第三百五十一話 ソルグロス、クランクハイト、アナトvs.アリア
「私たちを~、再起不能にぃ?」
「ええ」
アナトはアリアの口から出た言葉を、笑うことができなかった。
もし、これをヒルデが言っていたならば、彼女たちはクスクスと嘲笑していただろう。
彼がそんなことはできないことなど、明白だからである。
だが、リミルの皮を被ったアリアならば、それも可能だと思えてしまったのだ。
「なら、先手必勝ね」
「っ!」
クランクハイトはまったく予兆なしに幻覚魔法を行使した。
それも、ヒルデを陥れたものよりも何倍も強い魔法を、一切悟らせることなく、である。
予兆もなければ対抗魔法を使う暇もなく、アリアはそれに囚われてしまう……はずだった。
「残念ですね。私に精神攻撃は効きません」
「なっ!?」
アリアはケロッとした表情でクランクハイトを見下ろしていた。
言葉通りまったく効いていない様子に、クランクハイトはもちろんのことアナトも驚愕した。
認めたくないが、彼女の幻覚魔法はかなりの力を持っていたからである。
「……っ!だったら、これは?」
「おぉ」
幻覚魔法が効かないのであれば、クランクハイト特有のスキルだ。
生気吸収。生きているのであれば、その生命力を吸い取られてしまう。
「これは効きますよ。うん、しんどいですね」
「ミイラになるくらい吸っているはずなんだけど、ね……っ!」
ヒルデを一瞬でふらつかせた何倍もの力を吸い取っているというのに、アリアは平然とした顔を崩さない。
思わず苦笑いしてしまうクランクハイト。
「隙が生まれれば、拙者が仕留めるでござるよ」
「ん?」
ふっとアリアの背後に降り立ったのはソルグロスであった。
ストーカー技術を駆使して、誰にも気づかれない速さでアリアの死角に回り込んだ。
そして、どこからか苦無を二本取り出すと、それで彼女の細い首を掻き切ろうと振るった。
リミルの身体が死ぬ?知らん。
「おっと」
アリアはそれに指をさしだした。
苦無を指で止めようというのか?それは、不可能だ。
多少頑丈な指をしていようが、ソルグロスの苦無の切れ味はなかなかのものだ。
指ごと喉を切り裂いてやろうと、アリアの行動を気にもせず腕を振るい……。
「…………は?」
苦無が砕け散った。
ソルグロスは目を真ん丸と見開く。
彼女がここまで驚愕しているのは、手に感じた感触だった。
硬いものにぶつかった感触はなかった。
ただ、本当に柔らかい指に当たっただけだった。
それなのに、まるで苦無の方が自壊するように粉々に砕け散ってしまった。
「こんな至近距離で呆然とするのはダメですよ」
アリアはまるで指南するかのように言って、軽くソルグロスの肩をポンとたたいた。
「……えっ?」
それだけで、ソルグロスの右肩がはじけ飛んだ。
ボタボタと彼女の身体を構成する水分が地面に落ちていく。
強く殴られたわけでもない。それなのに、身体の一部がはじけ飛んだのだ。
ソルグロスはスライムだからといって、強度が水風船のようなものではない。
普通の人間と同じ……いや、それよりも頑丈な身体である。
だというのに、アリアに労われるように肩を叩かれただけで、右肩から下が吹き飛んだ。
「ああ。あなたはちょこまかと動くんでしたね。先ほどの回り込みも驚かされてしまいましたし、そちらも潰しておきましょうか」
アリアはそう言って、ソルグロスの脚の付け根をぽんぽんと優しく叩いた。
そして、次の瞬間にはソルグロスの両脚がはじけ飛んだのであった。
身体を支えるべき脚を二つとも失った彼女は、どちゃっと地面に崩れ落ちる。
「な、なによ、それ……」
愕然とした表情でアリアを見つけるクランクハイト。
ソルグロスのことなんて心配していない。
むしろ、死んでしまえばいいと思っている。
だが、彼女がこんなにもあっけなく倒されるのを目の当たりにすれば、驚愕するのは当たり前だ。
『救世の軍勢』メンバーは、マスターをめぐって武力衝突を何度も起こしている。
だからこそ、それぞれの実力のことをよく知っているのだ。
ソルグロスが何もできない間に両脚や右腕をもがれるだなんてこと、想像することもできなかった。
「ああ、あなた」
「な、何かしら?」
無機質な目を向けられて、ビクッと身体を震わせるクランクハイト。
他のメンバーと違って直接の戦闘能力が欠けている彼女からすれば、わけのわからない能力でソルグロスをあっという間に無力化したアリアは、理解できない恐ろしいものであった。
もともと臆病な性格もあり、もしマスターが関係していなかったら逃げ出していたかもしれない。
そんな彼女に、アリアは忠告した。
「私の力を吸い続けているようですが、あまり吸い過ぎないようにした方がいいですよ」
「な、何故かしら?このまま吸い取っておけば、いずれあなたも全身から力が抜け……」
そこまで言って、クランクハイトは言葉を止めた。
頭がくらくらとして、視界が歪み始めたからだ。
どうして?力を吸っているのは、自分のはずなのに。
クランクハイトはフラフラとしながらもアリアを睨みつけるが……。
「く、クランクハイトぉ?あなたぁ……」
「え……?」
アナトが目を見張って見てくるではないか。
どうしたというのか。今は、ジロジロと自分を見ている場合ではなく、ソルグロスを圧倒したアリアから目を離してはいけないというのに……。
そう苦言を呈そうとしたクランクハイトは、ふと視界が赤く染まっていることに気づく。
「これ、は……?」
クランクハイトは目から血の涙を流していた。
いや、それだけではない。
鼻や口から、こんこんとまるで溢れ出す湧水のように、静かに赤い血が流れていたのであった。
「あ…………」
血を流す今を認識した途端、クランクハイトは地面に倒れこんだ。
顔にびっしりと汗を浮かべ、苦しげに表情を歪ませている。
「私の力を吸いすぎましたね。いくら、あなたが力を吸収することができる特異体質だからといって、許容量があります」
「そ、そんな……けほっ。わ、私の許容量は、もっと、お、多いはず……」
咳き込むたびに血を吐きながら、虚ろな目でアリアを見上げるクランクハイト。
顔色が青白くなっており、非常に危険な状態であることが分かる。
「確かに、あなたの許容量は目を見張るべきところがありますが……それは、下界の力を前提にしたものです。私の……使徒の力を甘く見たことが、あなたの敗因ですね」
「し、と……?」
どこかで聞いたことのある単語に、クランクハイトは息絶え絶えになりながらも呟く。
確か……そう、引きこもって本ばかり読んでいた時、とある本にほんの少し記述があったような……。
「最後はあなたですよ」
「くっ……!?」
アナトの目前に、何の前触れもなく現れるアリア。
彼女の目をもってしても、その姿を捉えることができなかった。
目前に現れたアリアに『ファンデルフ』を振るうが……。
「おっと。危ないです」
「うぁっ!?」
『ファンデルフ』を振るった左腕を、またもや軽くポンとたたかれる。
すると、ボキッと聞くに堪えないおぞましき音が発生し、アナトの左腕が歪に曲がった。
そして、怯んだ彼女の首を手で掴み、ゆっくりと持ち上げた。
「あなたはマスター教だなんてものを作って、お兄様を崇める集団を作ったようですね」
「がっ、は……そ、れが……ぁ?」
「鬱陶しいんですよ」
アリアは、アナトのこれまでの活動をきっぱりと切り捨てた。
「そうやってお兄様を求める存在を増やせば、お兄様はより下界に縛り付けられるようになるじゃないですか。私は、お兄様とマリアお姉さまと一緒に過ごしたいんです。こんな薄汚い世界じゃなく、美しい場所で」
「はっ、ぁ……!」
「だから、お兄様には早く帰ってきてほしいんです。本当なら、もっと早く戻ってきているはずなんですよ?でも――――――」
アリアの目に、初めて怒りの感情が浮かび上がった。
「あなたたちのような人が現れてギルドなんてものを作ったから、お兄様は下界から離れられないんです。あなたたちのせいで、私とマリアお姉さまはとても寂しい思いをしているんですよ?」
アリアは、『救世の軍勢』そのものがマスターの枷になっていると言う。
それを聞いたアナトは、喉を絞められて意識が遠のく中でも不敵に笑って……。
「わ、たしたちの方がぁ、マスターに思われている、のねぇ。――――――ざまぁ」
「…………」
ぐっとアナトの喉にアリアの指が食い込む。
もしかしたら、このまま死んでしまうのかもしれない。
だが、マスターならどうにかしてくれるだろうし、無機質なカラクリのようだったアリアの感情を揺さぶれたのであれば、どこかいい気分になった。
アリアはアナトの首をへし折ってやろうと力を込めた。
「おや」
しかし、背後から飛来した苦無を破壊するために、アナトの首から手を離さざるを得なかった。
振り向くと、地面にへばりつきながらも残った腕で苦無を投じたソルグロスの姿があった。
「まだ、そこまで動ける気概がありましたか。普通、四肢のうち三本を破壊されれば、戦う気力なんてわいてこないはずなんですけど」
「あいにく、拙者はスライムでござる。それくらいじゃあ、拙者を戦闘不能にすることなんてできないでござるよ」
ニヤリと布の下で笑うソルグロス。
彼女はスライム。コアさえ無事なのであれば、いくらでも再生することができる。
それに、恐怖心を掻き立てる痛みも、痛覚がないのでまったくない。
「む……」
アリアは自身の身体に起きている不具合を悟る。
まあ、本体というわけではなくリミルの身体を借りているだけなのだが。
「動きづらい、ですね。即効性の毒ですか?」
「……触れただけですぐに死ぬような猛毒を塗ったはずなんでござるが」
アリアは苦無を破壊した際、苦無に触れている。
そこにはソルグロスの猛毒が塗られており、身体に付着しただけで死に追いやる危険すぎる性能のものであった。
ただ、それを受けてもアリアは平然と立っている。
「まったく……とくに、ホムンクルスの身体を借りているせいか、毒が効いてしまったようです。本来なら、あまり毒などは効かないのですが……」
「そう~。ならぁ、魔槍は効くかしらぁ?」
「っ!」
ソルグロスから視線を外し、声が聞こえてきた方を見るアリア。
そこには、倒れながらも『ファンデルフ』を彼女に向けるアナトの姿があった。
「『ファンデルフ』ぅ」
魔槍は持ち主の意思に応え、黒い光を放つ。
至近距離からの光線である。
天使の力を人間に付与する聖具の『ザッパローリ』を圧倒した強力な光が、アリアを飲み込んだ。
間違いなく、ほとんどの者にとってそれは致命傷になる。
『救世の軍勢』メンバーでも、直撃を受ければ命が危ないほどだ。
だが……。
「少し驚きました。ちょっと痛かったです」
光が晴れて現れたのは、大してダメージを負っていない様子のアリアであった。
しかし、まったくの無傷ではなかった。
頬は切られて血を流しているし、全身に煤が付いている。
そして、何より無機質であった表情がムッとしたものに変わっていた。
「あなたぁ……なんなのぉ?」
もはや、ここまで攻撃が通用しないとなると、笑いしか出てこない。
アナトの問いかけに、アリアは答える。
「私は使徒。かつて、神に遣わされてあなたたち下界の存在に繁栄をもたらした者です。……まあ、私はあまりしていませんでしたが」
アリアはそうアナトに教えてやると、彼女の額を軽く指ではじいた。
アナトの頭蓋は粉砕されて脳髄が飛び出す……なんてことはなく、凄まじい音と共に彼女の意識は刈り取られたのだが、少なくとも命までは奪われなかった。
アナトの意識がなくなったことを確認したアリアは、苦無を投げつけてくるほどの元気があるソルグロスの元に向かった。
「アナト殿を殺さないのでござるか?」
「そうですね。本当は殺したいのですが……殺してしまうとお兄様が本気で怒りそうなので……」
悩ましそうに顔を歪めるアリア。
出来れば『救世の軍勢』のメンバーを皆殺しにして、マスターがこの世界にいる理由をなくしてしまいたいのだが、少し話して分かったことだが彼はとても彼女たちのことを大切に想っている様子。
もし、取り返しのつかないことになってしまえば、自分がマスターから完全に見放されてしまうかもしれない。
今でも相当マスターが怒ることは明白だが、まあ殺すよりは無力化の方がマシだろう。
「それにしては、拙者はなかなか酷い目にあっているのでござるが……」
「それでも、あなたは元気に攻撃してきたじゃないですか。それに、命は奪っていないのでセーフです」
「うーむ……なんとも……」
敵同士とは思えないほどのんきな会話。
ソルグロス元来の性格ということもあるだろうが、アリアにマスターを害する気が微塵もないということが大きな理由だろう。
もし、彼女がヒルデのようにマスターを害そうとしていたならば、たとえ食らいついてでも彼女を止めようとしたはずだ。
「だから、あなたも無力化します」
「うっ……!」
アリアは残っていたソルグロスの最後の腕を、ポンと叩く。
すると、やはりあまりにもあっけなく部位が破壊され、ソルグロスはついに四肢全てを失うのであった。
「それでは、他のあなたたちの仲間を無力化していきますね。いつまでも、お兄様を捕らえられているとは思えませんし」
さっさと出て行ってしまうアリア。
そんな彼女を、ソルグロスは視線で見送った。
「うーむ……これは、何人か死ぬかもしれんでござるな」
ここに転がっている三人は、全て戦闘タイプではない。
だが、外にいるメンバーは能力に差はあれど戦闘をバリバリこなせる連中だ。
そんな彼女たちと激突したら……。
「まっ、それは拙者にとって好都合でござる」
マスター以外どうなってもいいので、とくに心配もしない。
とりあえず、ソルグロスは四肢の回復に全力を注ぐのであった。




