第八十話 惨劇
ソルグロスがこのことをマスターに報告したのは、何か彼に危険があるかもしれないという危惧からしたことだった。
微塵も、アポロたちが何かの事件に巻き込まれたのではないかという心配はしていなかった。
彼女は『救世の軍勢』のメンバーの中では、比較的ギルド外の人間たちにも耳を傾けることのできる人物である。
ただし、それは、親身になって心を通わせるということではない。
ソルグロスもまたララディのように、自分とマスター以外はどうなったって構わないという気持ちを持っていた。
しかし、マスターは違っていた。
目を丸くして、驚きの表情を浮かべていた。
「(心優しいでござるなぁ……)」
ソルグロスの心の中で、これ以上上がりようのないマスターの評価がまたググイと上がろうとする。
生きていようが死んでいようがどうでもいいアポロたちのことを心配するなんて、本当に優しい。
逆に、マスターがアポロたちのことをまったく考慮に入れなかったとしても、ソルグロスはワイルドだと評価を上げていただろう。
マスターの評価基準は、がばがばであった。
「そうでござるなぁ……」
マスターが、その血の匂いが魔物のものであるか聞いてきた。
ヴァンピールでもないから血の匂いだけで個人を特定することはできないが、彼女ほどではなくともそれなりに血液には通じるソルグロス。
血の匂いだけで、種族というものはおおよそ理解することができた。
そんな彼女が布の下の鼻をひくひくと動かして確かめてみたところ……。
「これは、魔物ではござらん。人間の……それも、複数のものの血でござる」
ソルグロスはそう判断した。
続いて、マスターはどのあたりから血の匂いがしているかわかるかどうか、聞いてきた。
もちろん、彼の頼みであるならば、何をしてでも達成する。
とはいえ、今回のことはそれほど難しいことではなかった。
「今、ルシル殿が駆け寄って行った場所の近くからでござる」
ソルグロスはそう言って、木々の合間に入り込んでいくルシルの背中を見る。
おそらく、彼も現場の近くに行くことによって血の匂いを嗅いだのだろう。
そんなルシルを歩いて追って行くマスター。
そして、彼が行くのであれば必ず後ろから付いていくソルグロス。
二人がルシルに追いつくときには、すでに全てが終わっていた。
「……なんだよ、これ」
ルシルが呆然と呟く。
そんな彼のことを、マスターはどこか陰のある笑顔を見せていた。
ソルグロスの言った通り、血の匂いがここからしていたことは明らかだった。
木々や草に付着する大量の血。
そして、その血液を内包していたであろう人間の死体が二つ、地面に横たわっていた。
ルシルの腕から果物が零れ落ちていく。
「……アポロ……リーグ」
地面に横たわり、生気のない目で天を見ている二つの死体は、ルシルにとってとても身近な人のものであった。
同じギルドのメンバーで、家族のように生活をしてきた二人。
ルシルの妹であるルシカのために、ギルドの資金や労力を惜しみなく差し出してくれた大切な人たち。
そんな二人が、身体からとめどなく大量の血を流して死んでいた。
「な、なんで……」
ルシルは全身から力を失い、膝を地面に付いてしまう。
アポロとリーグの生きていたころの顔が、頭の中をふっと浮かび上がってくる。
アポロは気のいい年長者だった。
酒好きでマイペースな男だったが、いつもギルドメンバーのことを第一に考えて行動するような、包容力のある男だった。
親のいないルシルは、彼のことを父のように思ってしまったことが何度もある。
リーグは優しい男だった。
マナーや礼儀に厳しく、そういったことに疎いルシルはよく叱られていたが、それはルシルのことを思ってのことだったことを知っている。
時折、天使教の話をするときは面倒くさかったが、ギルドメンバーが怪我をすれば魔力の消費を考えずに回復魔法を使ってくれるような、周りのことばかりを考えている男だった。
ルシルは、言葉にこそ出さないものの彼ら二人のことが大好きであった。
そんなアポロとリーグは、血だらけになった身体を地面に倒している。
「ちょっと、失礼するでござるよ」
ルシルに断りを入れて、二人の元へと近づいていくソルグロス。
彼は開いたままのアポロの目を閉じさせ、簡単に死体の状態を確認する。
アポロの死体には、鋭利な刃物で傷つけられたような傷はなかった。
何か、強い力で殴られたりしたような打撲痕が、全身につけられていた。
さらに、片腕も失っている。
傷の面を見ると、切断されたというよりも引きちぎられたという感じのものだった。
「うぅむ……。何か、凄まじい力を持つ敵に襲われたということでござろうか。その敵は、おそらく武器などといった道具は使わずに、力でねじ伏せるタイプでござろうな」
「そ、それは、魔物がやったってことか……?魔物が、アポロたちを殺したってことか!?」
「いやー、拙者に怒鳴られても困るでござる」
ルシルが涙を流して睨みつけてくるのを、ソルグロスは飄々としながら躱す。
彼の殺気はなかなかのものであったが、彼女を硬直させるほどのものではなかった。
しかし、不思議である。アポロたちの倒れている場所が、あまりにも戦闘の痕を残していないことが、だ。
アポロとリーグは、決して弱い冒険者ではない。
もちろん、『救世の軍勢』のメンバーであるソルグロスと比べれば見劣りはするが、本当に救いようのない弱者というわけではなかった。
事実、中堅ギルドの中でも上位に位置する『誇りの盾』から襲撃を受けたときも、生き残るどころか逆に打ち倒してしまっている。
そんな彼らであるのに……。
「(まるで【なすすべもなく】殺されてしまったようでござるなぁ……)」
この森の奥に行けば、確かにそれが可能な魔物もいるだろう。
しかし、この湖は森の浅い所にある。
浅い場所に生息している魔物が、アポロとリーグを一切の抵抗を許さずに殺すことができるだろうか?
「ちくしょう……!絶対に許さねぇっ!逃がさねえぞ……!」
怒りと憎悪に燃えるルシルをボーっと見ながら、ソルグロスは考える。
おそらく、アポロたちを殺した相手を突き止めても、彼が襲い掛かっても返り討ちになるだけだろう。
リーグは回復魔法の使い手だったから除外するとして、近接戦闘を行うアポロはギルドマスターを担うだけあって、ルシルよりも実力はあった。
彼でもあっけなく殺されてしまうほどの相手なのに、ルシルが勝てる要素なんてあるはずもない。
まあ、いちいち忠告してやるほど、ソルグロスも優しくはないのだが。
「ふー……。それにしても、不思議でござるなぁ。アポロ殿たちをこのように殺した者とは、いったい……」
「―――――教えてやろうか?」
ソルグロスの言葉に、答える声があった。
このぬめっとした生理的に受け付けないような気持ちの悪い声は、当然ながらマスターのものではなく、ルシルのものでもなかった。
誰か確認しようとして振り返ろうとしたソルグロスの身体が止まる。
いや、止められた。
「あの二人は、こんな風に殺したんだよ」
ズドッという音と共に、ソルグロスの華奢な身体が揺れる。
彼女が違和を感じる場所――――腹を、目だけを動かして見る。
ソルグロスの腹を突き破り、大量の血が付着したおどろおどろしい腕が彼女の視界に入り込んできた。
そして、また気持ちの悪い笑い声が響き渡ったのであった。
「あひゃひゃひゃひゃっ!!」




