1. ジュスティーヌ
乾いた微風に吹かれるジュスティーヌは、気高く美しい。
青を基調とする華麗な軍服を着たジュスティーヌ・シュザンヌ・ダクール・ドゥ・ベリゴーヌは、豪奢な金髪を優雅に編み上げた上から、プラチナとサファイアで繊細に作られた火トカゲの髪飾りを着けている。
メディア帝国屈指の大諸侯、サント侯爵家の筆頭継承権者であり、継承者が除爵されるベリゴーヌ子爵に封ぜられた宮廷貴族であり、帝国の宮廷騎士団である「皇宮西苑薔薇騎士団」の一員でもある。火トカゲ紋は宮廷序列二桁台の名門貴族であるサント侯爵ダクール家の紋章だ。
その髪飾りが、陽光を受けてきらめいた。
皇宮西苑薔薇騎士団のシンボルである青い薔薇の紋章を肩に描いた旗士用機動兵器ギアの横に立ち、ジュスティーヌは模擬戦の終礼を待っている。ひと対戦終え、彼女はいつでも終われるのだが、対戦相手がギアの中で短時間気絶していたらしく、なかなか降りてこない。分隊従士たちが取りついて引き出そうとしているが、引き出す相手の身分が高いから遠慮でもしているのか、それとも中の本人が手を出すなとでもいっているのか。
いっそ気絶したままでいてくれれば、強制的にギアから旗士を排出してそのまま後送できるのだが、中途半端に目を覚ましてしまったものだから遅れている。
今日の帝都メディア西苑地区は晴天で、もともと気候が乾燥しているこの星では珍しくもないのだが、空には雲一つない。
対戦の光景は西苑各所にある宮殿でも視聴されていて、凛々しく立つジュスティーヌの姿に若い貴族令嬢たちの嬌声が上がる。
「子爵様、なんてお美しい」
「ジュスティーヌ様、やっぱり素敵でいらっしゃるわ」
貴族制度があるメディア帝国では、ノブレス・オブリュージュ、貴族の高貴な義務の絶対的な伝統の下、貴族の子弟はそのほとんどが軍務を経験する。女性も例外ではないが、ジュスティーヌのように実力で宮廷騎士団に所属しギア戦までこなす貴族というのは数少ない。
全高一〇メートルほどのパワードスーツであるギアは、人類が爆発的に技術を進化させた時代に生まれた異能である「基力」を発現させた「旗士」の力を生かすために生まれた。
旗士も色々で、筋力だけが強化されるタイプから、電磁波流を任意に強化整流することで体表面を異常強化し弾丸をも弾く者、一種の感応能力を発揮し人の意思をおぼろげながら読み取る者、様々存在する。その中で特に戦闘能力に特化した者をこそ旗士といい、一定水準を越えれば一代貴族として「騎士」の称号を与えられる。
旗士の血筋、というものはない。なぜならほぼすべての人類が先祖や血縁に旗士を持っているし、その力が発現するかどうかは確率論の問題でしかない。偉大な旗士の子孫に一人も旗士が生まれない、ということもありえた。
だから貴族の子弟が集まってノブレス・オブリュージュを叫んだところで、騎士団入りできるような才質を持ったものは決して多くない。
そのような希少な旗士が集まってギアを集団運用するのが「騎士団」であり、どこの国でも軍の華とされていた。
メディア帝国ほどの大国になると騎士団も複数あり、とくに貴族の子弟の旗士が加入すべき騎士団として、ジュスティーヌが所属する「皇宮西苑薔薇騎士団」のような宮廷騎士団がある。
通称「薔薇騎士団」は特に歴代の団長に女性が多いこともあり、貴族趣味の装飾も鮮やかなギアをそろえた美麗な騎士団として、国内外に多くのファンを持つ。
ようやく相手の収容が終わった。騎士団大尉ベリゴーヌ子爵ジュスティーヌは両かかとをそろえ、右腕を水平に上げてこぶしを左肩につける式の敬礼をした。
「大尉ドゥ・ベリゴーヌ、皇帝陛下の御稜威高からしめんことを誓いて模擬対戦の勝利を宣す」
高らかに勝利を宣言し、一拍おいて敬礼を解くと、傲然とも艶然ともとれる華やかな笑顔を見せた。
宮殿の女性たちが再び嬌声を上げる。
宮廷騎士団の旗士というのは一種のアイドルでもある。特に若くて美しい旗士などはその対象になる。ましてジュスティーヌのような高位貴族が優秀な旗士だとしたら、かつ華やかな美女だとしたら、人気が出ない方がおかしい。
本人はそれが義務だと心得ているから、笑顔も見せるし、必要なら手を振りもする。だが、内心ばかばかしくもある。
「茶番も良いところよな」
自分がここにいることも、笑顔で手を振っていることも、今の自分の身分も、何もかもが茶番だった。彼女の笑みは鉄壁の仮面だから誰にも看取られはしないが、それは自嘲であり失笑である。
ジュスティーヌは薔薇騎士団の広大なギア対戦場を出るための自走車に乗り、その扉を閉め、自分の姿がもうどこにも中継されていないことを確認してから、ふうっと息をついた。
貴族かつアイドルの立場を演じるのも楽ではない。これがこの国の平和を守るために必要なことであり、これこそが彼女に課されたノブレス・オブリュージュ、高貴なるものの義務だと思えばこその辛抱だ。
今や彼女は帝国を三分する政治勢力の一つ「分権派」の旗頭に祭り上げられようという存在で、まだ早いと思いつつ、そうなるだろうという自覚もある。自派が過激な行動に走らないよう、自らがその抑えになれるよう、動かなければいけない。
騎士団大尉としての自分だけを演じていればよいというものではない。
「国を乱すわけにはいかぬ。今こそ容易ならざる時期ぞ」
大国メディアの帝都はやはりメディアという。
というより、帝都を中心とする領域から発した勢力が次第に惑星の支配権を握り、やがて恒星系を支配し、さらに外宇宙に進出していく中で、元の領域名であるメディアの名が帝国の名となった。
現帝家フォカス朝のもと、メディア帝国は宇宙に冠たる大帝国として名を轟かす。
ジュスティーヌは、帝国貴族の名流であり恒星系を一つ領地に持つ大諸侯として名をはせるサント侯爵家の長女として、その第一継承者の称号ベリゴーヌ子爵位を受爵している。
受爵と同時に帝家から帝都内に私邸を与えられ、帝都で過ごすときは実家のサント家が所有する大邸宅ではなく、そちらで過ごすのが習慣だった。
久々の帝都だった。
広大な皇宮西苑から出て、帝都内にある自邸に向かう地上車の中から、ジュスティーヌは見慣れたはずの景色をじっと見つめていた。豪奢な金髪は麗々しく編み上げられたままだが、火トカゲの髪飾りは外されている。
貧乏な一家なら住まいにもなりそうな広大な空間の車内で、ジュスティーヌのほかには子爵家次席執事のアンヌがいるだけだった。車内には馥郁たる香りと環境音楽が流れている。
その気になれば宇宙中のどんな光景でも全天に映し出せるのだが、ジュスティーヌにはそういうもので心を落ち着けようという趣味がない。環境音楽すら不要だと思っているくらいだが、何も音のない空間で小言の多い女官と一緒というのは息苦しいからかけさせている。
華麗な騎士団の標準服の前ボタンをすべて外し、ブラウスのボタンも上から三つ外しているジュスティーヌの姿は、先ほどまでの毅然とした美しさとは異なる妖艶さがある、のだが、目の前に座っているアンヌの目にはにはただだらしないとしか映っていないことをジュスティーヌは知っている。
さらに手には鉄扇を持つ。文字通り扇の一番外側の太い骨を金属で作った扇で、昔は武器を持ち込めない場所での護身用の道具として使われていたものだが、現代の騎士でわざわざこんなものを持ち歩く者はいない。ただの本人の趣味だろう。
貴族令嬢には華麗な扇は必須アイテムだが、鉄扇はどう考えても武骨な男性の者であって、決して淑女が持って周囲に喜ばれるものではない。頬桁でも殴りつければ死人が出かねない殺伐とした代物だ。
「子爵閣下、皇太子殿下よりメッセージが入っております」
貴族の女官らしく、飾りは少ないが質の良い絹地のロングドレスをまとったアンヌは、ソファに埋まるようにして編み上げのブーツをはいた足を高々と組み上げた主君の淑女らしからぬ姿勢をあえて無視するように告げる。
「マリオンから?」
ジュスティーヌの態度は、とても大帝国の皇太子の名を口の端に乗せるのに適しているとは思えない。上半身まですっぽりとクッションの中に埋まっている。アンヌは咳払いする。
「皇太子殿下、ですわ」
「マリオンはマリオン、中身が変わったわけではあるまいが」
傲岸、という表現がぴったりの口調である。いつものことだから、アンヌは聞き流すことにした。
「ご覧になりますか」
「見ねば不敬ではあろうな、いかな落ちこぼれの便りとて」
「そのおっしゃいようこそ不敬でいらっしゃいます」
「はよう見せよ」
鉄扇を半ばに開いてひらひらさせながら、うっとうしそうにジュスティーヌが促す。メディア貴族が使う雅語は、メディア誕生の地で話されていた言葉がほぼ変化せずに遺されているもので、だいたい貴族しか使わない。
現代メディア語とそう違いがあるわけではなく、方言の一種といってもいいのだが、ジュスティーヌが使うとなんとも高慢に響く。貴族趣味の者にいわせればそれが良いそうだが、アンヌには憎体にしか聞こえない。
アンヌは指をわずかに空中で動かして、文字を表示するウィンドウをジュスティーヌの前の宙に表示させる。
『親愛なるベリゴーヌ子爵』から始まる文章は、老大国の皇族らしい難渋な修飾語で絢爛豪華に盛られていたから、その中にある意味を汲み取るのにだいぶ苦労するものだが、生まれた時からその洗礼を受け続けてきたジュスティーヌである。すぐに読み終えた。
文意は、要約すればこのようになる。
『ベリゴーヌ子爵の壮健な姿を見られて満足している。今後とも我が帝国のため、その力を発揮されんことを望む』
「ふん」
とジュスティーヌは鼻で笑った。
「『おまけのマリオン』がよう申すものよ。偉大なる姉君の言ならばまだしも」
「閣下、お口を慎まれませ、戻った途端に舌禍をお起こしになるおつもりですか」
「たわけ、ここ以外でかような申しようなどせぬわ」
アンヌの小言は彼女の呼吸のようなものだとジュスティーヌは思っているから、気にも留めていない。アンヌもそう思われていることは重々承知しているが、いわずに済ませられないのは性分というものである。
「……ところで、その『偉大な姉君』につきましてニュースが流れております」
アンヌの言葉に、天井を見上げるようにしていたジュスティーヌの美しく整った眉がわずかに動いた。
「……ほう、ニュースか。往生際の悪さでは銀河に屹立するおなごのこと、まさか死にはすまいが」
「閣下は極端に過ぎます。万が一亡くなられていたとしたら、お迎えに上がりましたと同時に申し上げております。だいいちあの方も元は……」
「はよう申せ」
また鉄扇をひらひらさせて面倒そうにジュスティーヌがいう。アンヌは説教を諦めて本題に入る。
「カノン様はこのたび、フェイレイ・ルース記念病院騎士団への正式加入と、副団長就任を発表なさいました」
「ほう」
ジュスティーヌがこの会話で初めてソファのクッションから首を離した。
「フェイレイ・ルースに修行に出たとは聞いていたが、そのまま加入したか」
「はい。名乗りも改められ、カノン・ドゥ・メルシエと」
「ドゥ・メルシエか」
若き女性子爵は艶やかに頬をほころばせた。
「貴族としての名乗りなど要らぬ、ということだな」
「そのようでございますわね。潔いお方ですわ」
ドゥ・メルシエというのは、カノンという女性が騎士叙任された際に受けた称号で、一代限りの、貴族の最下級の称号である。彼女はかつては他にたくさんの貴族称号を保持していたし、今でもいくつかの爵位を持っていたはずだが、それらは捨てた、ということらしい。
普通、貴族は自分が持っている最も高貴な称号を名乗るものだ。
わざわざ騎士号を名乗りに用いるということは、保持する爵位など返上もしくは無視するという意思表示に他ならない。
ジュスティーヌが初めて会った時、その女性はカノン・ディアーヌ・エティション・フォカス・ドゥ・メディアという名だった。
正式にはもっと長いのだが、ジュスティーヌ同様いらないところはバッサリと削ってこの長さだ。
ここには強烈な名がいくつも入っている。
エティションというのは貴族の名門中の名門エティション家の女性が母であることを示す。フォカス、というのは現在の帝家の姓であり、その一族であることを示す。ドゥ・メディアとは国号が爵位であるということ。つまり、帝室の直系であることを示す。
カノンというのが個人名で、メディアでは非常に珍しい名だが、永く続くメディア帝国史上最初の女帝の名である。ディアーヌというのも個人名だが、長らくフォカス家嫡流の長女が必ず名乗った由緒ある名だ。
皇女カノン・ディアーヌ・ドゥ・メディア。
かつてメディア帝国の皇太子に冊立され、次代の帝国を率いるべく擬されていた究極のお姫様。
ジュスティーヌはやや遠い目をした。
「潔いというより、要らぬのだろうよ。もはやメディアの血など」
呪うでもなく、しがみつくでもなく、あっさり捨てるというあたりが彼女らしい。そう思うと、ジュスティーヌの頬の笑みが深くなる。
「巷間では皇女殿下が国を捨てたと大騒ぎでございます」
アンヌの言葉に、ジュスティーヌの笑みが冷笑に変わった。
「この国があれを放逐したのであろうが。ようもいうたわ」
吐き捨てる。
「私ならありとあらゆる手を用いてこの国を亡ぼすべく戦うところだ。あれが左様な気性ならざることをすべての臣民が感謝すべきよ」
「閣下、ですからお言葉が過ぎます。不敬罪に叛乱準備罪ですわ」
「心外だな、私はカノンではないからこの国と戦いはせぬし、カノンも皇女ではなくなったのだから不敬罪は成立せぬ」
「閣下も帝位をお諦めになられたお方、いかような疑いを持たれぬとも限りません。今少しお言葉にご注意召されませ」
「私の言葉を聞いて対立したがるような物好きがおったら、ぜひ対戦してみたいものだ」
「そのご油断が我が子爵家を危地に追い込みませんことをお祈り申し上げますわ。先日のような騒ぎが二度三度と起こらぬ保証などどこにもないのですから、もしそうなれば子爵家のみならずサント侯爵本家にも多大な影響が及びます……」
アンヌの小言魂についに火がついたらしく、いよいよ本格的なお説教が開始されそうだ。少々表現に失敗があったか。
ジュスティーヌはアンヌの滔々と言葉を紡ぎ出す口元をぼんやりと見ながら、カノン・ドゥ・メルシエと名乗りを変えたライバルの姿を思い浮かべた。
かつてのライバル、というべきだろうか。
かたや、今ではメディア帝国においては無位無官の身であるかつての姫君。
かたや、次代のメディア帝国貴族の領袖たるべく育てられ今まさにそうなりつつある侯爵令嬢。
運命の変転に、不敬不敵なジュスティーヌも多少思うところがあるようで、アンヌの説教を華麗に聞き流しながら、かつての日々を思い出していた。




