第五十五話 エリクサー
「はぁ、はぁ……」
苦しそうに喘ぐベッドの上の少女は、悪質な呪いにかかっていた。
僕が感じたおかしな気配は、彼女が呪い持ちだったからだろう。
「あれ……お兄ちゃん……?」
「ルシカっ!!」
しんどそうに荒い息をしていた少女の目が、うっすらと開く。
僕とソルグロスが入ってきたことで、彼女を起こしてしまったようだ。
ルシルが慌てて彼女の側に駆け寄る。
「大丈夫か!?ごめんな、すぐに出て行くから」
「大丈夫だよ……もう。あれ?その人たちは……?」
心配そうに言うルシルに、少女――――ルシカは苦笑していた。
一見、仲の良さそうな兄妹に見えるが、気候が暑いわけでもないのにルシカの顔に汗がべったりと張り付いていることが異様だった。
困惑した表情で僕とソルグロスを見るので、僕は自分から彼女に近づいていく。
いつも以上に優しく見えるように笑顔を作って、ルシカに話す。
「え、そうなんですか?」
「お、おい……!」
僕は、自分が医者だと嘘をついた。
目を丸くするルシカと、僕を見て驚くルシル。
ここで、ルシルに嘘を暴かれたら何もできなくなってしまうので、ソルグロスに目配せをする。
聡明な彼女は僕のお願いしたいことをくみ取ってコクリと頷いた。
「ルシル殿、こちらに」
「わっ!何すんだよ!」
ソルグロスがルシルを連れて離れてくれる。
彼女が説明しているうちに、済ませてしまおう。
僕はルシルを連れて行かれて不安そうな表情を浮かべているルシカに、笑顔で話しかける。
ルシカの容体を見たいということを伝えると、彼女は幼い子供には似つかわしくないような達観した笑みを浮かべた。
「お兄ちゃんが連れてきた人だからいいですけど……見てもらっても、一緒だと思いますよ?お兄ちゃん、色々なお医者さんを連れてきてくれたけど、皆治せないって言っていたし……」
そうか。ルシルはルシカを助けようと駆けずり回ったのか。
まだ、お願いごとは聞いていないけれど、間違いなくルシカのことだろう。
それよりも、まずはこんな諦めた笑みを浮かべている彼女を、どうにかしないとね。
「……本当ですか?」
僕は自分がなかなか腕のいい医者だという嘘を彼女に伝える。
だから、安心して任されて欲しいと伝えると、ルシカは面白そうにクスクスと笑った。
しかし、その目から諦めの色はまったく薄くなっていなかった。
うーん……やっぱり、論より実践だよね。
「おい……あの姉ちゃんから聞いたけど、大丈夫なんだろうな」
「口の利き方!!」
ルシルが心配そうに聞いてくる。
ソルグロスは後ろで『ござる』口調を完全に忘れて怒っていたが、僕は気にせず大丈夫だと答える。
「はい、お願いします」
僕が今から容体を見ることを伝えると、ルシカはコクリと頷いて目を閉じた。
ルシルと同じである赤い髪に手を置き、ルシカの身体の中を探る。
しばらくすると、彼女をむしばむ呪いの強さが改めてよく分かった。
このように探る前からルシカが呪われていることが分かるほど濃密な呪いだったが、しっかりと状態を確認するとその凶悪さがハッキリと伝わってきた。
うん……この呪いは……。
僕は自身の魔力をルシカの身体が驚かない程度に薄めて、彼女の身体に流し込んでいく。
「ふわ……」
「ルシカ!?おい、あんた何をやって……っ!?」
ルシカが目を丸くして僕を見上げるので、何かよからぬことをしたのではないかとルシルが猛然と僕に詰め寄ってくる。
そんな彼の前に立ちはだかるのは、忍者姿のソルグロスである。
ルシルを見る目は、僕と会話するときのような暖かさはまったくなく、ただ氷のような冷たい瞳だった。
それは、彼を足止めするには十分だった。
勘違いしないでほしい。僕は、ルシカに危害を加える気は毛頭ない。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。お医者さんが触ってくれていると、何だか安心するの」
「ルシカ……?」
ルシカは穏やかに微笑んで、ルシルを見る。
その顔は先ほどまでべったりと張り付いていた汗はすっと引き、青白かった肌も少し血の気が戻っている。
「ありがとう、お医者さん……」
しばらく魔力を流し込んでいると、ルシカは穏やかな眠りへと入って行った。
僕が呪いを魔力で押しとどめたので、久しぶりに痛みや苦しみを味わわずに済んでいるのだろう。
「……ルシカがこんな風に寝られているのを見るのは、久しぶりだ。あんた、本当に医者だったのか?」
ルシルはルシカの手を大切そうに握って、僕に問いかけてきた。
いや、僕は医者じゃなくて普通の冒険者だよ。
「他を圧倒する特別な力を持った冒険者でござるがな」
ソルグロスが何故か自信満々に胸を張って言う。
別にいいんだけれど、何で誇らしげに彼女がするのだろうか?
とりあえず、僕はルシカにしたことをルシルに説明することにした。
僕がしたのは非常に簡単なもので、僕の魔力を彼女の身体に流し込んだだけである。
「え?そんなことで、ルシカが楽になったのか?他の医者は全然そんなことしなかったのに……。もしかして、あいつらだましやがったのか!?」
みるみる怒りの表情に変わっていくルシル。
声もどんどんと荒くなっていくが、ここがルシカの寝室だと思い出してすぐに口に手を当てる。
本当にルシカが大切そうで、思わずほっこりする。
まあ、まずはここから出ようか。隣で、話をしよう。
「おう」
◆
僕とソルグロス、それにルシルはルシカの寝ている部屋から出て、他のメンバーが待つ隣室へと戻ってきた。
割とボロ……古いテーブルに集まって、話をする。
まずは、僕がしたことを簡単に報告しよう。
僕がしたのは、魔力を送り込んで彼女の呪いを緩和させることだった。
「治せねえのか?」
ルシルはすがるように言ってくるが、僕は首を横に振る。
残念ながら、僕にルシカの呪いを解除することはできない。
あの呪いを打ち消すほど僕の魔力を注ぎ込めば、ルシカの身体が耐えられないだろう。
彼女が『救世の軍勢』のメンバーだったら、いくらでもあの程度の呪いを解除できるんだけれど……。
それか、アナトならどうにかできるかもしれない。
……が、彼女は今他の依頼を受けている途中で、今から呼び出すことはできない。
「そっか……」
「まさか、あんたが呪いを緩和させられるなんてな。ギルドマスターとして、礼を言うぜ」
シュンと落ち込んだルシルに代わって、アポロが頭を下げてくる。
いや、結局治せていないからいいよ。
ただ、一度僕の魔力を流したから、しばらくの間は痛みとか苦しみとかからは解放されるんじゃないかな?
「……ありがとうな」
ルシルもまたペコリと頭を下げてくる。
それはいいからさ。君たちの話も聞かせてくれないかな?
僕とソルグロスに手伝ってもらいたいことって何かな?
……まあ、十中八九ルシカのことだろうけれど。
「あぁ……あんたたちには、とある依頼を一緒に受けてほしいんだ」
「敬語ぉ……」
依頼?
僕はアポロの言葉に首を傾げる。
……ソルグロスも、もういいから。敬語なしでも。
怖い目で苦無を取り出そうとしないでね。
僕の疑問に、ルシルが答えてくれる。
「そう。どれほどの致命傷でも、医者が見放す不治の病でさえも治してしまう伝説の薬、『エリクサー』の収集依頼だ」




