第八十四話 狂笑と微笑み
「……ごほっ」
ヘロロはこみあげてくる何かに耐えきれず、咳き込んでしまう。
口にへばりついた温かい液体を拭った手が真っ赤に染まる。
そこで、ようやく彼はルーセルドに腹を貫かれたのだと認識した。
「て、テメエ……!!」
ヘロロは震える手でルーセルドの腕をつかむ。
引き抜こうとするが、強靭な力のルーセルドの腕はビクともしない。
「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!別れってぇのは、お前が死ぬってことだよ、バァァァァカッ!!」
ゲタゲタゲタゲタと、天を仰ぎ見て大笑いするルーセルド。
自分は平然とこの場を去ろうとするものだから、彼はヘロロが滑稽に見えて仕方がなかった。
「お前に金なんて払わねえよ、バッカじゃねえの!?大した情報も吐いてねえくせに、ふざけたことぬかしてんじゃねえよ!!」
「お、俺を……裏切ったのか……!?」
「はぁぁぁっ!?」
脂汗を顔いっぱいに浮かべ、食らいつくような目を向けるヘロロ。
彼のてんで的を射ない言葉に、ルーセルドは呆れを多分に含めたため息を吐く。
ルーセルドは、馬鹿と役立たずは嫌いなのだ。
「いつから、お前と裏切ったなんて言えるほどの間柄になったよ。勘違いすんなよ。お前は、所詮『鉄の女王』の……俺の玩具でしかなかったんだからなぁっ!!」
ルーセルドがヘロロのことを仲間だと思ったことなんて一度もない。
言うなれば、玩具である。
面白いうちは大切に扱う。面白くなくなったり、飽きたりすれば捨てる。
とても簡単なことだ。
「仮に仲間だったとしても、どうしてお前は俺に裏切られないなんて思うんだよ。俺は闇ギルドだぜぇ?『救世の軍勢』のような半端なギルドじゃねえ。誰もが恐れる最強の闇ギルド『鉄の女王』だぞ!!」
「あが……っ!!」
グリグリと、ソルグロスにしたように腕を動かすルーセルド。
痛みをより与えるように、ゆっくりと腹の中をかき回す。
その際、大切な臓器もいくつか傷つけられてしまったヘロロは、ゴポリと塊のような血を口から吐き出した。
「それによぉ……。仲間を裏切ったお前に、俺を糾弾する権利なんてあるのか?」
「……ッ!!」
ヘロロの耳元で、ボソリと言うルーセルド。
その言葉に、ヘロロの身体はビクンと震えた。
それは、ルーセルドの言葉に反応してのものだったのか。それとも、死の間際に自然と身体が反応してしまったものだったのか。
それは、すでに息絶えたヘロロにしかわからないことであった。
「ふん」
目に光を映さなくなったヘロロの腹から、血に濡れた腕を引きぬくルーセルド。
地面に倒れていくヘロロに、言葉をかけてやる。
「もう、そっちにはお前の元仲間が二人も逝っているから、寂しくはねえだろ?すぐに、最後に残っているお仲間と『救世の軍勢』を送ってやるから、安心しろよ。あひゃひゃひゃひゃっ!!」
ルーセルドが高笑いする横で、ヘロロの身体が地面に倒れた。
大きく開いた腹の穴からは、とめどなく真っ赤な血液が流れて地面に染み込んでいく。
「お前ぇぇぇぇぇぇっ!!よくも、ヘロロをっ!!」
ヘロロの変わり果てた姿を見て、ルシルは激昂するとともに剣を抜き放つ。
そして、その怒りのままルーセルドに向かって走り出した。
そんな怒りも、むしろ気持ちがいい。
ルーセルドは腕を広げて、迫りくるルシルに語りかける。
「おいおい。こいつはお前を裏切ったんだぞ?怒りを向けられる筋合いはねえし、むしろ感謝してほしいくらいだな」
「ふざけるなよ!!それでも、俺にとっては……っ!!」
たとえ、自分たちのことを裏切ったとしても、アポロとリーグを間接的に殺していたとしても。
まだ、ルシルにとってヘロロは仲間だったのだ。
子供である彼に、いきなり裏切られたからと言ってすぐに切り捨てられるはずもない。
それも、数少ない仲間を二人も失っていたのだから、これ以上失いたくないと思うのは当然だろう。
しかし、そんなことを言ったって、ルーセルドが理解を示すはずもない。
他者が悲しむ姿や怒る姿を見て、ニヤニヤと嘲笑うような男なのだから。
「くたばれぇっ!!」
身動きをとろうとしないルーセルドの元には、すぐにたどり着くことができた。
アポロやリーグ、そしてヘロロを殺した男に対する怒りのまま、剣を振り下ろす。
「馬鹿。お前じゃあ、力不足だっての!!」
「な……っ!?」
振り下ろされる剣に対して、ルーセルドはその刀身に拳をぶつけた。
たった、それだけの行為でルシルの剣は粉々に砕け散ったのであった。
目を丸くして、キラキラと輝きながら散らばる剣の破片を呆然と見つめるルシル。
「じゃあな。あいつらと仲良くやれよ」
ニヤリと笑ったルーセルドは、回避できる様子にないルシルに、容赦なく拳を振り下ろした。
しかし、拳が直撃する寸前に、ルシルの姿が掻き消えてしまった。
「あん?」
ルーセルドでも視認することができないほどの速度で、ルシルは攻撃を避けたというのか。
それはないと、彼は心の中で断言した。
雑魚な零細ギルドのガキに避けられるような攻撃速度ではなかった。
となれば、誰が原因かははっきりとしている。
「お前かぁぁ……」
ルーセルドはマスターの方を見る。
彼の予想通り、薄く微笑むマスターのすぐ隣にルシルの姿があった。
しかし、彼も何をされたのかさっぱり理解していない様子で、目を白黒とさせている。
「どうやって、そいつを俺の攻撃から逃がしたんだ?魔法か?」
ルーセルドがそう聞くと、マスターは隠す様子も見せずにコクリと頷く。
おそらく、テレポート魔法の一種だろう。
非常に習得が高難度で消費魔力も大きな魔法で、幻覚魔法並に使い手の少ない魔法である。
「あひゃひゃっ」
ルーセルドは笑う。
そうだ。それくらいやってもらわなければ、潰し甲斐がない。
闇ギルド最強の座を争うギルド同士の戦争なのだ。血沸き肉躍るものを、ルーセルドは求めていた。
「いいぜぇっ!流石は、『救世の軍勢』のマスターだ。俺が殺したこいつらとは、比べものにならねえ!」
確かに、マスターは強いのだろう。
ルーセルドはあっさりとアポロたち三人を殺害したが、この男はそう簡単には殺せないだろう。
しかし、それでも彼は負けるつもりは毛頭なかった。
「だがよぉ。俺はアンデッド、不死の魔族だ。お前がどれほど強くたって、死なない奴を相手にいつまで戦えるかなぁ……?」
歯をギリギリと鳴らして、愉快だと笑う。
ルーセルドはアンデッドだ。普通の人間や魔族が受けたら死ぬような致命傷を負ったとしても、彼は戦闘を続行することができる。
アンデッドは魔法や天使教による祝福を受けた武器を苦手とするが、闇ギルド屈指の強さを誇る『鉄の女王』のギルドマスターである彼は、そのような苦手もすでに克服している。
となれば、両手両足を斬りおとして行動不能にするくらいしか方法はないのだが、特別なアンデッドであるルーセルドは自己回復をすることができる。
もはや、隙のない最強のアンデッドであることは間違いなかった。
「ご主人、俺も……」
ルシルは立ち上がってマスターの隣に立とうとする。
ルーセルドは強力な魔族だ。マスター一人なら、おそらく殺されてしまうだろう。
だからこそ、自分も戦おうと思った。
「ご主人……?」
しかし、マスターはルシルの前に腕を出し、出てくる必要はないと言った。
ルシルが顔を見上げると、穏やかで優しい笑みが浮かべられていた。
「あひゃひゃ!そうだ、大人しくしとけよ!お前が出てきたところで、お前らが殺されることには変わりねえんだからよぉっ!!」
ルーセルドは本当に楽しくて仕方なかった。
ついに……ようやく、『救世の軍勢』を潰せる日がやって来たのだ。
すでに、世間では最強の闇ギルドと言えば『鉄の女王』で間違いないだろう。
しかし、どれだけ悪名を轟かせようとしても、『救世の軍勢』のことを知っている者はそのことを認めようとしない。
そのことが、ルーセルドにとってどれほど腹立たしいことだったことか……。
しかし、ここでそのいら立ちはようやく終わりを告げる。
『救世の軍勢』のマスターを殺しさえすれば、認めようとしてこなかった連中も最強の闇ギルドが『鉄の女王』だと理解することだろう。
「でもよぉ。あっさり俺が勝っちまったらつまらねえし……」
ルーセルドはトントンと地面を蹴り、ニヤリと笑って告げる。
「せいぜい、俺を楽しませてくれよぉっ!!」
次の瞬間、ルーセルドの立っていた地面が激しい音と共に割れる。
アンデッド特有の怪力で、一気にマスターとの距離を詰める。
「なっ……!?」
次に、ルシルがルーセルドのことを視認することができたのは、マスターの前で拳を振りかざしている時だった。
ルシルは、指一本動かすことすらできなかった。
一切反応できないほどの速度で、ルーセルドはマスターへと襲い掛かったのであった。
もはや、彼の攻撃を避けることはできないだろう。
ルーセルドはいつも笑っているその腑抜けたマスターの顔に向かって、唸りを上げる拳を叩き込んだ――――――つもりだった。
「――――――は?」
ルーセルドはそんな呆けた声しか出せなかった。
確かに、彼の攻撃はマスターに当たるはずであった。
ヘラヘラとした横っ面に痛烈な一撃を叩き込み、その後は見るも無残なほどボコボコにして命乞いをさせる。
それを嘲笑った後、腹に穴をあけて殺してやる。
そう言うビジョンが、ルーセルドには見えていた。
それなのに、彼の渾身の力を込めた拳は、あっさりとマスターの片手で受け止められていたのだ。
そして、マスターはニッコリと穏やかに微笑んだまま――――――
――――――その手を握りつぶした。




