20. 結び
星間航路を行く船はどうしても大型になる。
数十光年がせいぜいの短距離星間航法、通称「ジャンプ」程度の事であっても、膨大なエネルギー資源を必要とし管理も容易ではないから、動力機関だけでも相応の大きさになる。
レイの手で壊滅させられた海賊船団の旗艦「シナン・レイス」が一二基の動力炉を持っていたように、多数の動力源を搭載し、その出力を精細に調整することで星間航行は成り立つ。
これが数万パーセク(一パーセクは約三.二六光年)先を行き来する超長距離星間航法をとる星間往還船ともなると、扱うエネルギーの膨大さはジャンプ航法の比ではなく、当然船体も巨大になる。建造費は並みの国家の年間予算に達するとされ、このような巨船を持つことは列強としてのステータスとみられることすらある。世にはこのような巨大構造物を軍艦として使用し、数一〇隻を配備しているバカげた国もあり、そのような国を「超大国」と呼びならわす。
通常の交易者がそんな巨船を持てるはずもない。
超長距離星間航法を取れればもちろん商売上有利ではあるが、費用対効果から考えれば、そこまで大きな船を仕立てて無駄に数万光年も一気に飛ぶことはない。現在では標準星間航法と呼ばれる百光年から数千光年程度の星間移動を行う船が、商船としては一般的である。
これもそれなりに大型の船にはなるのだが、あまり大きいと質量がかさみすぎて星間移動の限界を超えてしまう。ある程度上限の質量が決まってくるから、大きければいいという作り方はしない。必然的に建造費の上限も決まる。
恒星が放つ様々なエネルギーを変換して反物質や陽電子を製造、それを動力源として「ゲート」をくぐることで光速度を無視した移動を行う標準星間航行技術は、「大破壊」時代を経て一度は滅び去ったが、今から一二〇〇年ほど前に復活した。時代を経て洗練されるに従い、安全性と確実性が高まったが、超長距離星間航法と比べれば廉価ではあるものの、やはり高価な移動手段であることには変わらない。
ちなみに、三つ超光速航法の名を上げた。短距離星間航法、標準星間航法、超長距離星間航法。それぞれ全く異なる物理法則に従っているため、全種の航法が可能な艦船というものはほとんどない。
昔から「成金の夢は標準星間航行船」などといわれ、かつては一部の王族や大貴族、大商人のみが持つ憧れの船だった。現在は民間なら物流企業や旅客船会社の持ち船、惑星開発船などが多い。
貨客船「アーリヤバタ」は、標準星間航行船の中では大型の部類に入る。
惑星重力圏の中で運用することを全く考えていない宇宙船だから、たいていの標準星間航行船の基本形は球形である。軍用船だけは前方投影面積を最小化するなどの都合で球形を避けたりする。
「アーリヤバタ」は、民間貨客船にしては珍しく球形ではない。卵型の巨大なブロックを進行方向前側にとがった方を向け、その先に卵の長径の倍ほどの長さの円筒をはめ込んだような形をしている。艦体の脇には本体の半分に満たない長さの円筒が左右に接続され、そこからさらにいくつかのパーツが延びる、複雑な形状だ。
大きさは最も長い部分で八〇〇メートル強、卵型部分の最大直径が二〇〇メートル強。
接続されている左右の円筒は、長さ三〇〇メートル弱、直径一〇〇メートルほどで、すべて貨物積載用。動力部も内部機器の発電用の一基ずつしか載せられておらず、コンテナ運搬用の設備だ。
本体部分の卵型の部分が客室などの居住空間になっていて、最大六〇〇〇人の乗客を乗せることができる。本体円筒部分は様々な作業や製造を行う工業区画、長期間の旅にも対応できる農業区画、乗客乗員の運動不足解消のためのスポーツ区画などに充てられている。
この大型船の船橋は卵型の部分と円筒部分とが接合しているように見える部分の上部にある。
その船橋の下の区画が、船の責任者たちの居住区画である。船長や航法士の責任者などがここに部屋を持ち、会議室や応接室も設置され、船主などの要人のための部屋もここにある。
船が完成して三年、既に数回標準星間航行を成功させ、完熟航行を終えている「アーリヤバタ」は、多数の乗客と満載の貨物を乗せて商用航行中だった。今回は五〇〇〇パーセクを二回に分け、ひと月かけて旅をする。船主が同乗する初めての旅でもあった。
どこぞの王族や大貴族でもない限り、この手の船は企業の所有物であることが多いのだが、この船は一介の民間人の持ち物である。
自分で建造したわけではなく、建造途中でもとの船主だった会社が倒産してしまった不幸な船を買い取ったのだが、本来客船として作られていた船に貨物ブロックを接続するように設計変更したのはこの現船主である。
本来は高級客船として貴顕淑女の豪華クルーズを提供するために建造されていたのだが、途中からの設計変更で、豪華さより移動の利便性を求める人々や、多少の貨物を個人輸送して利を上げようとする人々のための船になった。もちろん豪華な区画もあるし、その豪華さはそんじょそこらの高級ホテルに遥かに勝るのだが、少なくともそれを売りにした船ではない。
船主はその豪華なエリアにいればいいものを、設計段階で実用一辺倒に作り変えてしまった絢爛さが微塵もない船主用の区画か、船の前方にある工業区画のどちらかでうろうろしいてることが多かった。
船員にしてみれば少々迷惑な話だ。豪華なエリアにいてくれればそこのスタッフに任せて贅沢三昧させておけばいいのだが、船内をうろうろされたら気になって仕方がない。
いつの世でも、あまり偉い人が仕事場に現れるのは迷惑でしかないものだ。
しかも、この偉い人がちっとも偉く見えないし、それらしいオーラなどかけらも持ち合わせていないからさらに面倒になる。
年齢が個人船主その人とはとても信じられないくらい若いということもある。さらに、着ている服が船員たちに支給されるつなぎだったからややこしい。
先輩船員からどやされながらなんとか仕事をこなしている新人、というあたりがお似合いの、うすぼんやりとした浅黒い顔。
「たぶん迷惑ですよ」
と商売上のパートナーからいわれて怪訝そうな顔をした船主は、いわずと知れたレイである。
こんな船を購入できてしまうほど、彼の資産は膨大なものになっていた。
「迷惑?」
作業用つなぎ姿のレイが尋ねた相手は彼が雇った船長で、雇い主に微妙な質問を振られた船長は苦笑しながら肩をすくめた。
「さて、どうでしょうな」
「どうせ迷惑といわれても、やめはしないんでしょうが」
同様に肩をすくめたのは、レイの資産面のパートナーである鄧士元。漆黒の肌と知性的な瞳が美しい青年は、長沙銀行の地方担当者から、今ではレイ率いる銀行団の代表に就任し、母体の銀行に多大な利益を上げさせている。
母体での身分は地方主任から担当部長に凄まじい上昇を遂げ、いまや巨大銀行で同世代の出世頭だ。大学時代にすでに出身惑星の経済界でも大立者としていい資産の持ち主だったレイだが、それ以降に膨らませた資産がどれほど巨大か、どれほど巨額の利益を得ているかがしのばれる。
「それで、技術者としての仕事は順調なんですか?」
今度は鄧がレイに尋ねる。
「まあね。寄港までには形になりそうだよ」
レイは簡単に答えた。具体的に説明する気はないらしいが、鄧もそれは求めていない。レイが工業区画でやっていることが何なのか、その全貌を鄧は知らなかったし、知ろうとも思っていない。資産家としてのレイのパートナーとしては完璧な鄧だが、数学者として、あるいは技術者としてのレイのパートナーにはどうあがいてもなれないことを知っている。
少なくとも数学者としての面でのパートナーは、他にいる。
「例の磁性体制御論の非線形偏微分方程式の証明、もう少し待って」
レイにいったのは、この場でレイの次に若い人間だ。
「待つけど、その論文ができて査読が済まないと特許取得に動けない。長々と待つ気はないよ」
「わかってる」
うなずいたのは若い女性で、少しおさまりの悪い長い黒髪を後頭部で雑に結い上げ、化粧っ気のない顔に難しそうな表情を浮かべた。形のいいぷっくりとした唇と、今はだいぶ疲れているのか生気がないが大きくくっきりとした目とが印象的な、きちんと飾りさえすればただ事ではない美しさの女性だ。
今はきちんと飾られているとはとてもいいがたい、脂の浮いた顔をしている。どう見ても寝不足で、シャワーも浴びていない。服もここ三日は着替えていないのではないか。汚いとはいわないまでも、服もかなりくたびれている。
「急かすのは酷では?」
と船長が思わずいったのも無理のない姿だったが、それに反駁したのは意外にも本人だった。
「予定が押しているのは私が推論をいくつも外してしまったからで、レイのせいではありません。道筋は見つけましたから、私が頑張ればいいことです」
発音はしっかりしているが、声がややもすると声変わり前の少女のようなかわいらしさだった。
「間に合わせるわ、心配しないで」
「心配はしてないよ。信頼してるし、期待もしてる。だからいうんだ」
レイが淡々というと、女性はかすかに微笑んだ。
パッと見に大学生にも思えるこの女性数学者の名前はイリス・ティーレ。
レイの高校時代の一個下の下級生であり、大学の講義を聴講していた彼に近付きたい一心で数学を学び、見事同じ待遇を得て見せた秀才。強い思いを持っていたにもかかわらず、レイが卒業するまで結局その想いをいい出せずに終わってしまった少女。
出身惑星の数学界には収まりきらないほどの才能を見せ、惑星外列強の大学に奨学金を得て留学、今ではれっきとした数学博士として学位もこの年の初めに取得し、レイのために働き始めていた。
ちなみに奨学金の出どころはレイであり、審査したり手配したりと実際に動いたのは鄧だった。
「でもまあ、一晩しっかり寝て、シャワーも浴びて、糖分寄りの食事をがっつり摂っといた方がより良い結果が出るとは思うけどね」
「同感」
「そうした方がいい」
レイのセリフに、ややかぶり気味に船長と鄧が賛同する。
「……そんなにひどいですか」
「少なくとも理系女子に対する世間の偏見を助長しかねない姿であることは間違いないかな」と鄧。
「あるいは我々が職業上の虐待を行っているのではないかと疑われかねない姿だ」と船長。
いわれたい放題だ。
仕事中は無頓着が許されると本気で思っているのが理系人間の度し難いところだ、と文系人間は思っているものだが、あながち偏見でもないことはイリスのこの時の不本意そうな顔からもわかる。
「……ではとりあえず寝ます」
ふらふらと立ち上がると、わかりやすいほどのふくれっ面で部屋を出ていった。船長も鄧も、苦笑するしかない。
レイはというと、イリスに「おやすみ」と声をかけながら、もうそちらは見ていない。手元のグラフやデータに視線を落とし、そちらに集中している。
想い甲斐の無い男だ、と鄧などは思うが、もちろん口には出さない。
「そろそろ情報組織の方もある程度形が見えてこないと困るんだけどな」
レイがいう。
「トップ人事がなかなか難しいんですよ」
鄧は言い訳がましいと思いつつも返した。
「リストは当たってみたんでしょ」
「すべてね。ですが、正直これはという人物には出会えていません」
「ザングフールトの彼には断られちゃったしね」
「彼が来てくれていればだいぶ楽になったのですが」
「君の銀行の情報部にはもう人材はいないの」
「私が頭取になれば即座に放逐するような連中ばかりですよ。飛び抜けてすばらしい人材は二年前にヘッドハントされていなくなってしまいましたから」
「さらにこっちがヘッドハントするわけにはいかないの」
「残念ながら。行った先が上帝団の上帝城と来てはね」
「ああ……機密条項でがんじがらめか」
「仮にヘッドハントしても、一生監視が付く身です」
「僕の方でも探してみるよ」
ここで船長が口を開いた。
「私の方でも心当たりをもう一度当たってみましょう」
「頼みます」
鄧が目礼する。
フアン・ゲレーロ・ロペス、この船の完熟航行から船長職を務める男で、前職は超長距離星間航行戦艦の艦長を務めていた。巨船を扱うことにこれほど習熟した男も珍しい。最終階級は少将で、単艦の艦長がこの階級だったということが、乗っていた船の巨大さと重要性を物語っている。
列強の宇宙軍で最重要艦の艦長を務めたほどの男だから、人のネットワークも広く、様々な分野に及んでいる。
近い将来には中将に進んで艦隊を率い、いずれは軍トップに上り詰めるといわれていた男だが、船乗りとしての自分を貫く道を選び、物好きにもレイのヘッドハントに応じてこの船に乗り込んだ。
「あなたのエンジンの方の売り上げは好調です。報告書は目を通していただけましたか」
「さっきね」
「初年度の成約は目標の一三〇パーセント、無名のメーカーの門出には出来すぎの結果でしょう」
「銀行団もほっとしたんじゃないの」
「そりゃあもう。あなたが製造業を一からスタートさせると聞いた時の彼らの顔を思い出すと……」
鄧は秀麗な顔に皮肉っぽい笑顔を浮かべた。
「……寒気が走りますね。私もついにあなたが踏み入れてはいけない領域に突っ走り始めたかと思いましたから」
「初期投資だけでこの船が二隻は買えたからね」
レイもわずかに苦笑した。当時の銀行団の反対の大合唱を思い出したらしい。その事業を始めたのは士官学校に入る直前だったが、鄧を含めた財界の実力者たちに膝詰めで説得され、哀願され、説教されたものだ。
その話は鄧以外の銀行団担当者たちから散々聞かされ、レイがまた何か妙なことを始めたらすぐ連絡するようにとしつこいほど頼まれている船長も、笑いがこらえられなかったようだ。
「まさかそれが序章にすぎんとは思ってもみなかったでしょうな」
「この程度でビビられてちゃ、この先の事業計画なんか聞いたら死者が出るなって思ったよ」
「そろそろ出ますよ」
鄧は組んでいた足をほどいて、手にしていたグラスにテーブル上の瓶から琥珀色の液体を注ぎ足した。
「次の事業の中核組織になるだろう買収ターゲットから、正式な返答が来ました。交渉のテーブルにはあなたのための椅子が準備されているそうです」
レイは鄧の酒に付き合うつもりもなく、本人の肌の色にも似た薄い焦げ茶色の茶をすすりながら、相も変わらずうすぼんやりした顔で鄧に視線を向けた。
「どれのこと?」
「全部です。軍事組織も、製造メーカーも、都市の行政責任者も」
ほう、と船長が声を上げた。
「よくまとめたな。三者三様に難しい交渉相手だと思うが」
「彼らなりに現状に対する危機感はあるのでしょう。エンジンの売り上げ状況を見て、色々考えるところがあったようです」
「君の交渉技術のたまものだろう。見事だ」
船長の褒めように、鄧は肩をすくめた。
「おかげで他の銀行の連中からは暗殺されるんじゃないかと怯えているところです」
「余計なことをしやがって、か」
「ボスが投資事業に専念してくれることしか願ってませんからね、彼らは」
「次の寄港が終わったらすぐに参りますか」
船長はレイに尋ねた。
レイは少しも考えた風を見せず、答える。
「この船で行く気はないよ。他にやってもらうこともあるし、だいいちこの船でヴェネティゼータを目指しても利益が出ない」
「まあ、そうですな」
レイが口にした地名は、この船で商業的利益が見込めるとは到底思えない場所であることは船長も知っている。
「今作ってる物の仕上げにめどがついたら、『フワーリズミー』で出る。一週間くらいかな」
「一週間」
鄧がちょうど飲み込もうとしていた酒を飲み損ね、せき込んだ。
「本気ですか、次の投資計画の打ち合わせにとこれから続々と銀行担当者が合流してくるというのに」
「君がいるから大丈夫さ」
「いや、そういうことじゃなく……」
「信頼されているじゃないか、鄧」
「笑っている場合ですか船長、一緒に吊るし上げられますよ」
「私をつるし上げられる銀行員がいたら、ぜひお目にかかりたいものだ」
船長にいわれ、鄧は一瞬返答に窮した。ゲレーロ船長は元軍人、今でもトレーニングを欠かす日がないというその肉体は、二メートルを超える長身と共にまさに壁のような圧迫感を持つ。旗士ではないが、半端な旗士なら素手で黙らせる力があると噂されていた。それが事実かどうかを試す度胸は鄧にはない。
「『フワーリズミー』はすぐ使える?」
レイは鄧の顔色の変化には興味がないようで、船長に聞いた。巨漢船長はうなずいた。
「艤装は済んでいます。新型エンジンの素性が素晴らしいと部長が喜んでいましたよ。必要な物資があればリストをいただければすぐ準備しましょう」
「頼む。鄧、銀行団の連中が何か文句をいいたそうなら、この前の金鉱床の話をオープンにして構わない。採掘権の奪い合いでしばらく時間が稼げるだろう」
「……承知しました、よろしいように」
あきらめたようで、鄧はため息交じりに小さく両手を挙げた。
レイはこの後も、常識外れの事業をどんどん進めていく。
彼は自分の出自を隠すなどという気は全くなかったから、戦災孤児であり、家族も故郷もなく、自分の命以外何も持たないところから人生をスタートした事実は、知ろうと思えば誰でも容易に知ることができた。
血筋が無ければ何もなせない、というような時代ではなかったが、無一文の孤児が若くして恒星間財閥とタメを張るような活躍ができてしまう簡単な世の中でもないはずだった。
立志伝中の人物としてもてはやされても良さそうなものだが、不思議とこの男は目立たない。成し遂げたことの大きさに比べ、本人の存在感の無さはいっそ見事なほどだった。
後に彼の最大の理解者であり最高の戦友ともなったカノン・ドゥ・メルシエが評した。
「あれは目的が具現化して人間のふりをしておるゆえ、レイの人間性をとやかくいうのは無駄、愚の骨頂よ」
どこまで本気かわからないが、一番濃い付き合いのカノンがいうと妙な説得力がある。
様々な飛び抜けた能力を持つ男だが、なんともつかみどころのない性格は、幼児のころから少しも変わらなかった。それをたどるために、ここまでの文章をつづってきたようなものだ。
この後しばらくしてからの彼の人生は、また別の話で詳述される。
次回の「カノン」編がまだ書きたまっていないので、しばらく時間があきます。




