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宇宙の騎士の物語:個人の前歴;停止中  作者: 荻原早稀
レイ・ヴァン・ネイエヴェール
13/28

13. レイの学園生活

 レイの学園生活というのは、恐ろしくエピソードが少ない。

 飛び級に飛び級を重ねた天才児、基力では誰もその底を探ることができない天才児、どんな暴力でも屈服させられない格闘技の天才児、など、上げればなかなかに強烈なキャラクターなのだが、本人を前にするとその印象がごっそりと根こそぎ奪われる。

 幼児のころからそうだが、とにかく覇気がなく、やる気も感じられず、美形では決してなく、かといって不細工と言い切ることができるような醜さもない。特徴がなく、捉えどころがない。

 印象に残らない、というのがレイの印象だった。

 九歳で旗士学校の中等部に入学、四年課程を二年で終えると、続く高等部でも数学的能力と一般教養科目での優秀さを見せつけて飛び級、やはり四年課程を二年で終えている。

 その間、校内では色々な事件が起こり、オーステルハウト国内でも国外でも様々な事件が起きているのだが、レイはどこ吹く風だった。

 オス第七児童養護院から通いで行ける旗士学校に入っていたレイだが、高等部に入ると同時に養護院を出て旗士学校の寮に入った。いわば養護院からの卒業ともいえたし、職員たちにとっても、他の入所児童にとっても、それは感動的な場面になって当然だったが、そんなことはまるでなかった。

 一番縁が深かった職員のゴッドマザー・カリスが転任していたせいもある。同じように旗士学校に通っているヤンがまったく騒がなかったせいもある。それにしても、ある日突然いなくなり、別れの言葉一つなく入寮したあたりに彼の真骨頂があるのかもしれない。

 寮では基本的に四人部屋である。当然、レイにも同部屋の学生ができる。

 寮自体も大きなコミュニティだから、力関係も発生すれば、ボスの存在や、陰湿ないじめの存在もある。いつの時代もそれは変わらない。人間のやることなど、そう変わりがあるものでもない。

 飛び級を重ねた結果、周囲より四歳も小さくして入寮したレイは、いじめの格好の標的になりそうなものだったが、ならなかった。

 すでに中等部時代に彼の底知れない実力は知られている。努めて目立とうとしない彼だが、実際目立ちはしていなかった彼だが、下手に触れれば大やけどしかねないことは誰もが知っている。

「不気味な奴が入ってきた」

 ということで、レイは彼にとっては都合の良いことに、敬遠という言葉そのものの扱いを受けた。

 飛び級が重なったこともあり、三年生と四年生は直接彼と同じ学校に通ったことがない者ばかりだった。噂ばかりが先行するこの小柄な新入生に、なぜかちょっかいを出そうとする者は現れなかった。

 寮の部屋の中では、特に無視されることはないし、それなりに仲良くやってはいるのだが、例えば彼を使い走りに使おうとするようなバカはいなかった。同学年とはいえ、レイと同じ学年になるのは初めてのメンツばかりだが、あまりにも気負いがなさ過ぎてかえって迫力を感じさせるレイの振る舞いに、震え上がってしまっていたらしい。

 寮では、旗士としての力を使わず、つまり基力なしでの決闘で序列を決めるという裏の伝統がある。ありがちといえばありがちだし、学校側も大怪我さえしなければほぼ黙認していた。

 この序列は、そのまま軍や警察に入る者も多い旗士学校OBにとっては、下手をすれば一生ついて回る。決して軽いものではない。

 この序列決めの決闘に、当然のようにレイは参加していない。

 もちろん、腕っぷしに自信がない者はたくさんいたし、そういった学生は最初から決闘には参加しないのだが、レイは少なくとも中等部時代にヤン以外の学生に負けたことがない剛の者である。自信がないとは誰も思っていない。

 ちなみにヤンの場合は、そもそもレイとやり合うという発想が存在していないから、正面切ってやり合ったことがないというだけである。

 そのレイが決闘に加わらないというのは、多少腕に覚えがある学生などにとっては不思議なことではあったが、それらの騒ぎを見るレイの無表情な顔を見た者は、「ああ、本当にそういうものに興味がないんだな」と納得せざるを得なかった。

 誰かの上に立つとか、誰が上か決めるとか、そういう物には心底興味が持てないらしい。誰が勝った、誰が誰に挑戦する、と興奮気味に話す級友たちの会話に、レイが加わったことは一度もなかった。

 学業の方は至って順調だった。

 彼が学生と呼ばれていた時代を通して得意としていた科目は数学だが、これはもう、周囲のレベルを遥かに超越している。高等部入学時点ですでに高等部レベルの数学は卒業している。学校側も当然わかっているから、彼だけが数学の授業は受けず、図書館や自習室で大学の講義をリモート聴講していた。

 特に解析幾何学や群論を学び、大学の学部生レベルは高等部入学時点で越えていると大学の方で話題になっていた。 

 数学というのは学習にあまり道具を必要としない学問だから、ほとんど化石レベルに老朽化している養護院時代からのタブレットをいまだに使いつつ、レイは高等数学をどんどん吸収していった。

 ちなみにこのタブレット、メーカー表示の耐用期間は三年。機能はチープだが頑丈さではトップレベルにある名機で、このタブレットを見て郷愁を掻き立てられる学生などもいたようだが、まさかこのタブレットで惑星の政治や経済、裏社会を正体不明のフィクサーとして動かしていた、などと知る者は、当然いないのだった。

 語学の成績も、高等部では飛び抜けている。

 オーステルハウトは「惑星標準言語の東オーステルハウト方言」というのが標準語で、おそらく大破壊時代以前の惑星移住時代に話されていた言葉が、時代を経て少しずつ変化していったものなのだが、もちろん宇宙標準の言葉ではない。

 旗士学校で語学といえば、惑星標準の言葉と、宇宙標準の言葉の二つを学ぶ。

 星間運航条約、という全宇宙の過半が加盟する機構がある。星々を結ぶ航路を使う船などが、同じ言葉を使わないと管制もできずに大混乱に陥ってしまうことから、この条約を批准する国や勢力は、すべて共通の言語を使う。

 特にこれを宇宙標準語として定めたわけではなく、これを母国語とする地域はほとんどないのだが、時代が下るに従い共通語があることの便利さが宇宙中に浸透し、事実上の標準語になってしまった。

 もとが航路維持のための言語だったことから「航路語」と呼ばれ、今でもその名で定着している。

 どこの国でも、自国語のほかにこの航路語を学ぶ。広大な宇宙で自分たちのアイデンティティとなる母国語を捨てるような愚かなことは事はせず、共通語である航路語を第一外国語として学ぶというのが、現在の宇宙の主流の考え方だった。

 宇宙文明にさほど参加できていない大田舎の後進地帯でも、この言葉がなければ宇宙では話にならないことはわかっているから、高校になれば誰もがこれを学ぶ。

 旗士学校の場合、卒業すれば宇宙に関わる率は通常の学校を卒業した学生たちより多くなる傾向があったから、航路語を学ぶ熱は高かった。

 その中にあって、レイの航路語はほぼ完璧だった。

「まあ、必要ないんだけどね」

 とレイがいうのは、まともに文明社会に参加している国や地域なら、母国語と航路語を自動翻訳するデバイスなどいくらでもあるからだ。ちなみにオーステルハウトではあまり普及していない。

 そういいつつ、レイの航路語レベルは母国語同様だった。技術論や哲学までこなす語学力は、高等部の担当講師のレベルを超えていた。

 うすぼんやりした顔からは想像できないほど、色々と小器用な彼は、その他の科目でもすべてトップクラスの成績を維持した。

 旗士という特殊能力を持って生まれた者が集まる旗士学校では、いかに基力を上手に使えるようになるかを徹底的に教育する必要があるから、そのための座学と実践を行う学科があった。

 基力研究も宇宙レベルでは後進国であるオーステルハウトだから、この学科には外宇宙からの講師を招いている。

 この講師が舌を巻いたのは、レイの座学での恐ろしいほどの知識量と数学的解析力だった。

 基力も物理力だから、学ぼうとすれば力学的計算からは逃れられない。特に微積分による分析から逃れるのは不可能だった。

 高等部に上がったばかりの学生が、基力に伴う力学計算を行うのはかなりハードルが高いのだが、レイは平然と行った。現実の力学系では、公式に従っていれば解ける線形の問題ばかりではなく、まともに回答が得られない非線形の問題にぶち当たることが

多い。それを繰り込む数学上のテクニックと、誤差の範囲内に収めてしまう物理演算のテクニックとは、高校生のレベルからかけ離れていた。

 レイはこれをうすぼんやりとしたいつもの表情で、何一つ苦労する様子も見せずに解いてしまう。講師陣がほれ込むのも無理はなかった。

 実技では、非常にめだたない。

 というのも、実技においては彼は及第点に達していればそれで十分という、実に消極的な姿勢だったからだ。

 物理量の計測や計算でどんなにいい成績を取ろうが目立ちはしないが、実技で彼のような年少の小柄な学生がいい成績を取れば目立つに決まっている。彼の生き方的に、そんなことをするなど有りえないらしい。 

 とはいえども、減点されるようなことも一切しなかったから実技の点も見た目よりは良く、総合的には基力関連学科もトップレベルだった。

 学業以外の生活はというと、これはもう地味の一言に尽きた。

 旗士という基力を持って生まれ発現した人間に性別は関係がないから、旗士学校は男女ほぼ同数が通っている。

 共学の高校で、恋愛沙汰が起きない方がおかしい。

 決闘騒ぎが日常という武張った面もある旗士学校だが、一方で恋愛物語も日々生まれるという面もあった。同性の恋愛についてそれほど強い嫌悪感がある社会ではないから、同性が集まる寮内での恋愛沙汰だって、ないわけではない。

 これに、見事に一度も参加していない。

 どう見てもパッとしない彼でも、年齢があからさまに周囲と異なる彼でも、その才能があれば多少は色恋沙汰があっても良さそうなものだが、これが起きない。

 原因は彼の態度だろう。

 女子を前にして、照れたり、意識していないように見せて変な力が入っていたり、おどけたり、おどおどしたり、何か変化があればかわいげもある。レイにはそれが、薄気味悪いほどにない。

 それが誰であろうが、相手によって態度を変えるという機能がレイにはついていないようだった。どんな美少女を前にしていても、鬼教師を前にしていても、様子が何一つ変わらない。うすぼんやりした顔で、失礼らならない程度に素っ気なく、笑顔のかけらも出さないし、マイナスの感情が表情に浮かぶこともない。

 誰かと親しくしようという機能もないらしい。休憩中に誰かと親しく遊んでいる姿を誰も見たことがないし、寮の食事時に特定の誰かといつも一緒ということもない。

 それで寂しくないのか、という疑問を持った者もいないではないが、あまりに平然としているから聞くのもばかばかしく、結局その疑問をぶつけた者はいない。

 入学したばかりのころは、噂の新入生をからかって遊ぼうとする上級生や、相手にしようとしないレイ相手にムキになる上級生などもいたが、あまりの無関心さに呆れたり失望したりですぐにそれも終わってしまい、極めて平穏な日常を過ごしていた。

 一年がたち、下級生が入ってくると、当然ながらひと嵐が訪れる。

 その嵐の中で、二年生の序列ナンバーワンという生徒のほかに、実は二年生真のナンバーワンではないかと噂されるレイという存在がいるという噂が流れ、新入生のやんちゃな連中が突っかかってきたということもあった。

 それが特に事件にならなかったのは、レイがまったく相手にせず、それでも突っかかってくる下級生(年上だが)を視線だけで黙らせてしまったからだ。

 目が怖かったということではない。

 視線を通じて基力を相手に叩き込み、そのレベルの違いを体で思い知らせた。

 基力のそんな使い方は誰も思いつかなかったし、マネできるものでもなかったが、叩き込まれた下級生はたしかに強烈な基力をぶつけられて意識を失うほどの衝撃を受けたし、以後二度とレイに手を出そうとはしなかった。

 基力のこのような使い方は、先進国の旗士にとっては当たり前の技術である。オーステルハウトの後進性はこういったところにも見られるのだが、レイは明らかにそのレベルを超越していた。

 が、わざわざ自分でそれを宣伝するレイではないし、レイを宣伝しようとする者が高等部にいるわけでもなかったから、この分野での彼の実力は埋もれ、日の目を浴びずに卒業を迎えている。

 下級生が入ってくると、恋愛模様にも色々と変化が起きたりエピソードが生まれたりするものだが、なにしろレイが自分からその面で動きを見せる学生ではないから、それも望み薄だった。

 それでも、物好きな下級生というものはいるし、それにあおられて上級生が動くこともある。

 レイが恐ろしく優秀な学生であることは誰の目にも明らかだったから、それが恋の種になることもあるだろう。

 二年の夏に、一度だけレイにも恋の花が咲きかけたことがあった。

 一年の女子で、レイほどではないが飛び級で上がってきた学生がいた。

 イリス・ティーレという。 

 こちらはレイとは違って外見でも十分水準以上という魅力的な学生で、なにもレイなどに声をかけなくてもいくらでもいい恋人が出来たはずだが、何の弾みだろうか、レイに恋してしまった。

 旗士学校生の例にもれずイリスも寮住まいだった。男子と女子では寮の建物が違うし離れてもいるから、通学途中ではなかなか男女の出会いはない。

 彼女は、愛しのレイに近付くために手練手管を使えるほど恋愛体質の人間ではなく、かといってただ偶然や周囲の協力を待つだけのぶら下がり人間でもなかった。まずはレイと話せる時間を作るため、レイが大学の数学の講義を聴講していることを知り、そこに入ることを決意する。

 決意して出来るようなことではないのだが、さすがは飛び級で高等部に入ってくる秀才だけあり、短期間の凄まじい猛勉強で数学的な能力を開花させ、聴講生の資格を得た。もともと素養はあったにしても、ちょっと信じがたい能力である。

 周囲を大いに驚かせたイリスの聴講生入りだったが、レイは彼女の登場に眉一つ動かさなかったし、彼女もただおとなしく彼の隣の席で聴講を始めた。

 周囲を数学的な能力以上に驚かせたのは、レイを一途に思っての数学挑戦だったにもかかわらず、イリスが自分から一切レイとの距離を詰めようとせず、当然恋する気持ちを伝えることもなく、それどころか会話すらまともに交わさずに日々を過ごしていたことだった。

「純情にもほどがあるぞ、そりゃただの臆病だよ」

 という同級生たちの声も静かに謝絶し、イリスはただ週に数時間、レイの隣に座って黙って聴講を続けた。その下級生に対し、といっても彼女の方が年上だが、その彼女に対しレイも他のいかなる生徒とも異なることのない態度で通した。

 劇的なほどに一途さと集中力と数学的才能とを見せつけたイリスが、思う本人を前にしてその動きを停止し、なんとその状況は卒業まで続いてしまう。聴講生まで二か月ほどで上り詰めてしまったこと以上に周囲を驚かせたのは、この動きの無さだった。

 レイもレイで、結局周囲の知る限り、レイに対する思いがバレバレな彼女に対し、手を握ったことすらなかったようだ。

 後にこの二人は全く別の形で関わりを持つことになるのだが、少なくとも高校時代は一切花を咲かせずに終わる。

 彼は四年制の高等部を二年で卒業してしまったから、なおさらエピソードは少なくなってしまう。

 いったい何が面白くて生きているんだろう、と周囲に思わせつつ、淡々と授業をこなし、好成績を上げ、恋の好機も華麗に……地味にスルーし、去っていった。

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