15. レイの士官学校
大学だけはまともな年限の4年で終えたレイは、その後の進路で人々を何重にも驚かせた。
レイは一七歳になっていたが、それでも大学の中で最も若い学生だった。普通に学制通り年限を経ていれば、大学には二〇歳過ぎの入学になるはずだからだ。
そのレイが、まず、大学院への進学も先進国への留学もしないことを宣言した。
卒論を四年になった早々に書き終えていたレイは、「対消滅炉内の縮退反応にかかわる物理量測定概論」というタイトルのその論文で文句なしのトップ採点を獲得し、大学院への入学資格と、先進国への留学資格を得た。どちらを選んでも構わないし、どちらを選ぶにしても国費で学ぶことができる。
学生にとってこんな名誉なことはない、という資格であり、教授たちも周囲の学生たちも、彼が恐らく留学を取るだろうということで衆目が一致していた。
それをレイが蹴った。
さらに、卒論を書き上げたころには「首都が買えるんじゃないか」などと大げさに噂されるほどの利益を上げていた投資を、卒業三か月前のある日にぱったりとやめてしまった。充分稼いだから、ということらしいが、相変わらず詳しい理由を説明しないから、真相は不明である。
やめたといっても、恐ろしいほどの巨額に膨れ上がった資産は管理が必要で、それらは一手に長沙銀行の鄧士元が請け負うことになった。地元銀行や金融各社は地団太を踏んで悔しがったというが、この頃になるとレイは鄧に全幅の信頼を置いていて、毎月の学生らしいつましい生活費以外は鄧による運用に任されていた。
そして極め付きは、彼の確定した進路である。
「士官学校だと」
教授連は腰を抜かさんばかりに驚いた。
「教官としてか」
とっさにそう思った者もいたというが、それも無理からぬことだった。レイほど優秀な数学者・物理学者が士官学校の教授陣にいるはずがない。レイがその席を埋めるために行くというのは、むしろ説得力のある話だった。
しかし、違った。レイは士官候補生として士官学校に進む。まさかの軍人エリートコース。
「なぜだ、一生を棒に振る気か」
指導教授も、後見人になった教授も、みな「歴史的暴挙」を思いとどまるようレイに詰め寄った。当然だ。
士官学校で数学や物理、工業技術の研究を続けることはまず不可能である。軍事技術としていずれも利用するし学びもするのだが、士官学校で扱うレベルはたかが知れている。レイのレベルからしたら寝ていても指導できる。そんな中にこの偉才を埋もれさせるのか。
数年前に列強各国の協力でできた、惑星全土から学生を集める士官学校や兵学校、技術学校、医療学校などは、教授陣も外部から招いていたからそこそこ高いレベルではあるのだが、レイの素養が高すぎた。
「お忘れですか、僕は旗士ですよ」
レイは平然としていう。
確かに、彼は旗士学校の中等部と高等部を出ている。旗士としてのレベルはそこそこ高かったと彼の成績証明書には書いてある。
旗士の就職先として軍というのはごく一般的である。昇進もしやすいし、国民からも期待される。
「君が旗士としてどんなに活躍しようとも、学術分野における活躍以上に社会に貢献することはありえないだろう。考え直すべきだ」
教授の一人がいう。
まったくの正論で、周囲の人々は誰も異論を挟まなかったが、一人レイだけは首を横に振った。オーステルハウトでは首を横に振るのは拒絶か否定の仕草である。
「僕はそもそも学術で人類に貢献する気はありません。別の分野でしっかり貢献するつもりでいます」
どこまで本気かわからないセリフを大真面目でいったレイは、以後、一切の抗議を受け付けなかった。
一七年前の戦争で滅んでしまった国、フリジアの故地に、士官学校はある。
かつて一九の州が集まって連邦制の共和国を構成していたフリジアは、内紛と外部勢力、主に隣国などの介入によって壮絶な内戦状態になり、殲滅戦を繰り広げて国家としての実態を喪った。戦前に比して人口は半減、戦火の爪痕は今に至るも消えてはいない。
内戦は収束し、オーステルハウトなども加わった平和維持機構が全土を掌握しているが、未だに国家としてのフリジアが復興する気配はない。むしろ、新たな戦いが起きないよう厳重に監視する必要がいつまでたってもなくならない状態だった。
列強の一つでも介入してくれれば、いっそ事態は簡単に進んだかもしれない。圧倒的な武力と経済力で諸勢力を黙らせてしまえば、平和は容易に構築できるだろう。だが、ここまで述べてきたとおり、惑星外の列強たちはこの星の大地に余計な手出しはしない。自分たちの武力が、この後進惑星の脆弱な大地には、あまりにも強大であることを知っていたからだ。
惑星の諸国は、とにかくこの故地に欺瞞であっても平和に見える状況を作る必要があった。
「フリジア動乱」と呼ばれた一昔前の戦争が再開すれば、圧倒的な人道の危機に惑星がさらされることになる。せっかく先進各国の投資が進み始め、貴重な自然環境が観光資源として整備され始めているというのに、ここで凄惨な戦いが起きれば、その資本も引き上げてしまうだろう。経済的な損失は計り知れない。
そこで、諸国は列強が資金と人材を与えてくれた士官学校などの施設を、旧フリジアに設置することにした。当然、その周囲には各国が供出した現役部隊が駐屯し、士官候補生や学生たちを実地で鍛えていくことになるのだが、それをそのまま旧フリジアの治安維持部隊として活用するというアイディアだ。
苦肉の策とも、無謀な策ともいえたが、その提案に列強各国の担当者たちが意外に簡単にゴーサインを出した。
彼らも、せっかく金と人を提供しておいて、その足元で凄惨な内戦など起きようものなら責任問題になりかねない。兵力まで貸すわけにはいかないが、士官学校などに派遣した武官がコンサルタントとして惑星内各国の部隊を指揮することは可能である。それなら、無理やりにでも平和を作り出すことは可能であると彼らは判断した。
かくして旧フリジアの焼け野原に各種学校が建設され、やがてレイがそこに入ることになった。
奇縁というべきであろう。
レイは、生まれ故郷に戻ってきたということになる。
戦災孤児であるレイの出生時の記録は一切残っていないが、最初の記録はフリジアの都市ルールモントからの避難民としてのものだった。乳児の彼は、看護師に抱えられてルールモントから逃げ出し、列強の援助で作られた野戦病院に収容され、やがてオーステルハウトの児童養護施設に身柄を移された。
記録で追える限り追えば、旧フリジアが彼の故郷だった。
もっとも、本人がそれを気にしていたかといえば、その様子は全くない。
士官学校に入学するためには当然ながら入学試験があるが、大学を卒業している彼には記述試験はない。旗士であるかどうかを判別する検査と体力測定があるだけだったが、そのために旧フリジア入りした時も、その後合格して士官学校の寮に入ってからも、彼が故郷に関して何かコメントしたところを見た者はいない。
思い入れの持ちようがなかったのかもしれない。なにしろ彼が孤児としてフリジアを出た時、まだ生まれて数か月。記憶などあるはずもなく、家族の痕跡すら見当たらないのだから懐かしもうにもそのよすがもない。
高校卒業資格があれば入れるということで、ここで彼は幼年学校入りたての頃以来久しぶりに、多少は同年代の同級生がいる環境で学校に通うことになった。
ルールモントからオス第七児童養護院に収容されたときには栄養失調で死にかけていたし、旗士学校に転入する頃もやせっぽちの小柄な子供だった。大学に入ったころになってもひょろっとした子供で、天才不良旗士バイダルを赤子扱いする脅威の実力の持ち主には、どう逆立ちしても見えなかった。もちろん、それを知っている者などいないのだが。
士官学校でも同様だった。
大学に入ってから背が伸び、肩幅もそれなりに広くなったものの、他の同級生と並べば男女合わせて小さいほうの二〇%に入るし、胸板など無いに等しい。脂肪の薄い体はまだまだ少年のもので、とても士官学校の厳しい訓練に耐えうる身体には見えなかった。
もっとも、士官学校というところは、全員に筋骨隆々であることは求めていない。
軍人とは見方を変えれば究極の官僚機構だから、なにも腕っぷしが強ければいいというものではない。古代ならともかく、また兵士ならばともかく、士官だの将軍だのという人種は、人を動かし物を動かすのが仕事であって、自分が戦うのは二の次である。
だから、大学卒業者を士官学校が受け入れること自体は、別に珍しくはない。大学という軍事とは直接関係のない機関でしっかりと教養を身につけ、学ぶための方法論を身につけた人材は、軍という官僚機構にとっては貴重な人材だ。
いかにも弱そうな見た目のレイが、士官学校内でそれほど浮いたように見えないのも、士官学校というものが兵学校のように体を鍛えることが必須ではないという現実があるからだった。
士官学校の中には、旗士としての能力を徹底的に鍛え、他国の旗士と競っても遜色ない戦士に仕立て上げる科もあるが、レイは当然のようにそういった科は選ばなかった。
かといって技術系の科も選んでいない。教授陣もいっていた通り、彼に教えることができる教授など、士官学校にはいないだろう。
レイが選んだのは、士官学校の花形である機動戦術科だ。地上戦の戦術を扱う科である。
宇宙での戦争を念頭に置いた科もあるが、なにしろこの惑星の後進性が仇になり、訓練のための船すらまともにない状況だった。レイがここを選ぶ理由がない。
そもそもレイは「ギアを作る」と公言し、大学でもギアの動力機関を作るための各種理論を学び、卒論も対消滅機関の効率性を上げるための新理論を検証するものだった。ギアは陸戦兵力だし、陸戦における機動戦術の主戦力だ。レイが機動戦術科を選択するのは当然だった。
といっても、花形だけあって競争率も非常に高い。士官学校自体、新しい文明に触れるチャンスということで惑星全土から優秀な若者が殺到する事態になっていたから、競争率の高さは推して知るべしである。
そんな中、レイは記述試験無しの大学出とはいえ、いや、だからこそ何かアピールするところが無ければ合格は難しいところだったが、レイには卒論がある。
卒論は動力機関の新理論を検証したものだが、ギアの駆動系がわかっていなければ絶対に書けない躯体工学や、関節部や武装系を制御する演算系の新技術などにも鋭く切り込んでいた。だからこそ大学でぶっちぎりの評価を得たのだが、士官学校の教官たちもこの論文には注目していた。
「あれを書いた奴が来る」
と噂になった時点で、もう合格したようなものだったのだ。
実は士官学校合格を狙って卒論をそんな構成にしたのではないか、と疑われるようになったのは後年の事だが、どうも事実らしい。見た目に反して何とも器用な男だった。
器用といえば、レイは言葉でも器用だった。
新設されて数年というこの士官学校では、公用語を航路語としている。惑星内のどこかの言語を公用語とするのは政治的に危険だったという理由もあるが、この時代どこの国に行ってもたいがいは航路語が公用語である。母国語を軍の共通語にしているような国は少ない。
レイは、たとえば鄧と話すときは当たり前のように航路語を話していたが、旗士学校の高等部時代には完璧な航路語を使っていたくらいだから、特に学び直す必要はない。他の新入生の多くが航路語学習にうめいている中で、レイは涼しい顔をしていた。
また、彼は入った途端に特別扱いを受けることになった。
彼のような大学出の人間は、士官学校の基礎教養科目などは学ぶまでもないのだが、かといって別の授業が準備されているわけでもないから、せいぜい面白くなさそうに見えないように付き合う必要がある。
レイは、数学と力学において、その授業を免除された。
だけでなく、その両教科でなんと教官を務めることになった。
大学出身者や大学院出身者、中には博士号を持っている者もいたりする士官学校では、特別に珍しい例というわけではないが、一八からを成年とするこの惑星ではいまだに未成年であるレイが教官職を兼任するというのは確かに珍しい。
高校卒業程度の学力を要する士官学校での数学は、それなりにレベルは高い。兵器の特性を理解し、実際に使用するうえで数学の知識は絶対に欠かせないからだ。兵を指揮するためには統計学の知識も無ければならない。力学の必要性はいうまでない。
大事な教科ではあるのだが、こういった基礎の強化よりも、例えば戦略戦術論や、機械工学といった専門科の教官をそろえる方が優先されるから、士官学校には専門的に数学や力学を教える教官が欠けていた。他の教科の担当でも当然素養はあるから教えられるのだが、専門的に学んできた人間が教える方が効率が良い。
かくして、候補生最年少組のレイが教壇に立つことになった。
これまで教壇に立った経験などもちろんないが、評判は悪くない。
あまりにもできる人間はできない人間のできない理由が理解できないから、教えるのが下手というのが定番だ。レイは違った。
そもそもこの新しい士官学校を志望するような人間はそれなりに優秀なのだが、レイの授業はその優秀さにさほど期待していないような中身からスタートした。
機械ができる単純計算などはいちいち学ぶ必要はないが、機械に計算させるための手順、アルゴリズムはしっかり学ぶ必要がある。統計にしても、その理屈を理解していないと、機械が上げてきたデータの信頼性を評価することもできないし、比較して正しい値を選択することもできない。
その基本のところを、レイは候補生たちが「そんなことはわかっている」と退屈を覚えかねないところから綿密に講義する。理解が難しい部分ではしっかり繰り返すし、その勘所も正確だったが、なにしろ優秀な候補生たちにとっては不要とも思える部分を丹念にさらっていくので、教えている内容だけの報告を受けている教授陣は不安になった。これでは求められる単元を修められないのではないか。
だがレイの講義を実際に受けている候補生たちはそれなりに必死だった。
確かに講義は簡単な内容から入っているのだが、丁寧で丹念で余裕はあるのだが、とにかく早い。
言葉に一切の無駄がないこともあるし、聞き取れる範囲内で早口であることもある。丁寧にもかかわらず、優秀ぞろいの候補生たちが油断すると脱落しかねない速度で進んでいくから、気が抜けない。
そして演算が多い。講義の端々に簡単な演算があり、なおさら気が抜けなかった。解けないような難問ではなく、ほとんどの候補生がすぐに回答を出せる程度の問題なのだが、だからこそ解かざるを得ない。他の授業も集中を切らしてはいられないことでは同様なのだが、レイの授業はまさしく集中力勝負だった。
うすぼんやりした顔のレイのどこにそんな知性が存在しているのか、候補生たちにはどうしても理解できないのだが、確かにこの少年には底知れない力があるのは確かだった。
当然のように、彼には候補生たちから「教授」のあだ名が奉られることになった。
士官学校時代のレイは、旗士としての力をほとんど発揮していない。
進んだ科がそれを求めていないということもあったが、本人にその気がなかったというのが最も大きいだろう。
士官とはいえ、軍人を育てようという学校で、腕っぷしの強さを比べようという連中がいないはずがない。昔ながらの騎士道精神などもあり、禁止されてはいても決闘沙汰が絶えないというあたり、どの時代もどの地域も一緒である。
そういった騒ぎに、彼は相変わらず無関心だった。
レイが旗士であることは誰もが知っていたが、その実力は、同じ旗士学校に通っていた連中でもよくわからない。既述の通り、レイはいちいち力比べなどには参加しなかったし、自分がどれくらい強いか試したい、などという欲求とは無縁に見えた。
実際には自分より強い人間などいるはずがない、という恐ろしく高慢な、だが完全な事実のもとにレイの無関心は貫かれていたのだが、それがわかるような人間は、少なくとも士官学校の中にはいなかった。
結局士官学校在籍中、彼は一度たりとも決闘沙汰には加わらず、「教授」のあだ名と共に、極めて優秀ではあるが特に性格に面白みがあるわけでもない地味な候補生として過ごすことになった。
その一方で、大学時代からの投資については、長沙銀行の鄧を代理に立てて活発な取引を行ったりもしている。いちいち公開する情報ではないから士官学校の人々はほとんど気付かなかったし、取引は公開市場で行われるものを避けていたから、例えば株式市場の公開情報にもレイの足跡はほとんど残っておらず、彼の経済活動はなかなか目に見えないものになっていた。
だが、この士官学校時代の彼の経済活動は、惑星の経済活動に大きな影響を与えつつあった。
惑星内での投資に、レイはもはやこだわっていない。かつてのようにと自分の身の回りに投資を集めたり、農業計画に資金を集めたりという段階は終わっていた。士官学校以後の彼は星外の市場で様々に経済活動を行い、一方では着実な投資を、一方では鄧が危険視するほどの投機を行い、星外企業買収なども活発化させていた。
その実態が徐々にしろ明らかになっていくのはまだ数年後のことで、この時点ではどうにも不気味な動きがあると財界の一部に注視する者がいる程度だった。
が、彼の活動は間接的に惑星経済に外貨を導入することになり、のちに惑星が恒星間文明へと船出していく契機になっていく。




