東西熱戦。
ガンガン行こうぜ。
本能寺にて信長がその家臣の明智光秀に討たれると、中国方面軍を率いていた羽柴秀吉が毛利家と電撃的に和睦を結び、中国大返しと呼ばれる強行軍で急ぎ畿内に引き返して、山崎の戦いにて明智光秀を討ち取った。
その後も紆余曲折あったが、織田家内部では最終的に主君の仇討ちを果たした秀吉の新興勢力と、譜代の柴田勝家の率いる旧勢力の争いといった様相に変化した。
この争いに水を差したのは勿論南部家、南部晴政の事実上の引退によって、名実共に南部家の棟梁となっていた南部晴継は、織田家の内紛に乗じて勢力を拡大するべく新たな戦に打って出た。
秀吉方と勝家方の反発が最大に達したタイミングで、秀吉方と誼みを通じ、北陸を攻め上って行く。
勝家は越前(福井)、近江(滋賀)国境の賤ヶ岳にて秀吉と対陣している状況で、南部軍との二正面作戦を強いられたのだ。
当然、抵抗が長く続く筈も無く、天正11年(1583年)の暮れ頃には、北陸での本拠地としていた北の庄城が落城。
炎に包まれる天守の中で、前年に結婚していた信長の妹、お市の方と共にその生涯を終えた。
死に行く者は兎も角として、天下人への階段を駆け上がる秀吉にとって目下の問題は、城の攻略に南部軍が加わっていた事であった。
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羽柴秀吉は柄にも無く緊張していた。
下手をすればこの会談一つで、現実として見えて来た天下への道が吹き飛ぶ可能性すらあるのだ。
「奴さんら、随分と強えみたいで……。
まさか越中から越前まで一年掛からずに落としちまうとはな。北の庄城までは間に合わないと思ったから、戦に誘ったんだが……」
「秀吉様‼︎ 南部晴継様がご到着‼︎」
「通せ」
陣幕の入り口が開かれる。
現れたのは、立派な髭を蓄えた物腰柔らかな偉丈夫であった。
何とも矛盾した言葉に思えるが、秀吉がその若者に対して受けた不思議な第一印象を表すに、それが一番適切である。
こいつが風神の息子かい。
果たして人間だったら助かるんだが。
正直な感想であった。
噂に聞く先代の南部晴政などは、おおよそ対面したくない人間である。
恐ろしいとか、何を考えているか分からないとか、月並みな言葉で表せない。
これより天下を差配せんとする彼にとって、[惹かれる]のが何より恐ろしかった。
頂点に立つ者にとって、情も憧憬も不要である。
思索を断ち切るように、目の前の男から重い一言が発せられる。
「信長公殺害、旧臣粛清、そして天下統一、御目出度や」
「……そうか……。
言葉は不要、何を望む?」
「まずは現実として、北陸の領土。
次に夢想として、父上の戯れ言」
「……? その心は」
「乱世の終局の折、一戦交えたく候。
全ては、その時自ずと」
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この後、天正11年(1583年)から天正18年(1590年)の間、天下は信長の後を継いだ秀吉の元に決して行く。
天正13年(1585年)四国征伐。
天正15年(1587年)九州征伐。
時を同じくして秀吉は朝廷との関係を深め、関白に就任し[豊臣]姓を名乗る。
日の本の一元支配体制の確立へと奔走していた。
ただ一つ、7年の時は東の徳川、北条、南部の三家の間に強固な同盟関係を生み、東国連合と呼ばれたこの同盟は、天下統一への最後の障壁として立ちはだかる事は必定であった。
両陣営の全面衝突の切っ掛けとなったのは、尾張(愛知)を始めとした数カ国を所有する、織田信雄の要請だ。
織田信長の作り上げた勢力を半ば横取りした秀吉に対して、彼は[天下を簒奪した逆賊を成敗する]という名目で、諸侯に協力を呼び掛けた。
すぐ様、激怒した秀吉が20万を超える大軍を送り込もうとするが、裏で信雄とも同盟関係にあった徳川家が、信雄への援軍として出陣し、これに応戦。
日本史上、最も著名な彼の戦いの前哨戦となる合戦が始まった。
俗に言う小牧・長久手の戦いである。
この戦で織田、徳川連合軍は決死の奮戦によって、豊臣方の先遣隊を辛くも撃退している。
しかし戦はこれで終わりでは無かった。
秀吉の甥、豊臣秀次率いる本隊の大軍勢が、目前にまで迫っていたのだ。
万事休す。と思われる所だろうが、徳川家の当主、徳川家康はこの程度で容易く転ぶ男では無い。
既に手は打ってある。
北条軍5万、南部軍18万。
徳川の同盟軍が遥か前に本国から出陣していた。
水面下で行われていた兵糧買い占め合戦を制した東国連合は、初動において天下人を上回った。
畿内を制する豊臣家をも上回った莫大な資金力こそ、南部家が数十年掛けて作り上げた[北の天下]の力そのものである。
豊臣方の諸将は迫り来る大軍勢に顔を青くし、美濃(岐阜)から撤退。近江(滋賀)にて秀次の本隊と合流した。
領土をこれ以上侵食される訳にはいかない。
その上、元々それまでの戦でいくつもの失態を犯していた秀次は、功を焦っていた。
秀吉よりの自分が率いる後詰めが到着するまで、防戦に徹しろ。との命が届く前に美濃奪還のために進軍を開始してしまったのだ。
その結果、両軍は最終的に近江と美濃の国境にて相見える事となる。
[関ヶ原]と、呼ばれる場所であった。
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