南部総攻撃里見発狂伝。
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南部侵攻での大敗によって上杉、北条の両家は苦しい状況に置かれる事となった。
上杉家はその[強さ]に対する信頼の失墜。
神仏の敵を成敗するなどと息巻いて出兵した挙句、南部家に手も足も出ず、というか相手にすらされず敗退したのだ。
上杉輝虎の神懸かり的な強さとカリスマに、全幅の信頼を置いていた国人達や領民達の落胆ぶりは、あえて語るに及ばないだろう。
北条家はその[統治]に対する信頼の失墜。
領内に善政を敷き、国内の治世に重きを置く北条家にとって、大規模な外征というもの事態が珍しい。
寺社勢力が内外に大っぴらに喧伝した、仏敵打倒の旗印に対する領民達の期待の目。
上杉家もそれに呼応するという、この後にあるかも分からない千載一遇の好機、それに対する家臣達の期待の目。
乗り気では無かった外征だが、多少無理をしてでも行わなければ、国内の統治に揺らぎが生ずるかも知れない。
幸い後願の憂いとも言える武田家は、今川家への侵攻に注力している。
これを偶然とは捉えられず、神仏の加護というのもあながち間違いでは無いのかも知れない。
大小様々な要因が重なった、満を持しての戦であった。
戦の結果はご存知の通りである。
その上戦後に、南部家は荒らされた土地が復旧するまでの埋め合わせといった体で、お馴染みの占領が目的ではない、散兵戦術を駆使する略奪騎馬軍団を送って来た。
このように現在、南部家に敵対した両家は散々と言っても良い有様だった。
国内を纏め直すのに手間取っていた所に、更なる凶報が舞い込む。
徳川家と協調し、今川家を電撃的に滅ぼした武田家が、織田家との同盟によって後願の憂いを絶った状態で、上杉家に向けて、これにて六度目となる侵攻を開始したのだ。
これが俗に言う第六次川中島の戦いである。
武田家の攻勢は留まること無く、更にその翌年には北条家へも攻撃を行なっている。
[甲斐のハゲと陸奥のヒゲに我慢と言う文字は無い]
後世にて某ネット掲示板でのお約束の文言である。
この火事場泥棒としか言いようの無い侵攻は、両方とも武田家が有利に戦いを進めるも、上杉家との戦いでは上杉勢に勝利。
上杉方の将兵を大勢、脱糞させたらしい。
しかし長野盆地の領有を確定させた所で、武田信玄が陣中にて吐血。
武田軍は越後への侵攻を切り上げて、本国へ帰還している。
北条家との戦いでは小田原城を包囲し、周辺の略奪を行いながらの我慢比べとなったが、再び信玄が陣中にて吐血。
これにより状況は一転攻勢。
退却する武田軍を北条軍が追撃する形となった。
しかし意識を取り戻した信玄が、勝手に退却した家臣達に激怒しながらも貫禄の指揮を見せ、大規模な山岳戦となった三増峠の戦いにて北条勢を撃退。
北条方の将兵を大勢、脱糞させたらしい。
戦の成否はともかくとして、武田家の北と東に目を向けた侵攻は僅かばかりの成果に留まった。
しかし、この戦いにより武田家は共通の敵を持つ、南部家との関係を深める事に成功する。
互いが互いを敵対する勢力に対する後願の憂いとして、緩い協力関係を結ぶに至ったのだ。
南部家はこの同盟により、上杉家、北条家の動きを封じ、新たな領地の獲得を目指して行動を開始した。
同じく領土の拡大を狙っていた武田家と決定的に差がついたのは、地力と相手の強さ。
国外の全方向を強敵に囲まれた武田家とは違い、南部家には手頃な餌が存在した。
下総、上総、安房の房総半島一帯に根を張る里見家である。
南部家は元亀2年(1571年)、[欲しいから]という大義もクソもない滅茶苦茶な理由で、里見領へ侵攻を開始。
特筆すべきは南部家が、数十年ぶりの本気であったことであろう。
この戦いは南部家にとって実験を兼ねていた。
短期間で極度に肥大化し、国内の端から端まで全てを把握することが困難になり始めた南部家が、本気で戦争をすればどうなるのか。それを実際に確認するための実験である。
動員数は?
必要な兵糧は?
必要な戦費は?
南部家は机上の推論では無く、現実の行動としてそれらの情報を欲していた。
結論から言うと、里見家は南部家のその圧倒的な力によって、あえなく滅亡することとなる。
戦の一部始終を覗いてみよう。
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「殿‼︎ 南部軍が我らの領内に侵攻を開始した模様です‼︎」
「遂に来たか……‼︎ 既に覚悟も準備も出来ておる。して、南部軍の戦力は?」
「な、南部軍の戦力は……」
「どうした、まさかまだ情報が掴めておらんのか? あれ程、綿密に諜報網を組み立てておったというのに‼︎」
「……申し上げます。
南部軍15万がこちらに迫って来ております……」
「……は?」
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城を落とす。
それは本来、そうそう簡単な物では無い。
しかし南部軍はいとも容易く、それを達成して行く。
城攻めとは精神を攻めるものである。
南部軍は豊富な兵力を利用し、城を包囲する部隊と里見軍の後詰めを封じる部隊に兵を割いている。
ただでさえ10万を越す大軍を見せつけられ、萎縮してしまっている城兵に、後詰めの来援が困難だと知れ渡れば、そうそう士気を保っておける物では無い。
更には大筒を使った城の物理的な破壊。火薬を大量に消費するため、撃てる回数はごく僅かであり、効力は実際にはそれ程大きなものではないが、その聞いた事もない大きな音と、巨大な破壊痕が彼らの恐怖心を掻き立てた。
南部忍軍による城の内側からの破壊工作や、脅しすかしを駆使した交渉によって、内部崩壊を狙った揺さぶりを掛けて行く。
それでも里見家は強い領民達の支持と、嘘か真か八人の有能な家臣によって、諦める事なく徹底抗戦を行ったという。
しかしそれでも圧倒的な戦力差はいかんともしがたい。里見家の城群が徐々に陥落を始めるのに、そうそう時間は掛からなかった。
更に戦力差は海の上でも如実に現れる。
東国屈指の水軍を誇る里見家ではあるが、彼らを打ち破るために南部家の繰り出した手は、[あいてよりおっきいふねを、あいてよりいっぱいならべる]事であった。
南蛮船や安宅船、安宅船に装甲を施した鉄甲船。
砲門からずらりと大筒が覗いている。
金に物を言わせた、巨大で頑丈そうな船が、房総半島の周囲を埋め尽くした。
古来より船を生業として来た里見水軍からしたら、南部水軍の兵士達は素人同然だったが、これをされてしまってはどうしようも無い。
鉄砲の装備率も段違い、馬に乗って相手の船に飛び移る素人丸出しの馬鹿までいたが、戦力の差がその馬鹿すら大活躍させてしまう。
大筒が火を吹く、また船が沈む。
鉄砲が一斉発射される、水兵が死んで行く。
南部軍が接舷して切り込んで来る。多勢に無勢、船の上での戦闘に慣れた者達が、一方的に殺されて行く。
海戦は南部軍の大勝利に終わり、ここに房総半島の海上封鎖が達成された。
陸海、全てを完封した南部家の前に、里見家は必死の抵抗を行うも、その年の暮れ頃には全ての城が陥落、もしくは降伏し滅亡することと相成った。
領民達から慕われる里見家の一族は、かえって新たな統治の邪魔だとして、流れ弾による戦死扱いとして処刑された。
南部家は下総東部、上総、安房へと勢力を伸ばし、関東に対する影響力を更に高める事となった。
その後、武田家の目が西の織田、徳川連合に向いている隙を狙って、北条家と上杉家が再び南部領に向けて攻撃を行ったが、南部家の大量の鉄砲と神出鬼没の騎馬に、水軍の力をも合わせた鉄壁の守りにて、労せず撃退されている。
南部家は他家を圧倒する戦力を持ちつつあり、この頃になると、中央の織田家とも交流を始めている。
しかし今にも残る、南部晴政と織田信長の手紙のやりとりは、途轍も無くしょうもない内容がほとんどで、仕事の話はごく僅かである。
それも仕方が無い。お互いを個人的に気に入っている両者は、分かっていたのだ。
自分達は絶対に相容れない存在なのだと。
日の本の天下が、分かれ始める。
ここからは地の文多めで、ガンガン話を進めて行きたいです。




