第八十三話 金のために
「……俺がしたのは、ルーセルドたちに情報を売ることだった」
ヘロロはついに話し始めた。
もう隠すことはないと、とめどなく言葉があふれ出てくる。
「情報は、俺たちがどのような動きをするか、ご主人とソルグロスがどんな人間か。そういったものばかりだ」
ルシルはヘロロがどのように情報を渡していたのか、想像をする。
たとえば、ギルド皆で酒を飲んでいた時、彼の姿が一度消えたときはなかっただろうか。
その時に、ルーセルドと会って情報を渡していたのか。
「な、なんで……」
ルシルは震えた声で聞く。
怒りで声を荒げたい気持ちはあるのだが、ヘロロが裏切っていた衝撃に声が出てこなかった。
代わりに、ヘロロの口調には強さが戻ってきていた。
ある意味、吹っ切れたのだろう。
その強い感情を込めて、言葉を紡いだ。
「……金だよ」
「え……?」
ボソリとヘロロが呟いた言葉に、ルシルは聞き返す。
聞こえなかったというわけではない。確かに、声は小さかったが、言葉に力は籠っていたから彼の耳にも届いていた。
しかし、信じられない単語であったがゆえに、もう一度聞き直したのだ。
「俺がルーセルドに情報を売った理由は、至極簡単だ。金が……大金が手に入るからだよ」
二度目も同じ言葉が飛び出し、とうとう聞き間違いでないことを悟ったルシルは愕然とする。
金と引き換えに、家族を売ったのか?
「そ、そんな理由で……っ!!」
「……そんな理由だと?」
怒気を込めて食いついてくるルシルに、今度はヘロロの言葉にも怒りが入り混じる。
その怒りを感じたルシルは、言葉を止められる。
「そんな理由でだと!?」
ヘロロはバッと顔を上げてルシルを睨みつける。
それは、今までふざけ合っていた時に見せていた怒りと違い、心の底からの深い怒りが元となっているものだった。
「金がどれだけ大切なものか、お前には分かんねえのかよ!!この世の中、何をするにも金が必要だろうが!飯を食うのにも、必需品を買い集めるにも、全部金がいるだろうがっ!!」
「そんなことわかっている!でも、金で仲間を……家族を売るのかよ!!」
「――――――もとはと言えば、お前のせいだろうがよぉ、ルシルッ!!」
「……は?」
何故、自分のせいになるのかさっぱりわからないルシルは、目を見開いてヘロロを見る。
ヘロロは目を血走らせ、鋭く彼を睨みつけていた。
息は荒くなっており、顔全体が紅潮しているが、落ち着く様子はない。
むしろ、ますます感情の荒波が激しくなってきているようだ。
しかし、このままでは自分の言いたいことも言えなくなってしまうと、ヘロロは必死に感情を抑え込んでクールダウンする。
「……ふー。おい、ルシル。俺たちのギルドは小せえよな?」
「ち、小せえよ……」
ヘロロの言葉にうなずくルシル。
確かに、自分たちのギルドはギルドの条件ギリギリの5人しか在籍メンバーがおらず、零細ギルドであることに間違いない。
「小せえから、他のギルドに比べて稼ぎも少ねえ。回復薬や解毒薬を補充すると、ほとんど自由に使える金は残らねえほどだ。もともと、俺が冒険者になったのは大金持ちになるためなんだよ。そんなしょぼい金で、俺が我慢できるはずねえだろ?」
「そ、それでも、俺たち楽しくやれていたじゃねえか……」
ヘロロが他のメンバーよりもお金に執着していたことは知っていた。
しかし、それは冒険者であるならば当然のことであり、ルシルはそれを不審に思ったことはなかった。
実際、彼とルシカだって、金を稼いで食べ物を得るために子供ながら冒険者になったのだから。
しかも、ルシルたちのギルドは数こそ少ないものの、そこそこの実力を持ったメンバーばかりだった。
だからこそ、明日生きるためのお金に苦労することもなく、家族のように楽しくやれてこられていた。
「……ああ、そうだな。本当に、楽しかったよ」
ヘロロはこの時、ふっとはかなげな笑みを浮かべた。
本当に、お金にだけ執着しているのであれば、このギルドを抜けて規模の大きな他のギルドに行けばよかったのだ。
ヘロロも雑魚ではない。大手のギルドなどのように高望みをしなければ……それこそ、『誇りの盾』のような中堅ギルドに加入することは可能だろう。
それでも、彼がルシルたちのギルドから離れなかったのは、居心地の良さを感じていたからである。
ルシルと喧嘩をし合い、ルシカのことをからかい、アポロと酒を飲み、リーグの説教を受け……。
そんな日常を、ヘロロは気に入っていたのだ。
しかし、ある出来事が彼の気持ちを変えてしまった。
「だが、本当に楽しかったのは、ルシカが呪いに侵されるまでだった」
「の、呪い……」
スッと自分を見据えるヘロロの目に、ルシルは萎縮してしまう。
その事実は、彼にとっても酷く身に覚えのあることだった。
「そうだ。ルシカがお前を庇って受けた呪い……ご主人が言うには、ラゲルの呪いだっけか?あれから、俺は……ギルドは変わっちまったよ」
自嘲するように笑うヘロロ。
「確かに、俺だってルシカのことを憎んでいねえし、お前のことだって嫌ってねえ。怪我をすれば回復薬なんて惜しみなく使ってやったし、金を使うことに躊躇したことなんて一度もねえ」
「…………」
そうだ。ヘロロは金に執着を見せて、ルシルたちに使うアイテムにためらったことなんて一度もなかった。
だからこそ、ルシルはヘロロの強欲さに気づけなかったのだ。
「でもよぉ……。ここまで金がなくなるなんて、おかしいだろうがよぉっ!!あぁっ!?」
「……っ」
ヘロロの怒声に、ルシルは身を震わせる。
心当たりがあったからだ。
「エリクサーの情報を買うだけで、俺たちのギルドはすっからかんだ!少しずつ貯めていた金も使った!それでも足りねえから、ギルドの備品も売った!もう、ギルドの中には何も残ってねえよ!!」
天然もののエリクサーの希少価値は、それこそ人の命よりもある。
だからこそ、本来であるならばルシルたち零細ギルドがどれほど頑張って集めてもたかが知れている金額なら、エリクサーの情報は得られないはずであった。
それが、どういうことか、ワールド・アイという情報屋は彼らが払えるギリギリの金額を要求し、あっさりと情報を売った。
「拙者……あ、いや。私は嫌いな奴にちょっとした嫌がらせをしたいだけでござ……なんですよ」
情報を売った時、ワールド・アイはそんなことを言っており、意味はいまいちわからなかったが。
しかし、その結果ルシルたちのギルドはほぼすっからかんになってしまった。
「いや、それだけじゃねえ。借金までしちまっている。……ふざけんなよ。俺は、こんな切羽詰った生活を送りたくて、危険な冒険者になったんじゃねえ!!」
「お、俺のせいで……」
ルシルは強烈な自責の念を抱いていた。
ラゲルの呪いにかかりかけていたのは、ルシカではなくルシルなのだ。
ルシカは、そんな兄を助けようと身を挺しただけだ。彼女に責任を追及するのは、お門違いというものだろう。
そんなルシルを睨みつけ、ヘロロは話し続ける。
「ルシル、お前は知らねえだろうけど、俺は何度もアポロとリーグに言っていたんだ。ルシカのことは諦めよう。エリクサーの情報代を払うのはやめよう……てな。一度は、あいつらも悩んでいたんだぜ?」
「…………っ」
ルシルは歯をかみしめる。
ヘロロの言葉を聞いても、アポロたちを責める気持ちにはならなかった。
それは当然だ。ギルドが傾くような大金を、いくら仲間のためとはいえ、あっさりと払えるはずもない。
「それでも!あいつらはルシカを助けるために、金を払うことにしやがった!俺が、何度も反対したってのになぁっ!!」
ヘロロはそのことを思い出して、牙をむき出しにする。
何が仲間だ。何が家族だ。
一人の仲間や家族のために、他のメンバーがこれ以上ないくらい苦しい生活になってもいいというのか。
しかも、それは単なる情報代としてである。
その大金を支払ったからといって、必ずエリクサーが手に入ることもない。
むしろ、そのエリクサー捜索にかかりっきりになって正規の依頼を受けられなくなれば、ギルドに入る金は一切なくなる。
借金の返済だってあるのだから、懐に入ってくる金などほとんどなくなってしまう。
「それが、俺には耐えられなかったんだよっ!!」
「ヘロロ……」
ルシルには、ヘロロにかけるべき言葉が見つからなかった。
彼は、確かに大切な家族であるアポロとリーグを間接的に殺した。
しかし、今のルシルに血を吐くように感情をぶちまけるヘロロを糾弾することはできなかった。
「そして、決定的に俺がお前たちを見放した理由が、あんただよ、ご主人」
そう言って、ヘロロは虚ろな目で黙り込んでいたマスターを睨みつけた。
そんなゾッとするような視線を受けても、マスターは穏やかに笑っている。
「あんたがルシカの呪いの進行を止めたことで、一層エリクサー捜索を打ち切ることができなくなっちまった。こうなると、もうアポロたちは止まらねえわな。俺が最後にもう一回提案した時には、逆に怒られちまったぜ」
もし、マスターが魔力をルシカに流し込まずに、呪いの進行がそのまま進んでいたら?
ヘロロに呪いの詳しいことは分からないが、少なくとも一年以内には全身を侵されて死んでいただろう。
そうなれば、また一から始められる。
その期間なら、我慢もできた。
しかし、マスターの登場によって、エリクサー探索に費やせる期間というものが、格段に増えてしまった。
「俺が裏切ったのは、あんたのせいでもあるんだぜ?ご主人よぉ……!」
「違ぇよ!ご主人は俺たちを助けてくれたんだ!!」
ヘロロに鋭い目を向けられても、マスターは苦笑を返すだけである。
代わりにルシルがヘロロに抗議するが、彼はフンと鼻を鳴らす。
すると、言いたいことを全てマスターたちにぶつけたのか、彼は振り返ってルーセルドの元へと向かって行く。
今まで、ヘロロの言葉をニヤニヤとして聞いていた青白い顔のルーセルドは、隣まで来た彼に言葉をかける。
「お、もう終わりか?」
「……ああ。俺がぶつけたいことは、全部ぶつけた。お前はご主人のことを殺したいんだろ?俺にとってもムカつく野郎だ。徹底的に痛めつけてから殺してくれ」
「あひゃひゃ!言われるまでもねえ」
ヘロロの言葉に、ルーセルドは不快な笑い声をあげる。
その言葉を聞いて、ルシルはもうヘロロと分かり合うことはできないのだと確信した。
ルーセルドはもたれかかっていた木から背を離し、ヘロロの肩に手を置く。
「んじゃ。もう別れはいいんだな?」
「……ああ。金はちゃんと渡せよ」
ヘロロはチラリとルシルを見て、そう言った。
最後に生きている彼を見ると思うと、感慨深い。
しかし、ルーセルドたち『鉄の女王』と手を組むときに、すでに覚悟は決めていた。
だが、そんなヘロロの決意をルーセルドは嘲笑う。
「ばっか!違ぇよ、違うって。俺の言っていること、ちゃんとわかってくれよぉ……」
「……?」
ルーセルドの言っていることが理解できず、ヘロロが首を傾げた時だった。
――――――ズドッ
そんな音が聞こえた。
ルシルが目を見開き、ルーセルドが口を裂かんばかりに歪めて嗤う。
「……あ?」
ヘロロは、自分の腹をルーセルドの腕が貫いているのを、ようやく実感したのであった。




