19. 退役
惑星軍が小なりとはいえ実行力を持つことが証明され、その指揮権を持つ惑星列国会議の存在がようやく政治的に力を持ち始めた。
「やれやれというところだな」
ベッカー大佐が、陽光差し込む会議室の奥まった椅子に座ったまま、伸びをした。
「……課題はうんざりしても足りないほど山積しているが、とりあえず我々は存在意義を示すことができた。我が故国からも祝賀メッセージが入っているそうだから、これからは多少は舐められずにすむだろう」
大佐の本来の所属先であるトゥール連合は、経済大国であり列強の一角を占める強国である。鼻息一つでこんな惑星くらいは吹き飛ばせる力を持つ国だから、その政府が惑星軍とその母体に祝賀メッセージを送ったという事実は重い。
「大佐はそろそろ帰任のご予定でしたか」
今回の勲功一番と称されているネイター少佐が尋ねると、ベッカー大佐は首をかしげた。
「派遣契約期間は来月いっぱいだな。ただ帰任するか延長になるかはまだ棚上げで結論は出とらん」
「無理にでも帰ろうとしないと、延々と延ばされますぜ。今の惑星軍には確かに大佐が必要だ」
「なに、必要なのは私ではないさ」
大佐は自嘲するでもなく、当たり前のようにいった。
「ネイエヴェールがいればあとは何とでもなるだろう」
ここ数週間で、大佐のレイに対する評価は絶対のものとなっていた。
「私が前線指揮官ならばともかく、主計科将校では彼と分野がかぶっている」
「彼頼みの惑星軍では危険すぎるでしょう」
とデ・フロート少佐が口を開く。
「彼は力は強大ですが、あれはこの軍が創成期でいい加減な状態だから通じる手です。まともな軍隊を作るなら、彼の力無しで動けるようにすべきです。大佐のお力こそが必要ではないかと」
「女傑殿に賛成。とくに金頼みのやり方はいかんね」
「おっしゃる通りです」
といったのは、やり玉に挙がったレイ本人である。
「あれは今回限りの禁じ手ですから、二度と使っちゃいけないと思います」
「本人がいうんだから間違いはないわな」
ネイター少佐が笑った。
レイの名は、惑星の中ですっかり重みを増した。惑星軍がテルネーゼン・ゴーダ両国軍の抵抗を実力で排除できたのも、二国間の紛争を惑星列国会議が調停できたのも、惑星列国会議が初めて実質的な成果を上げたことで実力を持ち始めたことも、すべてレイの財力と機略のおかげであるという風潮がある。
レイ本人は常にその手の見方に否定的だった。
「使った分の資金はあらかじめ承認をいただいているものですけれど、いざ請求書を前にしたら列国会議の皆さんも二度と僕の提案は受けなくなると断言できますよ」
レイは確かに巨額の資金を準備して量子コンピュータを借りたり、解析システムを借りたり、必要な情報を買い取ったりした。
だが、レイは慈善事業として行ったのではなく、あらかじめベッカー大佐を使って根回しし、「三個大隊で勝つためなら多少の無茶はよし」と列国会議の常任委員会の承認を得たうえで行った、惑星軍として支出を行っている。
レイは圧倒的な信用力で様々な手配が円滑に進むように、自分の名前なり銀行団の名前なりを使ったが、最終的には軍の金だ。請求書は軍に回ってくるのだし、惑星軍の金主は基本的には列国会議に参加する惑星内の各国である。星外の大国からの協力金などもあるが、いずれにしてもレイが一方的に身銭を切ることはない。
立て替えただけのことだ。最終的に全部が全部は帰ってこないかもしれないにしても。
「立て替えただけの人間が強い影響力を持つようになっては、惑星軍の将来も明るくはありません。軍としては決して合法といい難い手法ですし、一士官が金に飽かして勝てばいいという論理で好き勝ったやったという前例は、非常に好ましくありません」
レイの行為を全否定するようなこの論法は、レイ自身の口から出ている。デ・フロート少佐が呆れたように苦笑した。
「まるで断罪ね」
「次に危機が訪れた時にあてにされちゃたまりませんから」
もうやる気はないらしい。
「ただ」
とレイは続けた。
「しっかりとした資金と、敵を上回る技術力があれば、戦争には勝てます。戦略だの戦術だの、経済と技術の制約の中で構築する物ですから」
「そうだな」
ベッカー大佐がうなずいた。
「その見事な手本が今回の戦いというわけだ。金と技術、こいつが惑星軍強化の前提条件になる」
大佐のこの考えは今に始まったことではない。以前からいっていたことだ。
惑星軍はどこの国に所属しているわけでもない。惑星全土の治安維持と紛争解決を目的として作られた軍である以上、惑星内の各国の独立や自治を脅かすような巨大な兵力になってはいけないし、そうでなくとも過大な戦力になれば各国に疑念を生じさせ政治的な動揺の原因になるだろう。
強くなることは求められているが、大きくなることは求められていない。
少数の兵力でそれなりの強さを実現しようと思えば、金と技術に頼るしかない。自明の理である。
それを、レイが極彩色で、非常に分かりやすく実例を作って見せてくれた。
「惑星軍の行くべき道は見えたはずだ。ぶれずに前進していくことが何より求められれる。いつ本国に私が戻ろうと、前進させ続ける意思を皆が持つことが肝要だ」
テルネーゼン・ゴーダ両国の紛争介入で、テルネーゼンの無条件撤退を引き出し、ゴーダ軍の反抗を木端微塵に打ち砕いた功績により、惑星軍所属の軍人にそれぞれ昇進と恩賞授与があった。
デ・フロート少佐とネイター少佐がそれぞれ中佐に昇任し、勲章と若干の一時金が出た。同時に、今後編成される二個連隊の指揮官職がこの二人に擬せられた。それぞれが率いていた大隊を中核として、それぞれの連隊が編成されることになる。
今回名前は出ていないが、ほかに二人の大隊長がいて、彼らも大尉から少佐に昇任し、先任の大隊長として連隊編成上の役割を負うことになる。
それに付随し、他の士官たちも軒並み昇進している。惑星軍がこれから増強されるにあたり、実戦経験者であり二人の予定連隊長のやり方を知っているベテランをどんどん登用していこうという意思の表れだろう。
下士官、つまり兵士たちを直接指揮し、最小の単位である分隊を率いる、軍の背骨ともいうべき曹長や軍曹たちも、一斉に昇進している。
昇進すれば給料も上がる。残念ながら士官の増額は大したことがなかったが、これはいずれ改善されていくだろうとされた。それより、下士官の待遇改善の方が急務だった。士官は士官学校ができているおかげでどんどん補充できそうだが、下士官は経験がある惑星各国の軍からの移籍組が多い。経験者優遇の惑星軍である限り、少しでも待遇を良くしないと人が集まらない。
少数精鋭でいるためには、人材の確保は至上命題だ。
戦われた峠の名を取って「スロイスキル会戦」と呼ばれるようになったこの戦いに参加した惑星軍の戦士たちは、今後の惑星軍の中核たるべく報いられた。
ベッカー大佐は、出向組なので昇進は関係なかった。本国から与えられている大佐の階級が変わらなければ、惑星軍での階級は変わらない。給料も本国から出ているから、惑星軍の給与体系も関係がない。一時金ももちろん出ない。
なかなかにシビアだな、と笑っていたベッカー大佐だが、予定連隊長の二人に正式に中佐の辞令が下る前に、彼の帰国が明らかになった。
惑星軍内は騒然とした。
ここまでトップとして惑星軍を率い、軍政や補給面で多大な貢献をしてきた指導者の退任である。
惑星列国会議は彼を離したがらなかったが、本国トゥール連合が決めてしまえば、無理に願い出る筋ではない。給料を払っているならばともかく。
「一通り形にはできた。あとは惑星出身の後進に託す」
ベッカー大佐は統合作戦本部長代理の任を、トゥール連合への帰国中の船中で解かれることになった。
本人が別れの愁嘆場を嫌って逃げるように出国したという話が伝えられたが、滅多にないトゥール連合への直行便が偶然出港間近だったため、帰任の手続きなど必要最小限の処理だけを行って慌てて飛び乗ったというのが実情だ。定期航路など設置できるはずもない、田舎惑星の悲しみだったといえる。
それ以上に惑星軍を驚倒させたのは、レイ・ヴァン・ネイエヴェール中尉の退役だ。
「退役だと?」
辞表を受けたのはベッカー大佐の帰任後に本部長代理職を押しつけられた、これも惑星外の列強出身の大佐である。
「この状況でか」
もちろんこの大佐もレイのことは良く知っている。何しろつい先ごろまで士官学校の校長だったのだから。
「今だからです」
レイはいくつになっても変わらない、うすぼんやりした顔でいった。浅黒い肌が精悍さを感じさせるかといえばそうでもなく、それなりに短く刈っている髪と軍帽が軍人らしさを強調するかといえばそうでもなく、軍服を着ていても軍人に見えない男である。
「どこに行っても差別される戦災孤児に過ぎないレイ・ヴァン・ネイエヴェールなどに軍を牛耳られる前に、排除しておくべきだと僕でも思いますよ」
そういう声があるのは事実だが、レイは思い入れもなく淡々というから、事の深刻さが伝わりにくい。
とてつもない資金力を誇り、コネクションも築き上げ、数学と機械工学では右に出る者がいないという超人が、親の名前もわからない孤児だという話はすでに有名だ。どこでも孤児は差別されるし、優秀であれば嫉妬されるし、足を引っ張られもする。
本人がひけらかしたことは一度もないが、レイは旗士としても強力なために、表立ってそんなことをする勇気がある者はいない。だが、その存在を疎む勢力は常に一定以上いる。
「中尉を失うことは惑星軍にとり痛恨の一大事だ。排除などとんでもない」
そういった勢力がいること自体耐えられない、とレイを高く買い続け、才能を愛して臨時教官にし、首席で卒業するまで差別から守り抜いたのがこの大佐だ。
ちなみにレイは中尉に昇進したばかりだったこと、昇進させると彼のやり口が正当であると認めることになりかねないということで、昇進はしていない。本人も「それが当然」と気にした様子もない。
「それは冗談にしても、やはり僕の存在はあまり惑星軍にとって好ましいものではありません。それに、ベッカー大佐のご尽力もあって、今後の惑星軍について、だいたいの道筋はできたと思います。ご心配には及びませんよ」
彼が辞表を出したというニュースは惑星軍内を駆け巡り、その日のうちに惑星列国会議の常任委員たちの耳にも入った。
政治家たちも大いに驚いた。
惑星中のどの政治家を動かしても困難であるはずの量子コンピュータ借り上げなどを平然とやってのけたレイの話は、当然ながらどの政治家も知っている。大学時代の投資家レイを知っている者も多い。
ゴーダ軍の旅団が壊滅的打撃を受け、掃討を受ける前に撤兵したテルネーゼン軍も初撃で半壊という有様だった先日の戦いの衝撃は、政治家たちの間でレイの恐るべき才能の証明として受け取られるようになっていた。
彼は絶対に敵に回さず、惑星軍の実力者として、やがては惑星列国会議の主要人物として、惑星発展のエンジンとして働いてもらわなければならない。
惑星外の列強に対し強いコンプレックスを持たずにいられない現在の政治家たちには、その列強を自分の駒として使うレイに対する期待感があった。同じレベルで反対ベクトルの嫉妬もあるが。
そのレイが退役するというのだから驚かないでは済まされないし、退役した後どうする気なのかという点も大きな問題だった。
政治家になるというのなら、自分たちにとって強力な政敵かライバルの登場になる可能性もあるし、逆に強力な味方の登場になるかもしれない。
また資産家として投資活動や企業活動に復帰するというのなら、惑星全体の経済を牽引していく存在になるだろう。
まさか無職のままぼんやりと過ごすということはないだろう。外見だけ見ると非常に似合っていなくもないのだが、事績を見れば絶対にありえない。
「とりあえず遺留せよ」
という惑星列国会議の政治家たちからの指示は、新任部長代理の初仕事のようになってしまったが、元校長である大佐にとっては命じられるまでもないことだ。
言を尽くし、手を変え品を変えレイの慰留に努めたが、レイからの回答はシンプルだった。
「後片付けも終えています。もう来ません」
軍人が「辞めます」の一言でやめられればそんな気楽なことはなく、意思を通そうとすれば抗命罪で投獄されることもあり得る。短期間でも軍の中枢にいて、戦争の帰趨を決めて見せた中尉の退役が、こんなに簡単にいくはずがない。
「だいいち」
と元校長はいう。
「君はまだ既定の軍役を終えていない。今やめれば、士官学校の学費を全額返還しなければならないのだぞ」
いってから元校長は後悔したに違いない。
レイはまつ毛ひとつ揺らさずに答えた。
「謹んでお返しします。請求があり次第、即日現金で」
それが瞬きするほど簡単にできてしまう男なのだ。
結局のところ、レイを慰留できるような人間などいるはずもなかった。
政治家たちとは会おうともしないし、デ・フロート中佐やネイター中佐はレイの決意の固さを知ると何も言わなかったし、ベッカー大佐はもはや惑星軍とは関わりがないとしてレイとの交渉をきっぱり拒否した。
かくして、レイは士官学校を卒業して一年少々という短期間で軍を去ることになった。
特別に親しい人間がいるわけでもないレイは、ここでも淡々と去っていった。
最後の日、滔々と愛惜と慰留の念を述べ立てようとする本部長代理をかわしながら、ごく少量の私物を持って統合作戦本部が入っている半球形の建物を出たレイを、小雨が出迎えていた。
かつて彼が生まれたとされるルールモントにほど近いこの場所で、レイはそぼ降る雨に濡れながら歩み去っていった。




