ではない。幼等部の寮生活で体に叩き込まれた規律はここでも要求され、たとえば起床後に寝具が乱れたまま点呼に出ようものなら、その場で寮監の叱責と懲罰に遭うこと必至だし、整理整頓や禁制品チェックなどのために寮監が不定期に部屋に入っていくことも度々ある。

 平民の学校の方が千倍個を尊重してくれる、と評判の厳しさで、軍の兵学校と同等とされる。これらの教育を受け、国家あるいは臣民の生命財産保護のために戦うからこそ、貴族の特権が認められるという建国以来の考え方に基いている。

 その中等部で、入った時点からジュスティーヌの輝きは他を圧している観があった。

 幼等部時代は「学院の薔薇」と称され、規律に基いた美しい挙措と類まれな美貌、優れた旗士能力で教官陣から絶大な信頼を受け、同級生たちにはその実力に裏付けられた高慢な言動と強引も辞さないリーダーシップとで畏れ敬われた。安定した人格とジュスティーヌに遜色ない実力とで人望を集めたジャンとともに、幼等部の支配者として君臨していた。

 その彼女たちが進学してくるというわけで、中等部はかつての後輩がどう育っているかに注目していたのだが、もともと評価が高かったジャンはともかく、ジュスティーヌの成長度合いに人々は目を見張った。

「正直、ジャン-バティスト・ドゥ・フォントブローが皇女の対抗馬本命だと思っていたけれどな……」

「実力もそうだが、性格が安定していてぶれることがないからな」

「元老会議が好きそうな穏やかさを持っているしね」

「でもどうだよ、あのドゥ・サントの育ちっぷり」

「狂乱の姫君になるかと思えば、一年前が信じられないくらい落ち着いたな」

 自分がどう変わったかなどわからないが、周囲がジュスティーヌをそう評価するのなら、彼女は成長したのだろう。

 原因はカノンだ、とジュスティーヌは口には出さないが確信している。

 皇女カノンの存在自体が、ジュスティーヌにプレッシャーを与える。あの天才を超克せよと、内なる声が求める。ライバルと目されるジャンには感じなかった、嫉妬とも嫌悪とも異なる焦燥感。

 幼時の母の一言が与えた衝撃とコンプレックスは根深い、というところだろうか。

 中等部に入ると、幼等部とは違い、旗士としての実力が露骨に試される。

 校内では宮廷序列は一切顧慮されないから、幼等部では学年がすべてだった。中等部では、実力重視になる。

 もちろん学年は秩序の礎だから公的にはもっとも重要な上下関係だ。

 しかし、手合わせを通じて実力の序列を決めていくことは禁止されておらず、ある程度のルールに従った決闘ともいえる手合わせが、毎日のように学内のどこかで行われ、その勝敗を通じて校内の序列が定まっていく。

 手合わせが組まれるのも無秩序ではない。二人以上の立会人が付き、生徒会がその手合わせを確認していなければ、その手合わせはただの決闘として処罰の対象になる。曲がりなりにも学校なのだから、私闘は厳禁だ。

 中等部に進んだばかりの一年生たちも、早速その渦の中に巻き込まれる。旗士という旗士すべてが、自らの実力を証明しなければならなかった。例外はない。

 旗士としての力は、ときに年齢や性別を超越する。

 中等部から編入してくる旗士も生徒も多く、彼女やジャンと幼等部で対戦したことがない生徒もたくさんいるのだが、それらをジュスティーヌは次々と撃破していった。同時に、下級生相手に得点を稼ごうとする上級生たちも彼女の犠牲になっていった。

 体の成長が加速し、どんどん大人の体に近付いていくジャンは、その強さを増していった。幼等部六年までは互角といわれていたジャンとジュスティーヌは、中等部一年になるとジャンが頭一つ抜け出したのではないかといわれていたが、その評判通り、ジャンは最上級生である五年生の実力者相手にも引けを取らない実力を示しつつあった。

 同時に、ジュスティーヌも上級生の男子を次々に撃破していった。

 夏休み明けに入学し、冬を迎える頃には、ジャンは学院中等部伝統の一二傑の一角を占めるようになり、ジュスティーヌはそれに次ぐ三〇傑に入っていた。一年女子では唯一、全学年通じて女子は三人しか三〇傑にはいない。

 編入組に、注目の一年生がいた。

 ロベール・ヴァレット・ドゥ・ビニヨン。

 年が明け、帰省していた学生たちが寮に戻り、厳しい学校生活が再開したころ、生徒会承認のもと、ジャンとロベールの手合わせが行われることになった。

 金髪の美少年から美しき青年へと成長しつつあったジャンに対し、ロベールは浅黒い肌に赤っぽい髪、鳶色の瞳の持ち主で、小柄ではあるがその全身に活力をみなぎらせているような少年だった。

「これでとりあえず学年一が決まるかな」

 ロベールは楽しそうにいう。

「一年のうちに校内一になりたいと思ってたけど、なかなか難しそうだ。一年の中だって、ジャンの野郎もそうだが、ドゥ・サントのお嬢みたいなややこしそうなのもいるしな」

 ジュスティーヌが「学院の薔薇」の名を幼等部時代から奉られていたように、彼は学院編入早々に上級生を連破したところで、「リムーザンの鷹」の異名を取った。リムーザンとは彼の出身地の名だ。

 持ちあがりの者たちにとってはそもそも異分子である上に、彼は自由な気風の大都市リムーザンを代表する都市貴族だったから、領地持ちの封建貴族の子弟が多い帝立学院の気風とは馴染まないところがある。

 当然目の敵にされるのだが、それを笑い飛ばす不羈さと、跳ね返す実力とがあった。

 五年生の一人にその生意気さを嫌い、彼を屈服させようとしたものがいた。三〇傑の一人に名を連ねる実力者だったが、ロベールは驚異的な身体能力と鋭い剣技で圧倒、身長差三〇センチメートル、体重差二〇キログラムの対決を完勝で締めた。

 校内に彼の名が轟いた。「鷹」の異名を取ったのはこの時だ。

 既に中等部に持ち上がった段階で実力者の仲間入りをしていたジャンとともに、一年の帝位候補有力者として一気に名を上げた。

 人々の興味は「誰が一年最強か」に集中した。

「私はその中には入らぬらしいぞ。久々に屈辱的な仕打ちだな」

 とジュスティーヌがにやにや笑いながらジャンにいったのは年末。その時には、ジャンの次の手合わせが年明けのロベール戦だと決まっている。

 ジャンは苦笑した。ジュスティーヌが笑顔の裏で本当に屈辱に震えているのならかえって扱いやすいのだが、この時の彼女は実力の差など百も承知でからかいに来ている。本人がいろいろ分かったうえでからかっているのだから始末に負えないのだ。

 日頃、ジュスティーヌの剣技の冴えを認め褒めているジャンは、技と敏捷性では彼女に及ばないと人にもいっている。だが、次第に彼女と体格差が広がり、もともと基力の量と扱い方でもわずかに凌いでいたジャンが、ジュスティーヌを実力で引き離しつつある。

 さすがに気位の高いジュスティーヌでもその事実は認めていて、むしろそれを認めることができる彼女の意外な度量の広さがジャンには魅力だったりもするのだが、本人にいえば調子付いて何をされるかわからないから黙っている。

「そなたも負けるわけにはいくまいな」

「まあ、ね」

「分権派と集権派の代理戦争とみる向きもある。そなたの一族も変に張り切っておるようだしな」

「よく見てるね、相変わらず」

 分権派貴族、つまり領地持ちの諸侯たちの勢力と、集権派貴族、都市貴族や宮廷貴族を中心とした中央集権主義の貴族たちとは、大昔から犬猿の仲だった。リムーザンという都市は集権派の巣窟のようにいわれている街で、大諸侯による分権支配を嫌い、帝国全土を自由交易圏化し経済規模を拡大することが帝国統治に必要との主張を続けている。

 ロベールの家はリムーザンの支配層である都市貴族、要は昔からの大商人の家系で、リムーザン五家といわれる都市主席を出す家柄だった。主席は特に「都市伯」という称号を帯びていて、領土は持たないが、宮廷序列では大諸侯に並ぶ。経済力ではジャンのフォントブロー辺境伯をも凌ぐといわれる。

 ちなみに、この国の貴族は普通、「個人名+家名+ドゥ(貴族を表す前置詞)+爵位名」で名乗る。

 ジャン-バティスト・クリトン・ドゥ・フォントヴローは、ジャン-バティストが彼の名前で、クリトンが家名。ドゥ・フォントブローとはフォントブローを領する貴族、という意味だ。

 この都市貴族の場合はちょっと特殊で、ロベール・ヴァレット・ドゥ・ビニヨンはロベールが個人名、ヴァレットが家名であることは同じだが、ドゥ・ビニヨンのビニヨンは封ぜられた土地の名ではなく、何と大商人ヴァレット家の初代ビニヨン・ヴァレットの名前をそのまま貴族の名乗りにしている。他のリムーザン五家も名乗りは同じ起源である。

 さらにちなみにジュスティーヌ・シュザンヌ・ダクール・ドゥ・サントとなると、ジュスティーヌは個人名、シュザンヌは母系先祖伝来の世襲名、ダクールが家名でサントが侯爵として封じられた土地の名ということになる。

 母系まで絡んでくると解説が相当ややこしくなるから省くが、二千年以上前の「大崩壊時代」以前、どころか地球時代の中世から引き続く名乗りの伝統を、形を多少変えながら未だに引き継いでいるともいえる。

 話をロベールに戻せば、本人は政治向きの話には全く興味がないらしく、少年らしい剛毅さと無知とで分権派と集権派の争いを鼻で笑っていたが、周囲はそうではない。

 ジャンも分権派貴族の領袖のような立場にありつつ、校内での政治的な動きを嫌っていることでは一致する。

 身内には「帝位継承を狙うには、党派性を帯びない方がいい」ともっともらしいことをいってごまかしているが、要は面倒なのだ。自分の立場は重々承知しているが、今はただ自分の強さを突き詰めたいという、これまた少年らしい野心がある。

 当事者の少年二人は純粋に強さを求めての対峙だったが、周囲は勝手に政治的な闘争としてその結末を注視していた。

「別に強ければ帝位が近付くというものでもないが、強いに越したことはない。せいぜい精進することだ」

「君もね、ジュスティーヌ。僕にいわれるまでもないのだろうけれど」

 一般にジュスティーヌの愛称はジュジュだが、彼女にそんな呼び方ができる人間は少なくとも帝立学院にはいない。いつか呼んでみたい、とほのかに思うようになって久しいジャンだが、もちろん実際に口に出したことはなかった。

「周りに足を引っ張られぬようにな」

 といったジュスティーヌが、この時だけは声に真情がこもっている。

 ジャンが思わず顔を見直すと、ジュスティーヌは目が座ったような真顔だった。

 分権派貴族の急進派フォントブロー一族と、穏健派サント侯爵家とでは政治的立場に微妙な差異がある。だが、互いに生きているだけで政治性を帯びてしまう息苦しさを背負っていることは共通しているし、集権派とは相容れない存在であることでも共通している。

 一族の子弟をまとめなければいけないジャンの苦労もジュスティーヌは知っているし、それが帝位争いの中で不利に働きかねないことも知っている。

「わかってるさ。とにかく勝ってさえいれば、周りは落ち着いていてくれるからね」



 手合わせの場はいくつもあるのだが、今回は中等部の裏にある庭の広場になった。庭といっても外周四キロメートル、中には広場のほかに林もあれば休息所などもあり、さすがに帝立を名乗るだけあってただ広いだけでなくしっかり金がかかっている。

 広場も、手合わせができる広さの場所が五つはある。その中でも特に林に囲まれた一画が選ばれたのは、そこが一番広く、かつ周囲に建造物が少なかったからだ。

 下はやや大粒の砂地、乾燥した気候のメディア帝都では細かい砂地はすぐに塵となって舞い飛び嫌われるからだが、踏みしめると硬い音がする。ごつごつした粒子の形が理由なのか、強い力をかけても大きく崩れることがなく、意外に踏ん張りもきくし滑りもしない。

 そして確かに広い。正方形に近い歪んだ四角形の一番短い辺で五〇メートルほど。ギャラリーはその中には入れないから、タイマン勝負には広すぎるほどだ。普通ならば。

「いいねえ、気が利いてるじゃないか」

 といったのはロベールだ。

「こっちは機動力が命でね。あまり狭いとやりにくくてしょうがない」 

 生意気、と評される顔立ちは、確かにジャンの目にも生意気に見える。勝気な眉目は良く整っているから、なおさら生意気さが強調される。浅黒い肌が快活さをより増していて、もし貴族になど生まれていなければ、今頃一般的な中学校でいたずら盛りのヤンチャさを発揮していただろうと思わせる。

 人が生意気とみるのは、あるいは目が知性にあふれているからかもしれない。卑屈さなどかけらもない、まっすぐな知性が彼の目にはある。知性のかけらもないバカなら、対立陣営の者たちにこうも生意気呼ばわりせずに済んでいたかもしれない。

「それは良かった。負かしても言い訳されずに済むというわけだ」

 ジャンは偽剣を握る手首をぐるぐると回しながら、挑発的な物言いをする。

「いうねえ、坊ちゃん育ちのわりに」

「お互い様だろう、都市伯家のお坊ちゃん」

「誰もそんな扱いをしてくれるような土地じゃないんでね、お前んとこと違って」

 手合わせは、旗士の立会人が二人以上つく。立会人はどちらかの陣営の属していてはいけない。この場合、分権派でも集権派でもない陣営の人間が必要ということだ。

 もう一つ大きな派閥に帝権派があるが、帝権派は帝室の血が入っていない下級貴族や官僚が多いためあまり校内に旗士の子弟がいない。

 そこで、どの勢力にも属さない中間派貴族の子弟が役に立つ。そういった子弟が多く生徒会に集まっているのは、立会人として重宝されるからという理由もある。

 今回立会人は二人。どちらも五年生で、立会人経験は非常に豊富だった。

 すでに両者のボディチェックは終わっている。注意事項の確認も終わった。

 立会人の一人が戦う二人の間に立ち、宣言した。

「互いに互いを尊重し、卑怯や怯懦な振る舞いの無いよう、存分に戦われよ」

 定型の文句である。この一言と同時に両者が構えに入る。

 両者の間は二〇メートル。旗士にとっては一瞬で詰められる間だ。

 ジャンは偽剣を左手で握り、肘を内に入れるようにして軽く曲げ、握りを体の中央に据えて切っ先をロベールに向けている。

 ロベールは両手で偽剣を持ち、へそのあたりに左こぶしを浮かせるようにして右手をつば元に軽く添え、やはり切っ先をジャンに向けている。

 両者の偽剣の鎖が立ち上がる。暗い室内か夜間であれば燐光をまとっているのが見えるだろうが、真昼間の晴天の下では鎖しか見えない。

 周囲には一〇〇人以上の学生がいて、立会人の一言までざわざわとしていたが、ここで静まった。以降、対決の終わりまで一切物音を立てないのが暗黙のルールだ。

 手合わせは、見世物ではない。

「双方、構え」

 立会人の一人が高々と右手を掲げる。

 ジャンがわずかに前傾姿勢のまま腰を落とす。ロベールは重心をそのまま下げるように薄く腰を落とす。

 二人の偽剣がぴたりと動きを止める。

「はじめ」

 立会人はそう大きくはないが鋭い声で開始を告げた。

 二人は動かない。互いの出方を伺っているのか、きっかけを待っているのか。

 ジャンの白い顔が一層白い。ロベールの頬には笑みが浮かんでいる。

 じっくりと、二人が動き始める。ジャンが右足を引いて半身になり、ロベールが右足を出してすり足を始める。

 じりじりと距離が縮まり、一五メートルほどになったところで、二人が爆発した。

 全身の基力をお互いが炸裂させ、地を蹴り、あるいは地を掻き、瞬時に偽剣を相手に叩き込もうとする。

 ジャンの左手の突きの一撃が鋭くロベールの胸元めがけて伸びる。ロベールは振りかぶった偽剣を左肩から担ぐようにして振り下ろし、ジャンの一撃を薙ごうとする。

 左足の強力な踏み込みでスピードを一気に殺したジャンはロベールの偽剣の軌道を避けるように突きを引き、ごくわずかな溜めもなく突き出す。二段突きだ。

 ロベールは彼の動きを読んでいたかのようなジャンの二段突きに、振り下ろした偽剣を手首の返しだけで立て、腰をグンと落として体を後ろに倒すことで避けて見せた。同時に左足を思い切り引き、右肩を落としながらくるりと体を反転させていく。

 ロベールの偽剣に弾かれた二段目の突きを、ジャンは撃った瞬間に捨てていた。ロベールの偽剣に逆らわずに弾かれると、その勢いを利用して振り上げ、曲線を描くようにして、自分から回転しつつ離れようとしているロベールに斬撃を振り下ろす。

 ジャンの偽剣はごくわずかな差で空を切った。身軽に体を起こしたロベールと、斬撃をかわされたジャンとが、それぞれ態勢を整えるために間を取る。

 動いてからの早さが尋常ではない。旗士の動きに慣れている者ならともかく、一般人の目で捉えられるようなものではない。

 間を置いてからの二人は、休まない。突き技中心のジャンに対し斬撃中心のロベールが、自在に互いの間を探るように動きながら、目にも止まらない撃ち合いを繰り返す。

 偽剣は攻撃ばかりの道具ではなく、最良の防具であると旗士たちは教えられる。彼らはそれ証明するかのように、目まぐるしく攻守を入れ替えながら、互いの隙をつくために相手の剣を払った。

 一般人の手合わせならばあまりに広い空間は、二人の旗士のためには決して広大とはいいがたい。ルールでその外に出てはいけないから二人ともふちぎりぎりまで踏み込むようなことはないが、残像を引くような恐ろしく速い動きは、縦横無尽に広場を席巻する。

 互いの攻撃が四〇合を超えた時、ロベールから離れようと跳びすさったジャンの足元がわずかに滑った。硬い細かな砂利が、ジャンの勢いに負けて崩れたようにも見える。

 それまで右腕に一撃、左足に一撃、かすっただけとはいえロベールの斬撃を受けたジャンの表情がわずかに歪んだように見えた。

 左わき腹と左手の甲に、同じようにかすっただけとはいえ一撃を受けていたロベールが、その隙を見逃さない。左下から絞り上げるようにしてジャンに向け斬り上げる。

 あまりに鋭い踏み込みはほとんど体当たりでジャンを仕留めようとしているかのようにすら見える。 

 見ている者のうち、この一瞬の隙と斬撃の鋭さがまともに見えるほどの目と反射神経を持っている者は稀だったが、その稀な人間たちには勝負が見えたような直感がある。当然のようにギャラリーに加わっていたジュスティーヌも、あっと声を上げそうになった。

 ジャンの金髪が激しく揺れる。

 誘いだった。

 ぎりぎりの戦いの中で、ロベールの攻撃優位な姿勢を看て取ったジャンは、地面が耐えうる境界線上の力で踏みしめ、足の指の力で細かな砂利をわずかに崩した。重心は少しも崩れていない。

 ロベールは左下から偽剣を振り上げようとした瞬間に己の誤りを悟ったが、既に体はジャンに向け充分に踏み込み、荷重移動を終えつつある。一か八か、このまま振り上げてしまう以外に選択肢はない。中途半端に止めたり避けたりしようとすれば、ジャンの偽剣は容易にロベールの守りを突き崩すだろう。

 ロベールの必殺の斬撃は、だがジャンの想像のうちにあった。激しいジャンの髪の揺れは、彼が素早く荷重を乗せ換えて足を踏み換えたからだ。

 ロベールの踏み込みに対し、一歩下がることに成功したジャンは、間遠くなってしまったロベールの斬撃を自分の偽剣ではたき落とし、同時にこちらから踏み込んで偽剣を一閃させた。

 ジャンの突きを左胸にまともに受けたロベールは、重い衝撃と偽剣の麻痺性能によって意識を刈り取られ、もんどりうって倒れた。

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