日、出ずる。
あともうちょっとだけ続くんじゃよ。
豊臣政権崩壊。
その時は余りに呆気なく訪れた。
朝廷の権威が跡形も無く消滅し、同時に農民出身である豊臣秀吉の権威を保証する手立てが失われたのだ。
おまけに東国連合との戦いで大きな被害を被った今、全国各地に散らばった強者共を、力で押さえ付ける事も容易に叶わなかった。
各地で燻っていた火種が、堰を切ったように噴出する。
九州の島津、鍋島(元龍造寺)、四国の長宗我部などは想像の範疇だったが、長年の同盟国であった中国の毛利家までもが、かつての栄光を取り戻すべく行動を開始した。
豊臣政権内部でも、何度叩かれても懲りない男こと、織田信雄を旗印とした織田家旧臣達が一斉に離反し、各地を荒らし回っている。
それらを鎮圧しようとした豊臣家だったが、こちらでも政権内で主に軍務を担う武断派と、主に政務を担う文治派の対立が勃発した。
この見事なまでの分裂具合の影には、表向きには事態を静観しているかのように見えた駿府の狸親父の鬼謀があったと言われているが、事実の方は定かでは無い。
唯一、平静を保ったのは先の戦で早々に撤退して、天下統一の機会をみすみす逃したとも言われる南部家と、その事実上の属国状態となった北条家だけであろうか。
彼らがこれ以降、日の本国内の内戦に一切関わろうとしなかったのは歴史の謎であり、大きな力を持っていながら日の本を統一する責任を負わなかったと、後の時代に台頭した歴史家や国粋主義者から非難される事も多い。
ただそんなものは日本が一つの国であらねばならないという、個人の願望が表に出た客観性に欠ける意見であり、それが可能だった北の王がそれを望まなかったのだから、今に生きる我々は二つの日本を、やはり事実として受け入れるしか無いのだろう。
西の乱世が落ち着きを取り戻すのは、織田、徳川の第二次清洲同盟と呼ばれた勢力が、当時既に死に体となっていた豊臣家を滅ぼし、畿内を制する事となった元禄8年(1695年)を待たなくてはならなかった。
それもかつての覇者達の如く全国を力で制覇したのでは無く、大規模化して行く戦が割に合わないと感じた各地の勢力が、自ら争いをやめたというだけに過ぎない。
誰かの所為で廃墟と化していた元首都に打ち立てられた、[京都幕府]に集った数多の有力者達が合議によって国の方針を決める体制が、問題点や不満を多く抱えながらも確立されていった。
彼らにとって最初で最後に全国規模で一丸となった出来事は、宝永2年(1705)の[南部征伐]である。
当然、この南部とは地理的な南では無く、約100年前に日の本を荒らし回った、かの北の怪物達の事を指している。
古の征夷大将軍、坂上田村麻呂の蝦夷征討を再現するかのような軍事行動に、人々の士気はうなぎ登りだったが、内戦を続け国土を荒廃させた京都幕府にとって100年の時は余りに長く、南部家改め[蝦夷王国]との間には、短期間では埋める事の出来ない国力差が生じていた。
幕府軍の最初の標的は、南部家と強固な血縁関係を持つ蝦夷王国の大貴族、北条家の小田原城である。
と、その前に関ヶ原の後、日の本の歴史から忽然と消えた南部家について語っておこう。
南部晴政は盛大な凱旋祭典と共に領内各地で、正式に[蝦夷王]に就任し、[蝦夷王国]を建国する旨を布告した。
領民達はこの時より日の本の民では無くなるのだ。
彼らは当然の如くどうしたものかと動揺したが、その後、南部領以外で再び激しくなった戦乱を見て、身の安全を第一に考え、蝦夷王国に帰順すること、ひいては乱世から脱出することを選んだ。
人々の挑戦と自由、北アジアに生きる、という事を標榜したその意思は間違いなく、現代のかの大国の礎となった事は疑いようが無い。
かくして日の本の北方に、新たな価値観が誕生したのを見届けた、慶長5年(1600年)。
11月も中頃のある日の夜、南部晴政は号泣する家臣や息子達を他所に、ただ笑って、昇って逝ったらしい。
晴政の逝去を知らせる鐘の音と共に、小氷河期のいたずらか、蝦夷王への祝福か、陸奥の空が赤気(オーロラ)に包まれたという。
その光景に、人々はただ祈りを捧げた。
偉大な王の消滅とは、それ即ち民衆の勃興を意味しており、同時に新たな時代が始まるという英雄から民衆への先触れである。
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[名残なき 心の名残は国民よ 我が身は咎を 引き受けて発つ]
[故国の 空を駆け行く 大師講吹雪 己が宝を 見下ろしてぞ逝く]
[まつろわぬ我ら まつろわぬままに 恥ず事無く]
晴政の辞世の句(諸説あり)
どれが気に入ったか語り合うのも一興。
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蝦夷王国は西国で再び戦乱が過熱した17世紀の間、大陸での活動を活発化させた。
この頃になると西欧諸国に学んだ外洋航海技術が確立されており、日本海からオホーツク海は完全に蝦夷王国の支配する海となっていた。
大陸との間に数多の定期航路が結ばれ、行き交う物と人の数は年々増すばかりであった。
南蛮貿易で手に入れたジャガイモやライ麦、品種改良された米などにより、爆発的に増加した人口が農地を求めて大陸に移住したのも同時期である。
それと同時に満洲に住む女真族を始めとした、遊牧民族達との散発的な争いが始まっている。
鉄条網と火器に相手方と互角の騎馬隊を組み合わせた、対遊牧民戦術とも言うべき蝦夷王国軍の戦い方は、ほぼ完成の域に至っており、その優位性を持って時が経つにつれ、じわじわと支配地域を押し広げて行く事となった。
1616年頃に蝦夷王国の勢力伸長に危機を感じた女真族のヌルハチは、諸部族を一致団結させ[後金]を建国すると、残り僅かな土地を守るべく、外敵に対してより組織的な抵抗を試みるようになる。
しかし蝦夷王国はこれを逆手に取り、明国に朝貢を行い、北方に明国にとっての脅威となり得る後金が建国された事を報告する。
後金を討伐する事と引き換えに、明国からの支援と貿易の権利を引き出す事に成功したのだ。
明国はこの時期、各地で反乱が相次ぎその鎮圧のために財政が破綻する寸前の、半ば末期症状をきたしており、蝦夷王国が後金の弾除けになってくれるのは、願ってもない事だった。
蝦夷王国にとって大事なのは、満洲の切り取り次第が許された事に他ならなかったのだが……。
実際に明国の邪魔が入る事は無く、後金との間でいくつかの戦闘が繰り返された後、1619年のサルフの戦いで蝦夷王国側が決定機となる大勝利を収めた。
これ以後に蝦夷王国側の謀略によって、後金では裏切りが相次ぎ、1630年頃には内部崩壊を起こし、満洲は蝦夷王国の手に落ちた。
その後も現地人を積極的に登用するなどして、自国との同化に努めた結果、17世紀の中頃には移民達が大量に住み着き、完全に王国の一部となって行った。
明国は文禄・慶長の役(秀吉の朝鮮出兵)での出費や、後金との戦いを回避したため、史実とは違い辛くも滅亡を免れている。
その後も蝦夷王国は[一つの北アジア]という標語を掲げ、急速に勢力を拡大して行く事となる。
話は少し戻って本国では、京都幕府の南部征伐が起こっていた訳なのだが、前述の通り南部家は、国内の争いとはスケールの違う拡大が進んでおり、南蛮貿易を禁止し技術的にも遅れた西国との戦いなど、赤子の手を捻るような物だった。
100年間で改修に次ぐ改修を重ねられた小田原城は、近世城郭の完成形であり、日の本最大の城塞都市としての性格を極めていた。
京都幕府軍20万に対し、小田原に籠城するのが関東軍15万、後詰めとして向かうのが蝦夷王国主力30万である。
京都幕府軍は南部4000万石の逆鱗に触れ、開戦から幾ばくも無く壊滅した。
幕府から王国への賠償金で何とか講和に漕ぎ着けたが、王国側にやる気があれば、この時に幕府は滅亡していたとも言われている。
蝦夷王国との間に隔たる絶大な技術と力の差を思い知った京都幕府は、いつもの如く一向に進まない合議の末に(50年後)、北を開発する彼らと利害が対立しない南洋を中心に海外進出を図る方針となった。
その際、南蛮船や航海技術を手に入れるために、蝦夷王国に土下座交渉をすることになった上、ちゃっかり莫大な費用を払わされる事になったのは言うまでもない。
蝦夷王国と南日本国(京都幕府)、基本的には犬猿の仲の彼らだが、その後の時代に幾度も訪れた諸外国の脅威の前には、打って変わって協力して外敵を撃退する姿勢を見せている。
もう一つの日本に手を出して良いのは自分だけだという意識の下、まさに好敵手と書いて仲間と呼ぶ関係であった。
欧米諸国が世界を制した植民地時代には、衰退する中華に変わるアジアのグレートパワーとして、日本に手を出すと酷い目に遭うという、一種の神話を築き上げた。
世界大戦の時代には諸国の争いに一切の関与をせず、身内で[戊辰戦争]と呼ばれる内戦を行なっていた。
アメリカとソ連による東西冷戦時代には、西側にも東側にも属さない中立の超大国として、第三世界の盟主となった。
時代と共に体制の変革を経て、現代で言う[蝦夷帝国]と[南日本共和国]の二国となった彼らは、依然として世界に大きな影響をもたらす大国として存在感を発揮し続け、今に至る。
両国合わせて人口5億人。
GDPはアメリカに迫る世界第2位。
軍事力、国際的影響力は強大。
埋蔵資源、観光資源ともに豊富。
科学技術は最先端。
国土、領海は広大。
アジアの星、ラストエンパイア、アウターグレート、第三至強、龍国、彼らを表す言葉は数知れないが敢えて一言で言うなら、やはり[日本]であろう。
世界は日本を時に恐れ、時に敬い、時にその存在に感謝した。
しかし今日における日本人が第一と考えるのは、力では無い。
積み重ねた歴史でも無い。
千夜に八千代に渡る人々の努力と、そこから齎される[誇り]こそが、日本人の何にも代えがたい宝である。
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日本国
夜勤してたら小説が書けなくなるんですね。
明らかに脳ミソが鈍くなる。




