終わりの始まり。
完結まで頑張るぜ。
応援よろしくお願いします。
天正5年(1578年)の戦いで大敗北を喫した上杉、武田両家に最早、力は残されていなかった。
上杉家は後継者候補の景勝、景虎両名が討ち死に。
残された家臣達の抵抗も空しく、程なくして越後は南部家の手に落ちた。
捕らえられた武将達は南部晴継の前に引き出された際、裏切りの約束を果たしたのにお構いなしに攻撃して来た事に対して、当然の如く怒り狂ったが、当の晴継はどこ吹く風で、取り付く島も無い有様だった。
「貴様……‼︎ よくもぬけぬけと我らの前に顔を出せた事だな‼︎」
「見事な戦いぶりで御座った」
「あの書状は何だったのだ‼︎ 全て虚偽か‼︎」
「見事な戦いぶりで御座った」
「約束一つ守れぬ不義者は焦熱地獄に落ちようぞ‼︎」
「見事な戦いぶりで御座った」
「話を聞け‼︎」
「……斬れ」
武田勝頼は殿軍の決死の奮戦もあって、何とか本国まで逃げおおせたが、彼に待っていたのは残酷な現実であった。
(1580年)織田、徳川連合軍が武田領へ侵攻。
幾多の敗戦により疲弊した武田家は北条家からの援軍の健闘も振るわず、次々と家臣達の裏切りに遭い、翌年には進退極まった勝頼が天目山で自害する事により、戦国大名としての武田家はその歴史に幕を下ろした。
織田家は甲斐(山梨)、信濃(長野)を領有した事で、先年に越後を獲得した南部家と国境を接する事となり、かねてより織田家と同等の国力を有すると噂された強敵との邂逅に緊張感が高まった。
この時期に武田家の救援が失敗した北条家も、次は自分の順番だといった風に、即座に南部家に人質を送って長年のわだかまりを超えた誼みを通じている。
もっとも人質などに意味はないと、南部晴政自ら発言し、幾ばくかの献金を要求して来た。
北条氏政は背に腹は変えられないと、この要求を泣く泣く受け入れている。
北条家は織田、南部両家の緩衝国家の立ち位置となったのだ。
中国地方の毛利家や四国の長宗我部家など、西国の諸大名との戦いに集中したい織田家としても、この時期に南部家との戦端が開かれるのは避けたい事だった。
しかし、織田信長も南部家がこれ以上、国力を拡大させるのを黙って見ていて良いものか、相当悩んだのであろう。
南部家は本当に見た目ほど、強いのか?
一当てして互いの力を確かめ合ってからでも、良いのでは無いか?
即断即決の男である信長の珍しく長い思案のせいか、南部家との融和に努めるようにとの下知が、南部家との国境の現場を預かっていた柴田勝家、森長可、滝川一益などの方面軍諸将に伝わるのが、遅れてしまったのだ。
結果、最初に暴発したのは信濃を任されていた森長可であった。
始まってしまっては仕方が無いと、巻き込まれる形で北陸方面軍の柴田勝家が、越中(富山)に布陣し、南部家に圧力を掛ける。
どこまでも武人気質、言い方は悪いが脳筋な二人と違って、上野(群馬)で北条家と南部家との独自の交渉を行なっていた滝川一益は、顔を青くして自ら本拠地と定めた箕輪城に籠もって、本国からの救援を待つ姿勢を見せた。
織田軍と南部軍の初めての交戦の舞台となったのは、何の因果か越後、信濃国境の川中島であった。
役者はそれまでの戦役とは大きく違っていたが、[第八次川中島合戦]の幕が切って落とされた。
織田軍を率いる長可はある報を聞いて狂喜したという。
武に生きる者なら一度は夢を見る。
武田信玄、上杉謙信、北条氏康と並び称される古今無双の大将。
南部軍総大将、[風神]南部陸奥守晴政。
生ける伝説との、邂逅であった。
川中島に暴風が吹き荒れた。
と記録には残っている。
北の王に率いられた軍勢は異常な士気と、神懸りの采配でもって、天下人の軍を蹂躙した。
現実はそれのみである。
だがこの戦には興味深い話がある。彼は既に何かを悟っていたのだろうか。
この戦いで側に控えていた家臣の日記には、[南部晴政は焦っていた]と書かれている。
近い内に起こることを考えれば、それも当然だ。
だがやはり、これを鑑みるに。
人は自分の死期を悟れる生き物であろう。
天正10年(1582年)6月、八戸城下を視察中、
晴政は突然意識を失い倒れる。
数時間後に意識を取り戻したものの、これ以降時折同様の症状が現れ、普段もめっきり元気が無くなってしまった。
晴政もこの時、齢65歳。
当時なら充分に長生きと言える。
政治や戦争からも身を引き、静かな時間を過ごす事が多くなった。
出来た暇を使って、以前から書き溜めていた文書を数十冊の本に纏める作業を開始した。
その内容は政治、思想、科学など多岐に渡り、その後の南部家代々に受け継がれる秘宝となった。
中身が公開されたのは現代に入ってからだが、先見の明などという言葉に当て嵌まるのかすら分からない、その余りに時代を先取りした内容は、人々を今なお驚愕させる。
余談が過ぎたが、晴政が倒れた同年の同時期、
京では本能寺が燃えた。
乱世の終わりが、緩やかだが確かに近付いていた。
このタイミングで何故か評価が上がって来ました。
皆様本当にありがとうございます。




