2. カノン
生まれからして強烈である。
父はいわずと知れたメディア帝国皇帝フィリップ八世。
母は帝国貴族の中でも特に名門中の名門として知られるエティション公爵家出身の皇妃アニェス。
父方の祖父はメディア帝室の出で大公爵の位を継いだボードゥアン。祖母は現代の宇宙で最大の国家とされるエサルハド帝国の皇女ナキア。
母方の祖父は血筋だけでいえば帝室以上に由緒あるとされるエティション公爵アルフォンス。祖母は国は小さいが「大破壊時代」以前から続くという超名家であるメガリス大公国公女ゾエ。
歩く血筋の博物館、などとあだ名する者もいたが、誕生時に保持していた継承権が、王国や帝国など主権国家で軽く二〇を超え、爵位にいたっては三桁に達していたとされる。
もちろん低い継承権など持っていたところで何の役にも立たないし、高い継承順位を持っていたところで、いまどきそれを理由に他国の継承争いに参画しようとする者などいないから、実利があるわけではない。ただ、血筋の高さというものは、いつの時代もそれだけで価値があると信じる者が多い。
幼い日のジュスティーヌも、この皇女カノン誕生の報せが駆け巡った日のことは覚えている。
大諸侯の跡取り息子の長女として生まれた彼女も、蝶よ花よと育てられ、貴族としての高い自尊心と高雅な態度とを植え付けられている真っ盛りだったが、全世界を見渡してもそうそういるものではない「自分より血筋が良い人間」が生まれたというニュースに興味を持った。
サント侯爵家の直系では久々に出た旗士であるジュスティーヌは、血筋だけでなく「貴族社会の希望」だった。カノン誕生時にはその意味が分かる年齢では無かったが、人々が自分に過大なまでの期待をかけていることはわかったし、それに応えようとする意志もあった。
幼いながらに、彼女は立派な貴族精神の持ち主だった。
「その子も私と同じようにたたかうのですか?」
ある日、貴族が通う学校の寮から久々に帰ったジュスティーヌは母に尋ねた。大諸侯に嫁いだ翌年にこの娘をもうけ、さらに娘が旗士の力を発現させたことで「侯爵家の母」としての地位を不動のものとした母は、優雅に波打ち始めていた娘の金髪を柔らかくなでながら答えた。
「それはまだわからないわ。殿下がお力を得てお生まれになったか、まだわからないもの」
でも、と母は続けた。
「もし身に付けておいでなら」
母のこの時の冷酷な表情を、ジュスティーヌは生涯忘れないだろう。
「あなたが殿下を打ち倒さなければならない」
それはジュスティーヌにとって、少なくとも思春期の終わりごろまでは続く重い呪縛になった。
同じ意味の言葉をジュスティーヌは侯爵家に連なる人々だけでなく、世に「分権派」「諸侯派」と呼ばれる多くの人々から折に触れ様々な表現でかけられ続けた。
言葉の意味は分からずとも、ジュスティーヌはそれに従うしかない。
高位貴族であろうと、人は人であることから自由にはなれない。彼女は生まれた環境に縛られていたし、その縛りがもたらす宿命からは決して逃れることができなかった。彼女が人間でいようと思っている限りは。
ジュスティーヌは、幼いころから戦士としての力を身に付けることを義務付けられていた。
この国の変わった制度の、彼女は奴隷だった。
制度とは、帝位継承についての建国当時からの伝統である。
メディア帝国は、現在宇宙で一般的に用いられている「星間運航条約共通歴」二五八年に誕生した。皇女カノンの誕生が共通歴九〇五年だから、その時点で建国からは六四七年経っていることになる。
この長い歴史の中で、例外はあるものの、帝位には継承の基準が定められてきた。
その最も大事な基準は二つ。
ひとつは、帝家の血を継ぐ皇族もしくは貴族であること。一代貴族の騎士ではなく、爵位を持った貴族だ。
もうひとつは、旗士であること。
この二つが満たせないのであれば皇帝になることはできない。
もっとも、例外があると示したのは、一つ目の「帝家の血を継ぐ皇族もしくは貴族であること」を満たさなかった皇帝は一人もいないが、「旗士であること」を満たせなかった皇帝は数名いたからだ。旗士は偶然に生まれるものだから、偶然その世代の帝室や貴族層に旗士があまりにも少なければ、また政治的状況が皇帝不在を許さない状況であれば、「つなぎ」として旗士でない者が帝位に就いたこともある。
が、それがあくまで例外であることは、歴史が証明している。
かつては皇帝の子供が旗士であれば万々歳だった。現在でももちろん、嫡出庶出を問わず皇帝の子供たちが帝位に最も近いことは間違いがないが、歴史を重ねるにつれてその優位性は揺らいでいた。
ある時点から、それまで皇位継承の条件だった「皇帝の嫡流であること」という原則が途切れた。
ここでいう嫡流とは、皇帝の子や孫であることを差す。現皇帝である必要はない。先帝の子でも、その前の皇帝の孫でも構わない。
理由は単純で、ある時、それら皇帝の直接の血筋が途絶えてしまったからだ。帝国運営のためには皇帝の存在が欠かせないようになっているメディアは、政治的混乱を避けるため、選択を迫られた。皇帝無しのシステムを再構築するか、新たな血筋から皇帝を迎えるか、あるいは帝位継承の定義を変えるか。
皇族や貴族を名乗る者には、よほどの遺伝型疾病などの事情が無ければ遺伝子改良が認められず、人工子宮による出産や脳を置き換える形での肉体新生なども認められないメディアでは、いずれこのような事態に陥る可能性があることはわかりきっていたはずだ。だがそのルールは定められていなかった。
当時の帝国中枢は、この問題を帝国全土の臣民たちが納得できる形で解決する必要に迫られた。
その当時に定められたルールが、現在のメディア帝国の皇位継承上の制度として受け継がれている。
「帝位が欲しくば戦え」
というルールだ。
直系でなくとも帝家の血を継いでいるものなら、貴族の中にごまんといる。その中で、旗士の力を持つ者が戦え、という。
強ければいいというものではないが、支配者は強いに越したことはない。支配される側は、旗士として強い力を持つ支配者を望む。強い皇帝が国を守れるからではない。強い皇帝が、その国に住む者により高い誇りを与えるからだ。
血と力、この二つがそろって初めて帝位が近付く。
現在の皇帝フィリップ八世は、まだ皇太子を冊立していない。後継者として確定している皇子皇女もいない。後継者の確定は急がれなければならない。
貴族の子弟で、ジュスティーヌの世代の者にとって、旗士の力を持って生まれればそれが帝位へのスタート台だ。帝国内の様々な勢力が、様々な意図で帝位を狙う中で、彼女たちの価値は途方もなく上がっていく。
強い旗士としての力を発現するジュスティーヌは、皇女カノンが生まれるまでは帝位争いのかなり有力な候補の一人だった。
他にも多くの貴族が自らの子に希望を託し、多くの勢力が自派の貴族の子に希望を託した。
そして皇女が一歳を迎えないうちに、彼女に基力が存在することが証明された。皇帝の娘に基力あり、というニュースは、誕生のニュース以上の大きさで宇宙を駆け巡った。
恐ろしいほどに貴い血が集まった皇女は、血筋だけでなく、基力を持って生まれたことで、帝位に最も近い存在になった。
貴族たちはざわめいた。
あとは、皇女カノンを旗士として実力で凌駕し、その他の能力でも優位を示す以外に帝位への道はない。
帝位は皇帝が定めるのではなく、皇族と貴族の代表、帝国三権の長、帝国軍大元帥、帝国議会の長老などを集めた元老会議の勧告により、皇族会議で定められる。皇族会議は元老会議の勧告を追認するだけの機関となって久しく、実質的に元老たちを納得させられるかどうかが次期帝位の必要条件だ。
元老会議が次期帝位にふさわしい人物を推挙し、皇族会議に対し勧告を行う。皇族会議がそれを認めれば、皇帝またはその代理人たる摂政は皇太子を正式に冊立し、帝国全土に布告を行う。期日を定めて立太子の式典が行われ、貴族や臣民の前で新たな皇太子が演説を行い、それを群集が歓呼で承認し、初めて次期帝位が定まる。
それまでの長い戦いだ。
その時の政治状況によっていくらでも変わりうる「元老の総意」を得るため、ジュスティーヌの熾烈な戦いが始まった。
始まった時点では、とにかく何やら戦わなければいけないらしい、戦って勝たなければ色々な人が私に悪意を持つらしい、という恐怖にも似たプレッシャーを感じてはいたものの、詳しい理屈はよくわかっていない。
ただ、戦うべき相手が大人から赤ん坊まで様々にいて、自力で何とかしなければ文字通りの痛い目にあうということははっきりわかっていた。
なにより、負ければ母に捨てられるのでないかという不安が彼女を苛んだ。皇女の力について話した時の、あの母の目。
一歩間違えれば驕慢にもなりかねない大諸侯としてのプライドが、ジュスティーヌの誇り高い美しさを育んでいたが、母から見捨てられはしないかという強烈な不安感が、彼女を本質的には傲慢にさせなかった。
周囲の貴族の子弟から見たら、傲慢で驕慢で美しい、手に負えない女王様だったようだが。
彼女は年を重ねるにつれ、同世代でも出色の旗士として頭角を現していった。
ジュスティーヌにいい知れないプレッシャーを与える原因になった皇女カノン・ディアーヌは、皇帝フィリップ八世と皇妃アニェスの間に生まれた。
父帝は子がいなかった正妃を辺境星域発祥の感染症で亡くし、その後時間をおいて現皇妃をめとっていたから、第一子のカノンを得た時点ですでに六〇を超えていた。父となる年代としてこの時代では珍しくもなかったが、臣民たちがやきもきしていたことは間違いなかった。
父帝も当然旗士で、先帝の従兄の子という血統の良さだったから、人柄は地味だが市中の人気は悪くない。帝権の拡大を目指す「帝権派」と呼ばれる保守派層には不人気だったが、大諸侯や地方貴族を中心とする「分権派」、臣民の市民化と中央集権化を目指す「集権派」双方からは、両派の利益を最大限すり合わせていくべきだという漸進論がこの時点では功を奏し、高い支持を得ている。
メディアでは皇帝は一夫一婦制ではないから、皇妃のほかにも妃を置くことはできる。フィリップも最初の結婚の際にはすでに側妾がいた。だから正妃と記したが、正妃が前述の通り亡くなり、子を得ないまま数名いた側妾にも暇を与えると、現皇妃アニェスとの結婚を決め、皇宮に迎えた。
帝位が必ずしも皇帝の子である必要はなく、数十人子供がいてもその中に旗士が一人もいなかったために、帝位を他の者の子に譲らざるをえなかった例もあるくらいだから、フィリップ八世が子作りに勤しむ気になれなかったとしても、本質的には問題ない。
だが、せっかくなら皇帝の子に皇位を継いでほしいと考える人間は多い。血筋こそが統治の正当性たりうる、という前近代的な考え方が、メディアではまだまだしっかりと息づいているのだ。
エティション公爵家とメガリス大公家、いずれも宇宙にその名を知られる名門中の名門貴族の血を受け継いだ母アニェスは、血が尊いだけでなく、美貌でもなかなかのものだった。下世話なマスコミの、列強各国の貴族制を取る国々の令嬢たち三〇〇名のリストを対象にした「最も美しい王族・貴族令嬢」ランキングで、堂々三位に入ったことがある。
その類まれな美貌と、夫帝に似た意外に地味で倹約家な人柄とが好感を呼び、その妊娠と出産は帝国内で一大祝賀イベントになった。
カノンが生まれた共通歴九〇五年は、国内的にも国際的にも比較的波風の少ない年で、なおさらその誕生が国内のビッグイベントと化してしまった。
皇女は、生まれ落ちた時点で帝国一五〇億臣民の注目を嫌でも集めざるを得なかった。
いざ生まれ、しばらくして何とか人間らしさを得られる程度まで発育した皇女を臣民が映像で見られるようになると、人気は沸騰した。
まだ髪の色ははっきりしなかったが、美しい碧眼をしていた。肌はかつての黄色人種としては白く、白色人種としては色素が多い。髪はこの時点では紅茶色をしていたが、いずれ黒髪になる……ように思われた。
まだ赤ん坊のうちに容貌の評価など出来はしないのだが、赤ん坊としては十分以上に美しい。
大国メディアを率いる皇帝だが、その権限は他の列強諸国がどう思っているかはともかく、世間が噂するような大きなものではない。極論すれば皇帝は「そこにいることに意義がある」存在で、広大かつ巨大な帝国を運営するにあたり、その行政や外交などの最高責任者として君臨していてもらえればいい、というのが現実主義者たちが捉える皇帝の実情だった。
「君臨すれども統治せず」。
それでも様々な式典に参加し、その移動中に手を振っているだけで、帝国はその礎を盤石にしていると解される有様だ。
その彼が、皇妃が生んでくれた初めての我が子を、溺愛したという記録はない。皇妃も同様だが、これもまた珍しいことではなく、皇女カノンは誕生後すぐに乳母と養育係の手で育てられるようになっていた。
やがて、カノンは旗士としての力を発現する。
国中が沸いた。
皇帝直系の子に旗士能力が発現するのは久々のことで、臣民たちにとってまさしくアイドル誕生だったのだ。
それからは一挙手一投足が注目されるようになった皇女だが、成長と共にその人気はいや増しに増していった。
皇女が、成長するとともにそのただ事でない美しさを現していったからだ。
自力で歩き、言葉を徐々に操り始める時期はそれほど早かったわけではないが、その異常なまでに整った眉目は、その時点で宮中でも話題になった。やがて基力の扱い方も身につき始め、皇帝夫妻との日々のあいさつ事も完璧にできるような年代になってくると、もはや宮廷内の噂では済まない。
どこの国にも名家好き、貴族好きというものがいるが、カノンの尋常ならざる美しさは国外でも評判になっていた。まだ幼児、という年代の子である。
同時に、その利発さも人々の口の端に上るようになった。
雅語、と呼ばれる皇族や貴族独特の言葉遣いを教え込まれたカノンは、終生メディア語を話す際にこの訛りが抜けなかったが、幼児ながら雅語で話すカノンのかわいらしさは破壊的だった。
「わらわは強うあらねばならぬ」
自分が旗士であること、皇女であることが示す立場を彼女なりに早くから理解していたカノンは、こんな言葉をよく口にしていたというが、女官たちにいわせるとこの口調が限りなくかわいらしく愛おしいらしい。
皇女カノンは、皇宮の奥深くで女官たちに大切に育てられ、皇族としての立ち居振る舞いやあるべき姿を学んでいった。
女官たちの証言によれば、それほどおとなしい子ではなかったらしい。
破壊衝動が激しいとか、女官たちを叩いたりだとか、そういったことはないのだが、少なくとも「非常に元気」ではあったようだ。這い上った壁の装飾の上から落ちて腕を骨折するという、女官たちが危うく自裁しかけるような事件を起こしたこともある。
また、意志の強さも女官たちの間では常識だった。子供のことだから飽きっぽい性分ではあるのだが、何か熱中することがあると、満足いくまで徹底的に集中する。
短い棒と、それを差す穴がたくさん空いた球とを組み合わせて遊ぶ三次元パズルにはまった時は、見本にあったという動物模型図と同じように組み上げるために二週間格闘し、その間食事も睡眠も女官が強制しないと取らなかったという。
ちなみにその模型は大人でも見た瞬間に諦めるような大部なもので、材料だけで女官の個室が埋まってしまうような代物だった。多少の間違いはあってもついにそれを完成させてしまった幼児のカノンに、周囲は大いに驚くと同時に、この皇女が持つ持続する意志の強さは並大抵のものではないことを知った。
そのカノンも、六歳を迎えると皇族の義務として「帝立学院」に入学する。
その名の通り帝室が運営する学校であり、皇族や貴族の子供を集めてノーブレス・オブリュージュ、高貴な義務を果たせる人間を育てることを目的とした学校だ。
それまで深窓の姫君として育てられていた皇女も、寄宿制のこの学校に入ってしまえば、規律と服従を旨とする厳しい教育を受けることになる。
下々の者が思っているほど、貴族というものは甘いものではない。少なくとも、帝立学院に放り込まれた者たちにとっては。
カノンがどのような教育を受けたかは次章以降で述べられるが、カノンの足跡をたどろうとするとき、どうしても政治的な状況から逃れることはできない。
大帝国メディアの貴族として生まれたジュスティーヌも同様だ。彼女の場合といい、カノンといい、彼女たちに何の責任もないものの、生まれ持ってしまった政治的立場が彼女たちの将来を大きく縛り付け、振り回すことになる。
学院の中では周囲の政治的状況に直接子供たちが振り回されることが無いよう配慮されてはいたが、それも盤石ではない。どうしても、外の状況から子供たちが完全に自由でいられることはなかった。
ジュスティーヌが帝立学院の幼等部で「低脳どもはおだまりっ」などと暴言を吐き散らしながら男子どもを屈服させていた当時、そして世間など知るはずもないカノンが初めて貴族の子弟たちの中に放り込まれつつ、その強烈な高貴さと天然物の傲慢さとで周囲の同級生たちを威圧しまくっていた当時、帝国内は三つの政治勢力が鼎立していた。
ひとつはジュスティーヌの家も属する諸侯、つまり領地を持つ貴族を中心とした勢力「分権派」。「諸侯派」ともいう。ジュスティーヌの祖父である大諸侯サント侯爵も領袖の一人である。
ひとつは有力市民や企業家、官僚を中心とした勢力「集権派」。「民主派」ともいう。非貴族層が大半で、カノンやジュスティーヌとの距離が一番遠い勢力でもある。
もうひとつが、下級の宮廷貴族や官僚を中心とした勢力「帝権派」。「有司派」ともいう。中央政府の官僚や下級貴族層が多い。
なにしろ巨大な帝国である。人口は一五〇億、有人恒星系だけで二〇七つ、中型の渦巻銀河半分を領域とする。これほど巨大な国は宇宙を見回しても数えるほどしかない。
この国をひとつの国としてまとめることがどれほど難事であるかはメディア帝国史を少しでも学べばわかることだが、それを成し遂げるための理想が三つあり、それぞれに自派の正義を主張している。
「分権派」の目指すところは、巨大な帝国全土に散った諸侯や、自治権を持った都市などが責任をもって政治を行い、地方分権制で国土を維持すること。巨大すぎる領域をある程度分割支配しなければ、細やかな政治など出来ないとする。分離独立を目指す気などもちろんないのだが、領内統治に対する中央政府の過度な干渉を不要と主張していた。
「集権派」の目指すところは、帝国議会を中心とした立憲民主制をとり、選挙で選ばれた政権が中央集権で国家を統治すること。平民層と呼ばれつつ、その経済力では貴族たちをしのぎつつある財界の有力者や、平民出身の官僚など多い。市民層の支持が最も多い。
「帝権派」の目指すところは、帝国全土から集められた優秀な人材が統治を担う有司専制の体制を作ること。大諸侯による自分勝手な国政への干渉を嫌い、民主主義の名を借りた大衆迎合の衆愚政治を嫌い、皇帝の名のもとに作り上げた優秀な官僚組織で効率的かつ的確に統治をおこなおうという主張だ。前二派に比べて勢力は小さいが、国を実際に動かしている官僚機構はその大半が帝権派だから、実力はとうてい無視できない。
この三派が帝国の政治状況を形作っているのだが、さらに複雑なのは、これら三派の内情も決して一枚岩ではないということだった。
いくらでも例があることで、例えば分権派は大諸侯と大都市の権力者たちの集まりだけに、我が強い者が多い。なんでもかんでも話し合いがうまくいく、はずがない。つい先年、それが原因で内戦が起きているほどだ。
皇女カノンも、侯爵令嬢ジュスティーヌも、このような政治的状況を背に、子供ばかりの世界で戦いを始めることになった。




