第四十七話 帰還した勇者たち
「う、ん……」
マホはゆっくりと目を開ける。
つい先ほどマスターに異世界転移の魔法をかけてもらい、元の世界に戻ろうということになった。
マスターと離れたくなかったマホは少々悩んだが、彼の後押しもあって家族と再会することを最優先した。
異世界転移の魔法は、成功したのだろうか?
恐る恐る目を開くと、そこには見慣れた……しかし、異世界に召喚されてからは全く見ることができなくなっていた鉄の車が、大きな音と排気ガスを撒き散らしながら行き交っていた。
そんな光景を見ても、普通なら誰も喜ばないのだが、帰って来られたことを実感したマホに与えた喜びは非常に大きなものだった。
「帰って……こられた……」
車を見て、これだけ嬉しいと思ったことはあっただろうか?
彼女の目には、うっすらと涙が溜まっていた。
「ほ、本当に戻ってきたのか……?」
声に誘われてそちらを見ると、呆然としながら突っ立っているユウトがいた。
同じく異世界に強制召喚された、かつては勇者だった少年である。
どちらかが転移に失敗したということもなく、マスターは無事二人を転移させることに成功していた。
マホの中は、マスターに対する深い感謝の念が満ちる。
「やったぁぁぁぁぁっ!!」
ユウトは感動のあまり、両腕を広げてマホを抱きしめる仕草をする。
勇者として立派に務めを果たしていた彼だったが、やはりまだ年端もいかない少年。
戦いのない平和な国に戻って来られて、気分が高揚していた。
その昂りは、勇者パーティーということで女に手を出しまくっていたロングマンとは違い、決してみだりに女性に手を出そうとしなかったユウトを、こんな奇行に駆り立てるほどのものだった。
「それはダメ」
しかし、マホはするりと身体をひねってそれを避けてしまう。
「元の世界に戻って来られてうれしいのは分かるし、気持ちは一緒だけど、それはダメよ」
「そ、そうだね。ごめんね」
キッと睨みつけてくるマホに、ユウトは慌てて謝る。
確かに、いくら嬉しいとはいっても、恋人でもない女の子に無理やり抱き着くというのは、よろしくない行為だろう。
しかし、マホが避けたのはまた別の理由だった。
「抱き着くなんてデリカシーに欠けることをしようとしてごめんね?僕に抱き着かれたら嫌だよね」
「……ん?違うわよ。ユウトが特別嫌とか、そういうことじゃないわ」
何を言っているのかわからないといった様子のマホだが、ユウトも分からない。
二人揃って仲良く首を傾げる。
ユウトが理由を理解してくれていないことを知ったマホは、当たり前のことを彼に教えてあげることにした。
「だって、もう私はマスター教のシスターなんだもの」
「―――――え?」
マホの言葉に、ユウトが身体を固める。
「マスター教のシスターは、マスターに全てを捧げなければいけないの。それは、信仰心もそうだけど、もちろんそれ以外の精神的なものも身体的なものも全てよ。身も心も、マスターにお渡しするの。だから、マスターの許可なく他の男と抱き合うなんてできないわ」
「ま、マホ……?」
マホの目はどんよりと鈍く光り、ドロドロに溶けてしまっていた。
二人が送還された場所は午前の穏やかな公園だったのだが、そのど真ん中でマホの発する非常に濃い瘴気のせいで、遊んでいた子供たちが逃げ出す。
このままでは警察が飛んできかねないので、そんな彼女をどうにかして元に戻そうと名前を呼びかけるユウトであったが、マホは当然止まらない。
「さあ、私の忙しい毎日が始まるわ!早く、世界中にマスター教を広めないと!」
「ちょ、ちょっと待った!」
今にも駆け出そうとするお目目グルグル状態のマホを呼び止める。
呼び止められて彼女はとても煩わしそうにユウトを見るが、このまま行かせてしまってはなにをしでかすかわからない。
嫌々ではあるが、一応マスターに任せられたのでマホを止めなければならないという使命感があるユウト。
しかし、マホにはマスターからどこでも魔法を扱うことのできるペンダントをもらっている。
ユウトにも強力な武器である聖剣があるが、この世界でファンタジー全開の武器は使えるだろうか?
まだ、それが分かっていないため、武力で抑え込むことはできない。
むしろ、下手なことを言えば逆に殺される。
冷や汗をダラダラと流しながらも、ユウトは落ち着かせるための言葉を発する。
「ほら、まずは家族に会いに行かないと。皆、マホのことを心配しているだろうからさ」
「家族……」
マホの目に理性的な光が少し戻るのを見て、心の中でガッツポーズをするユウト。
自分とロングマンを含めて、異世界に召喚された者の中で最も元の世界に戻りたがり、家族に会いたがっていたのは彼女だ。
「……そうね。まずは、家族よね」
「そうだよ!君の言う通りだ!」
ようやく、マホに自分の言葉が届いた。
これで、めちゃくちゃなことを言って世界中の宗教に喧嘩を売るような真似はするまい。
ユウトはホッと安堵のため息を吐く。
アナト一歩手前までいっていたマホが、普通の女の子に戻った―――――。
「まずは、家族をマスター教の信者にしないとね!」
「……え?」
グッと拳を強く握りしめ、目を何だか危ない雰囲気を漂わせる嫌な光でギラギラとさせるマホ。
残念。ユウトの言葉は微塵も届いていなかった。
「ありがとう、ユウト。まず、家族くらいマスター教に改宗させないと、世界をマスター教一色に染めることなんてできないわよね。教えてくれて、助かったわ」
「いや、そんなことは教えていないけど!?」
「最悪、言うことを聞いてくれなかったら魔法を使うわ」
「家族に!?というか、マスターってそういうことのためにペンダントを渡したんじゃないよね!?」
決意を固めるマホに、最早ユウトは自分の言葉が絶対に届くことはないことを悟った。
マホは、バッチリアナトに洗脳されていた。
もうダメだ。マスターには悪いけど、マホを止めることはできない。
諦めて天を仰ぎ、異世界にいるマスターに謝罪するユウト。
そんな彼の腕を、ガシッと握りしめるマホ。
「さあ、行くわよユウト!」
「え?どうして僕を連れて行こうとするの?」
「何を言っているのよ。あなたはマスター教の武装信者じゃない」
「武装信者!?何それ、初めて聞くよ!?」
「まずは、日本からにしましょう!宗教に比較的寛容だから、うまくいくはずよ!」
「やめて!うまくいかないでぇぇぇぇっ!!」
マホに引きずられながら、ユウトの悲鳴が空まで届くのであった。




