第四十五話 宗教勧誘(洗脳)
僕たちの元に届いた声。
この人を安心させるような声音とのんびりとした話し方には、よく聞き覚えがあった。
「げぇっ!?どうしてお前がここにいるですか、アナト!」
ララディは驚きと嫌悪感が半々に混じった声を出す。
修道服を着て、穏やかな人柄が表れているように目がほっそりとしているアナトだった。
そんなアナトは、ララディの質問を華麗に無視して、僕の前にやってくるのであった。
「あぁ……お久しぶりですぅ、マスター。この長い時、マスターと逢えずに寂しかったですぅ。慰めてくださいぃ」
そう言って、アナトは僕の顔を自分の胸に押し付ける。
結果、僕は豊満な胸に挟まれてしまって窒息死の危機にさらされるのであった。
「オーガを簡単に殺したマスター、恰好よかったですわぁ。胸はドキドキするしぃ、身体は熱くなるしぃ」
アナトが何やら言っているようだが、すっぽりと顔が埋まっているのでほとんど聞こえない。
し、死ぬ……っ!ストップ、アナト!
「あぁっ!マスターの熱い吐息を感じますわぁ」
しかし、僕の意思はまったく彼女に通じず、アナトは艶っぽい声を出すとさらに力強く僕の顔を胸に押し付けるのであった。
これは、もうダメみたいですね……。
まあ、娘みたいに思っている子に殺されるのなら本望かな……。
死因が、豊満な胸に挟まれて窒息死というのは、これ以上ないくらい格好悪いけれど……。
「おらぁっ!!」
「あんっ」
悲壮な覚悟を固めた瞬間、僕は自分の身体が急激に引っ張られることを感じた。
艶やかな声と共に、僕は息苦しさと柔らかくて暖かい感触から解放されたのであった。
次の瞬間、僕はまたもやギュッと抱きしめられていた。
しかし、今度は息苦しさを感じず、僅かな柔らかさとゴリゴリとした骨の感触だった。
ララディ……。
「こんなふざけたことをやりに来たですか。ぶち殺すですよ」
「まったく、ふざけてないわぁ。あなたにマスターを勝手に連れて出されて、寂しかったのは事実だものぉ。身体が」
「マスター!?」
ララディと何故かマホの声が重なった。
いや、してないから!そういうことは、誰ともしていないから!
君たちに手を出さないように、ちゃんと性欲は殺してあるから!
ほら、アナトもララディたちをからかわないで、ちゃんと答えてあげて。
「はぁい、マスター」
クスクスと笑うアナトに、僕は苦笑する。
でも、ララディの言う通り、どうして僕たちの居場所が分かったのだろうか?
いつか連絡を入れようとしていたが、驚きの展開の連続でついに出来ずじまいだったのだけれど……。
ララディの問いかけに、アナトはニコニコと笑って答える。
「私たち『救世の軍勢』のメンバーが、マスターの居場所を突き止められないと思っているのかしらぁ?いくらあなたが丁寧に妨害工作をしていてもぉ、一日もあれば世界中どこにいたって見つけ出してみせるわぁ」
「ちっ」
……アナト、今なかなか怖いことを言わなかった?
僕の行動って、みんなに丸わかりなの?プライベートとか存在しないの?
というか、ララディは妨害工作とかやっていたの?
そう問いかけたい気持ちはやまやまだったのだが、愛らしい容姿のララディがひどくやさぐれた様子で舌打ちをするので、聞くことができなかった。
ほら。マホは慣れてしまったみたいだけれど、ユウトはララディの舌打ちを聞いて愕然としているよ。
「あの『赤髪乳モジャ』がちょっかいをかけてきたと思ったら、今度は『パッパラパー狂信者』ですか」
「あぁ、天使教の屑を殺したことはファインプレーよぉ。褒めてあげるわぁ」
「お前に褒められても、嬉しくもなんともねぇです」
アナトぉっ!今はユウトたちにとってデリケートな時期なんだから、過去をほじくり返すようなことは言わないでっ!
それに、天使教の悪口を外で言うのはやめよう。
天使教の信仰者が聞いていないとも限らないのだから。
自分以外の宗教を認めようとせず、異教徒をサーチ即デストロイする彼らは、非常に危険で面倒臭いのだ。
アナトのせいで、うちは天使教からも目をつけられているかもしれないのだから、大人しくしておいた方がいいよね。
「ちなみにぃ、マスターを真っ先に見つけたのは、あのストーカーよぉ。昨日のうちに、見つけ出していたわぁ」
「やっぱり、ララたちの居場所を教えたのは、ソルグロスでしたか……」
君たちの会話では、ソルグロスはストーカーで通用しちゃうの!?
普段、誰を付きまとっているのやら……僕だったりしないよね?
「ねえ。あの人、誰?」
マホがこそこそと聞いてくる。
その視線の先には、突っかかるララディを穏やかにあしらっているアナトがいた。
あぁ、そうだね。初めてなんだから、紹介しないとね。彼女は……。
「どうもぉ。私ぃ、アナトと申しますぅ。『救世の軍勢』のメンバーでぇ、マスターを信仰する敬虔なシスターですよぉ」
「ど、どうも、マホです……。ま、マスターを信仰……?」
いつの間にか目の前に現れたアナトに、マホは目を白黒させる。
自己紹介はいいんだけれど、信仰の話をする必要はあった?
僕を主神にして、信仰している信者なんて、アナトだけだよね?
「今日、私がここに来たのはぁ、マホちゃんを勧誘するためよぉ」
「か、勧誘?」
「そう!あなたには、マスター教のシスターになる才能があるわぁ」
何を言っているのかな?
目の前で堂々と行われる宗教勧誘に、僕はいつもの笑顔が消えてしまいそうになる。もちろん、焦りで。
やめようか、アナト。絶対に、迷惑だから。
僕はそんな考えを柔らかく伝えるが……。
「いえいえぇ……。マホちゃんも、自分ではちゃあんと分かっているはずですよぉ」
な、何を……?
アナトはニコニコとしたままで、勧誘を止める様子はない。
うーん……僕が命令でもすればすぐにでも止めてくれるんだろうけれど、いくら僕がギルドマスターだからといってあまり命令はしたくないんだよね……。
でも、この雰囲気からして何だかまずそうだし……。
うんうんと唸りながら何とか笑顔を継続している僕の服を、ララディがちょいちょいと小さく摘まんで引っ張ってくる。
「ダメですよ、マスター。アナトに目をつけられて声をかけられたら、ララたち他の『救世の軍勢』メンバー並に精神力が高くないと、簡単に飲み込まれてしまうです」
首をフルフルと横に振って、もう手遅れだと暗に伝えてくるララディ。
それって洗脳だよね?
あれ?僕、アナトはシスターだった気がするんだけれど……。
「ほらぁ、ちゃんと思い出しなさぁい。誰が辛い境遇から、現状からあなたを救ってくださったのかしらぁ?」
「わ、私を救ってくれたのはマスター……」
「そうよねぇ。マスターから頂いたものは一人生で返しきられないほど大きなものだけれどぉ、その御恩は必ず返さなければならないわぁ」
「恩……返す……」
うわぁっ!着々と洗脳が進んでいる……!
アナトの言葉を聞いているマホの目が、どんどんとドロリと濁り始める。
あ、少し前にマホの目がどこかで見たことがあると感じたのだが、それはアナトの目だ。
アナトが朝、礼拝室で僕に祈りを捧げているときに見せる目にそっくりなのだ。
……確かに、マホには素質があったのか。
「さあ!あなたが元の世界に帰ったらぁ、やらないといけないことは何かしらぁ?」
「はい!マスター教を世界中に広めることです!」
アナトの問いかけに、マホは目をぐるぐると回して、元気よく手を挙げて答えていた。
か、完全に洗脳されてしまっている……。
僕は、アナトから何だかよく分からないアクセサリーをもらって喜んでいるマホを見て、がっくりと肩を落とすのであった。
僕の精神衛生上、マスター教とやらに魅入られてしまったマホはもうギルドには入れられないね。
ま、まあ、これから一緒に生きていくのはユウトだし、頑張って。
「ぼ、僕ですか!?」
鮮やかなアナトの洗脳過程を見て顔を青ざめていたユウトは、僕を見て信じられないと驚くのであった。
◆
「……お世話になりました」
「またね、マスター!今度は私から逢いに来るわ!異世界転移の魔法が使えるようになる前に、精一杯マスター教を全世界に知らしめるわ!武力も辞さずに!」
ユウトとマホは、それぞれそのような言葉を残して転移していった。
マホの言葉が不穏すぎてシャレにならないのだが、まあそのあたりはユウトがどうにかするだろう。
さすがに、異世界のことは知らない。間違いなく邪教扱いされるだろうけれど、知らない。
申し訳ないけれど、ユウトに頑張ってもらおう。
「さてぇ、帰りましょうかぁ。皆、マスターが不在で寂しがっていましたよぉ」
「くっ……!これで、ララの至福の時間は終了ですか……」
ララが悔しげに地団駄を踏んでいる横で、アナトが僕を誘う。
そうか。心配をかけちゃっただろうし、謝らないとね。




