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第七十五話 夜の郊外で

 









「やはり、太陽のない夜はいいものですが、今日の夜は格別にいいですわね」


 月光が闇夜を照らす中、一人の女が街の郊外を歩いていた。

 長く流れるようなサラサラの金髪を涼しい風にたなびかせながら、女は楽しそうに笑う。


 顔はプライドが高そうな印象を与えるが、ゾッとするほど美しかった。

 豊満で魅力的な肢体は血のように真っ赤なドレスで覆っており、そのスタイルの良さを際立たせているようだった。


「この静かで有象無象が活動しない時間。優雅なわたくしにふさわしいですわ」


 満月を仰ぎ見て、クスクスと微笑む。

 彼女――――ヴァンピールのことをよく知る『救世の軍勢(イェルクチラ)』のメンバーが聞けば、お前が一番騒がしいと総ツッコミを受けるような発言だ。


「欲を言えば、この美しい月をマスターと見上げたかったのですが……。もう!いったい、どこへ行ったのかしら!あのストーカー、殺しますわよ!」


 ヴァンピールは前半慎ましやかにマスターを想い、後半はストーカー忍者を思い出して激しく地団駄を踏む。

 そこに、先ほどまでのミステリアスな令嬢といった雰囲気はかけらも残っていなかった。


 ただ、欲しくて欲しくて堪らないものを、横からかっさらわれて怒りに震える女しかいなかった。


「――――――あなたも、そう思わないかしら?」


 一人話し続けていたヴァンピールは、突然誰かに話しかける。

 先ほどまでの乙女の雰囲気を一気に吹き飛ばす。


 最初にあった、不思議で冷たい貴族の令嬢といった雰囲気に戻っていた。

 しかし、もちろん周りには誰もいない。


 こんな夜更けに、危険な魔物や犯罪者が跋扈する街の外に出るような馬鹿はいないだろう。

 ヴァンピールは普通の人間ではないから、除外される。


 まあ、メンバーからはよく馬鹿だと言われているが。


「(……あら?もしかして、わたくしの勘違いでして?)」


 しばらく待っても何の反応も返ってこないので、心配になりはじめるヴァンピール。

 傍から見れば、いきなり一人で格好つけて話し始めた痛い人である。


「(嫌ですわ!わたくしは、クランクハイトではないんですのよ!!)」


救世の軍勢(イェルクチラ)』が誇る中二病……もとい、痛い人代表を頭に思い浮かべて、内心絶叫するヴァンピール。

 クランクハイトとは、大人っぽい言動をしようとしては結局は失敗し、盛大に言葉を噛みまくる灰色髪のエセ大人の女である。


 自分を立派な淑女だと信じて疑わないヴァンピールは、クランクハイトと同じなど耐えられない。


「まさか、気づかれるとはなぁ……」


 しかし、ありがたいことにヴァンピールの気配察知は間違っていなかったようだ。

 闇の中から這い出てくるように、ヌッと現れたのは筋骨たくましい大きな男であった。


 その獰猛な笑みは、やはりというべきか友好的なものではなかった。

 こんな夜更けに街の外に出ている者が、普通の人間であるはずがないからだ。


「出てくるのが遅いですわ!」

「お、おう……?」


 しかし、そんな危険な雰囲気を全身から醸し出している大男に、ヴァンピールはくわっと大声を上げる。

 男からすれば、悲鳴を上げられるのであれば分かるが、まさか待ち望んでいたように遅いと言われることは予想外だった。


 ヴァンピールがクランクハイトと同列になることを恐れていたことを知らないので、不可解に思うのは当然である。


「って言ってもよぉ。俺、あんたのマスターなんて知らねえし、ストーカーも誰だが分かんねえし……」


 男はブツブツと不満を言う。

 男も男で、声をかけようとしても独り言をペラペラと話しているヴァンピールに声をかけられなかったという事情があるのだ。


「そんなこと、どうでもいいですわ!」


 だと言うのに、ヴァンピールは彼からの意見をまったく受け付けず、どうでもいいと切って捨てた。

 男の額に青筋が浮かぶ。

 このわがままお嬢様に合わせられるのは、マスターくらいなものだろう。


「それで、あなたはいったい誰なんですの?淑女の散歩を陰から覗いているだなんて、不躾にもほどがありますわ!」

「こんな夜に街の外を出歩くことが散歩かよ。『救世の軍勢(イェルクチラ)』も、かなりぶっ飛んでいるんだな」

「別に、危なくないですわよ?魔物も、お願いしたら退いてくれますし」


 男のちょっとした皮肉も、ヴァンピールには通用しない。

 これが、賢いアナトやシュヴァルトなどに言っていれば、首を飛ばされていただろう。


 彼女がおバカで助かった。

 ちなみにだが、ヴァンピールは知らない。


 魔物たちが自分よりも圧倒的に格上の魔族にお願いされる時、最早脅迫をされている感覚と何ら変わりないものを感じていることを。


「それより、早く名乗りなさいな」

「お、そうだったな。俺は闇ギルド『鉄の女王(アイニーケン)』に所属する――――――」


 男は自信に満ち溢れた顔で、いかに自分と『鉄の女王(アイニーケン)』が凄いかの自己紹介を始める。

 しかし、ヴァンピールは自分から聞いておいて、すでに男の話は聞いていなかった。


 彼女が聞きたかったことは、いったいどのような組織がマスターに牙をむいたのかということだけだった。


「(そう言えば、わたくしとマスターに逆らうギルドがあるとかないとか、誰かが仰っていたような……)」


 ヴァンピールはボーっと男を見ながら、そう考えていた。

 ギルドの大事な問題も、彼女の頭には残っていなかった。


 ついでに、『救世の軍勢(イェルクチラ)』への敵対=自分とマスターに対する敵対と認識しており、他のメンバーたちのことは考慮の外側にあった。


「――――――とまあ、うちのマスターはあんたたちのことでやけにご執心でな」

「え、あ……そうでしたの?」


 長々と話していた男の口ぶりからすると、どうやら話はクライマックスのようだ。

 これっぽちも聞いていなかったヴァンピールであったが、とりあえず話を合わせることはした。


 そのことだけでも、昔と比べると大違いである。


「俺も、闇ギルド最強って称号は興味があるしな。あんたには恨みはねえけど、ここで死んでくれや」


 男の中では、闇ギルド最強ということは世界最強のギルドであるということにつながっていた。

 まあ、命の取り合いを人間同士ですることにかけては、おそらく闇ギルドの方が正規ギルドよりも得意だろうから、あながち間違いではない。


 もちろん、正規ギルドにも優れた冒険者は大勢いるので、闇ギルド最強が世界最強ギルドになるというわけではないが。

 しかし、男のやる気は十分であった。


 言い終わると同時に、男の全身から殺気が漲る。

 その濃密な殺気は、中堅冒険者をも委縮させるようなものだった。


 さすがは、社会でも極悪非道と悪名高い『鉄の女王(アイニーケン)』所属のメンバーだと言えよう。


「それは、できない相談ですわね。わたくし、もっとマスターの血を味わいたいんですもの」


 しかし、ヴァンピールはマスター狂いが跋扈する、ある意味世界で最もヤバいギルド『救世の軍勢(イェルクチラ)』のメンバーである。

 一切、怯えることも委縮することもなく、クスクスと微笑んで返した。


 ここに、『救世の軍勢(イェルクチラ)』と『鉄の女王(アイニーケン)』の初戦が勃発したのであった。




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