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第八十六話 戦いはあっけなく

 









「(なんだ……?こいつ、今どういった魔法を使いやがった……?)」


 ルーセルドは確かめるようにマスターを見るが、彼はニコニコと微笑んでいるだけである。

 ルーセルドは今まで、必ず自らの肉体で敵を殺してきた。


 道具を使うほどアンデッドの身体は軟ではないし、魔法なんて学ぼうともしなかった。

 その結果、今マスターが使った魔法も特定できないでいた。


「(ちっ。イルドでもいれば、話は別だったろうが……)」


 ヘタレでビビりのくせに、知識だけは豊富だった男だ。

 ここにいれば役に立っただろうが、今はイルドにも命令を出している。


救世の軍勢(イェルクチラ)』のメンバーを、殺害する命令を……。

 他の幹部二人にも同じ命令を出している。


 彼らはルーセルドが有益だと認めるほどの実力を持っている。必ず、奴らの首を持ってくるだろう。

 だからこそ、ここでマスターを殺さなければならない。


 彼らが無事命令を実行してきたとしても、肝心の自分が負けましたでは話にならない。

 ここでマスターを殺し、『鉄の女王(アイニーケン)』のギルドマスターとして恥ずかしくないような実力を見せつけなければならないのだ。


「……来いよぉっ!!」


 気合を込めて、マスターを睨みつけながら吼える。

 濃密な殺気がルーセルドから放たれる。


 今までの戦闘を振り返ると、ヘロロの情報と違ってマスターは魔法で戦うタイプではなく、自分と同じく近接戦闘タイプの人間なのだろう。

 ならば、怖気が走るほどの強力な殺気を放って、思うように身体を動かせなくしてやる。


 そして、自分の懐に入りながらも身体を硬直させたマスターの顔面に、今度こそ強力な拳を叩き込んでやる。

 そう思って、硬く拳を握りなおすルーセルドであった。


「……あ?」


 しかし、マスターは彼の予想を簡単に乗り越えてみせた。

 彼は鋭く拳を前に突き出し、空を裂いた。


 次の瞬間、パンと小気味のいい音が鳴り響いた。

 それと同時、ルーセルドは衝撃を受けてお尻から地面に倒れこんでしまった。


 衝撃を受けた右腕の目線を向けると、そこにはあるべきはずの腕が存在していなかった。


「あ、ああぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 目と口を大きく開けて、絶叫するルーセルド。

 不可視の攻撃を受けたことによる叫びだろうか?


 いや、ルーセルドは他の異変を感じて絶叫しているのであった。


「え、い、今のは……?」

「拳圧……でござろうな」


 呆然としているルシルの横で、ソルグロスが思い当たる技の名前を呟く。

 拳を鋭く突き出すことで、そこから衝撃を離れた相手の届かせる技である。


 しかし、これは近接戦闘の才能がある者が、およそ一生をかけて習得するような極みの技である。

 それを、まだ若い容姿であるマスターが使ったことに、ソルグロスは驚愕した。


 とはいえ、人が生きていられるはずもないほどの寿命を謳歌していることは知っていたため、すぐにその驚きは沈静化したが。


「(それでも、拳圧を扱えるなんて、信じられないでござる……)」


 ソルグロスの知っている者で言えば、この技を使えるのは脳筋戦闘馬鹿であるリースや、おそらく使えるであろうと推測されるのはヴァンピールのみである。

 とてもじゃないが、マスターがこのような脳筋技を使えるようには見えない。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」


 ルーセルドは吹き飛ばされた腕の断面を片手で押さえつけ、目を飛び出させんばかりにひん剥いて絶叫する。

 彼の異変とは、傷口から発症する苛烈なまでの痛みであった。


「ど、どうしてぇぇぇっ!?俺はアンデッドなのにぃぃぃぃぃぃぃっ!?」


 そう、アンデッドである彼は今までどのような攻撃を受けてこようと、痛みを感じたことはなかった。

 誰かに痛みを与えられることがなかったので、痛みを知らないルーセルドは今まで残虐な方法で人を殺してきた。


 そんな彼が、今人生で初めて苦痛を味わっていた。


「で、でも!俺には自己回復が……っ!!」


 ルーセルドは早く回復しろと強く念じる。

 どうして痛みが襲い掛かってきたのかは知らないが、怪我が回復してしまえば痛みなど感じるはずもない。


 だからこそ、彼は脂汗を浮かび上がらせながらも、ニヤリと笑うのであったが……。


「……お、おい。どうしたんだよ……?」


 ルーセルドは、またもや自分に襲い掛かる異変に気付いた。


「どうして、自己回復しねえんだよぉぉぉぉぉぉぉっ!?」


 押さえる傷口から、とめどなくあふれ出てくる真っ赤な血液。

 吹き飛んだ腕をくっつけることは、自己回復を持つルーセルドでも少々時間がかかるだろう。


 しかし、傷口を塞ぐことくらいはすぐにでもできるはずだ。

 それなのにもかかわらず、一向に血は止まる様子を見せない。


 そして、流れ出てくる血に合わせるように、彼を襲う痛みも減ることはなかった。


「自己回復を阻害する魔法と、痛覚のない者に痛みを与える魔法でござるかぁ……」


 ソルグロスはその状況を見て、先ほどマスターが自分にかけていた魔法のことを推測する。

 おそらく、そのような付与魔法を自分にかけたのだろう。


「……そんな魔法、あったっけ?」


 ついつい、忍者口調を忘れてしまうほどの衝撃であった。


「くそがぁぁぁっ!!ふざけんなよ、テメエッ!!何をしやがった!?俺に、何をしたんだよぉっ!?」


 目を血走らせ、口の端からはよだれが垂れるほど興奮しているルーセルド。

 それは、鍛えられた騎士や冒険者でも卒倒するような凄まじい殺気と怒気が混じったものだったが、マスターは汗ひとつかかずに薄く笑っている。


「ひっ……!」


 この時、ルーセルドは生まれて初めて恐怖という感情に心を覆い尽くされていた。

 もし、マスターがただ強いだけなら、彼は怒りを覚えはすれども恐怖することはなかっただろう。


 それなら、持久戦にさえ持ち込めば、アンデッドであるルーセルドの方が有利だからである。

 しかし、彼はマスターのことがわからなかった。


 理解できないということは、非常に大きな恐怖を生み出す。

 説明できないほどの圧倒的な力。理解できない魔法で、自分の自己回復を妨害し、痛みを覚えさせた。


 これを、笑って受け止められるほど、ルーセルドは強くはなかった。


「うぉぉぉぉあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 そんな恐怖に身も心も支配されてしまったルーセルドがとった行動とは、正面からマスターに殴り掛かるというものだった。

 しかし、ただの自殺行為ということではない。


 人が出せない力を出せるアンデッドの、さらにその限界を超えた力を発揮したルーセルドは、凄まじい脚力で一気にマスターへと迫る。

 硬く握りしめられた左の拳は、今ならおそらく最もこの世で硬いと言われるメタルゴーレムの身体すら、粉々に砕いてしまうことだろう。


 ルーセルドは、世間で最も恐れられている最悪の闇ギルド『鉄の女王(アイニーケン)』のギルドマスターである。

 この土壇場で、凄まじい力を発揮したのであった。












 しかし、それはマスターの前では無意味であった。

 ドッという重い音が聞こえた。


 それは、マスターを殴りつけようと腕を上げてがら空きとなった、ルーセルドの左の横腹から生じた音だった。

 マスターはルーセルドの攻撃が届く前に、鋭い蹴りを彼の横腹に叩き込んだのであった。


 偶然か、意図的なものなのか、それはルーセルドがソルグロスに叩き込んだ蹴りと非常に似通ったものであった。

 ただ、違った点はその威力である。


 ソルグロスが湖まで吹き飛ばされたのに対して、マスターの蹴りを受けたルーセルドの胴体は引きちぎられた。

 こうして、ルーセルドはあっけなくマスターに敗れ去るのであった。







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