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第三百四十三話 マスターの捜索

 










「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 早朝の魔王城に響き渡ったのは、甲高いアナトの悲鳴であった。

 スヤスヤと眠りについていた『救世の軍勢(イェルクチラ)』のメンバーは、一度は起き上がるものの、狂信者(アナト)の悲鳴だと気づいて二度寝の体勢に入る。


 ギルドメンバーがどうなろうと知ったことではない。

 むしろ、悲鳴を上げるような事態に陥ってくれていることは、歓迎すべきことである。


 そうして、もう一度眠ろうとしたメンバーたちであったが、ふとあることを思いつく。


「(今の悲鳴を出したのが、アナト?)」


 彼女たちのほんの少し気がかりになったのが、悲鳴を上げたのがアナトだということだ。

 いつもマスターの真似をしてニコニコと微笑んでいるあの女は、余裕の態度を絶対に崩さない。


 天使と相対したときは口調こそ変わっていたものの、彼女の過去を考えれば気持ちが高ぶっていてもおかしくないし、それでも激変したということはなかった。

 それなのに、この悲鳴である。


「(アナトをここまで狼狽させる何かがあった?)」


 これが、ララディやヴァンピールなど普段から騒がしいメンバーであったならば、また眠りについていたことだろう。

 だが、この小さな気がかりを残したまま眠ることは、どうにも気持ちが悪かった。


 それでも、ララディやリッターはスヤスヤと二度寝に入ったし、そもそもヴァンピールは起きなかった。

 ギルドの中でも、比較的常識を持っているメンバーがベッドから抜け出したのであった。


「お」

「あ」


 悲鳴のした方に歩いていると、リースとシュヴァルトがばったりと鉢合わせる。

 ギルドの良心であるドラゴンと、ギルドの家事の大半を担っているダークエルフである。


「お前も確かめに来たのか?」

「ええ、まあ。何が起きているかくらいは、把握しておいた方がいいと思いまして」


 リースの言葉に頷くシュヴァルト。

 とくに、相性が良くも悪くもない二人は、並んで悲鳴の方角に歩き出す。


「しかし、アナトがあんな悲鳴を出すとはなー。よっぽどのことがあったんだろうな」

「そうですね」


 一応見に来たこの二人であるが、アナトのことは大して心配していなかった。

 純粋に、何が起きているのかを知りに来ただけであり、アナトを助けようなどとは微塵も考えていない。


 しかし、歩いていると、だんだん彼女たちの顔が強張って行く。

 というのも、アナトの悲鳴が聞こえた方角に歩いていると、何故か執務室……つまりはマスターのいるはずの場所に近づいて行っているからだ。


「……嫌な予感がするぞ」

「……マスターに何かあった、とか?」


 二人は最悪の光景を想像する。

 まず、マスターが誰かに殺された、なんてことは絶対にないだろう。


救世の軍勢(イェルクチラ)』という化け物たちがぞろぞろと入っている魔王城に、誰一人にも気づかれず侵入することは非常に難しい。

 さらに、侵入がうまくいったとしても、マスターを彼自身が気づかないうちに殺すことなど絶対に不可能だろう。


 必ずばれて、戦闘になるはずだ。

 そうなれば、流石に『救世の軍勢(イェルクチラ)』メンバーが駆けつける。


 ならば、いったい彼女たちが想像した最悪の光景とはなんなのだろうか。


「(アナト、まさかマスターと……!)」

「(ご主人様の寵愛を……!?)」


 すなわち、アナトがマスター争奪戦の勝者となったことである。

 鉄の意思を持つマスターを落とせるとは考えにくい。


 だが……。


「……早足になったな、シュヴァルト」

「……あなたもですよ、リース」


 最初はアナトの悲鳴だからとゆっくり歩いていた彼女たちであったが、だんだんと早足になる。

 そして、ついには全力で走り出したのであった。


 途中、すれ違う魔王城に勤める魔族が目の前を物凄い勢いで走って行ったギルドメンバーを見て、目を真ん丸にする。


「マスター!」

「ご主人様!」


 そんな彼らの様子など一切顧みず、二人は最短距離で執務室に飛び込んだ。

 しかし、残念ながらそこにマスターの姿はなかった。


 いるのは、ベッドの上で呆然としているアナトだけである。

 キョロキョロと辺りを見渡すが、どこにもマスターはいない。


「マスターはいないようだな。匂いもあまり感じられない。アナトと一緒にいた……ということはなさそうだな」

「……匂いで分かるとか……なんだか変態みたいですね」

「おい」


 鼻をひくひくと動かして匂いを探るリース。

 ドラゴンの嗅覚で、マスターが数時間前からここにいなかったことを確信した。


 であるならば、リースとシュヴァルトが懸念していた、アナトがマスターをものにしたということはなさそうだ。

 ホッと一息つくと、次にわいてきたのは朝っぱらから不安に陥れてくれやがったアナトに対する怒りである。


 らしくもない悲鳴のおかげで、穏やかな睡眠をとっていたのにたたき起こされてご立腹だ。


「……で、どうして悲鳴を上げたのですか?似合わない可愛らしい悲鳴で、驚きましたよ」

「そうだぞ。それに、何でマスターの執務室で寝ていたんだよ。夜這いか?避けられたみたいだが」


 アナトにちくちくと毒を吐きながら理由を聞くシュヴァルトとリース。

 普段なら反応していても不思議ではないのだが、何故かアナトはいまだに呆然としたままである。


「……いないのぉ」

「ん?マスターが、か?お前の夜這いが嫌で逃げたんじゃないのか」

「ち、違うわぁ!」


 キッと初めてリースの方を見るアナト。

 確かに、夜這いもどきのことはしたのだが、結局は安心して子供のように甘えて眠ってしまったのだから、そのようなことは起きていない。


 まあ、マスターだったら寝ている間にそういうことをしてくれてもいいのだが。

 しかし、あの時の彼はまるで父のようにアナトを受け入れて共に眠ってくれた……はずなのである。


「それなのにぃ、マスターが、私が起きる前にさっさとどこかに行くだなんて考えられないわぁ」


 マスターは優しい人だ。

 アナトが昔のことを思い出して不安になって添い寝をしてほしいと頼んだのであれば、再び起きるまでずっと隣で待っていてくれるはずである。


 それなのに、何も言わずにいなくなるなんてことはあり得るのだろうか?


「マスターだって、人(?)です。早く目が覚めて散歩に行ったということも考えられます」


 マスターはどうにもおじいちゃんみたいなところがあった。

 早朝散歩を好むことなどがあげられる。


 だから、今もそれをしているのではないか?

 そんなシュヴァルトの推察を、アナトは否定する。


「ないわぁ。私の隣ぃ……とっても冷たいものぉ。今でも早朝なのにぃ、それよりも早い深夜に散歩に行くかしらぁ?」

「…………っ」


 アナトの言葉にハッとするリースとシュヴァルト。

 確かに、マスターが散歩好きだからといっても、いくら何でも早すぎる。


 今よりも早い時間となると、外は暗闇で散歩するには適さないだろう。


「でしたら、いったい何故……?ま、まさか、私を見捨てて出て行ったとか……」

「な、何言ってんだシュヴァルト!マスターが私を見捨てるだなんてこと、あるわけないだろ!」


 シュヴァルトがガクガクと震えながら恐ろしいことを言ったので、リースも背筋をゾッと冷やしながら慌てて否定する。

 考えたくもない最悪の推論。それは、マスターが『救世の軍勢(イェルクチラ)』に愛想を尽かして出て行ってしまったということだ。


 それならば、彼がここにいないことの理由にもなる。

 余談だが、シュヴァルトもリースも発した言葉だけを見ると自分だけのことしか考えていなかった。


「あぁ……ご主人様。主なき奴隷に意味はなし。自決します」

「ありえないだろうが、もし本当だったら……?な、何をブレスで吹き飛ばしたら戻ってきてくれるんだ!?」


 妄想で錯乱してしまう二人。

 シュヴァルトは魔剣『ハッセルブラード』を取り出して自決しようとしているし、リースは竜化して無差別ブレステロを画策する。


「それはないわねぇ」


 しかし、アナトは冷静にそれを否定する。

 最初に悲鳴を上げたため、逆に頭がスッキリとした。


 マスターが自分たちを見限って出て行くなんてことはありえない。

 そもそも、今までマスターを一国の王にしたり信仰対象にしたりとうまくいっていたはずなのである。


 だとしたら……。


「拉致じゃないかしらぁ」


 しかし、リースとシュヴァルトはアナトの言葉に懐疑的だ。


「考えにくいな。メンバー一人や二人程度なら気づかれずに拉致することもできるかもしれないが、私たち『救世の軍勢(イェルクチラ)』メンバー全員に悟らせることなく、マスターに抵抗させる間も与えずに拉致なんて不可能だろう」

「私もそう思います」


 さらに言えば、気配察知に優れているメンバーも多い。

 ララディは地面の振動で察知することができるし、リッターは勘、ヴァンピールは夜目が優れているし、シュヴァルトはダークエルフなので聴力が鋭く、リースはドラゴンとして感覚が人間よりも飛びぬけている。


 そんな彼女たちに、誰一人として悟らせずに拉致などできるものなのか?


「一人ぃ、心当たりがあるわぁ」


 だが、アナトにはそんな離れ業を成し遂げてしまう人物を一人知っていた。


「リミルよぉ」

『っ!!』


 アナトの言葉に、リースとシュヴァルトが苦虫をかみつぶしたような顔をする。

 そうだ、あの女がいた。


 リミル。『救世の軍勢(イェルクチラ)』メンバーではないのにもかかわらず、マスターと親しい関係を築いている女だ。

 確かに、リミルはメンバーにばれないようにこっそりとギルド本部にやってきて、マスターと話しているということが何度もあった。


 まあ、一定の時間あればメンバーたちも気づいてすぐに駆けつけていたが、その間にさっさと逃げてしまっていたのが彼女だ。

 あの女なら、今回のような拉致も可能だろう。


「あいつ……マスターを独り占めしようとして……!」

「…………」


 殺意をみなぎらせる二人。

 目の前にいれば殺してしまいそうなほどだ。


「おそらくはそうだろうけどぉ、もしかしたら本当に散歩しているだけかもしれないわぁ。一応~、王都を見まわりましょう~。今寝ている連中もぉ、マスターのことを伝えれば跳ね起きるわぁ。一丸となって探しましょう~」

「ああ!」

「はい」


 アナトの指示に従い、二人は部屋から出て行った。

 なお、後でアナトが執務室に忍び込んだことについては追及するつもりである。


 普段はバラバラな彼女たちであるが、マスター関連のこととなれば、真に必要となれば協力する。

 こうして、『救世の軍勢(イェルクチラ)』総出でマスター捜索が行われたのであった。



最終章 使徒編です。

最後になりますが、お付き合いいただければ幸いです!

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