14. レイの資産形成
高校が終わると、オーステルハウトでは就職するか、専門技能を学ぶ学校に行くか、大学に行くための教養課程に学ぶかの選択が待っている。
大学に入るためには二年間の教養課程というものを経る必要がある。ここで基礎教養を学んだという証明をもらって初めて大学への受験資格を得る。そのかわり、大学に入ったらすぐに専門分野を学び始めるというのが、オーステルハウトの学制だった。
ただしこれには例外があり、高校での学業成績が優良かつ飛び抜けて優秀な科目があれば、教養課程を免除して大学に入学を認めるという制度だ。
レイはこれを当然のように利用した。
かくして、幼等部を二年短縮、中等部を二年短縮、高等部を二年短縮し、さらに教養課程をすっ飛ばすという前代未聞の飛び級重ねで大学入学を果たした。大学入学時の年齢はなんと十三歳。
桁外れの天才ぶりだったが、大学は旗士学校とは違い自由な雰囲気だったから、それほど目立つこともなかった。
大学での専攻は当然のように数学、と思いきや、機械工学である。
ここではじめて、彼は自分の将来について他人に話している。
「新しいギアを作りたいんだ」
HEAS-gear、歩兵用重装甲が極大化した進化版の兵器であり、陸戦兵力の花形だが、この後進国にギア制作ができる技術力などあるはずもなく、かろうじていくつかの大学に整備技師を育成するコースがあるだけだ。
レイが入学したのはオーステルハウト唯一の工科大学で、そんな野心を持って入ってくる学生も皆無ではない。ギアより宇宙船の方が人気だが。
ここでしっかり技術の基礎を学び、星外の大学に留学する手もあるが、なんとしても金がかかる。政府も優秀な学生には留学費用を与え、先進の技術を学んでもらう制度も作ってはいるが、当然ながら相当な狭き門である。
飛び級を重ねた天才児が入ってきたということで盛り上がっていた教授陣は、自分たちの知識と技術を短期間でしっかりと教え込み、政府の援助で星外の名門大学に留学させるという心算で臨んだ。この国に早く高度な科学技術を根付かせなければ、という危機感は特に学術の世界に強い。
ところがレイは「技術には金がいる」とのたまうと、入学と同時に猛然と金もうけに走る。
彼が公に資金稼ぎに走るのは初めてなのだが、ここまで述べてきたとおり、幼児のころから不法な手段で散々荒稼ぎしていたはずのレイである。それまでの資金は、農業開発や不動産取得、ギアの買い付けに使われていたと思われるが、この時点でどれだけ残っていたかはもちろんレイしか知らないし、そもそもそんな資金の存在はある時期まで一切闇に葬られていた。
レイは、ごくごくささやかな元手からスタートし、株式投機と為替取引を始めた。未成年ではあったが、大学生ということ、後見人に教授の一人が付いたことなど、使えるものは何でも使って立場を整え、取り組みを始めている。
大学の専攻は専攻できちんと出ていたし、教授陣を瞠目させる能力を早々に発揮していたのだから、どこから文句が出るわけでもない。始業前と終業後、猛然と金もうけに走り出したといっても合わせて二時間ほどでしかない。
人類が宇宙に出るはおろか、紙というものを使い始めるよりも前から、投機は行われていたといわれる。どんなに時代が下っても、恐ろしく複雑で高度な取引が行われるようになっても、大原則は変わらない。人を出し抜いたものが儲ける、というごく単純なことだ。
レイの場合、当然まずは細かい取引から始めている。どんな取引でも、市場で株なり先物商品なり通貨なりを取引するためには代理店を通す。通常、そういった代理店の専門家のアドバイスや情報を得ながら取引を進めていくのだが、何しろ原資が少ないから、レイは最小限の手数料だけ支払って自分の判断だけで取引を進めた。
はじめはビギナーズラックでもうけることがあっても、すぐに資金が底をつくのが関の山のはずだった。が、レイは淡々と利益を積み上げ、増えた原資を着々と投資に回し、後見人になってくれた教授にも手数料を支払いながら、日々もうけを出していった。
通貨取引は複数の通貨を複雑に組み合わせて取引していたが、ただ取引をしていても手数料が膨大になるし、あまり取引の回数が多かったり複雑すぎる動きをしていると、代理店が取引を拒否したり、制限してきたりする場合もある。それを避けるためにあまり目立ったことはしていなかったようだが、それでも不思議と負けがない。
借入金などを使って、自己資本が少なくとも大きな資金を動かして利益を積むレバレッジを利かせれば、より大きな利益が生み出せるのだが、これは彼の年齢が足を引っ張った。法的にレバレッジの限度が低いうえに、公的機関の監査が入りやすくなる。違法な取引などしていなくても、金融監視当局の介入を許せば、代理店の腰が引けて取引がしにくくなる。
彼が異常なまでの勘の冴えを示したのは、有史以来投機家の心をつかんで離さず、恐ろしいほどの量の破産者を生み出してきた金融商品、農産物の先物取引だ。
農産物の多くが工場生産され、それ以上に多くの食糧が合成材料によって作られているこの時代、農産物先物取引の市場規模は大きくない。取引される額も、他の金融商品と比べれば桁が小さい。ただ、工場生産されていない農産物に関しては、つまり自然かそれに近い環境下で生産される商品については、値動きの幅が恐ろしく大きくなる。個人規模であれば相当な利益も出るし、損も出る。
素人が一番手を出してはいけない取引、と大昔から延々といわれ続けてきたこの取引で、レイは短期間ですさまじい利益を叩きだした。
「情報。それだけ」
とレイはいう。
「いろいろな情報が世にはあふれてる。公表されているビッグデータでもいいんだ。個人情報はいらない、匿名で十分。どんな情報でもいいから、確実性だけは高い情報を集めて、きちんとしたアルゴリズムで検討して、どこよりも早く結論を出せば、必然的に利益が出るようになってる」
いうのは簡単だろう。
アルゴリズム、つまり計算の方法や手順を組み上げていくと簡単にレイはいうが、農産物に関する情報を定式化して計算する、と文字にすれば簡単なこのことを、まともにできた人間がいないからこそ農産物の先物取引は数々の悲喜劇を生んできた。そもそもが非線形、つまり普通の数学手法では解けないカオスの世界である天候や政治行政の介入、国際資本の動きや農場主の性格など、雑多な情報を計算するアルゴリズムなど、組めるはずがない。
組めるはずがないのに、レイは短期間で勝ちに勝った。
日々取引に専念しているわけでもなく、専門家の意見などこれっぼっちも聞かず、機密情報などという物には縁遠い小市民であるにもかかわらず、レイが下す判断は「悪魔のように」(代理店担当者弁)当たった。
彼が様々な取引を始めてから半年、彼が叩きだした利益がオーステルハウトの高級官僚三名分の生涯年収に匹敵する金額になった時、銀行が動き出した。
未成年の天才投機家がいる、という噂を聞きつけた地元の銀行ではない。その手の銀行はレイの方から謝絶している。
惑星の存在そのものが資源であり資産、それ以外の経済活動はクズとみなして大々的には活動していない、宇宙規模で活動している大銀行だった。
「鄧士元と申します。長沙銀行オーステルハウト担当の責任者を任されております」
長沙銀行といえば、経済大国「トゥール連合」の都市銀行大手として知られる大銀行である。
鄧は責任者といったが、間違いではないにしろ、少々大げさな表現かもしれない。駐在事務所の人数は五名、うち三名が現地雇いの事務スタッフで、彼が本店に行けば管理職ですらない。とはいえ、経済大国の大銀行の偉光は巨大で、惑星内の地銀など歯牙にもかけないという矜持だけは立派なものがある。
初めて鄧がレイにコンタクトを取ってきたのは、後見人をしてくれている教授を通じての申込だった。手数料代わりに細々と教授に振り込んでいた金額も、積りに積もって教授が当時住んでいた住居を購入できるほどの額に達していた。教授としては自身の資産運用を任せている大銀行にレイを紹介するのは当然だったし、レイもそれを拒否するのはためらわれた。
「教授から承ってはおりましたが、お若くていらっしゃる」
「幼い、とはっきりいってもらって構いませんよ」
レイの返答はにべもないが、鄧の態度も慇懃とはいいがたい。鄧はこの時三〇歳、一〇〇歳まで現役というこの時代にあっては若僧もいいところである。高飛車にならないよう気を付けてはいるらしいが、大銀行のエリート臭は抜けきらない。
名前はかつての中華系だし、その文化を引き継いだ一族に生まれてはいるが、肌も髪も瞳も漆黒。この時代に、表面に出る色や形で人種や民族を区分けすることに少しも意味はないという証明のような若者だった。
それをいうならレイもそうで、彼の名前も母語もオランダ系の言語だが、浅黒い肌と茫洋としすぎた顔立ちの彼を見て、どこの民族だのどこの人種だのといえる人間はいない。レイも鄧も、航路語を話していれば人種も民族も気にすることはない。
むしろ気にするのは所属する国家や組織であり、現在の文化圏であり、政治的立場だ。
「評判はかねがねお聞きしておりました。ご承知の通り、我が行は当惑星が本拠ではないためになかなかお会いすることもできませんでしたが、こうしてお会いできて光栄です」
「そりゃどうも」
レイの態度に、鄧は腹を立てた様子はない。外惑星の銀行は、この惑星の人々にはたいてい警戒される。保守的な人々の目には侵略者のように映るのだろうし、革新的な人々にはハイエナのように映るのだろう。
「我々はネイエヴェールさんの投資に対し、もしご必要とあらばご助言も差し上げますが、基本的に余計なことをするつもりはございません」
と、鄧は自身の立場を説明する。
「形成した資産をお任せくださるのなら万全の態勢で運用いたしますが、それは余計なことでしょう。我々がお手伝いしたいのは、より高度な取引や複雑な手続きを要する取引に関し、いくばくかの手数料をいただければ万事お任せいただける仕組みをご提供することです」
長沙銀行に限った話ではないが、大銀行のエリート行員は、まず本店ないしは大規模な支店での長期研修を受けると、地方に飛ばされる。そこで経験を積めということであり、そこでの成果でふるいにかけていくということでもある。
この宇宙時代にあって、大銀行の幹部に育つことが期待されるような人材は、大組織にくるまれて仕事をしていればいいというものではない。宇宙は広く、いちいち店を出すのにも限界があるのだから、行員が一人でいくつもの星系の案件を抱えることは珍しくもない。
オーステルハウトの担当になって一年、徐々に成果を出しつつあった鄧だが、今後生き残っていくためには様々な面からこの後進国の経済界に食い込んでいく必要がある。
レイというぽっと出の投機家に会うことになったのも、経済界ではなかなかの顔である教授の顔を潰さないためであり、今後この国の経済界に風を吹かせるかもしれない若い投資家を抱え込みたいという思惑もある。
事前に教授から彼の天才を聞いていたから、単純な興味もあった。
「手数料だけで満足なんですか?」
とレイが返してきた。鄧はうなずく。
「当面は。まずはあなたのような優れた投資家との関係を築くことこそが資産だと我々は考えています。より大きな投資計画なり企業買収なりが生じた際に、なにがしかの役割を受け持たせていただけるよう努力して参りましょう」
「ずいぶん控えめですね。もっとも、深く個人に関わっていけるほど人的資源に余裕もないか」
「おっしゃる通りです」
鄧は笑った。事実だから仕方がない。
「だからこそ、失礼な言い回しかもしれませんが、お客様は厳選させて頂かざるを得ません。例えばヴァン・ネイエヴェールさん、あなたのような」
けっこう直球で追従したのだが、それほど嫌みに聞こえないのは鄧の長所だろう。
もっとも、その追従へのレイの返答は彼の予測を超えていた。
「そうだね。僕一人をきちんと顧客にできたら、あなたはそう遠くない未来に銀行幹部の仲間入りだよ」
敬語表現を取り払い、いつものうすぼんやりとした顔でいった少年を、鄧は思わずまじまじと見た。
「……それほどの利益が得られますか」
「きちんとできれば、ね」
レイはにこりともせずにいい、それまで手元のタブレットやグラフを表示させていた三次元ディスプレイから、鄧の方に視線を移した。
ちなみに、大学に入って以来、レイのタブレットはさすがに新品に代わっている。幼児から使い続けていたタブレットは三次元表示に対応していないから、各種データを並べて表示できなくて不便すぎたからだ。
「僕がここまで投資していたのは、これから始める事業の初期費用を稼ぎ出すため。ここからはけっこう面倒で複雑な仕事になってくる。僕一人じゃ無理だからパートナーが必要だけど、その能力と意志が君にあるのなら手伝ってもらってもいい。仕事の規模はこの惑星の経済規模を超えるよ」
客とはいえ、たいがい態度のでかい言い方で、しかも大言壮語も甚だしい。これを淡々というから、どこまで本気なのかさっぱりわからない。
受ける鄧の方は、一瞬反応に詰まった。どこまで本気でいっているのか、こんな子供のいうことをどこまで信じればいいのか、子供だからといってなめてかかっていい相手なのかどうか、色々頭を駆け巡ったが、反応に詰まったのは一呼吸分だけである。
「具体的にはどのようなことをお考えでしょうか」
目の前の少年は、学生の小遣いくらいの元手からオス市街の超高級住宅地の邸宅を購入できるくらいの資産を、半年もかからずに、レバレッジも利かせず取引に規制までかけられた状態で稼ぎ出した天才である。これをラッキーだのフロックだのといえるほど、鄧は投資というものに無知ではない。
態度はともかく、話は聞くに値すると感じた。
「最終的には重工業の企業グループを形成する。そのほかに農業と物流の企業グループも作るんだけど、それは技術系企業グループを作るための前段階に過ぎない。それから、これはまだ確定ではないけど、民間軍事企業か傭兵団を買収することになると思う」
「企業買収を行う、と」
「買収と立ち上げ、両面で行く。重工業企業グループの製造分野はもう決まっていて、青写真はある。技術的なアドバンテージもあるから、いずれは業界のデファクトスタンダードを目指す」
「技術的なアドバンテージの裏打ちがあるのですか」
「理論はだいたい。まだ論文にもできていないし、これから工学系の勉強をして実際に製品化するための基礎固めをする必要もある。だから工科大学に入ったんだ」
「技術は時間がたてばつほど陳腐化しますが、間に合いますか」
「裏打ちになるのは理論だよ、技術じゃない。この理論は今のところ誰からも提出されていないし、理論を使って製品化していくだけの技術力を持つには時間がかかる。こっちが理論と同時に開発製造技術の確立を行っていけば、追い付かれる前に事実上の標準化と特許の独占は可能だよ」
これが十三歳のいうことか、という驚きと、いうことの気宇壮大さとで、鄧はめまいがしてきた。
「それが可能な理論である、とおっしゃるのですね」
「信じるかどうかは君に任せるけど、僕はそれがしたくてとりあえずの資金を調達してる」
そこまでいって、珍しくレイが笑みを見せた。
「雲をつかむような話だろ? どうせ誰かにいってもまともに取り合ってもらえないから、今まで誰にも話したことはない」
「まあ、賢明でしょう」
鄧は椅子の上で身じろぎした。
「投資は投資で続けるよ。僕にはどうもその面の才能は多少あるらしいから。実業で成功を収めようと思ったら、資金なんかいくらあっても足りないんだからね」
「そちらの方に集中してもらいたい、とほかの誰かなら申し上げるでしょうな」
「君は?」
試されている、と鄧でなくとも感じ取っただろう。
正直、ここでレイと決裂したところで、鄧は痛くもかゆくもない。大田舎の駐在行員として、もっと社会の上層にいる顧客だけを相手にしていれば充分役目は果たせるし、そちらの方面でまだまだ開拓できていない部分がある。レイの投資の腕を手中にできなかったとしても、元から持っていたものではないのだから損失にはならない。
大法螺話は笑殺していればよかった。
できなかった。
「詳細な内容をお聞きしていかなければ、その計画を評価することはできません。ですが、評価するために詳細な話をお聞きする価値はあると私は思います」
「なぜ?」
「あなたがあまりにも若いからです」
「というと?」
「あなたの前には可能性しか感じられない。根拠などありません。そのように感じるというだけの事です」
「理性的な回答じゃないね」
「理性的な回答をするためには詳細を知らなければなりません。詳細を聞きたいと思わせる何かがあなたにはあるということです」
鄧は実際、この短時間の会話の中で、レイというどう見ても天才にも秀才にも見えない、ややもすれば知的障害が疑われかねない茫洋な顔をした少年に、いい知れない魅力を感じ始めていた。これだけの大言壮語を、眉一つ動かさずに語ってのける十三歳児!
経済大国のエリートとして先進文明の中で生きてきた彼が、宇宙文明に乗り込むことすらできずにいる後進国の片隅で、十代前半の少年が語る大法螺に付き合っているという時点で笑い話にもならないのだが、鄧は不思議なくらいにレイという少年の言を信じる気になった。
「ぜひ、お聞かせいただきたい。お邪魔にならない限り」
「いいけど、ろくなお茶も出ないよ。孤児の僕には自分以外の手が無いし、僕はおいしいお茶なんか入れる技がない」
「私が入れますよ。キッチンに立ち入る許可をいただければ」
鄧はそういうと、爽やかなほどの笑顔になって立ち上がった。




