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第七十四話 ソルグロスの悩み

 









「……はれ?」


 ソルグロスはふっと目が覚めた。

 途中までとても温かくて心地いいものにくっついていた気がするのだが、今はその温かさはなく、少し身体を抱きしめてしまう。


「うぐっ……頭が……」


 起き上がろうとすると、頭がずきずきと痛む。

 これは、間違いなくアルコールだろう。


 ソルグロスは自分の体内にある毒素をすぐに解析した。


「うぅ……。やはり、酒は飲むべきではござらんな……」


 ソルグロスはそう言いながら、体内の毒素を消滅しにかかる。

 普通の人ならできないことも、自身の血液を猛毒に変えることのできる彼女にとって体内の毒を解毒することは造作もないことである。


「ふぅ……。すっきりしたでござる」


 完全に体内に残っていたアルコールを消滅させたソルグロスは身体を起こす。

 その際、彼女にかかっていた毛布がはらりと落ちる。


 ソルグロスはそれを拾い上げ、顔に近づけてふんふんと匂いを嗅ぐ。


「……んむ、マスターの匂いがかすかに。それほど、長い間は離れていなかったようでござるな」


 残り香から、自身の最も愛すべきマスターがどれくらい前に自分から離れたのかを推理する。

 立ち上がって辺りを見渡してみると、打ち上げ後の惨劇が広がっていた。


 アポロは酒瓶を片手に大きないびきを立てながら眠っていた。

 途中からジョッキに酒を入れるのが面倒になったのか、直接酒瓶から飲んでいたようだ。


 そして、そんな彼に圧し掛かられてうんうんと唸っているのがリーグだ。

 飲み会のたびにこのようなことをされていたら、飲み会に消極的になるのは当然だろう。


 ヘロロもまた、彼らの近くで毛布にくるまって眠っていた。

 ルシルとルシカの姿が見えないので気配を探ると、どうやら彼らはルシカの部屋に戻って二人仲良く眠っているようだ。


 まあ、いくらマスターの魔力で呪いの進行を遅らせているとはいえ、ベッドの上で眠って安静にしていたほうがいいことは間違いない。


「では、マスターは……」


 ソルグロスは気配察知の範囲をギュっと一気に広げて、マスターを探す。

 すると、このギルドの外で探知網に引っ掛かった。


 ソルグロスはその情報を得ると、このギルドにはもう用はないと姿を消すのであった。












 ◆



 マスターは、少し丘になっているところに腰を下ろして、月と星の輝く夜空を見上げていた。

 いったい何を考えて見ているのだろうか。


 ソルグロスはマスターの背中をぼーっと眺めながら、ふわふわとした頭の中でそう思った。

 アルコールは全て除去したはずなのだが、マスターの後姿を見ただけで酔ったような快感を得ていた。


 やはり、彼女には後ろからマスターをじっと観察し続けることが、何よりの幸せなのであった。

 もちろん、隣に立つことや彼の手を前に出て引くことも良いが、一番良いのは後ろから彼を見ることであった。


「マスター」


 しかし、今は後ろからではなく、横でマスターの顔を見上げたかった。

 彼に声をかけると、温かい微笑みと柔らかい声が返ってくる。


 その内容も、ソルグロスを労わるようなものであった。


「大丈夫でござる。アルコールは、全て消毒したでござる」


 ソルグロスはコクリと頷く。

 ……そう言えば、何だかとてもいいことを忘れてしまった気がする。


 彼女は非常に酒に弱く、基本的に酔ってしまったら記憶を失うのだが、何だかとてつもなく幸福感を得られるようなことがあったと、彼女の第六感が伝えてきていた。

 極々まれに彼女が記憶を失うほどお酒を飲んだ時は、そういった感覚を大切にしていた。


 嫌なことがあれば何だかもやもやした気持ちは残っているし、今回のように嬉しいことがあれば心がぽかぽかしているのだ。


「(うぅむ……。何やら、勿体ないことを忘れてしまったような……)」


 ソルグロスはもどかしさに身を揺らすが、マスターが心配そうに見てきたことでいったん考えを止める。


「……隣に座ってもいいでござるか?」


 ソルグロスがそう聞くと、すぐにもちろんといった言葉が返ってきた。


「じゃあ、失礼して……」


 ソルグロスはぴったりとマスターに密着する形で座る。

 マスターは苦笑しているが、嫌がる様子もないのでこのまま押し切る。


 今夜は暑苦しくもないので、これくらいは許されるだろう。

 一応、体温を下げてマスターが不快にならないように工夫はしている。


「(こんなところ、他のメンバーに見られたらマズイでござるなぁ)」


 間違いなく、武力行使が執られるだろう。まあ、迎え撃ちはするが。

 そんなことを考えながら、ソルグロスはマスターの横顔を見る。


 彼は、ニコニコとしながら夜空を見上げていた。


「(出会った当初は、ここまでニコニコはしていなかったでござるがな)」


 ソルグロスは初めてマスターと出会った時のことを思い出していた。

 あの時はまだ、ソルグロスが人型すら取れていない時だった。


 その時のマスターは、今より随分仏頂面を浮かべていたものだ。


「(昔のマスターも格好良かったでござるが、今の方が温かみがあっていいでござるな)」


 ソルグロスはマスターのことをそう評価していた。

 もちろん、『救世の軍勢(イェルクチラ)』のメンバーの中でも意見は別れるところである。


 ララディやソルグロスのように、マスターに甘やかされたいメンバーは今のような優しいマスターを望んでいる。

 一方、リッターやリースといったMっ気の強いメンバーは昔のマスターを懐かしんでいることもある。


 とはいえ、別に昔のマスターが苛烈で他人に辛くあたるということもなかったので、五十歩百歩である。

 マスターであるならば、どのような性格であれ付いて行って侍るのが『救世の軍勢(イェルクチラ)』だ。


「何を考えていたのか、聞いてもいいでござるか?」


 ソルグロスはそう話を切り出した。

 マスターと何でもいいから何かを共有したいと思うことは、当然である。


 マスターは、ルシルたちのことを考えていたと言った。

 ルシカのために、ギルドの全財産や労力を惜しまない姿勢に感動したとのことだ。


「(あー……。それは、拙者たちには無理でござろうなぁ……)」


 ソルグロスは自分含め、メンバーの顔を思い出して苦笑してしまう。

 何故なら、絶対にルシルたちのギルドのようにはいかないからだ。


 もし、誰かが死が避けられない呪いに侵されていると知ったら、むしろお祭り騒ぎになるのではないだろうか。

 まあ、『救世の軍勢(イェルクチラ)』のメンバーならラゲル程度の呪いは身体を侵される前にシャットアウトされるだろうし、たとえ侵されたとしてもマスターの魔力を呪いを打ち消すほど受け入れられるであろうメンバーなら大丈夫だろうが。


 マスターが、うちももっとアットホームなギルドになりたいねと、優しく微笑んでソルグロスを見た。


「う、うむ。まったくでござる」


 それは、マスターがいる限り無理だろうなぁと思いながらも、ソルグロスは頷いた。

 とはいえ、マスターがいなければ、ソルグロスたちは間違いなく一つの集団に所属することもないだろうから、彼は必要不可欠なのだが。


「ぬ?拙者でござるか?」


 マスターが、ソルグロスに何か悩みはないかと聞いてきた。

 早速、アットホームなギルドを目指しているのだろうか?


 温かい闇ギルドというのは、なかなか想像できないが。


「ふーむ……」


 ソルグロスは深く考え込む。

 彼女に悩みは、特になかったのだ。


 マスターの後姿を眺めながらちょこちょこと後ろを付いていき、ストーカー……もとい、護衛をするだけで幸せなのである。

 うーんと考えていたソルグロスは、そう言えばとあることを思いつく。


「乳の大きさでござるな」


 マスターの笑顔が強張った気がした。

 しかし、それには気づかずにソルグロスは自分の胸を忍び装束の上から揉みしだく。


「いやー、拙者としてはこの大きさがベストだと思うのでござるが、ララディ殿やクランクハイト殿に仲間扱いされて困っているでござる」


救世の軍勢(イェルクチラ)』が誇る屈指の貧乳コンビであるララディとクランクハイト。

 豊かなお山をお持ちの者が多い『救世の軍勢(イェルクチラ)』の中で、仲間を作ろうと躍起になっている二人だ。


 普段は、『は?仲間とかいらねえし。マスターだけ置いて逝けよ』という姿勢のくせに、胸のことになると仲間を求めるのであった。

 そんな貧乳連合の中に、ソルグロスは加入させられそうになっていた。


 彼女の乳房の大きさは、まさに大きすぎず小さすぎずといったものなのだが、ララディたちの中では貧乳に入っているらしい。

 もし、それだけならソルグロスとしても加入してやってもいいと思ったかもしれないが、ソルグロスは乳房の大きさなんて自由自在なのである。


 そのため、ひとくくりに貧乳とされるのも、あまり納得できないのであった。


「マスターは、どう思うでござるか?」


 ソルグロスは、隣に座るマスターの顔を見上げる。

 マスターの頬が引きつっているように見えるのは気のせいだろうか?


「拙者としては、このくらいの大きさが最も動きやすいのでござるが……。マスターが望むのであれば、もっと大きくすることもいとわないでござるよ」


 マスターの腕に絡みついて、望むままに身体を成長させると言うソルグロス。

 実を言えば、胸など完全になくした方が動きやすさで言ったら一番良いのである。


 今のように、胸をさらしで押さえる必要もなくなる。

 しかし、そうすると全身を忍び装束で覆っているソルグロスは、女性の魅力的な部分がほとんど見えなくなってしまうのである。


 長い髪はポニーテールにしてひょっこりと出しているが、それ以外は基本的に目くらいしか露出していない。


「(それだと、マスターが女として拙者に興味を持ってくれないでござろう)」


 後ろから見ているだけでも幸せだが、やはり寵愛を受けたいと思って当然だ。

 そのため、忍び装束を確かに押し上げる乳房と臀部は、男のようなものへと変えることはできなかったのである。


 ソルグロスも、ストーカーとはいえ女である。


「それで、どうでござるか?」


 ソルグロスはそう言って、腕を寄せてムギュッと乳房をゆがめさせる。

 もちろん、忍び装束を着ているため乳房が卑猥に歪んでいることはマスターには分からないが、想像することはできる。


 大きいと言うでもなく、小さいと言うでもない、まさに絶妙な大きさを誇るソルグロスの乳房が、二つ押し合って谷間を作り上げている憧憬を。

 さあ、どうだとソルグロスは自信満々にマスターを見上げるが……。


「むぉ……」


 ぽふっと頭に手を乗せられて、ソルグロスの情欲の炎は一瞬で鎮火した。

 上目づかいに見上げると、苦笑しながらも優しく頭を撫でてくれた。


「むぅ……」


 どうやら、今日もダメらしい。

 ソルグロスは顔布の下で可愛らしく頬を膨らませるが、仕方ないとも思っていた。


 マスターが簡単に落とせるのであれば、すでに誰かが寵愛を受けていてもおかしくないのだから。

 それくらい、『救世の軍勢(イェルクチラ)』の面々のアピールは凄まじかった。


 メンバーの中には、マスターを拉致監禁して退廃的な二人きりの生活を送ろうと画策しているアルラウネもいるほどである。

 だから、今回はまあいいかと思い、マスターの肩に頭を乗せるソルグロスであった。





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