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第九十七話 王子

 









 そんなわけで、僕は今ニーナ王女と共に王城へと入って行ったところである。

 ……いや、本当にすごいことになった。


 王城に入った闇ギルドのマスターなんて、僕が最初で最後ではないだろうか。


「さ、着いたぞ。降りろ」


 ニーナ王女に促されて、僕はついに王城の中に脚を下ろした。

 僕が下りたのはとても広い庭で、他にも何台もの馬車が止まっていた。


 馬車の中からは、僕のように下りてきた人たちが王城の中へと入って行った。

 ど、ドキドキが止まらない。不安が理由で。


「王城に入るのは初めてか?……まあ、そうだろうけどな」


 ニーナ王女はニヤリと笑って僕をからかってくる。

 それに対して、僕は苦笑するしかない。


 僕よりも優位の位置にいると思っているだろうけれど、君も闇ギルド『救世の軍勢(イェルクチラ)』のマスターを連れてきたとばれたら、多分王女の地位も危なくなるんだよ?

 もちろん、そんなことをばらしたらリッターの立場がなくなるので、口が裂けても言えないけれど。


「……私はばらしてもいいけど」


 リッターが何の感情も見せない目で僕を見上げてくる。

 うん、ダメだから。君の友人のニーナ王女まで立場が悪くなるんだよ?


 君のことは全力で守るけれど、彼女のことまで面倒を見ることはできないからね。

 僕の力程度では、あまり欲張って多くのものを守ろうとすると、絶対に取りこぼしてしまうだろう。


 だからこそ、僕は『救世の軍勢(イェルクチラ)』のメンバーたちを全力で守るのだ。


「さて、そろそろ王城に入るぞ。お前は……いや、リッターの師だからマスターと呼ばせてもらおう。マスターは、礼儀などは大丈夫か?」


 ニーナ王女がそう聞いてくる。

 偽名を教えなくてもいいことにほっとするのも束の間、礼儀という言葉にピシリと固まってしまう。


 ど、どうだろうか。もちろん、一般的な意味での礼儀なら一通り知っているけれど、王城の中での礼儀は分からないぞ?

 随分昔に、他所の国のお城などにはお邪魔したことはあるけれど、その時は大概敵対していたし、友好的関係を築くために礼儀などを使ったことはなかったからなぁ……。


「なに、最低限の礼儀が分かっていれば十分さ。なんなら、今のマスターのように私の後ろで微笑んでくれてさえいればいい。お前の笑顔は、穏やかそうで角が立たないだろう」


 ニーナ王女は固まってしまった僕を見て、苦笑しながらそう言った。

 そうか。それなら、大丈夫そうだね。笑顔は、今の僕の十八番だからね。


「リッターのように、目上の人にも一切礼をとらない猛者もいるほどだ。彼女を側近にしてから、私に対する批判も増えたものだ」


 ニーナ王女は、そう言って笑っていた。

 そ、そうなのか。リッター、礼儀をとらなかったのかい?


「…………?マスター以外に礼儀をとる必要があるの?」


 キョトンと首を傾げて、僕を見つめるリッター。

 これまた凄い言葉が返ってきたものだなぁ。


 まあ、働く以上は一応礼儀を知っておく必要があると思うんだけれど……。

 ただ、何らかの処罰を受けていないところを見ると、今のリッターでも本当に問題はないのだろう。


 それでも、できる限り敵は作らない方が良いし、頑張れるのなら頑張った方がいいかもね。


「…………頑張る」


 酷く間が空いたけれど、リッターはそう言ってくれた。

 なんだったら、僕が付きっきりで最低限の礼儀を教えてもいいしね。


「やる。密室で」


 僕の提案を即答で承諾するリッター。

 密室でやる意味は分からないけれど、またギルド本部に戻ったらしようか。


 ニーナ王女を待たせるわけにはいかないし、早く王城に向かおうか。

 ……僕の精神衛生上は非常によろしくないけれどね。


「……いや、少し待て」


 しかし、ニーナ王女は厳しい表情で僕たちを止める。

 先ほど、僕たち……というよりもリッターを見て穏やかな笑みを浮かべていた表情とは大違いだ。


 何か無礼なことでもしてしまったのかと不安になったけれど、どうやら僕が原因ではないらしい。

 彼女の目は、大きな門へと向けられていた。


 僕たちの馬車も入ってきたところだけれど、そこからさらに立派な馬車がやってきていた。

 非常に豪華で絢爛な装飾がなされた馬車で、それを率いている馬たちも大きくて立派だ。


 ニーナ王女のそれもなかなかに豪華なものだったけれど、軍配は今入ってきた馬車に上がるだろう。

 第一王女の馬車よりも立派なものを持っているとは、いったい何者だろうかと首を傾げる。


 ……正直、王国のことにそれほど詳しくないんだよね、僕。


「あれは、私の兄上だ」


 僕の疑問に、ニーナ王女が答えてくれた。

 小さく呟くと、馬車の方へと向かって行く。


 へぇ……ということは、この国の王子か。僕、まだ一度も見たことないんだよね。

 一応、ニーナ王女の側近となっている僕とリッターも、彼女の後についていく。


「王国第一王子、リンツ・エヴァン様がご到着なされました!!」


 ニーナ王女を出迎えたときのように、騎士の一人が大声で入城した王子の名前を宣言した。

 それと同時に、一人の男性が馬車の中から降りてくる。


 端正に整った顔は、自信に満ちた表情を浮かべていた。

 腰には剣を差しており、ニーナ王女のように彼――――リンツ王子も戦うことのできる王族であることをうかがわせた。


「お久しぶりです、兄上」

「おぉ、ニーナか。久しいな」


 リンツ王子の近くに行き、軽く頭を下げるニーナ王女。

 リンツ王子もそれに答えるが、二人の表情はどこか硬い印象を受けた。


 ……ルシルとルシカのように、仲のいい兄妹というわけではなさそうだね。


「しばらくはろくに会うこともできなかったからな。また、共に食事などはどうだ?」

「……はい、機会があれば」


 リンツ王子の誘いを、遠まわしに拒絶するニーナ王女。

 ……本当に、仲が悪そうだなぁ。


 ニーナ王女の反応に鼻を鳴らしたリンツ王子は、王子にも頭を下げないリッターを見た。


「それに、リッターも久しいな。私を前にして、そのような不遜な態度をとるのはお前くらいだぞ」

「…………」


 この王国で誰も逆らえないような地位にあるリンツ王子の言葉にも、リッターは一切反応しなかった。

 むしろ、先ほどから黙って笑顔を浮かべているだけの僕をじーっと見つめてきていた。


 ……リンツ王子にも興味を示してあげてよ。


「ふん、相変わらずだな。それで、リッターよ。ニーナから私の騎士になるつもりはないか?」

「あ、兄上!?」


 リンツ王子はリッターの反応に少し不快気に眉を動かしたけれど、そのすぐ後になんと勧誘を始めた。

 これには、冷静だったニーナ王女も声を荒げる。


 うわぁ。リッターって、この王国の第一王子と第一王女両方から引っ張りだこなんだ。

 ……ふふん。僕の鼻も高いね。


 それにしても、ニーナ王女の側近を彼女の前で勧誘するなんて、普通の人にはできないことだろう。

 少しも悪びれた様子がないのが、また二人の仲がよろしくないことを教えてくれる。


「何だったら、騎士になどならずとも私の妾にしてやってもいいぞ。お前は、見目麗しいからな……」

「いい。マスター以外は興味ないから」


 リンツ王子はそう言ってリッターの全身を見る。

 短めに切りそろえられているが、綺麗な黒髪。


 表情の変化には乏しいものの、端正に整った顔。

 薄い騎士甲冑で覆われた健康的なスタイル。


 なるほど、男なら欲するのも不思議ではないほどの美少女だ。

 まあ、僕の娘だから当然なんだけれどね!


 しかし、リンツ王子の勧誘……というよりも誘惑に、リッターは即座に拒絶してしまった。

 は、早い……。ろくに、考えてもいなかったよね。


「ふ、ふんっ。その判断、後悔しないようにしておけよ?」


 リンツ王子は鋭い目でリッターを睨みつける。

 うーん……まあ、恋愛は人それぞれだし、リッターがどんな男を選ぼうが僕は祝福するけれども……。


 何となく、この王子に娘を渡すのは嫌だなぁ……。


「それで?ニーナはまた新しい側近を作ったのか?」


 リッターの近くに立つ……というよりも、かなり密着されている僕に目を向けるリンツ王子。

 僕は笑顔のまま、軽く会釈をしておいた。


「ああ、この者は……」

「いや、いい」


 ニーナ王女が僕のことを紹介してくれようとしたのだけれど、リンツ王子はそれを遮った。


「別に、この男には興味ない」


 なるほど。王国の王子ともなれば、様々な人が寄ってくるだろうし、自己紹介だってかなりされているに違いない。

 ニーナ王女の側近ということになっている僕の名前なんて、いちいち覚えるまでもないのだろう。


 同じく、ニーナ王女の側近であるリッターの名前は覚えているようだけれど、彼女は可愛らしくて目立つからね。

 僕なんていう凡人なんて、目立つ要素なんて微塵もない。


「じゃあ、後でな、ニーナ」

「……はい」


 リンツ王子は軽くニーナ王女の肩をたたき、先に王城へと入って行った。

 彼の姿が見えなくなると、今まで抑え込んできたニーナ王女の感情が露わになる。


「くっ!汚らしい手で触りおって……っ!!」


 ニーナ王女は心底忌々しそうに顔を歪め、叩かれた肩をはたいている。

 え、えぇ……。あの二人、これほどまでに仲が悪いの……?


 ルシルとルシカという仲良し兄妹を見ているだけに、その衝撃が大きかった。


「すまないな、マスター。嫌な思いをさせてしまっただろう?」


 申し訳なさそうに謝ってくるニーナ王女。

 いやいや、僕はまったく何とも思っていないよ。


 僕がそう言うと、ニーナ王女はほっとしたように微笑んで王城を睨みつけた。


「奴が、私の兄であり、敵だ」


 て、敵発言!?

 王国の将来を担うべき王子と王女がこうまで反目し合っていたら、まずいのではないだろうか?


「……マスターに興味がない?あいつ、殺したい」


 り、リッター!?





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