茶番劇。
関東三つ巴‼︎
戦国史上最大級の戦いが今始まる……‼︎
「兵力で言えば圧倒的な長尾軍だが、我ら南部家と北条家に比べて一つだけ足りない物がある」
南部軍の軍議にて、南部晴政は集まった諸将に語り聞かせるように言葉を発した。
軍事に置いて絶大な信頼を集める晴政の言葉に、居並ぶ諸将は黙って聞き入っている。
「それは一番最後に関東へやって来た事、詰まる所、確かなる橋頭堡が無い。
北条は言わずもがな、常陸、下野、上総を中心として現在、我らも関東に足場を固めている。現地の諸勢力に領土を安堵したのが、功を奏したな」
南部家は関東への侵攻に際して、東北で行なったような臣従した者を完全に土地から切り離すやり方を、実行していなかった。
南部家の本拠地から遠く離れており、他国の人間を嫌う、独立独歩の気風が強い関東の武士達を、同じ方法で従わせるには、それこそ長い歳月が必要だと考えられたからだ。
臣従した勢力の城には、離反を防ぐために数百程度の南部家の手の者が配置されている。
「あちらさんは南部と北条の征伐を目標に掲げていて、諸侯もその目的のために長尾家に協力している。
故に攻めるのを躊躇ってもたもたしていると、味方する諸侯の不信感が高まって行く。景虎は攻めざるを得ないのだ。
という訳で我らも北条を見習って、基本的には防戦に徹するのが得策だろうな。元から数で劣っているということもある」
「晴政様、何を仰る‼︎ 南部軍は野戦にて無敵では無いですか‼︎ 城に籠るなど南部の戦に非ず‼︎」
尊敬する晴政にあるまじき消極的な意見に、納得が行かない血気盛んな若武者が声を上げる。
しかし晴政と目が合った瞬間、彼は大量の油汗を吹き出し、その場にへたり込んでしまった。
自らに向けられた目が、いつもの周囲を安心させるような物とはかけ離れた、底冷えのするような恐ろしさを孕んでいたからだ。
穏やかだが、それが返って恐ろしくも感じる声色で、晴政は若武者を諭した。
「政実、少し声が大きいな。
南部晴政は根拠のない自信を戦に持ち込む輩を何より嫌うぞ? お主に命を預ける者もいるのだ。頭を冷やせ」
「……申し訳ありませぬ、出過ぎた真似を……」
「いや良い。まあ何だ……、正直オレも切羽詰まってる……。言いすぎた、すまん」
晴政は気を取り直して、場の中央に置かれた地図を指差しながら防衛戦略を説く。
「利根川による自然の障壁を利用すれば、広い範囲を防衛することが出来る。
長尾軍の行動をつぶさに偵察して、渡河して来るようなら騎馬隊の機動力を生かして上陸地点に即座に展開、兵力ではこちらの倍近い奴らを一方的に川の藻屑にしてやれる。
……が、当然景虎がその様な無理のある渡河を強行するはずが無い。よって侵入経路は一つに絞られる、上野(群馬)と下野(栃木)の国境付近。唐沢山城、結城城、関宿城が北から順に並ぶ、唯一川を無視してこちらの勢力圏に入れる進路だ」
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イメージ
山山山山山
山山山山山山山山山山山山山山山山
唐沢山城
長尾軍?→ 結城城 祇園城
川川 関宿城
川川
川川
川川
川
川
川
川
川
川
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「この三城が連携して防御に当たり、これに加え後方の祇園城に後詰めの軍を配置する事で、更に臨機応変な対応が可能な盤石の布陣が完成する」
「そりゃあ良い、だが一つ問題があるな」
九戸信仲が言った。晴政は一つ頷くとその意を汲んで話を続ける。
「ああ、9万の軍勢を迎え討つに当たって、平城である結城城は余りに心許ない。
唐沢山城は堅牢な山城、佐野昌綱殿がさっさと降伏してくれなければ、南部軍でも簡単には落とせなかっただろう。
関宿城も近くの堤防を破壊すれば、城の周りを泥沼に変える事が出来る。こちらもなかなかの鉄壁だ。
つまり……」
「「相手が狙って来るのは結城城……‼︎」」
二人の声が重なった。
景虎が北条家より南部家を優先するなら、結城城を全力で攻撃し、各城間の連携の分断を狙って来るだろう。
「故に一計を講じる、結城城をーーー」
南部軍の軍議は、夜分遅くまで続いた。
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南部軍の軍議から一週間後、長尾軍の侵攻が始まった。
唐沢山城、結城城、関宿城の三つの城を前にして、長尾景虎は即座に全軍を持って結城城へ強攻を仕掛ける。
その時、異変が起こる。
結城城は大量の旗が掲げられているだけで、人っ子一人いない空城となっていたのだ。
罠か……‼︎ 景虎は咄嗟に理解するが、9万にも及ぶ連合軍だ。前線にまで指示が上手く行き渡らない。
「この城は空だ‼︎ 南部軍の奴ら、オレ達に恐れをなして逃げ帰っちまったんだ‼︎ 城を確保しろ‼︎」
前線の将兵達は、周りを顧みずにそのままの勢いで結城城に入城して行く。
景虎以外の人間が勝利を確信した時、更なる異常事態が長尾軍に降り掛かった。
唐沢山城、関宿城から打って出て来た南部軍が、景虎のいる本陣に向けて、挟撃の構えを見せたのだ。
この時、実は後方の祇園城にすら兵は配置されておらず、南部軍は全軍で景虎を討ち取る算段だった。
勢いの余り伸び切ってしまった長尾軍は、軍を即座に戻す事が出来ず、南部軍の全力の猛攻を本陣に食らってしまう。
「退けえ‼︎ 退けえ‼︎」
敗北を早々に判断した景虎は前線を見捨てて、退却を開始する。
しかし騎馬隊によって機動力に優れた南部軍の追撃を振り切る事が出来ず、多くの将兵達が命を落として行く。
そして遂には景虎自身も、南部軍の兵士達にその姿を捉えられる。
その数は数十にも満たなかったが、全て騎兵で構成された彼らの突撃を混乱する長尾軍が押し留めることは出来ない。
そして背を見せて逃げる景虎まで辿り着き、その凶刃が彼の首に吸い込まれーーー
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「ーーーなんて事を考えているのだろう、晴政は」
「な、何と……」
南部軍に常陸を追われ、長尾軍に逃げ込んでいた佐竹義昭は南部軍への報復を望んだが、景虎にそう言われ、にべもなく断られていた。
「南部軍は危険だ、無理に戦う事はない。
そもそもこの遠征は、上杉憲政殿からの要請で行ったものだ。主目的は憲政殿を関東から追いやった北条家の征伐である。
南部家との戦いは北条家を下したその後で良い」
景虎はそう言うと、全軍に小田原への進軍を命じた。
永禄3年(1560年)から永禄4年(1561年)にまで続いたこの三つ巴の戦いは、動員数や参加した顔触れに比して、拍子抜け極まりないものとして知られる。
長尾軍は結局、天下の堅城と謳われる北条家の小田原城を落とす事が出来なかったし、南部軍に至っては交戦すらしていない。
長尾軍は武田家が再び信濃へ侵攻する動きを見せると、景虎は上杉憲政から関東管領の職と、山内上杉家の家督を相続し、雪が降る前に越後に撤退した。
強いて言うなら下野と常陸を確保し、最も得をした南部家の勝利と言ったところであろうか。
しかし南部軍が帰る度に関東の諸侯は離反を繰り返しており、この後も長きに渡ってイタチごっこが続いたので、得をしたとは一概に言えないかも知れない。
最終的にはブチ切れた晴政が名門だとか優秀だとか問わず、ほとんどの武士達を粛清した事で騒動は一応の収まりを見せた。
最も損をしたのは言わずもがな、各地で大軍の現地調達(略奪)を受けた関東の民達である。
この後、関東では上杉が取って、北条が取って、また上杉が取って、それを南部家がドン引きしながら静観して、と言った風な謎の戦争が続く事となる。
いや〜、激しい戦いだった(棒読み)




