第36話『命の代償』
「リリィを、渡すわけにはいかない」
俺は剣を捨て、彼女の前に立った。
アグド・ネメスが浮かべる歪んだ笑み。
その背後で、空間が裂け、魔力が渦を巻いている。
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「勇者よ。
あなたの剣は、彼女の魔力によって支えられていた。
ならば、彼女を奪えば――あなたは、ただの灰になる」
ネメスの声は、冷たく、残酷だった。
だが、俺は迷わなかった。
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「それでもいい。
お前が生きるなら、それでいい。
俺は、ここで終わる」
リリィの瞳が震えた。
彼女は叫んだ。
「ダメ――朔くん、やめて! 私が……!」
「もう、いいんだ。
お前が生きてくれるなら、それでいい」
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ネメスの魔法陣が完成する。
業火が空間を裂き、天を焼く。
その中心に、俺は立っていた。
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「さようなら、勇者。
あなたの魂は、灰となり、風に消える」
そして――世界が、赤に染まった。
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痛みはなかった。
ただ、熱と光と、彼女の声だけが残っていた。
「朔くん――!」
俺は、微笑んだ気がする。
最後に、彼女の名を呼んだ。
「……リリィ……」
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肉体は焼かれ、魂は砕け、灰となって空に舞った。
その灰は、風に乗り、海へと向かう。
誰も知らない深海の底で、静かに眠る。
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リリィは、朔の死を前に魔力が暴走しかける。
だが、ネメスが手をかざし、冷たい魔法陣を展開する。
「約束通り、生かしてやろう……氷漬けでな」
彼女の身体は、瞬く間に氷に包まれた。
魔力も意識も封じられ、氷の棺が完成する。
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ネメスはその棺を見下ろし、静かに笑った。
「勇者は灰に、マギデウスは氷に。
これで、世界に希望はない」
そして、王都への進軍が始まった。
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>「命を捧げる愛は、時を超えて還る。
> その灰が、いつか世界を照らすまで――」
この日、勇者は死んだ。
マギデウスは封じられた。
王都は、まだ知らない。
この絶望が、世界の終わりの始まりであることを。




